N2-5

 というわけで放課後。待ち合わせした校門で、二人は落ち合った。


「鋭一。行こう」

「ああ、お待たせ、一色さ……」


 ぴくり。鋭一の返事に、葵の右手が反応する。手の形は獰猛なピースサイン。


「あっ、ご、ごめん」


 危険を察知した鋭一は一歩下がりつつ謝る。しかしここは、人の往来も多い校門前だ。名前で呼ぶのは目立つので、鋭一としては避けたいのだが……。


「な、なあ……学校の中だけでいいから、名前で呼ぶのやめない……?」


 何だかいたたまれなくなった鋭一は、恐る恐る提案してみる。が、それに対し葵は

「む」と小さく頬をふくらませ、


「嫌」


 と一言。そして、ぷいとそっぽを向くと、先に歩き出した。明らかに不機嫌そうだ。


「……わ、わかったって。……葵!」


 慌てて、追うように鋭一は声をかける。こうなったら、直接聞くしかない。

 気になることがいくつかあった。「付き合い」を始めてなお、葵は謎の多い少女だった。


 普通にしていればおとなしい子で、恋愛などには疎そうにすら見えるのに、なぜこんなに積極的なのか。

 いくら一撃入れたとはいえ、鋭一の「こくはく」を普通に受け入れたのはなぜなのか。

 聞きたいことは色々あったが、いま差し当たって一番気になることといえば、決まっている。


「その、何で……苗字で呼んじゃダメなんだ?」


 普通、恋人であっても付き合い始めなどは苗字呼びもありえなくはない筈だ。しかしそれが葵にとっては、反射的に目潰しが出てしまうほどのタブーとなる。それは、なぜなのか。


 その質問に、葵は歩みを止めた。少しの間返事をせず黙る。

 ぐっと唇を閉じ、目を閉じる。どうやら即答できない質問らしかった。あるいは彼女なりに理由の整理がついていなかったのかもしれない。

 やがて少し経ってから、葵は絞り出すように答えた。


「私は、一色の技を全部は継げなかった……から」


 鋭一にはその言葉の意図するところは読み取れなかった。しかし葵はそれ以降何も語らなかった。


***


「あら鋭一くん、いらっしゃい。また女連れなのね」

「か、カオリさん」


 鋭一が葵とともにVRルームに入店すると、受付から話しかけてくる女性がいた。この店の店長である。


「当店は『個室』ですが、ルールを守って楽しくご利用くださいね。ええ、個室ですが」

「そこ強調しなくて良くないですか!?」


 カオリさん、と呼ばれた女性は暇つぶしの雑誌を置き、フッと笑った。長い髪を一つにまとめ、眼鏡もとても似合っている。一見して物静かな美人で店には隠れファンも多いのだが、口を開けば実は結構よく喋るという事実はあまり知られていない。


