N1-2
深夜の動画視聴。コミュニティの徘徊。
そして――「あと一試合」からの十試合。
……などという生活をしていれば、当然こうなる。
鋭一は大慌てで走っていた。明らかに学校に遅れそうな時間だ。
現実の肉体には体力というやつがあるので困る。走るとすぐに息が切れて胸が苦しくなる。だが止まるわけにはいかない。
遅刻なんてことになれば、また『社長』に何と言われるかわからない。
校門を駆け抜ける。階段を駆け上がる。チャイムが鳴り始める!
いや、鳴り終わるまではセーフだ。教室のドアが見えた。ここで〈ショートワープ〉のスキルを発動すれば!
……だがもちろん、鋭一の肉体にそんな機能はない。そのまま無情にもチャイムは鳴り終わった。
ああ、これだから現実ってやつは!
教室に駆け込んだ鋭一はちょっとした笑いものになった。今週だけでも二度目だ。さすがに恥ずかしい。
***
「鋭ちゃーん。遅刻はやめとけって、言わなかったっけ?」
昼休み。案の定、文句を言いに来る人物がいた。同じクラスの
明るい髪色に、着崩した制服。極端に短いスカート。ギャルっぽい見た目の珠姫とゲームオタクの鋭一の組み合わせは傍から見れば明らかにアンバランスだ。
鋭一にとっては唯一会話できる女子である。実際ありがたい存在でもあるのだが……諸事情により鋭一は彼女に逆らえない。
「キミが素行不良だとあたしの不利益になるんですけどー? 何度言えばわかるんですかね、この鋭ちゃん野郎は。いっぺんお仕置きいっとく? ん?」
「いやホラ、本業に熱が入りすぎたということでひとつ……」
教室の隅に追い詰められ、もはや女子に壁ドンされているような状態で鋭一は珠姫から目をそらした。
「そんなこと言って、どうせまだ『デュエル』には行ってないんでしょ?」
「うッ……。そっちはホラ、まだ特訓中なんだよ」
「おいおい平田プロ。Aランクに勝てるまで、レベル上げとか言って一人で特訓してるつもり? 鍛えるにしても実戦しないと」
「そう言ってもなあ。負け試合で経験積むなんて、性に合わねえよ」
「ま、モチベは大事よね。でもゲームでまで引きこもってどうすんのよ。そうねえ……例えばさあ、身近に競い合うライバルとかいないの?」
「そんな都合よくいるわけないだろ……」
鋭一は徐々に答えに窮していく。珠姫の言うことはもっともなのだが、苦しいものは苦しい。誰か助けてくれないものか……。と思ったところで、運よく助け船が出た。
「あっ、最上さーん。
「ん?」
珠姫に話しかける女子生徒がいたのだ。隣のクラスの委員長だ。鋭一は助かった、とばかりに胸をなで下ろす。
「あの子、またいなくなっちゃったみたいで……次の授業、移動なのに」
「あー、噂の『野良猫』ちゃんね。うーん、でも、あたしも見てないよ?」
「そっか。最上さん顔広いし、一色さんの行きそうなトコとか知らないの?」
「いや、あの子あたしも喋ったことないし……。興味はあるんだけどねー、葵ちゃん。可愛いし。でも、いっつもいなくない?」
確かに、鋭一も噂には聞いたことがあった。
——隣のクラスの、一色葵。
小柄で可愛らしい美少女というので、学年でも有名な生徒だ。
ところが、それだけ知られているのに、誰も話したことがないのだという。しかもどういうわけか、たびたび失踪する。
存在が掴めず、気まぐれにいなくなってしまうことから、「幽霊」もしくは「野良猫」なんてあだ名で呼ばれていたりもするくらいだ。
「まあ、授業はちゃんと受けてるみたいだし、時間になれば戻ってくるっしょ」
「そ……そうだよね」
結局委員長は、仕方なく納得して去っていった。
「うんうん良かった良かった、じゃあ俺もこれで」
そして流れに乗るように、鋭一もその場を離脱する。
「あっ、逃げやがった」
「いやこの後、遅刻の罰で雑用だからそろそろ行かないとマジで!」
それは事実だった。遅刻してすぐ、ホームルームで担任に言い渡されたのだ。
「次に遅刻したら、給料でケーキ奢らせるからなー!」
珠姫の声を背に、鋭一は教室を出た。
***
鋭一が言いつけられた雑用は、五限の社会科のために準備室から世界地図を取ってくることだった。
社会科準備室までは結構な距離があり、黒板に貼るための世界地図はでかくて重い。なるほど罰として成立するくらいには面倒だ。教室での珠姫とのやりとりのこともあって、どうにもテンションが上がらない。
「はァ~~……デュエルでも勝てって、簡単に言われてもなぁ」
愚痴を呟きつつ歩く。
