Battle3 平田鋭一と、一色葵

3-1

 古流格闘術「墨式ぼくしき」。


 それは中国・墨家ぼくけを祖とする実戦的な格闘術である。

 「非攻」の教えを説いていた墨家。防衛のための戦闘を否定しなかった彼らは、自分たちを脅かす相手を容赦なく撃退するための技を磨いていた。

 そして墨家の実戦戦闘術を元に格闘術として体系化したものが墨式であり、その技を現代に至るまで受け継いできたのが一色家いっしきけである——


 と、いう事になっている。


 が、墨家は紀元前の昔に中国で滅んでいるし、その構成員が日本に戦闘術までも伝えたとは考えづらい。おそらくは日本で技を編み出した一色の祖先が詐称したのだろう……と、ここ何代かの継承者たちは考えている。


 しかし名前は嘘でもその技は本物である。


 五つの奥義「おもて」「うら」「ながれ」「かこい」「とどめ」を核とする殺人技は確かに人を死に至らしめるだけの力があり、江戸時代初期までの一色家は暗殺を生業としていたのも間違いないようだ。


 大名や家臣などの要人だけでなく、その用心棒や武術指南役など「暴力のプロフェッショナル」を相手に暗殺を行う事もあったらしい。不意打ちが難しい場合は路傍で喧嘩をふっかけ、堂々と決闘して殺してしまう事もあった。そのくらい徹底的な「実力」を彼らは持っていた。


 大平の世となり暗殺の需要が激減すると、彼らは道場を開設して糊口を凌ぐようになっていった。殺人術をうたっていては門下生が集まらないため、こともあろうに護身術を名乗っていたそうである。ここでも「防衛集団」だった墨家の名前が役に立つ。道場では直接人を殺すことのできない護身用の技だけを教えていた。


 ……そしてそのまま、一色家は現代に至っている。彼らは今でも護身術道場を経営しているのだ。


 しかし同時に、殺人用の「裏」の技も伝承し続けた。もはや使いどころのない技術ではあるが、祖先からの技を「絶やさない」それだけのために、一色の者は己の身体にこの「報われぬ技」を封じ続けてきた。

 実質無意味なこの継承。普通に考えればどこかで途絶えそうなものではあるが……そうはならなかった。なぜか?


 一色の血族は代々、あまりにも性格が素直でまじめだったのだ。


 親から技を教われば、懸命に練習して全てそれを我が物とした。技を継ぐことを拒否した者は今までに一人もおらず、結果としてこのおそるべき流派は秘匿されたままこの時代に残ったのであった。


 が、しかし。

 ついに今代において、墨式は途絶える事が確定している。


 当代の継承者、一色遊芯ゆうしんが若くして病死してしまったのだ。

 何の事件でも事故でもない、単なる不幸。こればかりは抗いようがない。遊芯には護身術を教えた元・柔道家の妻がおり、道場は彼女が継続できるが「裏」の部分は残しきれなかった。


 彼は一人娘に「裏」の技を教えていたが、その子が全ての技を覚える前に病に倒れてしまっていた。こうして墨式を完全な形で保存する事は不可能となった。


 そして遊芯の娘、あおいは——不完全な殺人の技をその身に宿し、今は普通の女子高生として、暮らしている。



 * * *



「そういえば葵ってさあ。今までは下校してから何してたんだ?」


 今日もやってきたVR個室のソファで、鋭一は気になっていた事を聞いてみた。


「家に帰る」

「……そうくるかよ。いや家に着いてからの話な。いつもさっさと帰っちゃってたじゃん」


 ホームルーム終了とともに煙のように消えるのがこれまでの葵の常だった。同学年の間では、割と誰もが気にしていた事だ。葵と行動を共にしていると知れ渡ってからは、鋭一にその質問がくる事も何度かあった。


「家では修行とか……あと、漫画とか」

「! へえ、漫画読むんだ。どんな?」


 修行も気になったが、それ以上に漫画というのは意外だった。そういえば葵は、くの一のアバターを自分でデザインしていた。確かにあれは漫画的だ。


「戦うやつ。阿修羅の拳とか」

「マジか、俺も好きだぜアレ。アグニス戦とか超アツイよな」

「アグニス。強かった」


 葵は小さくうなずいた。彼女が挙げたのは青年誌で人気を博した格闘漫画だ。アグニスはトーナメント準決勝の相手で、立ち技を極めた打撃ファイターとして登場し、主人公シュラと激闘を演じた。


