第51話 いきなりでごめんなさい

 腹八分目の芽郁めいは現在、校舎から出てくる最中であった。外は西に傾き始めた太陽が照りだし、温かい陽気をこれでもかと運んでくる。

 その西日から目を背け、芽郁は連れ立っていた二人と共に学内を散策した。賑わいは衰えを見せず、道ゆく人はみんな楽しそうな表情を浮かべている。芽郁の隣にいるこの二人も、依然として会話が弾んでいるようだった。


 ――うん、良い感じだ。


 一歩引いた距離でいる自分の立ち位置も、案外馴染みつつあるのではないか? と芽郁は心なしか満足していた。

 恋のキューピットとは甚だしいが、これもこれでありだ。道端の小石を蹴るように歩いていた芽郁は、そうやって軽く微笑む。


 すると突然、みかどが腕時計を見て声を上げた。


「やばい! 時間だから、行かないと――」


 用事があるらしい帝は、天子てんことひとことふたこと言葉を交わすと、足早に体育館の方にかけて行ってしまった。


 芽郁に何か言いたそうな顔をしていたのが、やけに印象的だった。二人の会話を聞いていなかったから、何のことか全然わからないが。


 とはいえ、次また会えるかはわからないが、彼にはお礼を言っとかなければならない。

 学校を案内してもらい、かつ芽郁たちの知らないことを沢山教えてくれた。ここまでよくしてもらって、お礼も何もしてあげられなかったのはちょっとした心残りだ。


 天子なら尚更だろう。連絡先も聞けなかったみたいだし、彼女は名残惜しそうに遠くを見つめていた。


光輪みつわさん。三十分後に『異世界即興劇』の午後の部があるらしいから、絶対観に行こうね。たぶん、神宮寺君もそこにいると思うよ。また機材チェックしてるかもしれないし?」


 何の用事かは聞きそびれてしまったが、体育館に向かったのなら出し物の準備か、先刻と同じように機材チェックに追われているかもしれない。

 もしかしたら、帝のクラスの出し物が即興劇だという可能性もあった。だとしたら彼のクラス、ちゃんと聞いておけばよかった。しかも、こんな時に限って彼のクラスTシャツに記されていたクラスが全く思い出せない。


 芽郁は帝とあまり会話してこなかったことを、少しだけ悔やんだ。


 どちらにせよ、

 

「すぐいなくなることはないと思うけど……なんなら、今から行ってみる? それとも、あと少しだけぶらぶらする?」

 

「そうですね……行きたいのは山々なんですけど、あちらに出来ている人だかりが、どうしても気になってしまいます。どうしましょう姫乃さん……」


「じゃあ、とりあえずそっちに行ってみよっか。まだ時間あるからね」


 ――最悪、帝の連絡先は秋鷹に聞けばいいのだ。クラスがどうであれ、彼なら、おそらくは知っていそうだし。


「十五分くらいなら、大丈夫だよね……」


 秋鷹と会えることを前提とした考えで、芽郁は天子を引き連れ人混みの方へと向かった。


 周囲は生徒たちも大勢いるが、一般の客が異様に多い。

 何の騒ぎかと、芽郁は鞄から文化祭のパンフレットを取り出す。そこに載っている地図からすると、ここは野外ライブが行われるステージ前だ。


「げっ……」


 しかし、その概略を見て思わず声を漏らしてしまった芽郁。

 野外ステージではミスコンなどのイベントが開催されるらしいが、今から開催されるのはアイドルのコンサート。しかも、今ノリに乗っているアイドルグループ『コットンラブリー』の、みんなのカワイイ担当サクラ・カントリー・キャッスルのソロライブだ。

 

 なるほど、だから前の方にカメラを持ったおっさんたちがいたのか。いやおっさんではなく、カメラマンか。

 芽郁は背伸びしながら前方を見て、再びパンフレットに視線を移す。

 

 あと他に記載されているのは、この学校の生徒がゲストで出演するということくらいだ。バックバンドのギタリストとしてだが、テレビ出演してしまうかもしれないのに凄い度胸だと思った。


「えっ、この人モデルやってる人じゃない……?」


 感心していたかと思いきや、続けて芽郁は驚きを露わにした。そんな芽郁の隣で天子が、キョロキョロと辺りを見回し、


「いつ始まるのでしょうか……?」


「あ……思ってみれば、遅いね。もう始まっていい時間なんだけど……」


 天子もステージでライブコンサートが行われるということは理解していたようだ。しかしアイドルが現れる気配はなく、ステージの上は楽器が用意されているだけで何も起こらない。

