N2-2
[FINISH!!]
[WINNER A1]
試合開始からわずか五秒。A1の掌底が相手の心臓を打ち抜いていた。
戦いの余韻を少し味わってから鋭一はゴーグルを外し、葵を振り返る。
彼女は先ほどまで鋭一の戦いが写されていたディスプレイを、未だ食い入るように見つめている。
画面は観戦モードに切り替わっており、現在行われている別の試合が表示されていた。画面の中のアバターが動くたびに葵の体も左右に揺れる。
駅前のレンタルVRルームの個室は、二人で使うには十分すぎる広さがあった。壁際に大きめのディスプレイとゲーム機器がひとつあり、画面と向かい合うようにソファが配されている。
自前で機器を買えるようになるまでは、ここにもよく通ったものだ。カラオケや漫画喫茶のように、それなりの繁華街ならばどこにでもあるのも嬉しい。
ただ、顔なじみの店長が何やらニヤついていたのは頂けない。後で弁解しておく必要があるだろう。
鋭一はゴーグルを見せびらかしながら葵に話しかけた。
「どうだ? これが『プラネット』……仮想空間で本気で戦う、ゲームだよ」
「……ゲーム」
「でも、実際に俺が戦ってるみたいなもんだぜ? 景色も、音も、全部リアルに感じられる。それで俺がこう動こう、って思うと、キャラクターに伝わって動くんだ」
鋭一はゆっくりと掌底のモーションをとって見せた。少し興奮気味だった。自分がハマっているゲームの話をしているのだから当然ではある。だがプラネットは、鋭一にとって単なる娯楽以上の意味を持っている。
「もちろん殴り合うのはアバターだから、俺みたいにガタイが良くない奴でも、女の子や子供でも、純粋に格闘センスを競えるし、鍛えられる。ゲーム始めてから体育の成績が上がったって奴も多いんだぜ」
「鋭一が強いのは……これで鍛えたから?」
「その通り。何しろ俺は……このゲームの『プロ』だからな」
鋭一は誇らしげに笑って言った。
VR格闘は鋭一にとって競技スポーツでもあり、プライドをかけて戦う真剣勝負の場だ。だから説明にも熱が入る。
「どう? 凄い戦いだっただろ」
鋭一は上がり切ったテンションで葵に自慢しようとした。
「凄くない」
が、鋭一の言葉は少女の冷たい声にあっさりと否定された。
葵は画面に視線を固定したまま、
「今の相手は全然凄くなかった。遅いし下手」
「……お」
どうやら彼女の目はゲームそれ自体よりも、戦いの内容を見ていたようだった。
「でもやっぱ、わかるんだな。流石だよ」
そして、そういう視点で見た場合……彼女の感想は、正しい。鋭一が今の相手を触れさせもせずに倒したのは、彼が強いのもあるが、相手の実力不足も大きかった。動きも鈍く、鋭一の誘いに乗って簡単に手を出してカウンターされるなど判断ミスもあった。実際、凄くなかったのだ。
サドンデスの短い試合の中で、それを読み取った。……葵の目は、確かだ。やはりきっと、彼女は「本物」なのだ。鋭一は嬉しくなった。
「よし。じゃあどんなゲームかはわかっただろうし……次は葵が、やってみない?」
実際それこそが、彼女を今日ここに連れてきた真の目的なのだから。
VRの操作感覚は、現実で体を動かすのとかなり近い。つまり現実であれだけ動ける葵ならば……絶対に、ゲームも強い。
鋭一はVRゴーグルと、四肢に装着するためのリングを掴み、正面から葵に手渡した。
ゲームに必要なのは基本的にこれだけだ。ゴーグルは当然、景色と音を感じるためのもの。四つのリングは言わばコントローラーのようなもので、両手首と足首に装着することで電気信号を読み取り、体を動かそうとするだけでアバターが動く仕組みを実現している。
「…………?」
葵は驚き、手渡された物体をまじまじと眺める。鋭一は葵にジェスチャーで促し、それらを装着させた。
「大丈夫。このゲーム、操作方法とかないし。体を動かそうと思った通りにアバターが動くから。『動かそうとするだけ』だ。実際に動く必要はないからな?」
「……戦うの、わたしが」
「その通り。アバターはサンプルがあるし、フリー対戦なら初心者も多いから、恐がらなくて大丈夫。ちょっと気楽に一戦やってみてよ」
言いながら、画面上のタッチパネルを操作してフリー対戦に接続する。ルール指定はサドンデスの一対一。
すぐに対戦相手が見つかり、戦場のローディングが始まった。
「本当はスキルとか、もうちょっとゲームっぽい要素もあるけど……今は気にしなくていいよ。とにかく目の前の相手をブッ飛ばしてくれれば」
「……ぶっ飛ばす」
「学校で見せてくれた動きを、もっかいやってくれれば良いからさ。目潰しだって本気でやって構わないぜ? そういうゲームなんだから」
その言葉に、葵がぴくりと反応する。
「……いいの?」
「いいさ」
「……ケガとか、しない?」
「しないしない。痛くもないし」
「そうなの……?」
「大丈夫だって。心配性だなあ葵は」
「じゃあ——」
「首も折っていい?」
「へ?」
突然、まるでレベルの違う残虐行為を葵は口にした。鋭一は即座に返事ができなかった。
「そりゃまあ、良……いよ」
鋭一は試合が始まる前に、一言だけを返すのがやっとだった。
ローディングが完了し、闘技場に二人の戦士が降り立つ。
「わかった」
葵はこくりと頷いた。画面の中のアバターも同じ動きをした。
[SUDDEN DEATH 1on1]
[READY]
[FIGHT!!]
そして――試合が始まった。
相手は両手にサラシを巻いた拳闘士。葵は何の変哲もない、デフォルトの道着を着た女性アバターだ。
対戦相手はボクシングスタイルの構えをとっていた。
軽やかなフットワークで体を右、左、再び右へ。
フェイントを交え踏み込みながら、目にも留まらぬジャブが放たれる。
当たれば試合が終わるその拳は、しかし、
葵のアバターの眼前でピタリと止まった。
——いや、違う。
相手の拳の射程ギリギリまで、葵がわずかに身を引いたのだ。
しかも体は引きながら、右手は前に出ている。伸ばされた指は二本。
拳闘士の動きが硬直する。眼球に指先が迫れば誰だってそうなる。目潰しに慣れている者などそうはいない。それがたとえ……VRの中であっても。
しかし当然それが、致命の隙となった。
——そこからは、様々なことが起こった。
葵の右手がチョキからパーに変わった。
目潰しは隙を誘うための布石にすぎなかった。
眼球よりも上に狙いが変化し、相手の頭を掴む。
同時、ジャブで目の前に迫っていた右拳を葵の左手がとらえている。
さらに相手の頭部と右手を手前に引き、鋭いヒザ蹴りを鳩尾に突き刺す。
そしてそのまま残った軸足で地を蹴った。相手の体が後ろに傾く。葵の体が浮く。
変則の投げ技だった。
葵は拳闘士の背中を地面に叩きつけながら、左手を強く引いて敵の右肩を壊しつつ、鳩尾に埋まったヒザを押し込み、頭部を掴んだ右手を捻って首を破壊した。
全てが、瞬きひとつ許されない重要な出来事の連続だった。
敵のHPが1から0に変わる。
減った数字はたったの1だが、今の技ひとつでいったい何度相手を殺しただろう。
決着と同時に敵アバターが爆発する。爆煙の中、葵が呟いた。
「できた……
瞬間、鋭一の全身は、同時に襲ってきた悪寒と興奮によって飲み込まれた。
「な……なん……っ」
思わず声が出たが、何と言っていいかわからない。
今のは何だ? どういう技だ? どうしてそんな動きができる? こんな技があるのか。目突きからこんな繋ぎ方があるのか。目突きから……ということは、
場合によっては、この技を食らってたのは、俺だったんじゃないのか——!?
「…………っ」
汗が噴き出した。想像しただけで寒気が背中を走った。
葵もまた、彼女なりの加減をしていたのだ。鋭一は優しく床に倒されただけだった。本当は『こう』できたのに!
これが……これが『暗殺者』。これが『人を殺すための技』。
鋭一は口を開いた。何かを言おうとした。だが感嘆の言葉を吐くのがやっとだった。
「すっ……げえ……!」
鋭一は身震いした。凄い……とにかく凄い。恐い。だが凄い。
出会った時、鋭一は彼女を「
まだ「プラネット」をやっていない人間で、これだけの実力者がいる。それは可能性だ。そう思った。
相対しただけで吞まれそうになるあの殺気は、デュエル・ルールの「Aランク」たちと同質のものだ。憧れの強者である彼らと同じ殺気を、こんな身近で見つけるなんて。もしかして葵なら……彼らにも、通用する?
鋭一は頭を振って正気を取り戻した。そして、ようやくゆっくりとゴーグルを外しにかかっていた葵に話しかけた。
「……なあ!」
葵は少し驚いたように、ぱちくりと瞬きした。ゴーグルが乾いた音を立てて床に落ちる。だが鋭一は
「ど、どう? 楽しかった?」
「うん。これ、たのしい……」
鋭一の勢いに少し押されながらも、葵は返事をする。その目はどこか遠くを見ており、まだ戦いの興奮が収まっていないようだった。
「おっ。良かった! なら、週明け……また月曜もやらない? いや無理にとは言わないけど、良ければだけど——」
「鋭一」
が、そこで葵は我に返ったように短く返した。鋭一の勢いがストップする。現実を思い出した葵の表情は、どこか不安げなものに変わっていた。
「鋭一は、今の技、こわく……ない?」
「え、そりゃ超怖いけど」
その言葉に、葵はビク、と反応した。悲しげに目を伏せる。
「う…………やっぱり」
だが鋭一の言葉は、そこで終わらなかった。
「怖いけど……でも、スゲーじゃん。やっぱカッコイイって! 暗殺者のファイター……これは
「…………!」
続く言葉は、賞賛だった。葵は驚き顔を上げた。今までに聞いたことのない、言葉だった。
彼女は俯いたまま、はにかむように笑い。鋭一の問いに、答えた。
「うん。じゃあ……またゲーム、する」
「よっしゃ」
——こうして。二人は週明けも一緒にゲームすることを、約束したのだった。
それどころか葵は、月曜は学校にも、一緒に行くと言い出した。
「こくはくされると、ずっと一緒にいる。漫画にかいてあった」
それが彼女の言い分だった。もちろん鋭一は承諾した。
驚くべきことに「野良猫」一色葵は確かに存在し、噂通りの美少女であり、恐るべき暗殺拳の使い手であり……間違いなく、鋭一の彼女であるようだった。
改めて認識すると、それは確かにちょっと、嬉しいことだった。
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