第38話 日曜ランデブー
――目の前を、手を繋いだカップルが通り過ぎていく。
「早く来すぎたかも……」
公園の時計をぼんやりと眺め、千聖はベンチで一人ソワソワしていた。
なんといっても、今日は秋鷹とのデートの日だ。緊張しない訳がない。もちろん男の子とこうして出かけるのは、千聖にとって初めて。幼馴染の彼とは、プライドが邪魔して実現できなかったから。
千聖は手に持ったスマホの画面を見て、トーク履歴を人差し指でスワイプした。今までのやり取りを遡るように、過去のメッセージに目を通す。
家に一人でいる時もそうだが、これは寂しさを紛らわすために千聖がよくすることだ。たぶん、メッセージでやり取りが出来なくなってしまえば、千聖はうさぎみたいに孤独死してしまう。そう思えば、スマホが普及した時代に生まれてよかったと心から感じた。
「まだかな……」
集合の一時間以上前に来てしまったことが仇となった。
張り切りすぎて昨日はよく眠れなかったし、朝もセットした目覚まし時計に無理やり起こされる始末。寝不足気味になるほど、頭の中は秋鷹でいっぱいだ。
――服、似合っているだろうか。
今日のためにクローゼットから引っ張り出してきたのは、自分の一番のお気に入り。初めてでも、何かと戦うわけでもないのに、勝負下着も着用している。
「ちょっと攻めすぎたかなぁ……」
自問の繰り返し。
短めのスカートを一つまみして、ニーハイブーツに視線を移す。ムチムチした白い太ももが曝け出され、その絶対領域は破壊力抜群だが、果たしてこれが秋鷹に効果あるか――。
顔を上げた千聖の瞳に、歩いてくる秋鷹の姿が映る。いつもと変わらぬ雰囲気を醸し出しながらも、違うのはその服装だった。
着崩した制服も似合っていて良かったが、こちらのジップブルゾンも様になっていてカッコイイ。
思わず見惚れてしまったのも束の間、千聖はスマホをチラリと見る。
集合五分前の時刻だ。待ち合わせに遅れてはいないが、彼は千聖に寂しい思いをさせたのだ。ちょっとくらい困らせてしまっても、
「悪くないよね」
千聖はバッと勢いよく立ち上がると、全力で頬を膨らませる。
「遅いっ! 一体どこでなにしてたの!?」
「ごめん……! そこの噴水近くで、フラッシュモブに参加させられてて……」
わかりやすい嘘で誤魔化す秋鷹は、ふと立ち止まり、笑顔のまま千聖のことをジッと凝視する。
「あれー? すごい気合入ってる?」
「ちょっ……あんま見ないでよ……」
「うん、いいよ。その服めちゃくちゃ似合ってる。世界一可愛い」
「ばか……気持ちが籠ってない……」
秋鷹を困らせるつもりが、千聖の顔は羞恥で真っ赤になってしまう。
反撃を試みるも、適切な言葉が浮かばない。咄嗟に浮かんだのは、秋鷹とのメッセージのやり取り。反復しすぎて、もはや内容はすべて覚えている。
「て、ていうか! 顔文字はいいけど、メッセージの語尾にハートマークつけんのやめてよね! 気持ち悪いからっ」
「えー、千聖もつけてたじゃん?」
「あ、あたしはいいの! 女の子だから許されるの!」
「そう? 俺の精一杯の、愛ある表現なんだけど……」
シクシクと泣き真似をしてみせる秋鷹は、楽し気に千聖の表情を窺っていた。
「泣いたふりしても、許しませんっ」
「なに、怒ってんの?」
「怒ってる!」
――ただ、素直になれないだけだ。
「じゃあ、どうしよっか。デート楽しみにしてたんだけど、このままお開きにする?」
「あ、いや……」
調子に乗りすぎたと思っても、もう遅い。
出てしまった言葉は、元には戻せないのだから。それは千聖自身、一番理解していることだった。
噴水に集まっていた鳩たちが、パタパタと羽ばたいていく。デート中のカップルが多いこの場所で、ひとり俯いている千聖はかなり浮いてしまっていた。
「嘘だよ。映画、観に行こう?」
「……え?」
「まだ時間あるし、先にランチでも済ませちゃおっか? それとも、間食程度にとどめておく? お腹減ってないなら、取り敢えず電車に乗るでもいいよ」
じわっと千聖の瞳に涙が滲む。
楽しみにしていたのに、なんで泣きそうになっているのだろう。悲しいはずなのに、なんでこんなにも嬉しいんだろう。
こぼれそうになる涙を隠すように、千聖は念入りに手入れしたツインテールで顔を覆う。できれば、このサラサラ髪は彼に触ってもらいたかった。
「行かない?」
「…………行く」
髪を丁寧に撫でられ、仏頂面で返答してしまった千聖。その泣き顔にも似た表情に向けて、秋鷹は笑って言う。
「よし、なら急ごう」
「――え!? ま、まってよ!」
「離さないよ?」
秋鷹に手を取られ、千聖は慌てて走り出す。ちょっとだけ背伸びしてつけたチークが、ほのかに色づいた気がした。