 周囲にいる人たちも原因がわからないのか、何やらざわついていた。演出ではないのなら、機材トラブルか何かだろうか。


 と、そんな疑問の答えを提示するように、少し離れたところから女子たちの会話が聞こえてきた。


「なんかトラブってるらしいよ。鏡華からメッセージきた」

「えっ――!? なら、鏡華ちゃんの演奏は聴けないデスか?」

「そうと決まったわけじゃないけど、難しいっぽい。サクラちゃんの事務所が厳しいとか、そんな話」

「うぅ……どうしようもないんですか? なんとかできないですか!?」

「ウチにもわからないよ……てか、揺すらないでってマリーっ。腕千切れるから……! そんなブンブン振らないで!?」


 どうやら、ソロライブを開演するには厳しい状況らしい。

 開演時刻を過ぎるというのはライブではよくある話だが、トラブルが改善されるまで律儀に待つ余裕は今の芽郁たちにはない。


 芽郁は深く考え込む仕草を見せ、眉を下げながら天子に、


「どうしよう? 体育館に行く……?」


「そうですね。アイドルについて興味があったのですが……トラブルなら仕方ないです」


「うん、のライブならテレビでも観れるだろうし、今度ゆっくり観てみるといいよ」


「はい、お母様に許可を取ってみます……!」


「そっか……光輪さんのお家も、許可制だったね」


 自分で言っておきながら、芽郁もテレビを禁止されて育ってきた身だ。見れたとしても、政治のことばかりで内容がつまらない。

 そんな親近感を抱きつつ、芽郁は「じゃ、行こっか」と先導するように歩き出すが、背を向けた瞬間に後ろから手を掴まれた。


「姫乃さん……! あれっ……」


「ん……?」


 立ち止まり、芽郁は天子が見据えている方に視線を向ける。そこはさっきと何も変わらないはずのステージだった。

 しかしそう思ったのも束の間、ステージ横から何者かが飛び出してくると同時に、周囲から轟音じみた歓声がわき上がる。


「――みんなのサクラちゃんだよぉ~! 遅れてごめんねぇ~! 初めての人もいると思うんでぇ、いきなりですけど、自己紹介しちゃいま~すっ!」 


 可愛いを具現化したような、あざとさの塊のような、ピンク色のオーラを纏った少女がステージ上で飛び跳ねていた。



※ ※ ※ ※ 



 ――数十分前。


「……ばっくれた?」


「はい……連絡を取ったところ、家業を継ぎたいということで……」


「へっ?」


 ステージから少しばかり離れた大きなテントの中――言うなれば控え室のような場所で、一人の少女の間抜けな声が上がった。


「それ、今する意味あります?」


「ありませんね……」


「ですよね。嫌がらせか何かですか?」


「それはなんとも……ただ、彼の意志が固いということだけは、伝わりました」


「揺るがないって言いたいんですか? そもそも、なんですか家業って。大事なライブをすっぽかしてまでするくらい、大それたものなんですか?」


 言い方は強いが、少女は単に疑問を払拭しようとしているだけだった。彼女はニコリとした表情を崩さずに、目の前にいるスーツ姿の女性の返答を待つ。


「酪農らしいです……それ以上は、私にも」


「それって、牛さんの乳しぼりをしたりするお仕事ですよね……? そんなに忙しいんですか?」


「ええっと……夕方の四時から搾乳しなければならないそうで、この時間は厳しいとおっしゃっていました……」


「…………」


 ペラペラと手帳をめくり、一生懸命に少女の疑問に答えるスーツ姿の女性。

見るからに相当苦労しているようだが、そんなのお構いなしに少女は、


「マネージャーさんもわかってますよね? この場に、ベースを弾ける人がいないっていうこと」


「は、はい……重々承知しております……」


「どうするんですか? 私はともかく、困るのはあなたでしょう」


「はい、はい……」


 その言葉を何度も噛み締めるように、マネージャーの女性は手帳をギュッと握って頷く。

 自分の人生が懸かっているのだから、思い詰めてしまって当然だった。彼女がこの業界にどんな思いで踏み込んだのかは定かではないが、コットンラブリーのマネージャーに新任してしまったことが運の尽きだったのだ。


「しょうがないなぁ……私が弾きますよ」


「そ、それはダメです……!」


「えー?」


 慌てて食い止めにかかるマネージャーは、どこか必死な面持ちだった。少女はエアギターならぬエアベースのポーズをとり、そんな彼女の眼前でそれを弾いてみせる。


「歌いながらでも弾けますよぉ? 五分あれば、それくらい覚えれるから」


「あ、あの……! 代役の人を見つけてきますので、どうかそれだけは……」


「……本気で言ってんの? もう、ライブ開始時刻すぎてるんですけどー」


「うっ……。はい、お時間さえ頂ければ必ず……それこそ、五分ほど……」


 苦し紛れの言葉を吐き、なんとしてでも食い下がるマネージャー。彼女の熱烈な志に心打たれたのか、少女は笑顔を維持したまま、


「ならどうぞ、五分だけ」


「あ、ありがとうございます! サクラさん――」


 そう言って、マネージャーはテントの外へ駆け出していった。


「あーあ、行っちゃったよ」


 しかし彼女の姿を見もせずに、少女――サクラは簡易用の椅子に腰かける。背もたれに躊躇いなく寄りかかり、維持していた笑顔を仕舞った。


「まじだっる……」


 それはアイドルが口にして良い言葉でも、模って良い表情でも決してなかった。幸いなことにスタッフやバックバンドの人たちには聞こえていなかったし、見えてはいなかったようだが。