 彼女は常連である鋭一のことは以前から知っているため、既に打ち解けているのだ。プロになった後も見守り続けてくれている、姉のような存在でもある。


 ——なので、少々踏み込んだことも平気で言ってくる。


「鋭一くん、実家出てからロクなご飯食べてなさそうだったわね。良いお嫁さんを見つけてくれるなら、お姉さんも安心なのだわ」

「なのだわ、じゃないですよ! 話が早すぎる……」


「今なら、そうね。5号室が空いてるわ。愛の巣にはちょっと狭いかもしれないけれど」

「巣じゃなくて大丈夫なんで、早く会員証返してください」


 彼女は金曜日に、初めて鋭一が葵を連れてきた時もしきりにニヤニヤしていた。よほど面白いのだろう。


 一方、葵は会話に入れず鋭一の後ろに隠れている。もちろん、こんな会話には入りようもないだろうが……。ただ葵は、耳に入った単語を、復唱するように呟くだけだった。


「あいの巣……?」


 よりにもよって、その単語。鋭一はビクリと反応して振り返った。


「そういうのじゃないからね!?」

「そういうの?」


「そういうのっていうのは、その……言えないけど、そういうのじゃないから」

「あら二人ともかわいい。これはお姉さん、イロイロ教えてあげたくなってきてしまうわ」


 弁解する鋭一に、茶々を入れるカオリ。葵は首を傾けるばかり。


「遠慮します! 5号室でいいですよね。葵、行こう」

「うん」

「そう、鋭一くんもついに大人の階段を上ってしまうのね……」


 相変わらず話の早すぎる声から逃げるように、鋭一は個室に入った。


***


 二人は部屋に入るとドアを閉め、カバンを下ろす。ソファに座ると、ようやく静かになった。これでまともに話ができる、と鋭一が思ったところで……葵が先に口を開いた。


「……そういうの?」

「あっその話続いてるんだ!?」


 鋭一は狼狽した。密室でそういう方向の話題を振られると、もうどうしようもない。


「あのさ、葵。その……とりあえず安心してよ。へ、ヘンなことする気とか、ないし」


 鋭一にとって、女の子と付き合うというのは未知だ。葵のような可愛い子が横にいてくれるのは、そりゃあ確実に嬉しいけれど……どうすれば良いのかは全くわからない。


 が、ひとつ確かなことがある。たとえ勘違いから始まった関係だろうと、葵にプラネットをやらせたいという一点だけは揺らがない。


 初プレイであれほどの動きができる新人を、ゲーマーとして放っておけない。彼女は「上」を狙える原石だという確信があった。だから何としても、葵には覚醒者アウェイクになってほしかった。


 だから今日は、本格的にゲームを始めてもらうために、彼女をここに連れてきたのだ。

 葵は鋭一の言葉をわかっているのかいないのか、とりあえず今は少しうつむき、


「…………うん」


 と遠慮がちに頷くだけだった。


「ごめんな、勝手に今日も連れてきちゃって。嫌じゃない?」


 鋭一は一応、聞いてみた。微妙な反応だったらどうしようかと思ったが……葵は、


「ううん。……きのう、楽しかった」


 いつもより少しやわらかな声色で、そう言った。


「おっ。マジで!?」


 鋭一は思わずテンションが上がる。


「良かったよ、楽しんでくれてさ。どこが気に入った? 世界観? 操作性? 臨場感? やっぱ出来の良いゲームだからさ、良いとこも色々」


 自分の好きなゲームを紹介して気に入ってもらえるなら、こんなに嬉しいことはない。鋭一は興奮気味にまくし立てた。

 だが葵の答えは、少し予想と違った。



「首を折ってもいいところ」



 この時は鋭一が、疑問に首をかしげる番だった。


「…………首?」

「うん」


 鋭一は確認のために葵の顔を覗き込んでみる。

 この前の感触を思い出したのだろうか。葵は黒い瞳の奥をきらきらと輝かせ、もう一度言った。


「首を折っても、ケガしない。それはすごくいいこと」

「そ、そう……」


 よほどお気に召したようだ。なんだか物凄く物騒なことを言っているけれど、ゲームの中なら問題はない……だろう。

 とにかく、葵がプラネットをプレイしてくれるのだ。鋭一は気を取り直して、VR機器を起動した。


「……まあ、じゃあ。折角やるわけだから、今日は自分のアカウントを登録しようか」


 鋭一は部屋の中央に陣取るディスプレイを示した。起動した画面には、新規登録のメニューが表示されている。


「まずは名前を決めるんだ。それからアバターを作る。プレイするだけなら金はかからないから安心していいよ。で……名前どうする?」

「アオイでいい」


「そっか。じゃあキーボードで入力して」

「キーボード」

「? ああ、そこにあるだろ」


 葵は目の前のキーボードを見つめると、一度深呼吸をした。


 さらに両手を高く掲げ、大仰に構える。何かの殺人技でも出そうな勢いだ。彼女は目を皿にして「A」のキーを探すと……左手の人差し指で「えい」と突いた。「ふう」と一度息をつく。そして再び両手で構えると、今度は「O」のキーを探し始めた。


 人間の眼球はノールックでも突けるが、キーボードはそう甘くないのである。


「………………マジか」

「いま集中してるから話しかけないで」

「いや、ごめんわかった。俺がやる」


 言いながらの0.2秒で、鋭一は「O」と「I」を片手で打った。


「!?!」


 葵は信じられない、といった顔で鋭一を見る。手品でも見せられたかのように二、三度、ぱちくりと睫毛まつげが往復した。


 信じられないのはこちらだ、と鋭一は思った。……まあ、ここから先は全てディスプレイのタッチパネルで操作できる。問題はないはずだ。気を取り直して説明を続ける。


「じゃあ、いよいよアバター……ええと、画面の中で戦う自分のことだけど。それの設定といこうか。性能と、デザインとな」

「……うん」

「アバターは素の状態でも全然まともに戦えるんだけど……そこに三枚のカードをセットして、性能をある程度変えられるんだ」


 画面上に赤、青、緑の三種類のカードが表示される。

 赤のカードにはP、青にはS、緑にはTの文字が刻まれており、それぞれパワー(腕力と耐久力)、スピード(速度と反応、隙のなさ)、テクニック(技の精度や受け身、姿勢制御)を示している。


 ここから合計三枚までアバターにセットすることで、性能を強化できるというわけだ。


「スピード2にパワー1あたりがメジャーな構成だけど、パワー3とかもロマンあるよね。初心者にはテクニック振りもオススメかな。何か希望ある?」

「……よくわかんないから普通でいい」


 葵は静かに画面を凝視しながら言った。もしかすると、戦う自分自身のパワーやスピードが変化するというのがまだイメージし辛いのかもしれない。そのあたりは、追い追いわかっていけば良いだろう。