デュエル・ルールは花形ジャンルだけあり、プレイヤー数も圧倒的に多い。実質『デュエル』の王者こそがプラネットの王者であり、そのトップランカーたちは桁違いの実力を持っている。
もちろん、鋭一はプロとして勝たねばならないし、勝ちたい気持ちもある。サドンデスでは、いまや並ぶ者なしの鋭一だが、デュエルにおける戦績としては、今ひとつくすぶっているのが実情だった。
「ライバル……ねぇ」
珠姫の言葉を思い出す。なるほど、一理あると思う。鋭一も最終的には「Aランク」を目指したいが、目標としては遠すぎる。
身近に、気軽に対戦できて実力も近い相手がいれば。そして常に切磋琢磨できれば、もっと早く力がつく気がするし……何より、きっと楽しいだろう。
「——なんて。そんな話、都合が良すぎるよなあ」
鋭一は、仮にもプロだ。Aランクはまだ遠いとはいえ、対等に戦えるほどの人間は、道端にそうそう転がっているものではない。
まあ、目の前のやれることをやっていくしかないのだろう。とりあえず差し当たって今は、この社会科の雑用……とか。
ぼんやりと歩き、数分ほどで鋭一は社会科準備室にたどりついた。校舎の端に位置するため、ここは人気もなく静かだ。
とにかくさっさと終わらせよう。こんなことを考えるより新しいアバターのカスタマイズでも考えるほうが遥かに有意義だ。
鋭一はため息とともに扉に手をかけて開き、部屋に入る。
そしてそこで、上半身裸の女子生徒を見た。
「……えっ」
突然の裸体を前に鋭一は息を詰まらせた。
カーテンの隙間から差し込む真昼の日差し。
普通の教室の半分もない広さの部屋。
その中央に浮かび上がる、小柄な白い人影。
突然現れた気配に気づいた少女がはっと顔を上げる。耳の横で揺れる黒髪、涼やかな目つき。その顔に、鋭一は見覚えがあった。
……一色、葵。
彼女は下半身は制服のスカートだが、上半身は何も身に着けていなかった。
衣服どころか下着の紐すら存在しない全面肌色の上半身は、それだけでも十分に「裸」を感じられるものだった。女の子のそんな姿など、もちろん見たこともない。
雑用で資料を取りにきたら、隣のクラスで評判の美少女が脱いでいた。事実を受け入れられずに頭の中が混乱するが、目の前の景色はVRではなかったし、その少女はアバターではなく現実のものだった。
「ちが」
何が違うのかすら思いつかないまま、鋭一はとにかく脊髄反射で弁解の言葉を並べようとした。葵が音もなく右腕を持ち上げた。
彼女がわずかに眉をひそめ、頬が朱に染まる。その冷徹な瞳が鋭一を捉えた。
——と、同時。
葵の体の動きが、急激なものに変わる!
滑るように動く細い脚。鋭い踏み込み。上履きが床を叩く音。
風を切ってしなる、白鳥の首のような白い腕。
そして鋭一の眼球めがけて突き出される二本の、
指
……を、かわす!
ここで鋭一の反射神経が目を覚ました。
顔面を真横にスライドし、危険な二本指を視界からはずす。
ゲームで鍛え続けたサドンデス王者の「見切り」でなければ避けられなかっただろう。ゾクリ、と体が震える。
今のは、何だ? 目の前の少女は何をした?
いや、本当は考えるまでもない。ただ信じられないだけだ。二本の指を両目に向けて突き出す……そんな行為に目的があるとすれば、この世に一つしかない。
あれは——目潰しだ。
葵は躊躇なく、鋭一の視力を奪おうとしたのだ。それも、恐るべき正確さで。
「…………!」
攻撃をかわされた葵は驚いたように目を見開いた。しかし、止まらない。一度腕を引っ込め、再度突き出す。
「……うわッ!」
だがこれも、鋭一はかわす。鋭一はとにかく何か言おうと口を動かした。
「ちょっ、あの、ごめん、こんなトコに人がいるとかさ……うおっ」
三撃目。頭を後ろに倒して回避。そのままバックステップで距離を取る。
「その……は、話を聞いてもらえないかな!?」
葵はそこでピク、と動きを止めた。どうやら言葉が届いたらしい。
「……わたしに、お願いするの?」
「お、お願いというか……」
「それはだめ」
一瞬会話できそうだったが、その可能性を彼女はあっさりと否定した。
「お願いするときは、決まりがあるの」
「決まり?」
思わず鋭一は返す。そして彼女が出した条件は……こんなものだった。
「先に一撃入れられたほうが、いうことをきく」
「……い、一撃?」
鋭一は理解が追い付かずオウム返しする。だが葵は待ってくれなかった。
「じゃあ——はじめ」
言うが早いか、葵は再び動き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます