2-2

 いよいよ、その時が来た。


 葵は自らVRゴーグルを頭に装着し、四肢にリングをめる。

 視界が黒に覆われ、そこに[SLEEPING]の文字が赤く表示された。

 初期設定が完了し、荒廃した未来に目覚める時がやって来たのだ。


 赤文字が、左から徐々に緑へと変わっていく。

 そして全てが緑色になると同時、[SLEEPING]の文字は[AWAKE]に変わった。

 今をもって、アバター「アオイ」は覚醒者アウェイクとなったのだ。


 ゴーグルと連動した左右のスピーカーから、ガゴン、という駆動音。さらに圧縮空気が吐き出される音が続く。

 目の前が徐々に明るくなる。その間も周囲の音は続き……


 ギ ギギギギギギ ギ ギ  ギ……ガ   ゴ   ン。


 視界が開けた。


 見えるのは、澄んだ青の中に薄く雲が浮かぶ、空。ただただ空。

 それで、葵は自分が仰向けになっている状態だという事に気が付いた。機械製の棺桶のようなものに入れられていたようだ。

 起き上がろうとしてみる。実際の肉体を動かす必要はない。そもそも現実の葵は横になっていない。ただ「起き上がろうとする」だけ。それだけで、普段体を動かそうとするのと同じように「アオイ」は起き上がる事ができる。

 

 アオイは立ち上がった。


 立ち込める煙の向こうには、赤茶けた大地。遠く地平線からは埋まったビルやタワーが顔を出す。そして空には、現実より随分大きな半月が白く浮かんでいる。

 少し離れた場所で、砂埃が舞った。風が吹いたようだ。その距離で空気が動いたことがわかるほどリアルなビジュアルと音。土のにおいが漂っている気すらした。


 下を見て自分の体を確認する。黒い忍装束に、白い花びらが散る模様。間違いなく自分でデザインした「アオイ」の体だった。地面との距離も、いつもと違う。アオイは葵よりも少し背が高い。


 アオイが感慨深げに自らの体をあちこち触っていると、近づいて来る人影があった。薄いオレンジのジャージを腕まくりした少年のアバターだ。


「お、いたいた、アオイ!」

「……誰」


 アオイはわずかに眉をひそめた。表情が薄いのはここでも変わらない。


「いやいやオレだよオレ。昨日も見ただろ」

「怪しい」


 瞬間、アオイの身体が稲妻のように動いた。まったく予兆を感じさせない急襲での目突き。だが相手は避けるそぶりすら見せなかった。その必要がなかったのだ。アオイの二本指は相手の目の位置に正確に当たったが、指が刺さったりはしなかった。


「——うおおっ。ダメージがないとわかっててもやっぱ恐えーなそれ。いや俺だよ、エイイチ。ここではA1ってんだけど、まあ読みは変わらないしな」

「……そっか、鋭一。こっちの鋭一は強そう」

「悪かったな、どうせ元の俺はチビで弱そうだよ。とにかく、ここじゃ目潰しは効かないぜ。非戦闘空間には当たり判定がないからな」


 A1は周囲を示すように指さした。ここからは距離があるが、赤茶けた大地のあちこちには人々がまばらにたむろし、椅子に座っている者もある。ここは戦闘者の控室であり、広場のような役目も果たす場所のようだ。ここではプレイヤー同士の会話も自由に可能である。

 と、早速こちらに近づいてくる影があった。帽子にボロ布、長い髪。A1とよく対戦する女性ガンマンだ。


「あっ、A1さんじゃん。おはよー。女の子と一緒にインしてくるとか珍しくない?」

「あっ、おはよう」

「流石にチャンプともなるとおモテになるんですなあ」

「モテとらんわ。違うってこの子は……ん?」


 A1は反論しかけた言葉を止めた。アオイがA1の服のすそを摘まんで引いている。


「鋭一」


 くの一アバターは、小柄な女子高生と全く同じ仕草で首をかしげた。


「はやく」

「あ、ああ、戦いたいのか? 説明も途中だったな。ごめんごめん」


 A1は振り返り、そういう事だからと謝ってガンマンと別れた。

 葵に限ってヤキモチなんて事はないと思うが……構って欲しい、とでも言われているような気がした。思った以上に、彼女が服を掴む力は強かった。



 * * *



「さて、ここが『覚悟の門』だ」


 そう言ってA1がアオイを連れてきたのは、巨大な石造りの門だった。ただし門の周囲には塀も柵も、何も遮るものがない。ただ白線が引かれているだけだ。これでは横から通り放題に見える。


