N1-3

「じゃあ——はじめ」


 葵が動き出した。

 左手で胸を隠し、右手を引く。攻撃の予備動作。


「ま、マジで言ってるのか……?」


 鋭一は驚きながら身構えた。何が起きているのかはさっぱりわからない。わからないが……しかし。

 一撃それは偶然、サドンデスの王者と呼ばれた彼にとって、とても慣れ親しんだルールだった。


 葵が腕を突き出す。鋭一はまたしてもギリギリで見切る。

 疾い。あまりにも凄まじい動きだ。現実離れしている。


 だが、鋭一は……このくらい現実離れした現実を、ひとつ知っている。気が付けば鋭一は両肘を引き、自然といつもの構えを取っていた。集中が高まる。意識が戦いの中にダイブする。


 まるで……『あの惑星プラネット』にいる時のように。

 葵が一歩退き、すぐにまた踏み込む。鋭一の眼はその動きを余すところなく捉えている。


 射抜くような葵の瞳。一切の無駄がない足運び。躍動する上半身。

 その戦闘者としての理想的な動きに、鋭一は思わず一瞬、目を留めてしまう。コンマ一秒以下のことではあるが……見とれた、と言ってもいい。


 この動き。この速さ。この強さ。彼女は何者だ? これは、『あの場所』でも通用するものではないのか——?


 ……だが。鋭一は気を引き締める。『その場所』でなら鋭一もひとかどの実力者だ。やられっぱなしというワケにはいかない。


 葵は踏み込みながらの手刀。鋭一の髪をかすめていく。だが、当たってはいない。

 鋭一はかわしざまに得意の構えから、カウンターで左の掌底。

 葵は左腕を持ち上げてガードするしかなかった。


 ……左腕を、使ってしまった。隠れていた上半身が露わになる。


「……あっ」


 何かに気が付いたように葵の動きが止まる。その隙を、鋭一の目は見逃さなかった。

 この距離ならば、心臓が狙える。彼にはまだ右手が残っている。

 鋭一は無意識に任せたまま必殺の掌底を


 ——打ったらダメだ!


 ここで鋭一の理性が目を覚ました。

 ここは学校で! これは試合ゲームではなく! 目の前にいるのは女子生徒!

 鋭一は攻撃動作に必死でブレーキをかけた。


 結果、必殺の掌底を寸止めすることに見事成功した。

 左胸を狙った手のひらは、心臓の手前ギリギリで停止した。

 本当に心臓に届く直前だった。危ないところだった。


 ……では、心臓の手前には何があるか? 女子生徒の。


「…………」

「…………」


 鋭一は、今までに経験したことのない乳白色の手触りを味わっていた。

 ああ、これが、噂に聞く、女性の胸についているという、あの。

 葵のそれは、小柄な外見に反して十分なボリュームを備えていた。恐るべき事実だった。


「……えーと……」


 鋭一の頬を汗が流れた。動きが完全に停止する。

 だが止まったのは一人だった。


「~~~……!」


 声にならないリアクションが耳に届いた瞬間。

 彼は天地が逆になる、という現象を、VR以外では初めて体験した。寸止めした右腕を取られ、捻られただけで鋭一の体は逆さまになって宙に浮いていた。


「——えっ」


 急な視界の回転。床と天井が逆になる。思わず声が漏れる。

 そして背中から床に落とされると同時、自分を見下ろす少女の顔が目に入った。



 時が停止する。



「あっ、あの」


 少しして、葵が我に返ったように口を開いた。


「ごめん、わたし、びっくりして、慌てて……! わ、『技』使っちゃうなんて……その、でも、あれ」


 いきなり襲いかかったことを謝っているのだろうか。彼女は驚き戸惑うように、言葉を続ける。


「わたし、一撃、入れられた……?」


 彼女にとってそれは何よりも意外なことだった。それができる人間が学校などにいるとは思っていなかった。

 一方で鋭一もまた、正体の掴めない謎の高揚感を味わっていた。

 女の子に軽々と投げ倒されたという事実。この子は一体何者だ? 心臓が高鳴った。嬉しい、恐い、凄い。どれも正解で、どれも違う。


「き、君は……」

「あなたは……」


 二人はどちらからともなく呟いた。

 どうしても聞いてみたいことが、互いにあった。


「「もしかして」」


 それは。


覚醒者アウェイク?」

「暗殺者?」


 ——ん?


 予想と違う単語に、鋭一は首をひねった。

 見ると、葵も不思議そうに首をひねっていた。


「ちがった? ……ううん。とにかく」


 彼女は首を戻し、片手で上半身を隠し、鋭一に言った。


「……つよい。悔しいけど、わたしの負け。いうことをきく」


 そう。とにかく鋭一が一撃を入れたことには変わりない。鋭一には、目の前の少女に、何でも一つ「お願い」をする権利が……与えられたのだ。



 ——後になって思えば。よくここで、こんなことが言えたものだと鋭一は思う。


 

 この時はとにかく色んなことが起こり過ぎて、おかしなテンションになっていたのだろう。


 突然の裸。目潰し。そして疾く、鋭く、芸術的ですらある美しい動き。

 男としての鋭一とゲーマーとしての鋭一が同時に反応し、二つの興奮が混ざり合い、高まり、一つになる。融合した感情は、人生で感じたことのないほど大きな情動となっていた。


