N1-1
——闘技場に、二人の戦士が降り立った。
鋭一は目の前の相手を見据える。頭にはウェスタンハット、上半身にボロ布をまとい、下半身はジーンズ。わかりやすい西部劇ガンマン風の出で立ちだ。帽子の下に長い髪をなびかせる、女性ガンマンだった。
一方の鋭一は白を基調とし、全身にベルトをあしらったバトルスーツを身にまとっている。
いや、ここでの鋭一は、鋭一ではない。アバター「A1」はこのVR空間「プラネット」で戦う、鋭一の分身である。
目の前に広がるのは赤茶けた土の荒野と、それを円形に区切っただけの闘技場。遠く地平線のあたりには土に埋まったビルやタワーがいくつも顔を出している。
A1の見る景色は現実世界でゴーグルを装着する鋭一の視界にそのまま広がり、周囲の風の音、砂埃が巻き上がる音、距離をおいて向かい合う対戦相手の息遣いまでも聞こえてくるようだった。
戦いの前の緊張感がびりびりと肌を焦がす。ゴーグルの下の、鋭一の口元がわずかに緩む。この感じは、嫌いではない。
すぐに、目の前の空間に文字が浮かび上がった。それは戦いの始まりを告げる合図である。
[SUDDEN DEATH 1on1]
向かい合う両者が同時に息を吸い込み。
[READY]
やはり同時に、構えを取る。
ガンマンは右手をだらりと下げ、左手を腰元へ。A1は両肘をぐっと後方へ引き、不自然なほど前傾した奇妙な構え。
そして……
[FIGHT!!]
そこからは、様々なことが起こった。
ガンマンがだらりと下げていた右手を瞬時に跳ね上げる。
A1が地を蹴る。
ガンマンの右手は上半身のボロ布の中へ。同時に、右足を一歩踏み出している。
A1は一度前方へ踏み込んでから、短めに一歩下がって相手との距離を測る。
両者の一挙手一投足が、瞬きひとつ許されない重要な出来事の連続だった。
一瞬でもどちらかの集中が途切れた時、その瞬間には勝負がついてしまうだろう。勝負は一撃なのだから。
A1は上半身の構えを維持したまま、巧みな足運びで間合いを維持する。両肘を引いたまま前傾姿勢での移動。
ガンマンが短く前に出た。A1は相手の要望を受け入れるかのように、さらに一歩踏み出して間合いを詰めてやる。ここが勝負所だ。
自らの体が風を切る音を聞きながら、鋭一の耳は、そこに混ざる違う音を聞き取った。敵の呼吸音の変化。そして衣擦れの音。
——来る。
それに合わせて、鋭一は瞬きをひとつした。
瞬間、閃光。
視界を光に覆われたガンマンの体がわずかに硬直する。
攻撃動作を阻害されたガンマンは一瞬だけ動きを鈍らせたが、そのまま強引に攻撃を放った。上半身にまとったボロ布から、唐突に長い腕が飛び出す。
どこから現れるかわからない、超高速の貫手。見た目のガンマンスタイルはこの貫手を早撃ちに見立ててのものだろう。
ガンマンの狙いは前傾したA1の最もわかりやすい的……即ち顔面。
その貫手は本来の腕のリーチを超えてなお伸びた。文字通り、アバターの腕が長く伸びている。相手のリーチの外から不意を突く。確実に先手を取れる技として昇華された、見事な突きだった——のだろう。
その先手が「打たされた」ものでさえなかったならば。
絶好の間合い、絶好の的、絶好のタイミング。
それら全て、鋭一が用意したものだ。
そしてその「絶好」は、突然の閃光によって僅かに狂った。
必殺の貫手はA1の顔の真横を通り過ぎていった。頬を撫でる風圧を感じながら踏み込み、相手の至近にまで迫る。A1は思わず犬歯を剥きだして笑った。この瞬間は、最高だ。
本気で攻撃しようと、殺気とともに向かってくる相手。
自分の持てる感覚と技術をフルに使ってそれを捌き、
そしてこちらの攻撃を……叩き込む!
A1は腕を折りたたんだ状態から肩と肘の力を爆発させ、掌打を繰り出した。不自然な姿勢から放ったとは思えない速度の掌は、相手の心臓の位置を的確に狙い撃つ。クリーンヒットの重さを腕に感じる。ガンマンが驚愕に目を見開く。
——一撃。
そう、これはたった一発を巡る戦い。一撃先取の「サドンデス」。
鋭一はゴーグルで見る視界の端に表示されたゲージ……敵のHPが1から0になるのを見た。
それを以て再び、上空に文字が現れる。
[FINISH!!]
同時に、ガンマンの体は派手に爆発した。
決着である。
[WINNER A1]
表示された勝者の名前を確認し、鋭一は髪を揺らす爆風に目を細めた。
***
夜中に自分の部屋でこっそりパンチを撃ったことはある?
じゃあ、それを実際の相手に当てたことは?
戦うというのは、とても気持ちの良いものだ。
思うがままに体を動かして、本気でぶつかり合う。きっと終われば河原に寝転んで、互いに友情が芽生えたりもするだろう。実に清々しい。
自分は身体が小さいから向かないって?
なら、大柄な身体を選べばいい。
力が弱いから勝てそうにない?
では、腕力の強い設定にすればいい。
あんなに素早く動いたりできない?
じゃあ、念じるだけで瞬間移動できる技を使おう。
痛いのは嫌だ? 怪我するのが恐い?
心配はいらない。
——それらが全て解決するような世界が、ここにあるのだから。
「くっそー。私の早撃ちと〈伸縮腕〉の相性は良いと思ったんだけどなあ」
「いや、実際強いですよそれ。だから〈フラッシュ〉のタイミングはミスれないんだ」
「A1さんは誘いこみのテクが上手すぎるって。スキルも地力があって初めて活きる、かあ。これなら通常ルール……『デュエル』の方でも通用するんじゃないですか?」
「……いやー。なかなか難しいっすよ、あれは」
「そういうもんですか? まあ『サドンデス』に居座ってくれるなら、そっちで倒すまでよ。次こそブッ殺しますから」
「ははっ。こっちこそ殺します。じゃ、お疲れ様」
「お疲れ様ですー。またよろしくね」
試合後の雑談を音声チャットでひととおり楽しんだ後、鋭一はゴーグルを脱ぎ、心地よい疲労感とともに現実世界のソファに倒れ込んだ。
満足げに息を吐く。あの荒野の闘技場が、彼を最も満たしてくれる場所だ。
『プラネット』は、「荒廃した未来の地球」という設定のVR空間である。
人類はとうに滅亡したが、そこにコールドスリープから目覚めた過去人――
そこでの戦いにおいて、鋭一はかなりの強さであると自負している。特に一撃で勝負の決まる特殊ルール……互いのHPが1で戦闘開始するサドンデス・ルールではもう随分負けていない。初撃を当てることにかけて、彼の右に出る
先ほどの相手だった女性ガンマンも、現在同ルール二位の成績を誇るが、それでも鋭一には敵わない。
アバター名「A1」……平田鋭一は、高校生でありながらサドンデス・ルールの絶対王者であり……
その獲得賞金から収入を得ている「プロ」のゲーマーでもあるのだ。
鋭一は寝返りをうちながら先の戦いを反芻する。
戦うというのは本来、大変な快楽の伴う行為だ。持てる力を尽くし、互いの全霊をぶつけ合い……敵を倒す。そこには根源的な興奮と悦びがある。
もちろん日常でそれは許されない。だがVRでなら、できる。
——目の前に倒すべき敵、倒してもいい敵がいる。
それは全力で「ぶっ殺し」ても構わない相手だ。
ここには痛みも怪我もない。
ここでなら、人はどこまでも獰猛になれる。電気のヒモに対してシャドーボクシングするくらいの気軽さで、人を殴れる時代がやってきた。
〝プラネット〟は、戦いのメリットだけを人々に与えたのだ。
「おっと、時間か」
鋭一は時計を見ると、PCのディスプレイを立ち上げた。
プラネットの動画配信機能を使って、有名配信者「百道」が放送を始める時間なのだ。この放送を視聴するのはすっかり日課になっている。
自分が戦っていない時間も、ゲームに浸かっていたい。
他にも攻略サイトを見たり、コミュニティに顔を出したり。最前線で戦うためには、情報収集も欠かせない。
鋭一は生活のほとんどを、このゲームにつぎ込んでいる。日中は学校があるので流石にそういうワケにはいかないが、自由時間は即ちゲームの時間である。プロとしての収入から一人暮らしをしているので、家族に邪魔されることもない。
そうこうしているうちに、あっという間に夜は更けていく。
「……うおっ! もう1時!?」
ふと時計を見ると、信じがたい時刻が表示されていた。本来なら寝る時間、なのだが。
右手を握り、開く。自然とその手は掌底の形を作っていた。クリーンヒットの感触はまだ残っている。勝利の感触が。
鋭一は戦うのが好きだ。勝つのはもっと好きだ。
体がうずく。今日はもう満足したと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
常識的に考えれば寝るべきだ。しかし、手にはまだ掌打の感触が残っている……。
——「迷ってるその時間でもう一試合できる」
鋭一はこの界隈に伝わる迷言を思い出した。
「大丈夫。あと一試合、あと一試合だけだから……!」
うわごとのようにお決まりの常套句を呟いて、覚醒者、平田鋭一はゴーグルを再びかぶり、「プラネット」に降り立った。
対戦メニューからランキング戦を選び、それからルールを選択する。
——「これなら『デュエル』でも通用するんじゃないですか?」
ふと、先ほどの会話が頭をよぎる。
デュエル・ルール。一撃勝負のサドンデスと違い、1000あるHPを先に削り切った方が勝つ通常ルール。サドンデスもコアな人気はあるが、やはり王道にして花形なのはこちらだ。プロとしては、デュエルの上位ランクも狙っていくべきなのだろうが……。
「……いや。俺の『レベル上げ』は、まだ終わってないんだ」
鋭一はどこへともなく呟く。
レベル上げ——ゲーマーとしての特訓を鋭一はそう呼んでいる。一人で、地道な経験値稼ぎを繰り返して強くなる。RPGの主人公と同じだ。これまでもずっとそうしてきた。
結局そのまま、鋭一はサドンデスを選択した。
そして、そこから十試合した。「あと一試合」から十試合で済んだのは、上出来と言ってもいいだろう。
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