「変だろ? ぽつんと門だけあって。この線の向こうは戦場で、戦う覚悟ができた者だけが通っていい。横からすり抜けるなんて無粋なマネは、やっちゃいけないのさ……いや、システム制御されてるから実際できないんだけどね」


 と、説明しアオイのほうを見る。……彼女はもうそこにいなかった。

 既にその「覚悟の門」の入口まで近づいている。


「……せっかく人がチュートリアルNPCみたいな役割をしてやってるってのに。やる気十分ってわけか」


 スタスタと歩いていたアオイは門番の目の前まで近づいたところで一度立ち止まると、A1のほうを振り返った。


「鋭一、戦うのどうやるの」

「はいはい、その門番に話しかけてみな」


 アオイが門番に話しかけると、空中にウィンドウが開いた。このあたりはシステム的である。

 ここで戦闘ルールや、フリー戦かランキング戦かなどを選ぶことができる。鋭一は、「デュエル・ルール」の「ランキング戦」を選ぶよう葵に伝えた。


 デュエル・ルール……要するにサドンデスのように一撃で決まる事のない、通常の格闘ゲームとしての戦いだ。互いに1000あるHPをゼロまで減らされた方が、負けとなる。

 またランキング戦を選択したという事は、先日のフリー戦とは違い、少なくともポイントのやりとりをする気のある相手と戦うという事だ。


「で、『開始』のボタンを押せば、あとは対戦相手が見つかるのを待つだけだ。マッチングが成立したら、こないだみたいに合図があるから……あとは、相手をぶっ飛ばしてやればいい。OK?」

「がんばる」


 アオイは小さくうなずいた。コイツが頑張ったら怖いぞ、と鋭一は思った。


「葵の力ならまず大丈夫だと思うけど……流石にどんな相手が出てくるかはわからん。予想外の攻撃をされても、落ち着いて……」

「問題ない。お父さんが言ってた。墨式ぼくしきは——墨。ぜんぶ塗り潰すって」

「お、おお。なんかすげえな。じゃあ心配ない……のか?」


 アオイの瞳は平静そのもので、緊張も気負いも感じられない。

 そしてアオイが開始ボタンを押すと、システムによって自動的に体が門の中へ歩いていった。




 ——闘技場に二人の戦士が降り立った。


 アオイは前回と同じように、空中に文字が浮かび上がるのを見る。


 [DUEL RULE 1on1]


 [LEVEL-C RANK MATCH]


 向かい合う相手は女性アバターだった。アラビアの踊り子のような衣装だ。胴も手足もスラリと長く、扇情的な笑みを浮かべている。


 [READY]


 アオイは両手を下げたまま動かない。相手は左手を前に、右手を上に、そして片足を上げた大仰な構えをとった。

 両者は同時に息を吸い——


 [FIGHT!!]


 開始の合図と同時に、動いた。


 アオイは大きく前方に踏み込み、相手に接近した。両手をだらりと下げた立ち姿から動いたとは思えない恐るべき加速だった。彼女は速度と殺気を、刹那の間に0から100まで引き上げる事ができる。正面から相対してこれに反応できる者は、そういないだろう。


 だが、この踊り子は幸運だった。彼女の戦闘スタイルは正面から相対するものではなかったのだ。

 踏み込んだアオイは攻撃に移る事ができず足を止めた。相手の姿がない。


 頭上に空気の動きを感じる。すぐに葵は理解した。敵は戦闘開始と同時に垂直に跳び上がっていた。完全に視界から消えられた。

 さすがに虚を突かれた。いきなりこんな動きをする格闘技はなかなか無い。

 しかも、さらに葵は立て続けにもう一度虚を突かれる事になる。


 これが彼女の知らない世界――ゲームでの戦いであるがゆえに。


 相手の踊り子は垂直に跳んだ状態から、中空を蹴って前方へ回転した。

 スキル<空歩くうほ>。宙にいる間、一度だけ空中でジャンプできる。まさにゲームならではの動きだった。

 回転の勢いを乗せたかかとがアオイの脳天めがけて振り下ろされる。ジャンプから繰り出す足技はどうやらカポエラに近い動きだ。


 死角から致命的な踵が落ちてくる。頭部にまともに受ければかなりHPを持っていかれそうだ。流石の葵でも、現実の人間に不可能な動きから知らない技を叩きこまれては厳しいだろう。ゲームの勉強にはなったと思うが……。

 そう鋭一が考えたのとほぼ同時だった。


 奇襲の踵を、なんとアオイは素手で掴んだ。

 ガードするどころか、ピンポイントで捕まえている。いったいどういう反応だ?


 ——相手の攻撃が読めたわけではなかった。もちろん見えてもいない。ただし葵はある程度、殺気というものを察知できる。自らの殺気を鍛えた者は、他人の殺気にも詳しい。葵には「上から足を振り下ろすぞ」という声までも聞こえたかのような気がした。


 踊り子の目が驚愕に見開かれる。彼女は慌てて空中で身体をひねり、アオイの手から逃れた。そして一度着地して仕切り直そうとする。呼吸を整えるべく息を吐き、

 だがそれ以上の時間は与えられなかった。

 次の瞬間にはアオイの二本指が彼女の両目を突いていた。


「え…………ッ!!?」


 思わず声が漏れた。急速に踏み込んだアオイの一撃だった。

 感じ取る暇もないほどの、速度の速い殺気。そう、彼女は速度と殺気を、刹那の間に0から100まで引き上げる事ができる。元が0であるからこそ100が生きる。そのため葵は日頃、幽霊や忍者のように暮らす。


 墨式『おもて』。絶対先手のこの技は、タイミングと速度で不意を突く事により「真正面から奇襲する」奥義だ。なお日頃、鋭一に見舞っている目潰しもそれである。彼はその全てを今のところ捌けているが……それが誰にでも出来ると思ってはいけない。平田鋭一は、サドンデスの絶対王者なのだ。


 踊り子の視界は今頃、赤く明滅しているであろう。ゲーム的な配慮から指が眼孔に突き刺さる事こそないものの、目を突かれればもちろん視力が奪われるようには出来ている。無論、そこを逃すアオイではない。


 目を突いた右手をそのまま頭部へ。左手は相手の右腕を掴む。両腕を引き、ヒザを鳩尾に突き刺す。軸足で地を蹴る。前方に倒れ込み、相手の背中を地に叩きつけながら……右肩と首を破壊する!


 墨式『とどめ』。昨日、葵はこの技をそう呼んでいた。その同時攻撃は全てダメージとして計上され、みるみるうちに踊り子のHPバーは減っていき……そのまま、ゼロになった。


 一撃。


 これはサドンデス・ルールではない。そしてプラネットの「デュエル・ルール」は、一度の攻撃で相手をKOできるようなゲームバランスではない。例えばパワーに全振りしたアバターで全力のパンチを放ち、それが顔面にクリーンヒットしたとしてもHPは多少残るだろう。


 だが葵の技は一発KOが可能なのだ。相手の全身を蹂躙し、完全に破壊し尽くすこの奥義ならば。相手の生に絶対的な終止符を打つための確殺奥義は、そもそもがそのためのモノなのだから。

 相手のアバターが爆発する。そして中空に勝利を告げる文字が出た。


 [FINISH!!]