 とてつもなく、惹きつけられていた。この一色葵という少女を逃したくなかった。


 今の葵とは、この閉じられた密室の中だけの関係。このまま部屋から出れば、彼女はきっと人から見えない「幽霊」に戻ってしまう。そんな気がする。

 それは、嫌だと思った。胸の内に初めて味わう衝動が芽生えていた。


 

 ——この子を、"プラネット"に誘いたい。



 素晴らしく恐ろしい彼女の動きを、愛するゲームの中で見たい。

 それに。彼女ならもしかして……自分の求める『ライバル』に、なれるかもしれない。


 正直、躊躇いもあった。いきなりそんなことを言って大丈夫なのか? 常識的に考えればありえない。そもそも相手は裸だ。シチュエーションもめちゃくちゃだ。やめておく理由はいくらでもある。

 だが鋭一は迷った時は、あの言葉を思い出してしまうのだ。

 

 ——「迷ってるその時間でもう一試合できる」


 彼女との第二ラウンドを始めるなら、今だ。

 緊張を振り払うため、自らの心のエンジンに火を入れる。彼女の間合いに踏み込むために。ゲームで相手の至近距離に入る時のように!


「わかった。……それなら」


 鋭一は伝えた。葵に、今、頼みたいことを。




「……今日から! 付き合ってくれないか!?」




 ただ、この時の鋭一は、少しばかり、言い方が下手だった。


「……えっ?」

「一緒に行きたいところがあるんだ。やりたいことがあるんだ」


「あ、あの、一緒って」

「大丈夫、初めてでもさ、俺が全部教えるし!」

「おっ……教える?」


 ちょっと……あまりにも、下手すぎたのだ!


 葵は驚いたように、ぱちくりと瞬きした。返事はない。

 だが鋭一は、もはや自らのテンションを制御できない。

 自分が赤面しているのがわかる。声もちょっと震えている。全然かっこ良くはない。


 女の子を何かに誘うなんて、そんな経験あるわけがない。あるのは勢いだけだ。

 でも。ならば……その勢いに頼るしかない!


「まずはお試しでもいいんだ! だから」


 鋭一は秒単位で自らを鼓舞し、たたみかけるように言葉を継ぐ。自分の台詞がどこか欠けていることにすら、気づかないまま。


「もし放課後空いてたら、付き合って……」


 鋭一はその台詞を最後まで続けようとした。だが葵が何か言おうとする気配を感じ、そこで言葉を止めた。

 返事を待つ。葵は一度息を吸って、吐き。少しして返事した。


「……うん」


 彼女はまず短く言った後、続ける。


「一撃入れられたのは、わたし。それがあなたの『お願い』……なら」


 少し、戸惑うように声がふらついている。葵は目を伏せ、頬をわずかに赤く染めながら、たどたどしく言葉を継ぐ。


「ふつつかもの、ですが」


 そして、葵はそのまま答えを告げ……行儀よく、ぺこりと頭を下げた。


「よろしく、おねがいします」

「…………やった!」


 鋭一は小さくガッツポーズし、そこでようやく、気が付いた。


「あっ……ていうか、自己紹介もしてないじゃん! 俺は鋭一。隣のクラスの、平田鋭一っていうんだ。こちらこそ、よろしく」

「うん。…………わたしは、葵」


 二人は互いに名乗り、そうしてこの場は決着した。

 鋭一は息を吐き、胸をなでおろす。安堵とともにテンションも徐々に落ち着いてきた。


「いやー、良い返事が貰えてホントよかったよ……」


 顔を上げる。改めて考えると、なかなか非現実的だ。この子と、これから、ゲームができる。

 目の前にいるのは、自分を見とれさせた少女——一色葵。その恐るべき女子生徒は……


 そういえば上半身が裸だった。


「…………!?」


 さっきまでの脳内麻薬が完全に切れた鋭一は、彼女の姿を正しく認識した。ついでに、ここは狭い密室であり、加えて、二人きりである。上半身が裸の女子生徒とである。


「あっ……ご……ごめん!?」


 とてつもなく今更きわまりない謝罪を繰り出しながら、鋭一は一瞬にして葵から目線を外し、振り向いて準備室を出る。サドンデス王者かくあるべし、とでもいうべき電光石火の速さだった。


「あの、放課後、校門で待ってるから! あとゴメン。ほんとゴメン!」


 慌てて閉めたドア越しに、鋭一は一方的に約束を告げてバタバタと退散した。そうするしかなかった。肝心の世界地図を持っていないことに気づいたのは、教室に戻ってからだった。


***


「…………」


 一方。残された葵は服を着ることも忘れ、準備室に立ち尽くしていた。

 中空に視線をさまよわせながら、ついさっきの記憶を何度も反芻する。


 突然現れ、自分の攻撃を捌き、あまつさえ一撃入れてみせた驚くべき存在。

 そんな少年が向けてきた好意的な表情。声。そして、言葉。


 つい「うん」と返事をしてしまった。そうだ。肯定してしまったのだ。

 もちろん一撃ルールの結果ではある。それは葵にとって絶対のものだ。断るという選択肢はそもそもない。


 ……が、それにしても。何だか嫌な気がしないのはなぜだろうか。

 胸の奥のくすぐったさを吐き出すように、葵は呟いた。




「こくはく、された」

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