第35話 とっくに死んでるのに
――金曜日。放課後の教室はやけに賑やかだった。
もちろん、部活がある者はその場にはいないが、特に用事がない者はほとんどが集められている。
中心となる人物は金髪ギャルの春奈。彼女がクラスメイト達を集めたと言っていい。言わずもがな、文化祭のためにこうして皆で作業しているのだ。
異世界即興劇は体育館の舞台を使用することが決まっている。短い時間だが、手は抜かない。各々が文化祭当日に使うであろう小道具や、大道具を作る作業に取り掛かっていた。
「部活行かなくて大丈夫なのお前」
「うん、そろそろ行かないといけないかも」
段ボールを緑色に塗る秋鷹に返答したのは、本格的なロングソードを作る
といってもただの役なのだが。小道具を作る彼の真剣さはまさしく勇者。これほどまでのはまり役は未だかつて見たことがない。当日でもないのに煌々と光り輝いてめちゃくちゃ眩しい。
「そっか……ていうことは俺一人になるってわけだ」
「敦は先に帰っちゃったからね。多分デートだよ」
「呑気なやつだな……」
放課後デートを欠かさない悪友を思い出しつつ、秋鷹は大きなため息をついた。
このクラスは何故か男子の部活所属率が多いらしく、現在、教室に残っている者は女子だけ。男子の中には面倒という理由で教室に残らなかった者もいるのに、女子は大半が残っている。これがこのクラスの男子と女子の差だ。
意外にも真面目な女子たちとは違い、男子たちの不甲斐なさが浮き彫りになっていた。
「じゃ、時間だし行くよ」
「ああ。気をつけて、キャプテン」
「あはは……なんか秋鷹に言われると馬鹿にされてる気になるよ」
「実際バカにしてるからな」
「それはそれで酷いな」
荷物をまとめ出す帝を尻目に、自分の作業に集中して取り掛かる秋鷹。もうこうなってしまえば、ひとりで黙々とオークの衣装を作るしかない。どうせなら皆を驚かせるようなリアル感満載な衣装を作りたいものだが。
「……ん?」
黒板の上に取り付けられているスピーカー。そこから突然、上品な声音が響き渡った。
『2年A組、神宮寺帝君。至急生徒会室に来てください。繰り返します。2年A組、神宮寺――』
見れば、鞄を持った帝の顔は真っ青だった。
あの神宮寺帝をここまで慄かせる者など、一人しか心当たりが無い。それに、この呼び出し音は本日三度目だ。
「困ったな……大会前なのに、これ以上時間は潰せないし……」
「俺が代わりに行ってやろうか?」
「え!? いいのかい?」
秋鷹は段ボールを置いて立ち上がり、大儀そうな雰囲気を醸し出しながら首を回す。
「どうせ書類整理かなんかだろ? 俺もここを抜け出す口実ができて、得だしな」
「それなら助かるんだけど、大丈夫? レイカ会長、結構怒りっぽいところあるからさ」
「平気平気。怒りっぽいやつの相手は慣れてる」
千聖との修行のお陰で、そういった相手への扱いは玄人並みだ。間違っても殴られるなんてことはないだろう。
秋鷹は教室の中心にいるギャルグループに向けて、「行ってきます」の意を込めて手を振る。それに真っ先に反応したのが、春奈だった。
――ヤバい、面倒なやつが釣れてしまった。
「秋鷹~、どこいくのー?」
こっちまで駆けて来た春奈に、秋鷹は仕方なく対応。
「ちょっくら生徒会室行ってくる。今の呼び出し聞いてただろ?」
「あー、わかったっ。あれでしょ、みかどんの代わりに行ってあげるんでしょ?」
「そうそう。よくわかったな」
「秋鷹ってたまに優しいかんねー」
「たまには余計だよ」
春奈は納得すると、秋鷹の肩に手を置いて、
「すぐ戻ってくるんだよ? 秋鷹には、あとであーしたちと一緒に恋バナをしてもらうから!」
「はぁ!? それ、お前の独擅場だろ。引っ掻き回されて終わるのが目に見えてる」
「ちゃうちゃう秋鷹。今日はまじだから、ね? エリカがなんか隠してるの、知ってるっしょ?」
「あぁ……俺は今、世界一可哀想な子を思い浮かべてしまった」
本人のいないところでよくもまぁ。勝手に恋バナの話題にされるエリカの身にもなってみろ、と思う秋鷹であった。
「帝、行こう」
「あ、ああ」
「ちょっ……ちゃんと戻って来てよ!?」
春奈の手を振りほどき、帝を引き連れて教室を出て行く秋鷹。後ろからハスキーな声が聞こえてくるが、振り向かずに目的の場所へ向かう。
「秋鷹の鞄、人質にしといたからねー!」
※ ※ ※ ※
帝と別れ、生徒会室前に到着した。
それにしても、扉の大きさが尋常ではない。秋鷹は一瞬たじろぎながらも、紅い扉をコンコンッとノックする。
「――どうぞ」
「失礼します」
ドアノブを引き、見えたのは、教室の半分ほどの広さの赤みがかった部屋。両脇に生徒会役員が座るだろう長机と椅子があり、正面の奥には生徒会長専用の大型の机があった。
無論、そこには生徒会長が座っている。帝を呼び出そうとしていたのは、彼女その人だ。
「貴方は……宮本秋鷹」
透き通るような碧眼を細め、彼女は秋鷹の名を呼んだ。声には少しばかりの怒気が含まれており、風格にもとても高校三年生だとは思えない威厳が備わっていた。
彼女がこの学校を牛耳っている、と言われても不思議ではないくらいの仕上がりだ。生徒会室の派手やかさを見れば並々ならぬ好待遇ぶりが窺えるし、一言でも失言してしまえばスナイパーに頭を狙撃されてしまいそうで怖い。
秋鷹は扉を閉めると、
「お久しぶりです」
「貴方と会話したのは、今日が初めてではなくって?」
「そうですね、初めてです。なのに名前、覚えててくれたんですね」
「全校生徒の顔と名前は余すことなく覚えておりますの。当然でしょう。それに、神宮司君のご学友となれば、存じていない方がおかしいですわ」
あたかも初めてであるかのように振舞っているが、会話は無いにせよ何度も顔を合わせているはずだ。廊下でもすれ違ったし、帝と会話している時に彼女が割り込んでくることもあった。
酷いとぼけようだ。忘れるなんて、ありもしないのに。
「ここにいるのって会長一人だけですか? 他の生徒会の人たちは……」
「本題に入りなさい。神宮司君ではなく、なぜ貴方がここに来ているのかを」
「あ、はい……」
終始ピリピリムードなのは、秋鷹が来たことによる苛立ちだろう。場を和ませようという思いは、ただの無駄に終わったようだ。
「帝、もうすぐ大会らしいんです。だから呼び出すのは控えてもらえませんか? 今日のところは俺が手伝いますんで」
と、秋鷹が見据えたのは両脇の長机。何の書類かは定かではないが、沢山のプリントが積み重なっている。おそらくは、あれを運ぶのが今日の仕事だ。
「わたくしがそれを、知らないとでも?」
「あ、ですよね。帝ファンクラブの会長でもあるあなたが、知らない訳ないですよね。すいません、気づけなくて」
「――ど、ど、どうして貴方がそれを!?」
ここまで保っていた威厳が、唐突に崩れ始めた。だがそれもつかの間。彼女は見開いた眼を閉じ、「コホンッ」と咳ばらいをする。
「……それは一切、他言無用でお願いしますわ」
「心配いりませんよ。言いふらす気なんて更々ありませんから」
「逆に言いふらして、痛い目を見るのは貴方でしょう?」
「間違いないですね」
くすっと笑った秋鷹に、会長は鋭い眼光を向ける。
「貴方……宮本君は、神宮司君の代わり、ということでよろしくて?」
「はい。俺は、あそこにあるプリントを運べばいいですか?」
「ええ、運んで頂けるのは有難いのですけど……結構な量がありますわよ?」