 [WINNER AOI]


 結局、アオイはノーダメージ。完封での勝利だった。

 鋭一は勝利の余韻に浸るアオイを見た。自らの手をじっと見つめ、ぐっと拳を握っている。

 その手にはまだ首を折った感触が残っているのだろうか。自らの技で敵を倒した、その手応えが。



 * * *



「お疲れ。どうだった?」

「楽しい……」


 一度ログアウトしゴーグルを脱いだ葵に、鋭一は聞いてみた。

 葵の瞳は涼し気な光を保ったままで、その顔には喜びも楽しみも表されてはいなかったが、自らの拳を握ったり開いたりして何かを確かめている。その仕草は、勝利の余韻を噛みしめているようにも見えた。何よりである。


「でも、鋭一」


 が。彼女は彼女で少し聞きたい事があるようだった。

 葵は表情を変えずに、わずかに首をかたむけた。ようやく分かってきたが、彼女のこの角度は「疑問」を表している。


「これ、鋭一がやってたやつと違う?」


 どうやらそこが気になったらしかった。同じゲームをしていない、とでも思われたのだろうか?


「ん? ああ。門番のとこでルール決めたろ? 今のはデュエル、一撃で決まらないやつだから」

「鋭一はやらないの」


 葵は首を傾けたまま続けた。


「デュエルをか? まあ……今はな」

「何で」


 そう聞かれた鋭一は少し、宙に目線を彷徨わせた。

 若干間を空けてから、何もない空間に呟くように答える。


「俺は——勝つのが好きなんだ」


 脳裏にいくつか、過去の景色がよぎる。決まらない二撃目。長引く試合。躱しきれない猛攻。地に這わされて眺める、闘技場の赤茶けた地面。


「遊ばないの……?」

「そんな事ないさ。俺は俺で遊ぶから、気にすんなって」


 鋭一は葵の肩に手を置いた。


「それより、今は葵が遊ぶ時間だろ? どんどんいこうぜ」



 * * *



 [FINISH!!] [WINNER AOI]


 [FINISH!!] [WINNER AOI]


 ——それから立て続けに三戦ほどしたが、葵は何の問題もなく連勝した。

 どちらかというと最初の相手だった踊り子がやや特殊なタイプで、他の、正面から戦おうとしてくれる相手はあわれ、葵の確殺奥義の格好の餌食となった。


 今は四戦目の最中である。


 相手は<伸縮腕>のスキルを使用し、アオイの間合いの外から凄まじいラッシュを繰り出してくる。おそらくはスピードに全振りのアバター。手数で圧倒するタイプだ。

 鋭一の目から見てもなかなかの密度と言えるラッシュだったが、しかしやはりアオイは全く問題にしない。右。左。最短の動きでかわし続ける。


 まるで予知でもしているかのような最適解の回避だ——ゴーグル越しに観戦する鋭一が感心していると、現実世界の肩に温かいものがぶつかった感覚があった。時間をおいて二度、三度。


 ゴーグルを外して横を見る。VRで攻撃をかわしながらリアルの身体を左右に揺らす少女の姿がそこにあった。並んで座っていたため、肩がぶつかったのだ。

 操作の上で身体を動かす必要はないとはいえ、ヒートアップすれば勝手に動くものだ。珍しい話ではない。鋭一は邪魔にならないように席を立ってやった。葵の揺れはだんだんと大きくなり、やがて彼女はついに立ち上がった。


 鋭一はディスプレイのほうを見た。戦況はここにも映されている。

 ラッシュで攻めきれないと判断し、敵は大技に移ろうとしていた。長く伸ばした腕を大上段に構え、振り下ろす。遠距離のチョップだ。


 しかし所詮は直線軌道。アオイは一歩横に動くだけで良い——そう思われた刹那。その腕が、あらぬ方向にうねった。<球体関節>と組み合わせたか? 肘から先が斜めへ軌道を変え、アオイの肩口を狙う。流石に一撃食らうか。


 ――ガシャン。


 次の瞬間。

 鋭一の耳に入ってきたのは硬質な破砕音だった。


 ゲーム内の格闘戦でするような音ではない気がする。画面の中では、アオイが横っ飛びに変則チョップをかわしていた。

 鋭一は部屋を見渡した。物理的なほうの葵の姿がない。

 代わりに目に入ったのは、派手に割れて大穴を開けている窓ガラスだった。外気が吹き込んでくる。


「……何だって?」


 思わず声が出た。画面の中では、アオイが何事もなかったかのように反撃し、相手の腕をへし折っていた。


「……何だって?」


 色々なことが信じられなくて、鋭一はとりあえず同じセリフを繰り返した。


「………………どうしよう」

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