 鋭一はまた少しテンションが上がった。女の子と好きな漫画の話ができる日が来るなどとは思ってもいなかった。

 だが、その後に続いた会話は少し鋭一の予想を超えていた。


「だよな! アグニスはやっぱ地力が頭ひとつ違うっていうか」

「でも、わたしが勝った」


「……ん?」


「試合の最初のほうの動きは隙があった。崩せる」

「なになにどういう事?」

「それで、わたしが勝った」


 葵は真顔のまま言い切った。


「ま、まさかイメトレとかしたって事? 漫画の相手と?」

「わりとよくやる」

「でもアグニスに勝ったってのは頂けないぜ。どうやったんだよ。だって、まずアグニスが先手でこう行くだろ」


 鋭一は漫画の試合展開をなぞるように、ゆっくりと左でジャブの動きをした。

 すると葵はそれに応えてソファから腰を浮かし、漫画の通りに後ろに引いて間合いを外した。


「そうそう、でもそれは読まれてたワケじゃん。その時既にアグニスは踏み込んでて」


 言いながら鋭一も立ち、葵を追う形で一歩踏み込みながら右フックの動きをした。主人公シュラはこれを避けきれずに開幕から一撃をもらっている。


 葵も右フックを甘んじて受けたが……しかし彼女は殴られつつも相手の右腕を自らの両手で掴んで引き、さらに足を前に出して鋭一の踏み込んでいた左足を刈った。

 自ら仰向きに倒れ込むことで相手の力を殺しつつ体勢を崩す。そして、両脚で鋭一の首を挟み込みながら右腕をがっちり捕らえて伸ばし、関節を極めた。


「えっ……うおっ。マジかこれ動けねえ!」


 鮮やかな一連の流れに鋭一は抵抗すらできなかった。鋭一が葵に覆いかぶさっている形だが、姿勢を支配しているのは葵のほうだ。


「どう。わたしの勝ち」

「いや……見事だわ。ところで当分こうしてていい?」


 鋭一はうつぶせの体勢で固められてしまっており全く動けなかったし、全く動きたくなかった。頬に感じる葵の両脚は温かくて柔らかい。鋭一は戦いに負けるのは嫌いだが、これは嬉しくて幸せな敗北である。だから負けを認めつつも、タップしたりはしなかった。

 それが仇となった。


 ——ガチャリ。


 鋭一にとって最も不幸なタイミングでその音は鳴った。個室のドアが開く音だ。


「やあ諸君、今日もやってるかね——?」


 入ってきたのは最上珠姫だった。

 彼女は「葵を押し倒して大股開きさせている鋭一の姿」を発見し、即座に固まった。


「…………ほう。ヤってるね」


 どのような勘違いをされたのか、鋭一は一瞬で理解した。

 珠姫はポケットからスマホを取り出しロックを解除した。


「ちょ、ちょっと待て社長! わかる! わかるけどソレだけは」


 カメラを起動した珠姫を鋭一は止めようとし……そして思い出した。彼は今、関節を極められていて動けないのだ。フラッシュが光る。無慈悲なシャッター音が鋭一を貫いた。


「や、やめろって——あ痛ッ! 葵、ちょっともういいから離して! ギブ! ギブだから!」

「……勝った」


 そう言って力をゆるめる葵の口調は、少し嬉しそうだった。



 * * *



「……平田プロ。イチャイチャすんのが目的なら、即刻やめて貰いたいんですけど?」


 珠姫はさげすむような目で鋭一を見ながら、ソファで脚を組んだ。本来この部屋にソファは一つしかないのだが、金を出して店長にもう一つ追加させたらしい。


「いっ、イチャイチャなんかしてねえよ。戦いのシミュレーションだから。なあ葵?」

「真剣勝負だった」


 鋭一に話を振られ、葵はコクリと頷いた。むろん彼女にとってあれは勝負だった。葵に真面目な顔で答えられてしまっては、珠姫といえどこれ以上追及しづらい。


「鋭ちゃんお前……ズルい避け方覚えやがったなァ」

「俺はなかなか頭の切れるところがあるからな」

「切れ者が学校遅刻して荷物運びとかやらされてんなよ……」


 珠姫が呆れたように頬杖をつくのと同時。


「……あっ」


 何かを思い出したように葵が立ち上がり、トテトテと珠姫に近づいた。


「ん? どした? やっぱセクハラ訴訟とかする? 弁護士紹介する?」


 珠姫が反応して顔を上げると、葵はスカートのポケットに手を突っ込んで掌大の物体を取り出し、珠姫に手渡した。

 袋入りの煎餅せんべいだった。昨日は醤油だったが、今日は海苔が巻かれている。


「……あげる」

「えッ」


 再び珠姫は噴き出す事になった。


「あはははははダメだコレ、葵ちゃ、あはははは」

「仲良くしてほしい」


 笑う珠姫に、葵は呟いた。お母さんの教えというのが相当に大事らしい。


 確かに昨日は、煎餅あげたら頭撫でてもらえたもんな……。

 鋭一も苦笑して二人を見ていた。女子高生社長が餌付けされている様子というのは結構面白い。


「あははは、わかったわかった。いや別に、もう友達ヅラしてくれて構わないんだけどね? 面白いから貰っとくよ」

「うん。海苔も好き」

「あー、なんだもうこの子可愛いなあ……いけないいけない」


 珠姫は若干涙目で笑いながら葵の頭を撫で、それから仕切りなおした。このままでは自分まで葵とイチャイチャしただけで終わってしまう。


「いやしかし、お二人にヤル気があるようで何よりだよ。うんうん」

「? どういう事だ」


 珠姫はソファに背を預け、悪戯っぽく笑んだ。何か思いついた時の顔だった。


「葵ちゃんもめでたくレベルBでしょ? もちろんランダム対戦も続けてもらうけど、あたしが面倒見るからにはプランってもんがあるワケよ」

「プラン?」

「そう。ぶっちゃけ葵ちゃんなら、Bでも下位じゃ相手にならないと思うんだよね。だから、もっと今のうちから名のある実力者と当ててあげようと思って」


 なるほど、と鋭一は得心した。葵の訓練にもなるし、実力者を倒せれば売名にもなる。珠姫は財力と人脈を使って、そのためのマッチメイクをしようというのだ。


「アカリちゃん、悪童あくどう百道ももち……何人か候補はいるんだけどね。でも、やっぱレベルBで最初に当てるならコイツでしょ」


 珠姫は挑発的に片目をつむり、正面の人物に目線を送った。

 デュエル・ルールのレベルBでくすぶり続ける、サドンデスの王者を。


「……はァ?」


 鋭一が頓狂な声を出した。だが珠姫は動じない。


「いやー若い二人がくんずほぐれつしたいって言うから、その機会を与えてあげようってワケよ。あたしってば空気読めるねえ」


 葵は話の流れについていけず「幽霊」になっている。

 珠姫はそんな葵のほうに向き直り、はっきりと伝えた。


「というわけで、葵ちゃん」

「うん」


「次は、鋭ちゃんと戦ってもらおうか?」

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