"彼女と目指す最強ゲーマー" STAGE1

Round1 あなたはゲーマーですか? いいえ、暗殺者です

プロローグ「今日も二人は」

「……鋭一えいいち


 恍惚と目を細めながら、少女がこちらに手を伸ばす。

 瞬間、鋭一の心臓はどきりと跳ね上がった。


 いつのまにか互いの息がかかりそうな距離にまで、少女は接近していた。

 視界の端で瑞々しい黒髪が揺れる。フリルのあしらわれたスカートに、そこから伸びるリボン。さらに大胆に開いた胸元が目に入る。


あおい……っ!? そんな、近っ……」


 思わず声を漏らしながら、鋭一は後ろへ退こうとした。だがその時にはもう、彼女の手のひらは鋭一の頭に触れていて。


「つかまえた」


 葵と呼ばれた少女は、にこりと微笑んだ。

 囁くような、くすぐったい声が耳に届く。

 聖母に愛されているかのような、甘い甘い一瞬。


 その、直後。

 葵は右手で鋭一の頭部を掴んだ。


 そのまま腕を振りかぶり、大きく勢いをつけ、手首を捻りながら腕を振り下ろす。

 彼女の手は地面に近づき、そして……


 ゴキリと鈍い音が鳴った。


 相手の頭部を叩きつけると同時に首を捻り、頸椎を折ったのだ。

 倒れたまま動かない鋭一を背に、葵は何事もなかったかのようにすっと立ち上がる。その瞳の奥では、楽しげな光が揺れていた。

 何ということだろうか。彼女は、この行いを楽しんでいるのだ——!


「わたしの勝ち」


 葵は涼しげな顔でつぶやき、ピースサインする。

 その背後では、鋭一の体が爆発のエフェクトに包まれていた。さらに華々しいファンファーレの音とともに、葵の頭上には大きな文字が表示される。

 この試合の、勝者を知らせる文字だ。


 [FINISH!!]

 [WINNER AOI]


***


「ぐぁーっ! チクショー、もうちょっとやれると思ったんだけどなあ」


 シンプルなVRゴーグルを外しながら、平田ひらた鋭一は悔しがった。


「やっぱ強いな、葵は」


 横を見る。隣に座っている少女、一色葵もちょうどゴーグルを外しているところだった。

 二人はたった今まで、体感型のVRゲームで対戦していたのだ。首を折ったのも、折られたのも、すべてゲームの中のアバターである。


「たのしい」


 彼女はふんふんと鼻息荒くつぶやいた。

 葵の顔は一見すると無表情なように見えるが、興奮気味にそわそわと体を揺らしており、どうやら本当に楽しかったのだろうことが窺える。


「鋭一」


 葵は名前を呼びながら、鋭一のほうに向きなおった。


「ん?」


 鋭一は何気なく返事する。その直後。


「もっと遊びたい」


 恍惚と目を細めながら、葵がこちらに手を伸ばしていた。

 瞬間、鋭一の心臓はどきりと跳ね上がった。


 いつのまにか互いの息がかかりそうな距離にまで、少女は接近していた。視界の端で瑞々しい黒髪が揺れる。制服のブラウスに、胸元につけられたリボン。さらにスカートから伸びる白い脚が目に入る。


「あ、葵……っ!? ど、どうした……?」


 思わず声を漏らしながら、鋭一は後ろへ退こうとした。だがその時にはもう、彼女の手は鋭一の手をぎゅっと握っていて。

 いや、わかっている。これはゲームの中ではない。だから今、掴まれた手首を折られたりすることはない。のだが。しかし。


 つまり目の前に迫っているのはリアルの美少女であり、彼女のあどけない顔も、小柄な肢体も、手のひらから伝わる熱も、すべて本物なのだ。

 鋭一は急に恥ずかしくなって狼狽えた。ここは誰が見ているわけでもない、ゲーム用の個室。だが、それなら良いというものでもない!


「お、俺との組手はもう良いんじゃないかな!? そろそろランク戦とか」

「む」


 鋭一は慌てて断ってみようとするが、葵は頬を膨らませて不満を表明した。


「わたしは、鋭一と遊びたい」


 彼女はさらに身を乗り出す。彼女が喋るたびに、あたたかな吐息が顔にかかる。

 これは……このまま放っておいたら、もっといけない体勢になりそうな気がする!


「わ……わかった! わかったから一旦離れようか!」


 限界だ、とばかりに鋭一は掴まれた手をぶんぶんと振って逃れようとした。

 それが悪手だった。

 葵は条件反射で動いてしまう。手を振りほどこうとする相手をどうすれば良いか、彼女の体は知っているのだ。


 一瞬の後、鋭一の体は宙に浮いていた。


「あっ」


 気づいた時には遅かった。ここはゲームの中ではない。だから骨を折られることはないが……それでも、投げられることはあるのだ。

 鋭一はソファの上に投げ倒された。ぼふん、とやわらかい衝撃に包まれる。これが地面だったらと思うとゾッとする。


 葵はじとっとした眼で鋭一を見下ろしながら、困ったように首を傾けた。

 そして幼い声音で、つぶやく。


「……手を繋ぐとだめ?」


 親に注意された子供のように、彼女は疑問を口にした。


「こいびと、なのに」


 その言葉に、鋭一は反論できなかった。


 そう。

 目の前にいるこの少女、葵は——

 鋭一と同じ学校に通う女子高生であり、

 猫のような可愛らしさで評判の美少女であり、

 そして、

 ゲームの中では相手の首を叩き折ってしまうような「暗殺拳」の使い手であり。

 さらには……


 鋭一の「彼女」なのである。


「いや、まあ、うん、そうなんだけど……」


 彼女と手を繋ぐのを否定する彼氏はいない。結局鋭一は返す言葉が思いつかず、もごもごと話を戻した。


「とにかく、葵は俺ともう一回戦いたいんだな?」

「うん」

「でも、それってさあ——」

「?」


 鋭一は言葉を継いだ。なんとなく答えはわかっていたが、一応確認しておきたかった。


「俺の首を、折るってことだろ?」


 その質問に、葵が表情を変えることはなかった。彼女は当然だ、とでも言わんばかりに、意気揚々と首を縦に振った。


「うん!」


 とても、いい笑顔だった。

 この「暗殺者」と付き合うのは、簡単なことではない。

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