「じゃあ、とりあえず全部一枚ずつにしとこう。誰に対しても極端に不利にならない、オーソドックスな感じな。変えたくなったら、いつでも変えられるから」


 鋭一はディスプレイを示し、葵に三枚のカードを一度ずつタップさせた。プラネットは文字入力などを除けばタッチパネルのみで操作できるので、そこは幸いだった。この部分をこんなに幸いだと思ったのは初めてだが。


「よっしゃ。カードが決まったらいよいよ〈スキル〉を……」

「鋭一」


 このゲームの醍醐味と言える部分の説明に入るべく鋭一が鼻息を荒くしたのと同時。葵が真横の鋭一に向き直り、腕を掴んで引いた。


「戦いはまだ?」

「……えっ」


 そう言って彼女は困った瞳を鋭一に向けた。隣に座った女子がこちらを向いて前のめりになっている景色は、かなりの威力があった。

 おまけに腕を引き寄せられたものだから、鋭一の肘は今、葵の心臓の手前に当たっていた。思わず息が詰まる。


「はやく戦いたい」


 欲求のままに戦いをねだる葵はまさに玩具を欲しがる子供だった。表情と声は幼児のようにあどけなく、しかし、その体がどうしようもなく女の子であることを鋭一は知っている。特に、上半身についてはよく知っている!


「わ……わかった、スキルの話は今度にしよう!」


 肘先に感じた恐るべきやわらかさに、慌てて腕を戻しながら鋭一は説明を見送った。

 同時に、少し反省した。システムの説明で飽きさせてしまっては何の意味もない。これはゲームだ。すなわち、まさしく子供の求める玩具であるべきなのだ。


 鋭一はなんとか呼吸を落ち着け、指を立ててみせる。


「でも……戦う前に、あと一個だけ! 大事なことなんだ。これだけやらせてほしい!」

「む」


 ほんの少し口を尖らせた葵に、鋭一は再び画面を示した。スキル設定の画面をスキップすると、道着を着たデフォルト女性アバターの全身図が表示された。


「アバターの……見た目を決める!」


 葵は視線を画面に戻し、アバターを見た。当然ながら、初期設定のアバターには特徴と言うべきものがなく、いかにも地味だった。


「どうせだからさ、カッコいい姿で戦おうぜ? 絶対そのほうがテンションも上がると思うんだけど。どう?」


 葵はしばらく自分のアバターと、画面横に「デザイン例」として載っている様々な衣装のサンプルを見比べた。

 そして少し考えてから、こくりと頷いて、


「……わかった」


 と言った。


 それから少しの間、鋭一の説明を交えながらアバターのデザイン作業が行われた。顔の輪郭に始まり目、鼻、口、眉毛に睫毛、髪色に髪型、体型、そして服装。タップした箇所を自在に変更できる。


 プラネットのアバターデザインは圧倒的なバリエーションを売りにしている。課金パーツを購入しなくても個性を出すことは十分に可能だ。


 ある程度操作がわかると、葵は一人であちこちをいじり始めた。校則通りきっちりと制服を着こんだ姿からは想像しづらかったが、思った以上にこういったことにも興味があったようだ。


「……できた」


 やがて完成した「アオイ」は、黒を基調としたコスチュームを身にまとっていた。上半身と下半身はセパレートした形になっており、意外と露出が多い。所々フリルがあしらわれ、ミニスカートの腰回りにはぐるりと囲むようにリボンが巻かれていた。


 思った以上に凝っていて、そして可愛らしいデザインだった。


「どう」

「……すげえイイじゃん」


 鋭一は素直にため息を漏らした。


「凜々しい顔もいいし、服も、かわいい……。こんなセンスあったのかよ」

「ほめられた」


 鋭一が驚くと、葵は口を少し自慢げに緩めた。プラネットの、戦闘以外の部分も楽しんでもらえたようで好ましい。


「ていうかさあ」

「?」


 どうやら葵の機嫌も直ったようなので、鋭一はもう一つ感想を言いたくなった。

 少し、言おうか迷ったが……いや、このアバターを見せられたら当然そう思ってしまうだろう。言っていいはずだ。


 作られた「アオイ」の顔には一箇所、特に目を引くところがあった。少女の頭部には、一対の耳が生えていたのだ。そう、それは彼女が学校で呼ばれているのと同じ。


 ……猫の耳だった。


「『野良猫』ってあだ名、実は気に入ってたんだな?」

「…………!」


 この直後、鋭一は本日何度目かの目潰しを紙一重でかわし、頬にかすり傷を作った。

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