第74話 稀に見る偶然

「付き合ってください!」


 二人の男の声が、中庭一帯に響き渡った。彼らから手を差し出されているのは、驚いた表情の鏡華だ。彼女は頬を紅潮させ、少しだけ目を伏せている。


「――はい、オッケーで~す。お疲れさまでした~」


 と、そこに間の悪さを物語るかのように、カメラマンの声が割って入った。

 無論、これはカレンダー撮影の一環だ。今回は秋鷹とアサケンが鏡華に告白するという単純なシーンである。しかし、


「こんなカレンダーに需要あるんですかね?」


 秋鷹はふと疑問に思った。

 とはいっても、秋鷹とて女子高生の考えることをすべて理解出来るわけではない。秋鷹が知らないだけで、告白シーンとは意外にも人気があるものなのかもしれない。

 その疑問に答えたのはアサケンだ。


「鏡華ちゃんを支持している若者には、少なからず男子学生もいるからね。彼女の恥じらっている姿を見たいと思う人も、大勢いるってわけさ」


「そういうもんなんですか?」


「案外そういうものなんだよ。まあ、男子学生に限らず、憧れの鏡華ちゃんのことを知りたい女の子もたくさんいるし、需要はかなりあるんじゃないかな?」


「さすが、ポッポティーン専属モデルですね」


「うんうん、そうだね。わかってるじゃないか宮本君」


 なぜこの人が得意げになるのだろう、と秋鷹は愛想笑いでその場を乗り切った。

 そんな二人の会話に、ちょっとしたインタビューを受けていた鏡華が割り込んでくる。


「宮本君。今日はこれで撮影は終わりだけど、この後の撮影にも参加する?」


「……いや、俺はもう帰るよ」


 秋鷹の出番はこの告白シーンで終了だ。それでも、事前インタビューや準備などによって二時間ほど時間が経ってしまっていた。撮影するだけで済む仕事だと思っていたが、秋鷹的には想像以上にハードな仕事だった。


「じゃあ、お給料渡しとかないとね」


「え? 手渡しで?」


「銀行振込の方がよかった?」


「うーん、手渡しの方がありがたいかも」


 そう言って微笑んだ秋鷹に、鏡華は「なら、これとこれ」と茶封筒とどこかのブランドの紙袋を渡してくる。

 封筒については給料だとすぐにわかったが、紙袋は一体なんなのだろうか? 受け取って、中身を確認してみる。


「化粧品……?」


「そそ。五千円相当のコスメだよ。彼女さんにでもプレゼントすれば?」


「俺は使わないし、プレゼントするのが妥当なんだろうけど……。言っとくが、俺は彼女なんていないよ?」


「ふうん、そうなんだ。ま、減るもんじゃないんだから、受け取ってよ」


「ああ、そうだな。なら遠慮なく」

 

 表面的には彼女はいないと言ったが、秋鷹はこのとき、心の中で「千聖にでもプレゼントしとくか」と何気なく呟いていた。

 すっぴんの千聖の方が個人的に好きだが、彼女は学校ではギャル系メイクをしているみたいなので、確かにプレゼントをして損はないと思える。


 ところで、給料とコスメをもらったはずのもう一人は、どこに行ったのだろうか。秋鷹はキョロキョロと辺りを見回す。


「あれ、来栖さんは?」


「杏樹なら、先に帰ったよ。これからまたバイトがあるんだって。大変だよねー」


 なにか欲しいものでもあるのかな? と首を傾げる鏡華の言葉に、秋鷹は「まじか」と思った。

 

「冬月さん、アサケンさん。俺、もう行きますね」


 そんな大層なことではないが、杏樹に訊きたいこともあったため、秋鷹は急ぎ早にその場を後にする。


「ばいばーい。また連絡するからね」

「よかったらおれのインスタ、見てくれよな」


 最後に、二人の声が背後から聞こえた。

 彼らはこれから、カレンダーとは別の撮影を学校で行うらしい。さっきも実感したことだが、改めて、大変な仕事だと感じた。本業の人は特に。


 

※ ※ ※ ※



 封筒の中身を確認すると、そこには二千円が入っていた。二時間の撮影でこれだけもらえれば、まあ文句はない。しかし、杏樹には五千円もらえると言ってしまったため、もしかすると今頃、彼女は激おこぷんぷん丸になっているかもしれない。

 

 秋鷹が小走りになっていると、校門付近に杏樹の背中が見えた。その背中を秋鷹は追っかける。


「来栖さん。先に帰っちゃうなんて、酷くない?」


 彼女の斜め後ろに付いて、秋鷹は歩調を合わせた。隣に行くとぶん殴られそうなので、この位置が最善だ。


「なぜ私があなたを待つ必要があるの?」と杏樹は言った。彼女の手には秋鷹と同じく、五千円相当だというコスメが入った紙袋が携えられている。

 周囲の人間からしたら、秋鷹たちは同じブランド物を携えたカップルか何かに見えるのだろうか。それを察知してか、杏樹は前を見据えながら、


「まず、付いてこないでくれるかしら? 通報するわよ」


「俺も帰り道がこっちなんだ。これくらいは許してくれないか?」


 嘘は言っていない。

 が、杏樹はこれ以上は不毛だと考えたのか、嘘か誠かなんて確認はせず、そのまま無視して黙ってしまった。

 それでも、秋鷹が「給料の件、ごめん」とおもむろに謝ると、彼女は「やっぱりあなたは詐欺師よ」と返答する。


「時給二千五百円なんて虫のいい話、あるわけない」


「うん。騙したことは、本当にごめん」


「……けれど、決して悪い話ではなかった」


 杏樹の予想外の言葉に、秋鷹は目を見開いた。


「こうしてお金がもらえるだけで充分よ。ありがとう」


 続けて紡がれたその言葉には、安堵にも似た感情が沁み込んでいた。

 何故そこまでお金に執着するのかはわからないが、秋鷹は礼を言われただけでこれまでの鬱憤が晴れていくような気がした。しかし、


「だからといって、あなたが詐欺師だという事実は変わらないけれど」


「ですよね」


 上げて下げるのがお上手なことで。

 思わず、秋鷹は素で笑ってしまった。それと同時に、杏樹が歩みを進めていた足を止める。


「一つ、訊いていいかしら?」


「ん? うん、どうぞ」


 秋鷹も足を止めて、こちらに振り向いた杏樹の目を見た。


「あなた、いつも気持ちが悪いほどの作り笑いを浮かべているけれど、そんなに人生がつまらない?」


「んーっと……どういうこと?」


「偽りの自分を演じていて、楽しいのかって訊いてるの」


 純粋に疑問を払拭しようとしているだけの彼女の一言に、取り繕っていた笑みが剥がされる。無感動な秋鷹の心が、微かに揺れ動かされた。しかし、それも一瞬のことだった。


「かっこいいこと言うね。なら俺も言い返そう。俺だけじゃなく、偽りの自分っていうのは誰もが演じるものだよ」


「……とぼけるなら、もう訊かないわ」


 杏樹はくるっと身を翻すと、秋鷹に背中を向けた。

 おそらく、そのまま帰るつもりなのだろう。秋鷹も引き留めるつもりはなかった。付いていったら、ストーカーとして警察に突き出されそうな訳だし。

 だが、丁度そのとき、真横から幼い声が二つ聞こえた。


「あー! 謎のベーシスト宮本だ!」

「なんでおねーちゃんがその人といっしょにいるの? か、かれし?」


 見れば、そこには小学生くらいの少年と少女がいた。そして、彼らのすぐ後ろで、同じように驚いた表情でいたのは涼だ。彼はレジ袋を両手に携え、まさに『買い物帰りです』みたいな姿でいた。


「あなたたち、どうしてここに……!?」


 杏樹が口をまごつかせて何かを言おうとしているが、もう遅かった。涼の近くにいた少年と少女が秋鷹にしがみつき、


「確保! ねーちゃんは渡さねーぞ!」

「じじょーちょーしゅーします! にげてはだめですよ?」


「え、えぇ……」


 実は子供が苦手な秋鷹。小学生と言えど、例外ではなく。

 無理に引き剥がせなかった秋鷹は、しがみついてくる彼らにされるがままになる。


 それは、交差点の横断歩道で信号待ちをしているときのことだった。

 

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