「任せてください。これでも力には自信があるんで」
秋鷹は力こぶを作ると、プリントの山が並べられている長机に向かった。身長は帝と大差ないくらいには高く、毎日筋トレも欠かしていないので力仕事には自信がある。
ただ、この量を帝に運ばせるつもりは最初からなかったのだろう。彼女の顔は若干、申し訳なさげだった。
放課後に呼び出しを入れたのは、単に少しだけ会話がしたかっただけなのかもしれない。僅かながらの時間、帝と二人きりで。
――すいませんね、やってきたのが意中の男ではなくて。
けれど、どうせなら生徒会の仕事を手伝うことにした。折角きたんだし、何もしないで帰るのは割に合わない。教室に戻らなくて済んで、こちらとしてはメリットありありだ。
秋鷹はプリントの山に手を添え、
「そういえば、妹さんのマリーがこの前――」
――ビュンッ。
秋鷹の真横を通り、正面の壁に思い切り突き刺さったのは万年筆だった。寸秒、首を傾げるのが遅れていたらどうなっていたか。
頭に万年筆が刺さり、串刺しになっていたところだ。冷や汗を流し、恐る恐る背後を振り向くと、
「マリーが何ですって?」
「あ、いや……」
聖母のような微笑みの中に鬼を宿している、そんな表情でこちらを見てくるブロンドヘアの美少女。
一歩間違えれば殺されるのではないか、という心の叫びが警鐘となって鳴り響く。秋鷹は思わず目を逸らし、
「いつのまに後ろに……?」
「答えなさい」
「はい、えっと……この前、購買でマリーと話したんですよ。それだけです」
「嘘をついたら……」
「ついてないです。ははっ、心配性だなー、会長さんは……マリーちゃんとは、ただ話しただけですよ」
「…………」
無言で、会長は自身の座っていた椅子へと戻っていった。その椅子に腰かけた後、しばらくの沈黙を挟んで静謐に、
「マリーに指一本でも触れたら、例え神宮司君の友人である貴方でも、容赦しませんわよ」
「善処します。たった今死にかけたんで、せざるを得ないです」
「死にかけた、ね……」
へらへらとご機嫌取りをしようとする秋鷹の顔を、会長は何か査定でもするかのようにジッと見た。
そして流すように瞳を逸らすと、その碧眼を再び秋鷹へ向ける。
「影井涼、彼にも言ってちょうだいな。マリーにくっつく虫は、わたくしが排除する、と」
「まったく、怖いこと言わないでくださいよ。心臓が止まるかと思いました」
「…………」
「影井に話したら、きっと震え上がりますよ? 彼、見た目通り臆病なんで。俺なんかちびりそうでしたよ。あっ、こんなこと言うとまた怒られますかね? ちびるって言うのは、おし――」
「軽口を叩くのもそこまでにしなさい。思ってもないことをペラペラと……そうまでして本性を知られたくない理由があって?」
秋鷹は押し黙り、しかしその表情は崩さない。至ってありのままで、普段の自分を形づくる。
「本性なんて大袈裟な……俺、何か変ですか?」
わかってない振りをして、これが自分なのだと言い聞かせる。いや、これが今までの自分だったはずだ。だから、彼女の言葉に惑わされて心を濁す必要はない。
「……異常、ですわね」
「そっすか……」
静かに呟かれて、呟いて。
秋鷹はいつも通りの装いを始める。何事もなかったかのように台本通りのセリフを投げかけ、机に置かれたプリント類を抱え上げた。
何も言わなくなった会長を後目に、重たい足を働かせる。けれど、壁に刺さった万年筆が視界に入り、足を止めた。
「にしお、しょういん……?」
静寂だけが色濃く残った生徒会室で、秋鷹の低い声がしゃがれながらも響く。万年筆には、ロシア語で『西尾松陰』と記されていた。
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