「もう、ほんとバカ……」
「お互い様だろ?」
肩越しに振り返って、秋鷹は握った手にギュッと力を込める。千聖も、目尻にうれし涙を浮かべて握り返した。
素直になりたい。
でも、好きが溢れていくほど気持ちの制御が利かない。
それを、彼はわかってくれていて。
こみ上げてくる温かな想いが、作り上げた自尊心を和らげていった。
※ ※ ※ ※
「面白かった?」
「もちろん。続きの小説、また貸してくれる?」
「続きからじゃ違うとこもあるし、最初から貸してあげる」
「楽しみだなー。映画、続きがありそうな終わり方だったし、消化不良だよ俺」
その言葉にくすっと笑って、千聖は秋鷹と会話を続ける。
行き交う人々の目はあれど、そろそろ恋人つなぎにも慣れてきたところだ。知り合いにうっかり目撃されないように、何駅か離れた場所にまで観に来ているのも少し効いている。
「あ、チーズドッグじゃんあれ」
「なにそれ、美味しいの?」
「うん、食べてみる? 今女子高生の間で流行ってるやつだよ。流行に乗るなら、千聖も食べといた方がいいんじゃない?」
「普通に気になるって言うか、流行なしにしても食べてみたいかも」
「そこまで高くないし、食べようか?」
「うんっ……!」
ついつい小さなガッツポーズを両手で作ってしまった千聖だが、秋鷹の顔を見て愕然とする。
「あ、秋鷹……? 顔真っ青だよ? 大丈夫?」
「ヤバいかも……腹痛い」
「えっ? なにか変なものでも食べた?」
「うーん……朝ご飯かな? 久しぶりに自分で料理したから……」
お腹を押さえて、なぜか口も押える秋鷹。吐いてしまうのだろうか。
「一人で料理するなってあれだけ言ったでしょ!? 今度あたしが教えてあげるから、ほら、早くトイレ行きなさいよ……」
秋鷹の背中をさすり、千聖は世話の焼ける子供の面倒をみる親の気持ちになった。
「千聖は、どうすんの……?」
「あたしのことはどうだっていいでしょ。チーズドッグ買って待ってるから、あんたはトイレ」
「俺はトイレじゃないよ……」
「つべこべ言ってないでとっとと行く!」
「はい……」
大人っぽいのに子供というか、千聖が言えたことじゃないが世話のかかる人だ。
「ふふっ、おっかし」
建物の中に消えていく秋鷹を見つめ、千聖はチーズドッグ屋に向かう。幸い行列は出来ておらず、この分だとすぐにでも買えそうだ。
短い列に並び、自分の番が来たらチーズドッグを二つ購入する。見た目的には、ホットドッグとさして変わらない。
秋鷹がいれば写真でも撮ってもらって、そのままインスタに乗せてもよかったのだが、なにぶん両手がふさがっていて今はそれどころではない。
「ありがとうございます」
手渡されたチーズドッグを両手に持ったまま、千聖は少し離れた場所で一息つく。あまり遠くへ行ってもはぐれてしまうだけだし、秋鷹が帰ってくるまで脇の方で待っていようか。
「――ねぇ君、
「だ、誰ですか……?」
真横から、ニヤニヤした顔の男が話しかけてきた。十中八九、これはナンパだ。
「うっわ……高校生でニーハイとか、ませてんねー君。もしかして誘ってる?」
「…………」
「無視? ひっどいなぁ、おれたち同じ高校なんだけど? ねぇわからない? 三年の――」
「あなたみたいなブタイノシシ、まったく記憶にございません。帰ってください」
見もせずに千聖が冷徹に言い放つと、男の顔がピクピクと痙攣する。
だって仕方ないだろう、本当に豚みたいなんだから。
「あー、そういうこと言っちゃう? 意地悪しちゃおっかなー? も~っらい――!」
「なっ……! か、返して!」
チーズドッグをぶんどられ、取り返そうと手を伸ばすが、男との身長差の所為か上手く取り返せない。
「可愛いね~、千聖ちゃん。ほれほれ~」
「――――っ」
「おー、揺れる揺れる。絶景だー、あははっ」
「――ッ」
「返して欲しい? ねぇ?」
挑発するように問いかけられ、千聖は怒りで前が見えなくなりそうだった。が、思いっきり手を伸ばしたその時――。
「――ぁ」
「……うおっ」
千聖がジャンプしていると、男の手にあったチーズドッグが地面に落下した。ベチャリ、とケッチャプが弾ける音がして、その場に沈黙が流れる。
男も想定外の出来事だったらしく、気まずい顔で目線を逸らしていた。
「なんで……」
――秋鷹のために買ったのに。
殴りかかりたい気持ちを必死に堪えて、千聖は唇を噛んでプルプルと俯く。我を失って暴挙に出てしまったら、それこそ相手の思うつぼだ
「ちくしょう、参ったな……泣かせるつもりはなかったんだが……」
男の言う通り、千聖の頬に一筋の雫が流れ落ちていた。
楽しかった今日という一日を、嫌な思いで塗り潰されてしまった気分。悲しいと言うより、悔しかった。
