第20話 その心が黒色に染まるなら

 天気が雨ともなれば、夕方の空は不穏にも表情を曇らせるだろう。そこに泪が合わさり、晴れやかさを見出すのは中々に難しい。


 とかく、秋鷹は鬱屈とした面持ちでコンビニにいた。といっても中には入らず、ごみ箱の横で思い耽るように佇んでいた。

 視線を横に移すと、そこにあったのは薄汚い灰皿。ベンチもあり、喫煙所としての用途と見て取れる。


 人がいないのを確認し、秋鷹はポケットからスマホをひっぱり出した。通知が溜まりに溜まった無料通話アプリではなく、秋鷹がタップするのは連絡先が入ったアプリだ。

 

 数字番が画面上に映し出され、朧げな記憶を辿りながらキーパッドを押していく。しかしその動作は淀みない。

 

 そうして秋鷹の指は止まり、スマホからは小さな呼び出し音が鳴った。プルルルル、耳に当てればそんな音が聞こえ、延々ともとれる長いダイヤルトーンは雨音にも引けを取らない。


 ――ブツ。


『……はい、宍粟しそうですがどちら様でしょうか?』


 疑い掛けるような声。


 それもそのはず。彼女にとっては、秋鷹の電話は予期せぬこと。知らぬ番号から電話がかかってきて、怪訝な対応をとってしまったのだろう。


「よかった……番号変わってなかったんだな」


『………………宮本?』


「おお、よくわかったな」


『どうしてお前が……いや、いい。お前はそういう奴だった。人の内情に知らん顔で踏み込んでくるような、野蛮な奴だった……」


「自覚はないんだけど、ごめん……取り込み中だったか?」


『……そうでもない。丁度、家に帰ってきたところだ』


「少しだけ時間貰っても……?」


『……少しだけなら』


「ありがとう」


 機械越しの籠ったような声。それでも彼女の凛然とした声音は、秋鷹の背筋を正させる程に厳かであった。

 

 秋鷹は湿った唇を開けて、何を言おうか尻込みする。適切な言葉が浮かばなかった為に、ストレートな意思を告げることにした。


「悪い……明日の体育祭、休ませてくれ」


『……理由を聞いてもいいか?』


「風邪、とだけ」


『雨にでも打たれたか?』


「そうだな。傘を忘れて、雨に濡れながら帰った」


 ワイシャツが丸裸になっている自分の制服を見て、秋鷹は平然と嘘をつく。濡れた箇所と言えば、傘で防ぎきれなかった足元だけだ。


「実行委員なのに、何やってんだよって感じだよな。そっちは準備も大変だろうし、ほんと、悪いと思ってる」


『まぁ、風邪なんだから仕方ない。明日はゆっくり休め。反省も込みでな』


「はは、うん。反省文でも書いてこようか?」


『ふざけるな……今からでも体を休めて、風邪を治しておくのが普通だろう。それとも、ぶり返した体で体育祭に挑むのか?』


「それはキツイな……皆にうつす可能性だってあるし」


『なら大事をとって、今日はもう休め。もし治って大丈夫そうだったら、自分のペースでいいから、体育祭には来くるんだぞ。先生には一応、私から伝えておく』


「何から何まで、ありがとうな。あと、最後に一つ……」


『ん……?』


 すべてを投げ打って、他人任せにする秋鷹。にも関わらず、最後だという名目を掲げて、まだ言い足りない欲張りさを控えめに主張した。

 そしてそれは、今回のやり取りで秋鷹が一番主張したかった事柄なのかもしれない。そんな意思表示を、隠すことなく口にする。


「……日暮も、一緒に休む」


『…………』


 ――ザアッ。


 返事をしたのは雨だった。


 秋鷹の言葉が彼女を愕然とさせたのか、それとも他に思うところがあったのか。電話越しでは表情が窺えず、返ってくる言葉もないのでその真意は解らない。

 しばらくの間、雨の声だけを長々と聞かされてしまう。地面を叩きつける音。コンビニの自動ドアが開く音。奏で、流れる縹渺ひょうびょうたる旋律。


 聞こえもしないのに、喉を鳴らすような音を合図と見た秋鷹は、発信源である携帯に意識を集中させた。


『……わかった』


 受け入れたような、何かに納得したような声だ。


 それ以上、彼女は何も言わなかった。秋鷹も、これ以上言う事はなかった。用件は済んだと、阿吽の呼吸とばかりに二人の会話は終了する。


「それじゃ……またな、紅葉もみじ


『……ぁ』


 ――ピッ。


 一昔前ならそんな音が鳴っていただろうか。液晶画面を人差し指で軽く叩いても、電子音は雨に掻き消されてしまう。ただの無音が、短い電話を終わらせた。


 

