第64話 せっくすふれんど

「せふれ……?」


「そう、セフレ」


 ルーズリーフに落書きをしながら、秋鷹は結衣の疑問に答えた。

 ここはいつかの空き教室。逢引をするならうってつけの場所だ。その窓際の一番後ろの席に結衣が、そして、彼女の正面の席に秋鷹が――という形で現在、二人で勉強している。

 机には筆記用具と問題集、並びに飲料水とポッキーが置かれていた。結衣側の机だけを使っている所為か、非常に狭苦しく感じる。

 

 今日は千聖がバイトのため、秋鷹が代わりに結衣に勉強を教えてあげているのだ。無論、千聖はこのことを知らない。

 しかし、今は勉強とは別の話で盛り上がっている。教える相手が秋鷹だと、集中という言葉は微塵の欠片もなくなってしまうのだ。


「気持ちよくなって、嫌なことを忘れて、セックスを楽しむ。それがセックスフレンド」


 人差し指を立て、指揮者のようにリズムよく口づさむ秋鷹。一方で、結衣は納得のいかない顔で考え込む仕草を見せる。


「せっくす、ふれんど……」


「やっぱり嫌だったかな?」


「ううん、そういうわけじゃないの。せっくす自体は気持ちいいし、これからも、その……あきくんとしたいと思ってるんだけど……。――あっ、いや、違くてこれはっ……」


 言いかけて、結衣は顔の前でブンブンと手を横に振る。言った言葉を訂正しようとしているが、もはや手遅れだった。ぷしゅーっと顔を真っ赤にさせて、そのまま俯いてしまう。

 

 それを面白おかしく見ていた秋鷹は、しかし、


「もしかして、後ろめたいと思ってる?」


 落書きしていた手を一旦とめて、結衣の顔を真剣に見つめた。

 この前まで純粋無垢で清廉潔白だった結衣だ、秋鷹の彼女である千聖に対して、罪の意識を感じてしまっているのだろう。それに加えて、二人が幼馴染であることも幾らか関係しているのかもしれない。

 

 だが当然、もう彼女は後戻りできないところまで来てしまっている。


「心配しなくても、すぐ忘れるよ。そのためのセックスだろ」


 忘れさせてやる、と言えばよかったのだろうか。

 そう言えば、きっと秋鷹だけが悪者になるはずだから。けれど、秋鷹は頬杖をついた手を机からどけるだけで、言い直すことはしなかった。

 

「――じゃん。結衣の似顔絵」


「これ、わたし……?」


 ルーズリーフに書いていた落書きを、秋鷹は結衣の方に向けた。その落書きは結衣の特徴を隈なくおさえ、なおかつ並々ならぬリアリティを醸し出している。


「こんな可愛くないよ……」


 照れた表情で上目遣いになる結衣を、秋鷹は立ち上がると同時に流し目で見た。そして、彼女の背後まで移動する。


 似顔絵を凝視して固まっている隙を狙い、秋鷹は後ろから結衣に抱き着いた。やさしく、首周りを抱擁する。「あきくん……」と、か細い声音がすぐ真横で聞こえた。


「セックスフレンドとは言ったけど、そんな毎日毎日するわけじゃないよ? 結衣がしたいときにして、俺がしたいときにする。単純に気持ちよくなりたい時だったり、むしゃくしゃして気持ちが落ち着かない時だったり、悲しくて生きるのが辛い時だったり。……嫌な時は、もちろん断ったっていいんだ」


 秋鷹が結衣の耳元で囁いている所為か、彼女の耳が若干ながら赤みを帯びてきた。


「大丈夫。俺のそばにいてくれる間は、結衣のこと、ちゃんと大事にするから」


 そう言って秋鷹が頭をポンポンすると、結衣が顔をこちらに向けた。鼻先が触れあい、互いの息遣いが甘く交差する。自然と見つめ合う形になり、そっと唇が触れた。


「んっ……ん、ぁ……は、むぅ……ちゅっ、ちゅっ……」


 唇をついばむ、やわらかな接吻。

 その行為が一頻り続くと、結衣がゆっくりと瞼を開いた。それから唇を離し、火照った顔で秋鷹を見つめる。


「せっくすふれんど……いいよ、なる……」


 勇気を振り絞って口にした言葉なのか、彼女の瞳が僅かながらに揺れ動いていた。


「なんか……高校生なのに爛れてんな、俺たち」


 言いながら、秋鷹はもう一度キスをした。



※ ※ ※ ※



 テスト週間のお陰なのか、通学路に学生の姿は見当たらない。秋鷹の家の方面に同じ学校の生徒がいないだけなのかもしれないが、夕焼けに照らされた街路が、やけに閑散としているように思えた。

 それ故、秋鷹と結衣は隣り合わせで歩いてゆく。その間、会話が途切れることはなかったけれど、不意に秋鷹が聞き返した。

 

「アイドル?」


「うん、小学生の頃だけどね」


 やや俯き気味に、結衣は過去を思い出して口の端を少し上げた。

 途中で諦めてしまったらしいが、結衣は中学に上がる頃まではアイドルを目指していたのだとか。


「わたし、全然かわいくないでしょ? だから、友達に言われたの。お前はアイドルに向いてないって」


「そうかな? 普通にかわいいと思うけど」


「えっ?」


 秋鷹のかわいい発言に驚いたのか、結衣はバッとこちらに振り向いた。

 その顔はやはり、綺麗に整っていると思う。平たく言えば、そこらのアイドルじゃ比にならないくらい神がかりな造形だ。


「少なくとも、顔だけで言えばトップは狙えるよ」


「そんなぁ、またまた~」


「ん? 割と本気だよ?」


「…………」


 秋鷹が笑い無しに素直に言ったからか、結衣は沈黙してしまった。しかし、にまにまと口元を緩ませているのが窺える。褒められて嬉しかったのだろうか。

 結衣は咳き込むと、「では、歌います」と唐突にエアマイクを片手に握る。それを口元に当てると、すっと息を吸った。


 どうやら、秋鷹限定の単独ライブを披露してくれるようだ。秋鷹は期待を込めて、密かに心を躍らせる。


「ババンババンバンバン、ア、ビバノンノン――」


「失格ッ!」


 わかってはいたが、失格だ。

 歌い出しで即座に理解してしまった。朝霧結衣、彼女は――。


「やっぱり、アイドルに向いてないよ」


「ひどいよっ、かわいいって言ってくれたのに!」


「かわいいはかわいいけど、根本が終わってるよね」


「さらにひどいよ! 根本は始まってるもん!」


 ちょっとなに言ってるかわからないが、結衣の所為で風呂に入りたくなってしまった。すると、丁度目線の先に我が家が見えた。

 相変わらずのボロアパートだが、あれでもちゃんと住めるには住めるのだ。秋鷹はキャンキャン吠えている結衣に、


「着いたよ。あれが俺の家」


 アパート二階の角部屋を指差した。

 指差された方向に目を向けて、結衣は謎に関心している。


「昨日は暗くて見えにくかったけど、すごいね。ほんとうに一人暮らし、してるんだね。改めて実感しちゃった。えへへ」


「一緒に住んでみる?」


「――んにゃっ!? にゃにいってんにょっ!!」


「冗談だよ」


「じょ、冗談……」


 少し揶揄ってみただけなのに、すごい取り乱し具合だ。秋鷹は頬を膨らませている結衣の手を取り、アパートの階段を上る。ところどころ過剰に錆びついている為、非常に危険な階段だ。


「でも、部活ないのはラッキーだったな」


「うん。赤点の常習犯だから、勉強のためにって、顧問の先生が……」


「全然してないけどな。しかも、今からアレをするわけだし」


「ほんとだよね。わたし、悪い子だ」


 苦い笑みを浮かべる結衣は、しかし秋鷹と手を繋いでいたことに気づくと、慌てて手を離す。

 秋鷹は気にせず、自宅の扉の前まで歩いて行った。そして、迷わずドアノブに手を伸ばす。


「……鍵、閉めてないの?」


「ああ、こんな貧乏な家に空き巣とか来ないだろうしな。どうせ何もないし」


 本当は別の理由があるのだけれど、と思いながらも、秋鷹は扉を開ける。と、玄関に人影が見えた。おかしい、明かりがついている。

 

「……ん?」


 見れば、玄関には小柄な少女が一人、こちらをじっと凝視しながら佇んでいた。彼女はエプロンをしているが、横乳と横尻をはみ出させている。ムチムチの太ももはもちろんのこと、胸のボリューム感に見合った谷間がなんとも艶めかしい。


 言わずもがな、これは裸エプロンだ。秋鷹はゆっくりと、その少女と目を合わせる。チェリー色の髪が揺れ、少しだけ彼女の双丘が躍った。


「おかえりなさいあきっ――」


 バタンッと扉を閉め、秋鷹はその場で立ち尽くした。


「どうしたの……?」


「帰る家、間違えたかも」


「え?」


 怪奇現象を垣間見た後の人間のように消沈する秋鷹。彼を見つめながら、結衣は小首を傾げた。

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