Round2 はじめてのログイン、はじめての無双

N2-1

 一色葵には謎が多い。


 決して派手さはないが、その涼しげで整った顔立ちは実は学年一、いや学校一の美人では……などとも噂される少女。一方で身体は小柄で可愛らしく、男女ともに人気がある。授業中にふと眺めて、思わずため息をついたという証言も多い。


 ところが、そんな有名人であるにもかかわらず、話したことがあるという生徒は同じクラスにも存在しないのだという。「後で話しかけてみよう」と思っていても、休み時間になると存在を見失ってしまうらしい。


 教室の外を出歩いているのかもしれないが、席を立つところを見たという生徒もいない。それで次の授業が始まるといつのまにか、いつもの席にちょこんと座っている。


 そして放課後になると休み時間同様、いつの間にかいなくなっているのだ。

 授業は間違いなく真面目に受けているようだ。なのに、存在を掴むことができない。

 ついたあだ名は「幽霊」に「野良猫」。とはいえ、本人に面と向かってそれを言うことができた者も、一人もいないのだ。


 このように一色葵には謎が多い。なぜ気配がないのか? なぜ誰とも話さないのか? そもそも実在するのか?


 しかし、平田鋭一にとって最も重要な疑問は別にあった。


 それは……なぜあの時、準備室でその葵が着替えていたのか? ということだ。

 而してその答えは放課後に本人から直接、聞くことができた。


 ——休み時間には、人気のない社会科準備室で「稽古」をするのが葵の日課だった。

 ところがこの日は、午後の最初の授業がプールだった。


 だから早めに教室に戻って更衣室に向かわなくてはならなかったのだが……つい熱中してその時間がなくなってしまった。慌てて水着を掴んで向かうも、着替えの終わった更衣室には既に鍵がかけられていた。


 そこで葵が考えた解決策とは。

 ……社会科準備室で水着に着替え、直接プールに向かうという大胆な方法だった!


「いや、見ちゃったのはホント、その、悪かったけども。それにしても、わざわざあんな部屋で着替えるなんて……」

「プール、どうしても、行きたかった」


 彼女はそう言って、少し恥ずかしそうにうつむいた。

 それが鋭一にとって、かつて最も重要だった疑問の答えだ。


 だが今はもう、そんなことはどうでも良くなっていた。

 もはやそれどころではなかった。さらなる重要な局面が目の前にあった。



「これ、デート……だよね。わたし、はじめて」



 それが今、鋭一の置かれている状況だ。


 二人は小さなテーブルを挟んで座っていた。

 葵は透き通るような純粋な瞳で鋭一を見つめている。彼女が小首を傾げるだけで、艶やかな黒髪の表面で光が揺れた。そんな些細な動きすら、鋭一に唾を吞ませるには十分なものだ。


 噂で「可愛い」と聞くだけではわからない、実体を持った女の子の威力とはこれほどのものか。こうして真正面から向かい合ってみると、圧倒されるしかなかった。


 おまけに既に、下の名前で呼ばれている。


 葵は鋭一が名前を教えると、すぐにそう呼び始めた。学校での彼女からは想像もつかない距離の詰め方だ。

 何か特別な感情があるというよりは、子供が自然と男の子を名前で呼ぶのと同じようなものだろうか。まあ、理由は何でもいい。とにかく鋭一は唾を吞むしかない。


 学校からほど近いファーストフード店で、二人は見つめ合う。何でいきなりこんな雰囲気に……。鋭一は額を押さえつつ、ここまでの流れを脳内で反芻する。


***


 鋭一は葵と放課後に待ち合わせ、校門で合流してから街に出た。着替えていた理由を聞くなど雑談しつつ歩き、そのまま店に入った。この後で葵を連れていきたい場所について、説明するためだった。


「なんか、ごめん。急に、その、二人きりで歩くみたいになっちゃって……」


 鋭一はそんなふうに謝りつつ、席に着こうとした。

 だがそれに対し葵は、「なんで?」と小さく首をかしげたのだ。

 彼女は鋭一の顔をまっすぐ見ながら「二人なのは全然おかしくない」と言葉を続け。


 そして極めつけに……こんな台詞を口にした。


「だって——わたし。鋭一の『こいびと』だから」

「……え?」


 思わず出た、それが鋭一の最初のリアクションだった。可愛らしい唇から聞こえた、予想外の単語に心臓が跳ね上がる。


「おぼえてない?」


 葵は鋭一の反応に対し、かしげた首を今度は逆側に倒した。綺麗な髪が頬の横でさらりと揺れる。

 そして彼女は鋭一に言い聞かせるように……あろうことか、あの時の言葉を口にした。


「——『今日から、付き合ってくれないか』」

「あっ」


 鋭一が反応する。思い出すと同時に妙な恥ずかしさがこみ上げてくる。

 だが、葵はそこで止めてはくれない。


「——『一緒に行きたいところがあるんだ。やりたいことがあるんだ』」

「おお」


「——『大丈夫、初めてでもさ、俺が全部教えるし』」

「お……おう」


「わたし……こくはく、された。ちゃんと覚えてる」


 彼女は少し、不満そうに眉をひそめている。鋭一は慌てて取り繕った。


「そ……そうだね。い、いや俺も覚えてるよ?」

「ほんと? よかった」


 鋭一が言うと、葵は満足げに顔をほころばせた。

 鋭一は頭を抱えた。どうやら、随分な見栄をきってしまっていた。今更「そんなつもりじゃなかった」などと言える空気ではないし、そんな勇気もない。


 そうだ。あの時葵は、やけにかしこまって「よろしく、おねがいします」と言って、お辞儀までした。あれは……その「よろしく」だったのだ!


 ——なるほど。デートなどという単語が出てくるわけだ。つまるところ、鋭一と葵は既に「付き合っている」らしかった。


 意識を目の前の現実に戻す。少女の小柄な身体が目に入る。この、目の前の女の子と、俺が……。意識するとますます心臓が言うことをきかない。

 鋭一は気を取り直すように深呼吸して思考を整えた。目的を忘れるな。葵にプラネットをプレイさせたい、という気持ちが失われたわけではない。


「……あ、あのさ、一色さん」


 ぎこちないながらも、話を繋いでみる。実際、聞きたいことは山のようにある。


「一色さんは」

「葵」


 が、いきなり話を遮られた。葵は少しうつむいて、


「苗字は……あまり好きじゃない」

「え、でも」

「『葵』で、いい」


 恋人だから……というやつだろうか? だがそれにしても段階ってものがあるんじゃないのか? 確かに鋭一はとっくに下の名前で呼ばれているのだが。とにかく葵は不服そうだった。

 結局、鋭一は仕方なく呼びなおした。


「わ……かったよ。葵」

「うん」


 葵は納得したように微笑み、小さくうなずいた。びっくりするほど可愛らしい。学校内では、まず見せないようなレアな仕草だ。

 鋭一は本日何度目かの唾を吞み、本題に入るべく再び口を開く。


「その……葵さんは、普段ゲームとかってする?」

「ゲーム……? したことない」


 鋭一の確認に、葵は否定の返事をした。やはり間違いない。彼女は、プラネットを知らない。あの明らかな戦闘用の動きを、VR格闘以外の方法で覚えたというのだ。


「そっか。なら……さっきの、あの凄い動き。あれ、どうやって身に付けたの? どうして君は、そんなに強い?」


 それが鋭一の聞きたいことだった。彼女の強さの……あの動きの、ルーツとは。


「習ってるの? 何か……」

「…………」


 葵は、すぐに答えなかった。彼女は少しうつむいて押し黙った。マズイことを聞いてしまったか? 鋭一は後悔しかけたが……


「鋭一は……避けたから、だいじょうぶだよね……?」

「ん?」

「う、ううん。どうしても聞きたいなら……『こいびと』だし。ぜんぶ、教えてあげる」


 葵は何やらぼそぼそと呟いた後、意を決したように顔を上げ、話し始めた。


「あのね。わたしの技は……、墨式ぼくしき

「墨式? それは、やっぱ武道か何か……」

「武道じゃない」


 彼女は抑揚のない声でぽつりと答えた。

 短い言葉で声も小さかったが、確かな否定が伝わってきた。

 そして彼女は、こう続けた。どこか寂しさを感じさせる声だった。


「わたしは、『暗殺者』」


 言いながら彼女は、自らの手を見つめていた。己の存在を確かめるように。


「暗っ……? え?」

「わたしは殺したことないけど……でも、墨式は人を殺すための技だから。墨式を使える人間は……暗殺者。お父さんは、そう言ってた」


 葵は語った。「墨式ぼくしき」は一色家に代々伝わる暗殺拳であること。彼女は小さい頃から、家でその技を習ってきたこと。だから……自分も「人を殺すための技」が、使えること。


「暗殺者……」


 鋭一は葵の言葉を復唱した。当然ながら、日常ではまず耳慣れない単語だ。葵もそれはわかっているのだろう。どこか躊躇ためらいながらの説明に見えた。


「うん。物騒……だよね。やっぱり鋭一も、怖——」


 葵が若干うつむく。だがそれに対し、鋭一の反応は、


「か……カッコイイ……!」

「……え?」


 葵が意外そうに首を傾げる。


「なるほど……そりゃ強いわけだよ。まさか実際にそんな使い手がいるなんて……いやーカッコイイ」

「人を殺すための技……だよ?」


「そのシビアさだよ! めちゃくちゃキャラ立ってるな……羨ましいわ。実際とんでもない動きだったし」

「そんなこと言われたのは……はじめて」

「え、マジ?」


 思わず、葵は控えめながら笑みをこぼした。


「でも……鋭一はわたしに、一撃入れた。それも凄いと思う」

「お? そ、そうかな。まあ俺もちょっと凄いとこあるからな」


 鋭一もつられて笑う。ようやく少し雰囲気もほぐれ、二人は笑顔を共有した。


「……鋭一」


 すると今度は、葵のほうから話しかけてきた。今までよりいくらか、優しく穏やかな声。


「デート。今日はこれだけ?」

「えッ」


 鋭一はドキリとした。明確にデートだという意識はなかった。だが、葵はすでに鋭一の『こいびと』を自任しているのだ。『こくはく』した鋭一がそれを否定するわけにもいかない。


「鋭一、行きたいとこがあるって言った。たのしみ」

「そ、そうだ! この後行くところ!」


 鋭一は救いを見つけたように手を打った。


「あそこは……楽しいところだよ」


 突然「こいびと」ということになってしまって。突然「デート」ということになってしまって。鋭一はそのあたりのことについては全く自信がないけれど。

 それでも、これから行く先の楽しさについては自信があった。少なくとも自分にとっては——最高に楽しい場所だから。


「たのしい?」

「ああ。俺が何で、君に一撃入れられたのか——それを見せられる場所だ」

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