Battle2 はじめてのログイン、はじめての無双

2-1

 ——翌日。


 HR後の教室、鋭一の席の周囲は騒然となった。

 終業と同時に、隣のクラスで噂の美少女が音もなく現れて鋭一に声をかけたのだ。


「鋭一」


 第一声、葵が相手の名を口にしただけでもちょっとしたパニックが起きた。

 二日連続で連れ去ろうというのか。昨日と同じように放課後の街に消えるというのか。いったい何があればあの一色葵がこんな事になるというのか!?


 せめて葵が教室の入口に来たあたりで止められれば良いのだが、彼女はいつも前触れなく、気配も音もなく現れる。幽霊もしくは忍者と呼ばれるゆえんである。これには流石の鋭一も


「うおっ」


 と呻く程度のリアクションしか取れなかった。

 その間にも教室はどんどん騒がしくなっていく。「事案! これは事案ですぞ」「キャアアア不純異性交遊!」「通報不可避」「今夜はお赤飯ね!」などの声が渦巻く!

 放っておけばどんどん面倒な事になるだろう。鋭一は即断した。


「い、一色さん! ちょっと廊下に出たい気分だな俺は! ああ~廊下に出たいなあ! 今すぐ出たい!」


 言うや否やカバンをひっつかみ、葵についてこい、とジェスチャーしながら教室を出る。葵もすぐに後を追った。


 冷やかしの声を背に教室から距離を取り、そろそろいいかとカバンを置く。そして顔を上げたところで……鋭一の視界に二本の先端が飛び込んできた。

 ゾクリと悪寒が駆ける。鋭一はのけぞり、死神の指先をなんとかかわした。


「——うおおおお眼球! ねえ眼球はやめよう!?」

「約束を守らないのは駄目」


 そう、一色葵を苗字で呼んではいけないのだ。

 相変わらず、一切の躊躇も容赦もない指先である。鋭一はバクバクいう心臓を抑えながら彼女の手元を見た。それで二度仰天した。

 葵の右の袖口そでぐちには、べっとりと赤い染みがついていた。


「えっ」


 昨日の葵の言葉が思い出される。「人を殺すための技」……彼女はそれを使うのだという。まさか?


「そ、それ……もももしかして今日もう既に、って……?」

「?」


 しかし鋭一の言葉に、葵は首をかしげた。


「わたしは殺したことない」

「そ、そうなの?」

「お父さんがいなくなって、”裏”はもうおしまいになった」


 黙っていれば彼女を「おとなしい子」に見せるだけの無表情が、今は逆に恐ろしかった。殺したことがない、というのは殺す選択肢もあるという事だろうか? 鋭一は震える指で葵の制服を指した。


「だ、だって袖」

「? これは……」


 目を潰す側の袖だけが、赤い。そこには妙なリアリティがあった。鋭一は思わず唾を飲み込む。

 が、葵の答えは淡々としたものだった。彼女は袖を鼻に近づけて臭いを嗅ぎ、いつものローテンションな口調で


「オムライスに襲われた」


 そう言った。

 鋭一は急に自分が冷静になっていくのを感じた。確か、今日の学食の日替わりランチがそんな名前の料理だった筈だ。


「……えっと、葵」

「なに」

「オムライスは、襲わない」


「でもケチャップが」

「襲わないんだよ、オムライスは」

「…………そう」


 葵は少し俯いた。鋭一は短く溜息を吐いた。

 この子がどこまで恐ろしい存在なのか、わからなくなる。

 とりあえず、鋭一は差し当たって最も気になる事を聞いてみる事にした。


「なあ、葵」

「?」

「何で、苗字で呼んじゃダメなんだ?」


 反射的に目潰しが出てしまうほどの、彼女にとってのタブー。許されるなら、その理由を知りたいと思った。

 葵は少しの間返事をせず黙った。

 ぐっと唇を閉じ、動きが止まる。どうやら即答できない質問らしかった。あるいは彼女なりに理由の整理がついていなかったのかもしれない。

 やがて少し経ってから、葵は絞り出すように答えた。


「私は、一色の技を全部は継げなかった……から」


 鋭一にはその言葉の意図するところは読み取れなかった。しかし葵はそれ以降何も語らなかった。

 


 * * *



「そういや今日は約束とかしてなかったけど……どうして教室に?」


 学校を出て歩きながら鋭一が聞くと、葵は短く


「考えたから」


 とだけ言った。それで鋭一はようやく合点がいった。


 ——本気でこのゲーム、やってみないか。

 昨日の鋭一の言葉に対して、葵はすぐに答えなかった。その後も鋭一は、このゲームの魅力や世界的な規模であること、お金まで儲かること等を熱弁したが、それでも反応はなかった。