「ダメじゃないかゆうや。女の子泣かせちゃあ」
「おせーよ三橋。どうにかしてくれ、おれじゃ手に負えん」
「自分でやったのに? 人使い荒いなーまったく」
「うるせーよバーカ」
慣れ親しんだ会話をする二人に加え、彼らの背後から数人の男がこちらにやってくる。千聖は背の高い男たちに囲まれ、一歩後ずさった。
「ハンカチ使う?」
「大丈夫です」
「そっか。なら、チーズドッグの謝罪させてよ。これから僕たちディズニーマウンテンに遊びに行くんだけど、もしよかったら――」
「結構です。気持ちだけ受け取っておくので……もういいですか?」
千聖は逃げるように身をかがめ、この場を離れようとするが、ガシっと手首を掴まれて引き留められてしまった。
さっきから話しかけてくる、優しそうな見た目の男だ。
「どうしてもって言っても?」
「無理です、離してくださいっ」
「女の子も数人くるよ? 君と同級生の子もくるだろうし……」
「あの、本気で……!」
「――おい、離せよ」
「……え?」
隣から、怒気を孕んだ低い声が小さく鳴った。そこには男の手首を掴んでいる、秋鷹の姿があった。
呆けている千聖の手首が解放されると、秋鷹は今の態度が嘘かのようにニコリと笑う。
「なにしてるんですか先輩。ナンパですか?」
「いいや、そんなつもりはなかったよ」
自分の手首を痛そうにさする男は、秋鷹の問いかけに首を振ってみせた。すると、彼の背後にいる友人らしき人物たちがヒソヒソと話し出す。
「こいつ、宮本秋鷹か……?」
「みたいだな。千聖ちゃんとどういう関係なんだ……」
「デート中だったり?」
意外にも的を得ている疑問の数々だが、それは繋がれている秋鷹と千聖の手を見れば一目瞭然だ。
「なるほど……すまないね、邪魔しちゃって」
「別に、俺は気にしてませんよ。こんなこと、二度としないでもらえれば、それで十分なんで」
「ああ、肝に銘じるよ。ほんとうに」
冷や汗をかいている男は、秋鷹から目を逸らして友人たちに声を掛け始める。彼の様子はどこか、秋鷹とは関わりたくないと言っているようだった。
やがて彼らの姿が人ごみに消え、千聖たちは二人、チーズドッグ屋のすぐ隣で立ち尽くす。
「チーズドッグ落ちてるし……」
秋鷹はポツリと呟くと、手を繋いだ状態で千聖に向く。
「怖い思いさせちゃって、ごめんね。やっぱり一人にさせるんじゃなかった」
「そ、それよりも! どうしよ、あたしたちが付き合ってることバレちゃったよ……」
怖い思いをしたことは、もういいのだ。秋鷹が助けに来てくれたから怖くないし、手を繋いでいれば心は存分に満たされる。
でも、まさか知り合いに会うなんて思いもしなかった。明日からの学校は、少しばかり不安が拭えない。
「安心して。きっと言い振らしたりはしないよ」
「どうして言い切れるの?」
「ん? あの人、三橋先輩って言うんだけど、確か彼女いたんだよね。そんな人がナンパしてたなんて知れたら、まぁ普通は彼女と拗れるか、別れるよね。それに、俺達がなんで付き合ってることを隠してるか、先輩なら分からない訳ないでしょ」
千聖たちが交際していることを言わない代わりに、こちらも先輩がナンパ紛いのことをしていたとは言わない。
そんな暗黙の契りが、彼らの間で行われていたのだろうか。なら最初からするなよと、思わなくはないが。
「バレたらバレたで、その時は堂々としよ?」
「うん……」
冷やかされても、秋鷹とならどうってことはない。秋鷹と一緒なら、なにも怖くない。だから、いちいち気にすることでもないのだ。
しかし、先程からちょいちょい出てきた名前が、千聖の思考に入り込む。
「……みつはし?」
不意に、恋バナをしていた時のことが脳裏に過った。一昨日したばかりだし、未だ記憶に新しい。聞き流していたことが悔やまれるが、思えばあれは――。
「ん、なに……?」
「三橋先輩って……エリカの彼氏……」
定かではないが、なんとなくそんな気がした。
だとしたら、心配だ。一応友人でもあるのだし、それとなく伝えておくのもいいかもしれない。
「へぇ……」
「あっ、それあたしの……」
小さく唸った秋鷹が、千聖の手にあったチーズドッグをパクリと一口食べた。びよーんっとチーズが伸び、目の前で黄色い橋が形成される。
「んまい……!」
「あたしの分、残しておいてよ?」
「んん?」
「もう、ケチャップついてる」
秋鷹の口元についたケチャップを拭い去り、千聖はニコッと笑った。チーズドッグは一つになってしまったけれど、これはこれで楽しくていい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます