第33話 異世界に転移するそうです

 ――五時限目。中心に人が集まれるように、机と椅子が教室の隅に寄せられていた。



「じゃー、各自始めてくださーいっ!」


 教卓付近でそう言い放ったのは、校則スレスレファッションを我が物とする女――五月女春奈。通称ギャルだ。

 ギャルの中で彼女を知らない者はいないし、ギャルでなくとも一度は名を聞いたことくらいあるだろう。パツ金と言えば、で名前が一番に上がる程でもあった。


 そんな彼女が今、何故クラスに呼びかけをしているのか。


「バイブスぶち上げていこーう! あーしが実行委員になったからには、絶対に成功させるからね?」

 

 文化祭だ。よりにもよって彼女が文化祭実行委員に選ばれてしまったのだ。その持ち前のコミュニケーション能力には感服こそすれど、ぶっ飛びすぎて秋鷹からしたらやかましくて仕方がない。


 春奈の隣で置物と化してしまった、もう一人の実行委員の男子。秋鷹は彼に同情しつつ、教室の床へと腰を下ろす。


「えっと……俺は確かオークだったよな」


 床に置いてある段ボールを漁り、使えそうな物を引っ張り出していく。


 夏休み前には決まっていたことだが、秋鷹のクラスの出し物は『異世界即興劇』だ。そして昨日、誰が何の役をやるかで難航し、二時間分の授業を使ってしまった。

 

 なにせ、異世界という単語は身近ではない。

 発案者の結衣自身なにをどうすればいいのか分からなかったらしく、ノリだけで決めてしまった春奈は頭を抱えていた。


 その時、一役買ったのが影井涼だった。

 幼馴染の結衣に助けを求められてやむを得ず、という感じではあったが、彼もまんざらでもなかったのだろう。異世界に対する過剰なまでの知識を語り、その甲斐あって授業をスムーズに終わらせることができた。


 結果的にクラスメイトたちから称賛された涼だが、秋鷹が注目したのはそこではない。もし結衣が、クラスに馴染めない彼のために異世界即興劇を発案したのなら、これは思惑通りということになるのだろうか。


「いや、ただの考えすぎかもな。言っちゃ悪いが……」


 ここまで見越して物を考えられるほど、彼女は利口ではない。


 きっと、涼に活躍して欲しくて、彼の好きな『異世界』という単語を口にしたのだろう。それが昨日のような、クラスメイトに褒められる出来事に繋がっただけ。


 思惑というよりかは純粋に、文化祭を涼に楽しんでほしかっただけなのだ。


 それはクラスの人気者で、発言力のある結衣だからこそ成せる業だった。本人に自覚はないにしろ、こうして異世界即興劇をやる羽目になってしまったのだから空恐ろしい。


 ともあれ。


「異世界に文句があるわけじゃないけど、オークはないだろオークは……」


「そうか? 結構強いらしーぜ? 女に対してはめっぽうな」


 隣に腰かけて、ニヤリと笑ったのは赤茶髪の少年――敦だ。彼は秋鷹と同じように段ボールを拝借し、カッターの刃を出し入れしている。


「ああ、知ってるよ。キスしたお姫様を怪物にするやつだろ?」


「――シュレックじゃねーよ!?」


「え?」


 凶変した敦を見て、驚きが隠せない秋鷹。

 そこまで全力でツッコミを入れる意図が読めないが、敦なりにこだわっている部分でもあるのだろう。


「オークってのは、緑色のでっかい怪物のことを言うんだ」


「シュレックじゃん」


「違う違う。わかってねーなぁ秋鷹は」


「わかった気になってるお前はなんなの?」


 やれやれだぜ、みたいに首を振られても困る。どうせ敦も、オークについてはひよっこ並みの知識しか持ち合わせていないはずだし。


「オークと女騎士はセットらしいんだ。つまり……わかるか秋鷹?」


「多分、ロシア語で説明されてもわからないって言うよ、俺は」


「つまりだよ秋鷹。オークって、お前に似てないか?」


「帰っていい? お前といると腹が立って仕方がない」


 これは説明が下手とかではなく、単純に馬鹿にしているようにしか思えない。


 何が似てるだ。悪口以外の何ものでもない言葉だよそれは、と秋鷹はこめかみに青筋を立てた。


「安心しろ秋鷹。おれはお前をイラつかせることが生きがいなんだ」


「そんな生きがい捨ててしまえ。めちゃくちゃ迷惑だよ」


「で、話の続きなんだけど……」


「まだ続けんのかよ。シュレックの話はやめろよ?」


 ただでさえオーク役を押し付けられたことに憤慨しているというのに、その話を長々と聞かされるのであればこちらも黙ってはいられない。


 ポキッポキッと指を鳴らして敦を威嚇する。


「お前って宍粟しそう紅葉と仲いいじゃん?」


「急になんだよ……。中学が同じだし、まぁそれなりには……?」


「そこでだ。宍粟紅葉をみてて思ったんだが、あいつ女騎士っぽくない? 凛としてるところとか特に」


「まさか……女騎士っぽい宍粟と仲がいい、ってだけでオークにされたの? 俺」


「はぁ……これだから秋鷹は……」


 ――だから何でそんなにも分かった風でいるんだよ。


「この世には『くっころ』というものがあってだな、秋鷹がオークになった暁には、女騎士である宍粟紅葉を『くっころ』にできるって訳だよ。お分かり?」


「くっころ……だと……?」


「ああ、したくないか? あの清廉潔白で、生徒の憧れの的でもある宍粟紅葉をくっころ漬けに……!」


「ぐはッ……! なんだその味わい深い響きは……!」


「正式には、『くっ、殺せっ!』だっ!」


「――うぐぁッ……!」


 バタリ、と背中から床に倒れ、秋鷹は段ボールの上に仰向けで寝転がる。天井に設置された蛍光灯を眺め、そのまま『くっころ』という言葉を脳裏に巡らせた。


 すると突然、何個もあった蛍光灯がチェリー色に染まる。


「なにやってんの?」


「あ……? ああ、エリカか……」


 上から覗き込んできたのは千聖の友人の榎本えのもとエリカだ。そのくりくりとした瞳を何度も瞬かせ、中腰でこちらを見下ろしてくる。


「ばか……?」


「否めない」


 エリカと見つめ合っていると、段々冷静さを取り戻してきた。芝居をするにしてもヘタクソすぎるし、あんな茶番を見られてしまえば羞恥も湧いてくる。

 