 ちょっと話を急ぎすぎただろうか。鋭一が若干後悔しかけたところで……葵はようやく、一言だけ答えた。


「……考えてみる」


 と。つまり「考えた」というのはその事だ。

 思った以上に早かったが、真面目に考えてくれたのだとすればありがたい。その結果が今聞けるという事だろうか。


「だから今日も行きたい。昨日の……部屋」

「おっ、いいね。じゃあ行こうか」


 というわけで駅前のVR個室である。


 受付のお姉さんは今日もニヤついた笑顔だった。教室だけでなく、こちらにも釈明の必要がありそうだ。

 違うんですよ、いかがわしい事をしに来たわけじゃないんですよ。

 とはいえこうして密室で隣に座り、彼女の呼吸音までも聞こえる距離にいると、何だかんだドキドキしてしまう。こればかりは仕方ない。鋭一は彼女のの感触すら知っているのだ。


「昨日のこと、考えた」


 対する葵はまったくのマイペースだった。鋭一を引っ張ってここまで来た彼女はソファに行儀よく腰を下ろすと、横の鋭一を見ずに話し始めた。彼女の結論……答えを聞く時間だ。


「おう。……そ、それで?」

「本気でゲームする……ってどういう事なのか、あんまりわからない」


 彼女はそこで一拍置いた。


「……でも」


 そして、そこから続いたのは、こんな言葉だった。 


「昨日は、楽しかった」


 葵の顔は表情に乏しい。昨日、今日と多少の時間を共にしたが、彼女の感情は、わずかな目つきと声色の変化から読み取るしかない。

 が、彼女に感情がないわけではない。今の声からは何かが伝わりそうだった。想像するに……葵はもしかして今、笑ったのではないだろうか。少なくとも鋭一にはそう見えた。


「もう一回やりたいと思った。だから今日も来た。今は……それだけ」


 個室の窓からは傾きかけた陽光が差し込んでいる。光は葵の黒髪の上を跳ねて輝き、彼女の横顔をやわらかいオレンジに照らしていた。


「だめかな」


 葵がわずかにこちらを向く。鋭一は、今までに味わったことのないような嬉しさがこみ上げるのを感じた。

 勧めたゲームを楽しんでもらえて、今日も遊ぼうと誘ってくれて、隣に女の子がいて。これで「駄目だ」と答えられる人間など、存在する筈がない。


「……ダメなわけあるか」


 鋭一は葵に伝わるように、明確に笑ってみせた。

 『楽しかった』。ゲームに対して、これ以上ない最高の答えだと思った。鋭一は興奮して話を続けた。


「良かったよ、楽しんでくれてさ。どこが気に入った? 世界観? 操作性? 臨場感? やっぱ出来の良いゲームだからさ、良いとこも色々」


 だが次の答えは、少し予想と違った。


「首を折ってもいいところ」


「……首?」

「うん」


 鋭一は確認のために葵の顔をもう一度見てみた。目つきや声色、雰囲気から感じる彼女の喜びは、いっそう色濃くなっている……気がした。

 昨日の感触を思い出したのだろうか。葵は落ち着かなさげに尻を浮かしてもぞりと座り直すと、もう一度言った。


「首が折れるのが、凄くよかった」


 よほどお気に召したのだろう。葵の瞳の奥では、わずかな光が爛々らんらんと揺れていた。



 * * *



「……まあ、じゃあ。折角やるわけだから、自分のアカウントを登録しようか」


 飲み物を取ってきた鋭一は、再び葵と横並びで座った。動機はどうあれ、本格的に挑戦してくれるというのだ。気合も入る。


「まずは名前を決めるんだ。それからアバターを作る。プレイするだけなら金はかからないから安心していいよ。で……名前どうする?」

「アオイでいい」

「そっか。じゃあキーボードで入力して」

「キーボード」

「? ああ、そこにあるだろ」


 葵は目の前のキーボードを見つめると、一度深呼吸をした。

 そして両手を高く掲げ、大仰に構える。何かの殺人技でも出そうな勢いだ。そして目を皿にして「A」のキーを探すと……左手の人差し指で「えい」と突いた。「ふう」と一度息をつく。彼女は再び両手で構えると、今度は「O」のキーを探し始めた。

 人間の眼球はノールックでも突けるが、キーボードはそう甘くないのである。


「………………マジか」

「いま集中してるから話かけないで」

「いや、ごめんわかった。俺がやる」


 言いながらの0.2秒で、鋭一は「O」と「I」を片手で打った。


「!!?」


 葵は信じられない、といった顔で鋭一を見る。手品でも見せられたかのように二、三度、ぱちくりと睫毛が往復した。

 信じられないのはこちらだ、と鋭一は思った。……まあ、ここから先は全てディスプレイのタッチパネルで操作できる。問題はないはずだ。気を取り直して説明を続ける。


「じゃあ、いよいよアバター……ええと、画面の中で戦う自分の事だけど。それの設定といこうか。性能と、デザインとな」

「……うん」

「アバターは素の状態でも全然まともに戦えるんだけど……そこに三枚のカードをセットして、性能をある程度変えられるんだ」


 画面上に赤、青、緑の三種類のカードが表示される。


 赤のカードにはP、青にはS、緑にはTの文字が刻まれており、それぞれパワー(腕力と耐久力)、スピード(速度と反応、隙のなさ)、テクニック(技の精度や受け身、姿勢制御)を示している。


