第67話 これからのこと

 白いカーテンが垂らされた窓と、その付近には純白のベッド。白一色で満ちたこの部屋は、秋鷹にとっては見慣れた場所だった。

 ベッドの側面に背中をつけ、秋鷹は正面のテレビをじっと見据える。けれど、腰を据えてくつろいでいる訳ではない。


 秋鷹のそばには、確かな温もりがあった。膝の間には、亜麻色の少女がひとり、座り込んでいた。彼女は頬ずりでもするかのように、秋鷹に背中を預けてくる。


「やった、勝った!」


 手に持ったコントローラーを掲げて、千聖は声高らかに喜んでみせた。秋鷹は彼女の肩に顎を置くと、後ろから抱擁するように腕を回す。


「せめてルールだけ教えて?」


「だーめ。教えたら、あーくんが勝っちゃうじゃん」


「いや、本気でやりあった方が絶対おもしろいでしょ」


「じゃあ……手加減してくれんの?」


「接待プレイなら任せてよ」


 秋鷹がそう言うと、千聖はくすりと笑った。

 テレビには、今も『大乱闘スマッシュシスターズ』のキャラ選択画面が映されている。略して『スマシス』と呼ばれるこのゲームは、千聖が最近買った対戦型格闘ゲームだ。

 しかし、千聖はゲームが絶望的に苦手なようで、『モンハン』でひと狩りいく時は毎回小型モンスターとの戦闘でつまずく。そのため、格闘ゲームで秋鷹に勝てないと悟り、操作方法を何一つ教えなかったのだろう。それでも、あと少しで勝てそうだったが。


「あーくん」


「どうした?」


 千聖が上目遣いで秋鷹を見つめた。彼女の瞳は、とても澄んでいて綺麗だった。気の強そうな眉と目尻が、今は少しだけ垂れ下がっている。


「あーくんっ」


「なに? ちーちゃん」


「あーきゅんっ」


「なーに、ちーちゃん」


「あーあーくんっ」


「なーに、ちーちゃん?」


「あーあーくぅん」


 謎に名前を連呼してくる千聖。彼女は秋鷹に密着して体をスリスリすると、猫のようにじゃれついてくる。


「なんだよ、ほんとどうした?」


 いつになく甘えてくる千聖の頭を撫で、秋鷹は困り顔で疑問符を浮かべた。すると、千聖が秋鷹の制服をくんくんと嗅いでくる。


「他の女の臭いがする」


「えっ……」


 笑顔は崩さず、ただ声音だけは棘のように鋭かった。秋鷹は一瞬だけ怖気を感じるも、すぐに取り繕った笑みを湛える。


「気のせいじゃない?」


「そう? チェリーブロッサムみたいな、甘くて切ないピュアな香りがしたんだけど……」


「だったら、尚さら気のせいだよ。俺、初恋は終わってるし……今は千聖一筋だし」


「あたしの、勘違いだったのかなぁ……?」


 千聖は髑髏どくろ柄のTシャツの裾をぎゅっと握り、膝をすり合わせた。Tシャツと下着しか着用していないため、肉付きの良いむちむちした太ももが丸見えだ。そんな千聖の脚をじっと見ていると、「こらっ」とデコピンされる。


「太ももばっか見てないで、あたしの目を見てよね」


「ごめんごめん。なんかもじもじしてたから、気になっちゃって。……許して?」


「好きってじゅっかい言ってくれたら、許したげる」


「そんなことでいいの?」


 秋鷹が若干驚いたように言うと、千聖は「いいの」と言って寄りかかってきた。その肩を抱いて、秋鷹は躊躇いなく囁く。


 好き、と、十回ほど。


「さんきゅ、あたしも好きよ」


 言って、千聖がそっとキスしてきた。


「ご褒美。秋鷹は、あたしのものなんだから」


 唇が触れてしまいそうなくらい近い距離で、千聖は瞳を揺らしながら目を合わせてきた。甘やかな息遣いが交差する中、彼女の手は秋鷹の胸に添えられる。それは心に響かせるように拳を突きつけた、とも同然の行為で。


「絶対絶対、あたしのものなんだからね?」


 言外に、『誰にも渡さない』と言っているようなものでもあった。その独占欲と嫉妬心をあらわにするように、千聖は秋鷹のことを強く強く抱きしめる。

 引き剥がそうとすれば簡単に引き剥がせるだろうが、それでも、秋鷹は彼女の想いに強く拘束されてしまった。



※ ※ ※ ※



 どれだけ強く抱きしめても、どれだけ毎日抱きしめようとも。彼との距離は縮まらなくて。

 他の誰よりも近い距離にいるはずなのに、想いの丈はお互いに離れていくばかり。彼の好意は一定で、それ以上にはならない。千聖のことを想っていようと、その想いはそれ以上膨れ上がらない。そして、彼はその理由を教えてくれないのだ。