「代役なんて見つかるわけないのにねぇ」


 今日お披露目するのは、まだ未公開のソロアルバムに収録された新曲だ。


 例えベースが弾けたとしても、初めてのセッションで、更には初見の譜面。そんなの、相当な達人でもないと演奏するのは不可能だろう。

 ましてやそれを、あのマネージャーは五分で見つけてくると豪語したのだ。果たしてどんな人を連れてくるのか、見ものである。


「あの人もクビだよ、きっと。素直に私に弾かせてくれれば、社長も少しは許してくれたかもしれないのに。……ねぇ? 鏡華もそう思うでしょ?」


「うーん……あたしに聞かないでよ。あんたらの事情なんてこれっぽちも知らないし、逆にマネージャーさんが可哀想に思えたよ」


 サクラに返答したのは、水色のギターを首に掛けた少女――鏡華だ。彼女も簡易用の椅子に座り、スマホをずっとイジっている。


「え~。そんなこと言ったって、私には何も出来ないよ。ただ見守るだけ。だって、シャッチョサンがなにもかも全部決めてるんだから」


「厳しすぎない? その社長」


「うん、一回のミスでも激おこぷんぷん丸だよ。それがどんなに小さいことでもね、その人の責任になっちゃうの」


「うわやっば……おかしいよそこ、事務所変えな? サクラ」


 と言いつつも、スマホを見ながらでは全然気持ちが籠っているようには思えない。そんな鏡華に、サクラは足をぶらぶらさせながら、


「ていうかさぁ、ミスコン中止にしなくてもよくなかった? これじゃあ、時間の無駄だよ」


「どうせ、ミスコンはサクラの圧勝だよ。出場者が……なんていうか、あれだからね」


「今回は違うよ。ミスコンが中止にならなければ、千聖ちゃんのこと誘ってたよ私」


「……え? 知り合いなの?」


 スマホからチラっと顔を覗かせ、初めて意味ありげな挙動をする鏡華。一方サクラは、「ふふん」と王様のように威張った態度で、


「もう知り合い飛び越えちゃってますから。この前、千聖ちゃんと友達になったんだぁ私。すごくない?」


「え、うん……そうかも」


「反応うっすぅ……千聖ちゃんだよ千聖ちゃん。それならミスコンでも、いい勝負できそうでしょ?」


「うん、そうかもしんない」


「あ゛~、ノリわっるいなぁ……今日の鏡華は」


 リクライニングでもない椅子の背もたれに盛大に寄りかかり、座った状態でイナバウアーをするサクラ。

 そのままテントの天井を見上げ、ぽかんと口を開ける。そして勢いよく体をしならせ、「よいしょっ」と言って綺麗に立ち上がった。


「まだやってるよ……あの人」


 サクラはテントの外を見て、怪訝な表情で呆れ返る。すでに体内時計では五分経ったはずなので、彼女はマネージャーを呼ぶことにした。

 テントから顔を出し、人ごみに向けて大きな声で、


「ねぇ! いい加減、諦めたらどうです――――っ、え?」


 声を張り上げた途端、目の前の光景をみて思わず喉を詰まらせてしまったサクラは、固まった状態でマネージャーのいる場所を見据える。


「あの、いきなりですみません。ベース弾けますか……?」


「えっ、まじでいきなりっすね……まぁ、弾けますけど」


「ほんとですか!? え、えっと、即興でも弾けますか? 初めて見た譜面を、その場でって感じで」


「なんすかその無茶振り。まぁ、できなくはないですけど……それがなんです?」


「でしたら、あの……! これからソロライブのバックバンドとして――」


「無理です」


「え?」


「いや無理です」


 マネージャーの誘いを即座に拒否した少年は、後頭部にある寝癖を整えるように、そこにある黒髪を長い指で梳いていた。

 

「俺、これから劇の準備しに行かなきゃなんないんで、すみません。……あと、なんか嫌な予感するので断っときます」


「そこをなんとか! 私の人生が懸かってるんです~!!」


「うわっ、なにこの人、初対面でいきなり抱き着いてきたんですけど……。しかも泣いてるし……」


「お願いです……! どうか私を助けてくださいぃ! どうか私の人生を救ってくださいぃいいい!!」


「重すぎでしょ!? なに? 俺がベース弾かないと、あんたの人生が潰れるわけ?」

 

 スーツ姿の女性に腕を抱きすくめられている少年は、周囲を見回しながら困り果てていた。当たり前だが、野外ステージ近くで泣き叫ぶ輩がいるものなら、いやでも注目されてしまう。


 しかし、サクラはその状況を呆然とした顔で眺めていた。


「あきたん……?」


 口にしたのは、これまで何度も、何度も何度も繰り返してきた誰かの名前。それを反芻してみると、なぜだか穏やかな気持ちになった。この気持ちは何回も確かめたから、溺れるように確認したから、もちろん知っている。


「なんだ……いんじゃん適任」


 膨れ上がる想いを胸中に押し戻し、サクラはニッコリと笑った。そして思わぬ巡り合わせに、感謝した。

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