 ここから合計三枚までアバターにセットする事で、性能を強化できるというわけだ。


「スピード2にパワー1あたりがメジャーな構成だけど、パワー3とかもロマンあるよね。初心者にはテクニック振りもオススメかな。何か希望ある?」

「……よくわかんないから普通でいい」


 葵は静かに画面を凝視しながら言った。もしかすると、戦う自分自身のパワーやスピードが変化するというのがまだイメージし辛いのかもしれない。そのあたりは、追い追いわかっていけば良いだろう。


「じゃあ、とりあえず全部一枚ずつにしとこう。誰に対しても極端に不利にはならない、オーソドックスな感じな。変えたくなったら、いつでも変えられるから」


 鋭一はディスプレイを示し、葵に三枚のカードを一度ずつタップさせた。プラネットは文字入力などを除けばタッチパネルのみで操作できるので、そこは幸いだった。この部分をこんなに幸いだと思ったのは初めてだが。


「よっしゃ。カードが決まったらいよいよ<スキル>を……」

「鋭一」


 このゲームの醍醐味と言える部分の説明に入るべく鋭一が鼻息を荒くしたのと同時。葵が真横の鋭一に向き直り、腕を掴んで引いた。


「戦いはまだ」

「……えっ」


 そう言って彼女は困った瞳を鋭一に向けた。隣に座った女子がこちらを向いて前のめりになっている景色は、かなりの威力があった。

 おまけに腕を引き寄せられたものだから、鋭一の肘は今、葵のに当たっていた。思わず息が詰まる。


「はやく戦いたい」


 欲求のままに戦いをねだる葵はまさに玩具を欲しがる子供だった。鋭一は少し反省した。システムの説明で飽きさせてしまっては何の意味もない。これはゲームだ。すなわち、まさしく子供の求める玩具であるべきだ。


「わ……わかった。スキルの話は今度にしよう」


 鋭一はつとめて落ち着きながら葵に腕を離させ、指を立ててみせる。


「でも戦う前に、あと一個だけ! 大事なことなんだ。これだけやらせて欲しい!」

「?」


 ほんの少し口を尖らせた葵に、鋭一は再び画面を示した。スキル設定の画面をスキップすると、道着を着たデフォルト女性アバターの全身図が表示された。


「アバターの……見た目を決める!」


 葵は視線を画面に戻し、アバターを見た。当然ながら、初期設定のアバターには特徴と言うべきものがなく、いかにも地味だった。


「どうせだからさ、カッコいい姿で戦おうぜ? 絶対そのほうがテンションも上がると思うんだけど。どう?」


 葵はしばらく自分のアバターと、画面横に「デザイン例」として載っている様々な衣装のサンプルを見比べた。

 そして少し考えてから、淡々とした、しかしはっきりした声で


「……わかった」


 と言った。


 それから少しの間、鋭一の説明を交えながらアバターのデザイン作業が行われた。顔の輪郭に始まり目、鼻、口、眉毛に睫毛、髪色に髪型、体型、そして服装。タップした箇所を自在に変更できる。

 プラネットのアバターデザインは圧倒的なバリエーションを売りにしている。課金パーツを購入しなくても個性を出す事は十分に可能だ。

 ある程度操作がわかると、葵は一人であちこちをいじり始めた。校則通りきっちりと制服を着こんだ姿からは想像しづらかったが、思った以上にこういった事にも興味があったようだ。


「……できた」


 やがて完成した「アオイ」は、くの一っぽい衣装を身にまとった黒髪の少女アバターだった。黒を基調としたノースリーブの装束に帯を巻き、肩から胸元へかけて白い花びらが散るような模様が施されている。装束は丈が短く、下半身は生足がスラリと伸びていた。

 正直、鋭一の想定よりもずっと良い出来だった。


「どう」

「……すげえイイじゃん」


 鋭一は素直にため息を漏らした。


「凛々しい顔もいいし、服もカッコイイ……こんなセンスあったのかよ」


 鋭一が褒めると、葵はいつもの無表情から、口だけを少し自慢げに緩めた。ほんのわずかでも彼女の表情を変えられると、なんとなく嬉しい。


「ていうかさあ」

「?」


 だから、ついでにもう少し反応させてみたくなった。

 いや、このアバターを見せられたら当然そう思ってしまうだろう。言っていいはずだ。言おう。鋭一はもう一つの素直な感想を、そのまま口にした。


「『忍者』ってあだ名、実は気に入ってたんだな?」


 この直後、鋭一は本日二度目の目潰しを紙一重でかわし、頬にかすり傷を作った。

 裸を見られても動じなかった葵に羞恥心らしきものが存在したというのは、なかなか興味深い事実だった。

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