 千聖が臆病だから、訊けずにいる。

 きっと、訊けば答えてくれるだろう。千聖のことが好きなのだと。

 けれど、不器用な千聖にそんな本心を聞きだすことができるだろうか。ただ抱きしめて、ただキスをして、ただ愛を囁いて。明日、明後日になればそれらの愛情表現は上達していくはずなのに、千聖は昨日よりも上手く愛を示せない。


 こんなに想いが溢れているのに。昨日よりもっと彼が好きなのに。それをどう伝えればいいのかわからない。

 でも、彼が千聖と一定の距離を保つ理由は、なんとなくわかっていることだった。伊達に毎日一緒にいるわけではないから、訊かなくても薄々理解してしまう。


 ――彼は孤独なのだ。


 友人がいても、恋人がいても、家族がいても。彼はずっと独りなんだ。

 何気ない日々を生きる彼は、どこか俯瞰したように独り笑っている。自分の本心をどこか遠くへ置き去りにして、悲しそうに独り笑っていた。

 それを大人っぽいとか、他の人より落ち着いているだとか思っていた時もあったけれど、違うのだ、全然違っていたのだ。


 そんな彼を、守ってくれる人はいるのだろうか。支えてくれる人はいるのだろうか。独りで戦っている彼の、そばにいてくれる人はいるのだろうか。

 自分が、そうなれればいいな。そうすれば、0.1ミリの隙間を埋められるかもしれないから。その何もないようでハッキリと存在する距離を、千聖は縮めたかった。


「ねぇ、秋鷹……?」


 彼の胸に顔をうずめながら、千聖は小さな声で言葉を紡ぐ。


「結婚って、まだ早いかな?」


「早いと思うよ。俺たち、まだ高校生なんだから」


「大学生になったら、してくれる?」


「学生結婚か。どうだろ、まだ先のことはわからないな」


 優しい声で秋鷹は答えてくれるが、自分たちの〝これから〟は未だ曖昧だった。けれど、確定していない未来の他に、千聖には叶えたい願いがあった。


「あたしね、あたし……秋鷹の、家族になりたい」


 それがどういった意味なのか、千聖にはわからなかった。独りでに呟かれたそれは、おそらくは千聖の本心。彼とずっと一緒にいたいからこぼれた言葉なのだろうか、あるいは恋人以上の関係に名前をつけた結果が――この、家族という言葉だったのだろうか。

 わからないことばかりで混乱する。千聖はその答えを求めるように、秋鷹を見上げた。しかし彼は、固まって、じっとテレビ画面を見つめていた。


「秋鷹?」


「あ……」


 ふと思い出したかのように千聖の方に向く秋鷹。彼は視線を彷徨わせると、ゆっくりと口を開く。


「家族、家族だよな……」


「……うん」


「なれたら、いいな」


「え……。う、うんっ」


 やわらかに微笑まれて、千聖は咄嗟に俯いてしまう。

 そして、秋鷹が言った言葉の意味を反芻して考えた。そのままの意味で捉えるなら、彼は千聖と結婚したいと願っている。

 そう思うと、千聖の胸はジュクジュクと熱くなった。そこに手を当ててみれば、胸がきゅっと締め付けられて苦しくなる。千聖は、今日もまた秋鷹に恋をしてしまったのだ。毎日のように恋をして、切なくなる。


 ――それは辛いようで、幸せな毎日だった。


 千聖は気持ちを落ち着かせ、控えめの深呼吸をする。それから、秋鷹の顔を見つめようと、俯いていた顔を上げた。


「……えっ」


 しかし、秋鷹は頭にブラジャーを被っていた。目のところに丁度、カップの部分が重なっている。

 一瞬の間、その場に沈黙が落ちる。二人で無言の状態が続いた後、秋鷹が腕を十字の形にして、おもむろにスペシウム光線を放ってきた。


「ウルトラマン!」


「――あほ! あんぽんたん! ばかなすび!」


「いたっ、いたい! ちょ、地味に痛いから!」


 秋鷹の頭にあったブラジャーを掴み取ると、千聖は彼の頭をそのブラジャーで叩きのめした。


「あほんだらぁ……!」


 本当に、彼はバカだ。 


 

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