※ ※ ※ ※



 電子レンジが家にない事から、秋鷹はカップラーメンを二個ほど手に持った。お湯なら作れないこともないし、それ専用のポットだってある。インスタント食品なら朝飯前だ。


 秋鷹はズラリと様々な商品が並んだ棚を抜け出し、飲み物を一つ取ったらコンビニを徘徊する。必要なものは晩御飯と――。


「――――っ」


 足が止まったのは雑誌コーナーの横。


 オシャレに気を配るために本を、とか。気になる漫画が目に留まった、だとか。そういった思いがあって立ち止まったのではない。

 目的は雑誌コーナーの反対。栄養ドリンクが並べられた場所だ。視線をそこへ持っていき、秋鷹は栄養ドリンクと隣り合っている四角い箱を見据えた。


 ――動悸が激しくなるのがわかる。自分がもう戻れないのだとわかる。引き返せないのだと、それを受け入れている自分がいる。


 思いとどまることはできない。抗おうと、足掻いてみるが、


「――――ぁ」


 窓ガラスに映った自分の顔は、それは大層に醜いモノだった。


 黒く汚れていて、その汚れが徐々に増えていく。止まってくれないのだ。抑制しようとも、どう足掻いても、それは止まってくれなかった。


「ごめん芽郁めい……約束、守れそうにねぇわ……」


 約束とは一体、何なのか。


 『彼女と向き合う』、きっとこれだ。だがこの約束は最初から守るつもりはなかった。言うなれば口実、その場凌ぎで芽郁を遠ざける為に口にした文言だ。

 その時はまだ、己の黒い感情と闘っていたのだろう。口だけではあったが、過去を清算しようと覚悟を決めていた。だから芽郁を追いやった。


 彼女をみていると、思い出してしまうから。黒い感情が、蘇ってしまうから。


「ほんと最低だよ、俺は……」


 いつだったか芽郁に言われた言葉。それが今更になって響く。


 これから成そうとしていることはきっと、軽蔑して然るべき事柄なんだと思う。『あの頃』なら気づきもしなかっただろうが、忘れようと現実から目を背けていた今ならわかるのだ。


「柄じゃない。ああ、柄じゃねぇんだよ」


 なにが『俺だけが優しいんじゃない』だ。あたかも自分がそうであるかのように。優しさを振りまいて、無差別に手を差し伸べる善人みたいに。


 ――その行為はただの、自己満足だろう。


 体に沁み込んだ悪辣が語っている。誰かをほっとけなくなる癖は全て自分の為で、意味もなく気遣いを誇示するのは好意を向けられたいからなのだと。

 

 秋鷹にとって他人とは、外面だけを取り繕った作り物だった。本心が見えず、幾ら仲を深めようとも偽りだけが見えてくる。

 ただ、その中で唯一、彼らの心根を知れると信じていたのは『好意』だった。あの、感情を吐露するような意志の籠もった体裁。一言、告げられただけでわかってしまうのだ。自分に熱烈なる好意を向けている、と。


 そうした僅かながらに内面が剥き出した状態。それが秋鷹には琴線にふれる程に衝撃的で、独占したいと思えるたった一つの感情であった。

 

 故に、秋鷹がこれまで行ってきた所業は、決して情なんてもので揺れ動かされたわけではないとわかる。

 意味のない気遣いは本当に意味がなくて、すべてが私利私慾で突き動かされた独善的行いだったのだ。証拠に、千聖に告白された時の悦びの残響が、今もなお秋鷹の胸臆を躍り狂わせる。


 気づいたのは、この時だったのだろう。


 秋鷹が善としていた行動が裏目にでて、無意識下に自分が得するような選択をしていたこと。一つ一つ周到に物事を進めて、渡りに船とばかりに欲していた結末にたどり着いてしまったこと。告白練習という偽物の好意でも、それを気づかされてしまったのだ。


「くはっ……」


 乾いた笑みがこぼれる。


 ――戻れない、手に負えない。


 抑止していたモノが溢れ出し、秋鷹は窓に映る自分の顔を再びみた。

 ガラスを伝う水滴の透き間から、こちらを憐んでいる顔。幾筋もの滴がその顔を濡らしていく。そうして、霞んで消えていく。


「――――」


 瞳を逸らした秋鷹は、四角い箱を乱暴に手に収めると、堂々とレジに持っていった。「いらっしゃいませ」と声を掛けられ、カップラーメンと天然水をカウンターに置く。それらが上手く盾となり、四角い箱は店員には見えていないようだが、


「――138円が一点……98円が一点……っ」


 拙い動作で値段を読み上げる店員。律儀にマニュアル通りの行動をとっていたが、四角い箱を目前として手が止まる。

 顔を見れば、頬が朱色に色づいていた。年齢的には同年代の少女にも見える。ならば彼女には少し刺激が強すぎたか。


「497円が一点……」


 袋はお分けされないで、まとめてレジ袋に入れられ渡された。

 秋鷹が銭を払い、レシートを貰って立ち去ろうとすれば店員から、


「――ありがとうございました」


「こちらこそ」


「…………」


 クール美人な顔に羞恥の色が見えれば、お礼くらい言いたくもなる。しかし、店員の少女には違う受け取り方をされたのか、軽蔑を込めた視線を向けられてしまった。


 ――あながち、間違っていない反応だけれど。


『悲しみの果て~に~、何がある~かな~んて~。俺はし~らな~い~』


「みーたこーともーない……選曲古すぎだろ」


 コンビニから流れる歌に文句を告げ、秋鷹はつかつかと自動ドアを潜り抜けた。


 傘を差し、レジ袋を揺らす。何かが吹っ切れた、そう思ってしまうのはいけない事なのだろう。けれど秋鷹の意志は変わらなかった。


 ――自分の家に帰るだけで、こうも心が弾む。

 

「久しぶりだ……」


 この気持ちを、抑えたくはなかったから。











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