 秋鷹は照れ隠しをするように苦笑いで、


「このままキスでもする?」


「するわけないじゃん。わかってんだろー」


「いてっ……」


 バシッと秋鷹の頭をはたき、エリカはその場に腰を落ち着かせる。


「……ねぇ秋鷹ってさ、キスしたことあるの? あるよね?」


「ん、ああ……それがどうした?」


 頭の横に体育座りのエリカを感じながら、秋鷹は天井を見上げたまま仰向けで応答。いきなりの乙女チックな問いかけに、少々戸惑いが隠せない。


「初めてって、どうやったか覚えてる? できれば教えて欲しいんだけど……」


「んー……なに、もしかして彼氏でも出来た?」


「え……ちょっと秋鷹、ボクに関心なさすぎじゃない? 一年の冬くらいには出来てたよ! 部活の先輩!」


「あ、そうなの。そんな前からなんだ」


 エリカとは一年の頃からクラスが同じだが、彼氏を作っていたなんて初めて知った。この口ぶりだと、エリカに彼氏がいるということは周知の事実なのだろう。

 もしかしたら、クラスで知らないのは秋鷹だけかもしれない。男の目を引く容姿なだけに、彼氏の有無が知れ渡るのは一瞬なのだから。


「でも、なんで俺? 相談するなら春奈とか……ほら、千聖もいるじゃん。女の子同士の方が会話に花が咲くだろ?」


「それ、分かってて言ってんの? 春奈に言ったら花の根元ごと摘まれるに決まってるでしょ」


「恋バナ好きそうだしな、あいつ」


「うんうん。しかも、ファーストキスすらまだなんて言えないよ……。だから、内緒の相談ってやつ? それを秋鷹にしてるってわけ」


「ファーストキスは……結構大問題だな」


「だしょー?」


 ギャルの割には、中々にプラトニックな恋愛をしているようだ。無垢であった千聖は既に経験済みだというのに。エリカに関してはまだ初心と、その見た目にそぐわない。


 と、秋鷹の足元の辺りから頼もしい声が――。


「その悩み、おれが引き受け――」


「和田敦は黙っててよ。黙って羊の数でも数えてなよ。君に相談しても何の意味もないから」


「え、なしてフルネーム……?」


「紅葉ちゃんをフルネームで呼んでた君が言う? 一生草でも毟って食べてれば?」


「もしやフルネームで呼んだこと……そ、それだけで怒ってらっしゃるの……?」


「それだけって……紅葉ちゃんを『くっころ漬け』にしてやるって言ってたのはどこの誰?」


「聞いてたのかよぉ……」


 悪い発言だけを切り取るメディアの鏡のような罵声に、敦は萎縮した。エリカに背を向けると、段ボールに羊の絵を描き始めて少しだけ迷走気味になる。


「それで、なにか方法とかないかな? 部活に集中してたボクも悪いけどさ、なんか最近不機嫌が多いんだよね、先輩」


「エリカ、バスケ部だっけ?」


「そだよー。スタメンじゃないけど、これでも毎日頑張ってるんだよ?」


「そっか、花校はなこうのバスケ部って練習キツイらしいし、恋愛に手が回らなくなるのも無理ないか」


 秋鷹は上半身を起こし、片膝を曲げてエリカに向く。そして元気づけるような笑顔を作り、


「でもそこは、エリカ自身頑張らないと。部活もあって辛いと思うよ、キツイ練習に一生懸命取り組んでるのもわかる。それでも、先輩との仲を深めたいんだろ?」


「……うん」


「なら、好きって気持ちを伝えようよ。男ってみんなチョロいから、それだけ言われたらきっと答えてくれる。俺だったら、思わず抱きしめちゃうかな?」


「ほんとかなー? テキトー言ってない?」


「んなわけないだろ。この真剣な顔を見ろっ」


 両手を後方の床に突き、キリッとした目つきでエリカを見る秋鷹は、何者かの視線を感じて咄嗟に下を向いた。それにエリカも気づいたらしく、


「あっ、チサっちゃんがこっち見てる……なんだろ、めっちゃ見てる。あれ、え? なんか睨んでない? なに!? ボクに向けて怨恨のオーラ放ってる!?」


 エリカはあわあわしながら立ち上がると、下を向いてしまった秋鷹に、


「相談のってくれてありがとうっ。チサっちゃんが呼んでるみたいだからもう行くね」


「……ああ、焦らずにな」


「うん、先輩に今の自分の気持ち、ちゃんと伝えてみるよ――」


 タッタッタッとギャルのたまり場へと駆けて行ったエリカ。彼女を見届けたら、秋鷹は再び仰向けの体勢で寝転がる。


 恋愛相談でそれっぽいことを口にしたが、あれが正しいかなんてわからない。まだ自分でも、何が正しいかなんてわからないのだし。


「敦……お前って何の役?」


「羊飼い……」


「……そっか」


 段ボールに絵を描いていた敦の声は、なんだかとても、消え入りそうだった。

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