N2-4
少しして二人は、目的地に到着した。
行き先は学食だ。鋭一としては、教室から引きずられて行く予定ではなかったが……。
鋭一はここでパンを買って昼を済ませることが多い。しかしいつものことだが、学食は異常な大混雑だった。
ここは生徒たちから「昼の満員電車」「ネズミの遊園地」「ちょっとした渋谷」などと呼ばれるほどの地獄。この弱肉強食のサバンナで狙ったパンを買うのは至難の業であり、百戦錬磨の経験と勘がモノを言う世界と言われている。
鋭一が今日もまた覚悟を決めて戦場に飛び込もうとしていると、隣から声がした。
「……鋭一は、どのパンが欲しい?」
「ん? ああ、今日はカレーパンと板チョコパンにしようかなって」
「まかせて」
葵はそう言って、いつものクールな表情のままサムズアップした。
どことなく、かっこ良い感じだ。もしかして良いところを見せようとしてくれているのだろうか。
「でも、あ……葵、学食は慣れないうちは無茶しない方が……!?」
鋭一は止めようとしたが、横を見ると、既に葵の姿はそこにはなかった。
一瞬、完全に見失う。鋭一は目をこらし、人混みの中を探してみる。すると……発見した。せめぎ合う人の群れの間を縫って、小さな頭がするすると進んでいく。
周囲の人間は気付いている様子もない。鋭一も、俯瞰しなければわからなかっただろう。葵は、一切の気配を遮断しているのだ。足音すらしない。
既に狙いのパンは確保しているようだった。あっという間に葵はレジに到達した。鮮やかな手際であった。まるで一陣の風がパンだけをさらっていったようだ。葵は会計すべく、パンをレジの台に載せる。
だが、そこまでだった。
「……あの」
葵はレジに声をかけた。ひょこひょこと小柄な身体が上下する。
……しかし、レジのおばちゃんに、気づかれない!
あまりにも無慈悲な現実であった。レジにはひっきりなしに学生が押し寄せる上、葵は気配を消している。『相手に気づかれるようじゃ、暗殺者としては二流だから』……本人の言葉である。
葵は一流であるがゆえに、パンを買えないのだ!
「あの、パン……」
葵はしばらく粘って会計しようとしたが、いっこうに会計できる気配はない。
やがて三十秒ほど経ったところで、彼女は小さな身体をしゅんとしぼめて肩を落とし、後ろを見た。
「……鋭一。どうしよう」
「えっ……」
「今日こそうまくいくと、思ったのに……」
「もしかして毎日こうなのか……?」
鋭一の言葉が聞こえたのか、葵はかくんと頭を落としてうなだれた。このままでは、あまりにかわいそうだ。
「——よし。後は任せろ」
鋭一は意を決した。人混みをかきわけてレジに到達し、葵からパンを受け取って会計し、そこから葵を引っ張って強引に人混みを離脱した。救出された葵は、どこかぼーっとした視線を鋭一に向けた後、彼の袖をぎゅっと掴み、うつむきがちに呟いた。
「……ありがと」
「いやいや。パン、確保してくれて助かったよ」
こうして二人は予定外の連携プレーで、なんとかパンを買えた。鋭一は困ったように頭を掻きつつ思う。この子は凄いのか、ポンコツなのか……いや、きっと両方だ。
***
「はー、食った食った」
「……ごちそうさま」
校舎の屋上に出る手前の階段で、二人は買ってきたパンを食べ終えた。
普段なら鋭一が一人で食べている場所だ。狭くてほんのりと薄暗い階段は、一人で座るのと隣に女の子がいるのとでは大分違う。距離が近い。葵の体温が空気を介して感じられ、あたたかい。緊張のせいか正直、パンの味はあまりわからなかった。
葵はパンの袋を丸めると、スカートのポケットから小さな包みを取り出した。
彼女は大事そうに包みを破り、中身にかぶりつく。個包装の
「煎餅……好きなの?」
「うん。わたし、これ好き」
鋭一が聞いてみると、葵は頷いた。女子高生としてはやや渋い気もするが、なんとなく似合ってはいる気がする。何より、おいしそうに煎餅をかじる葵は小動物のようで愛嬌がある。
「鋭一は、好きな食べものある?」
「えーと……カレーとかかなあ」
すると今度は、葵からの質問が始まった。
「鋭一は、テレビは見る?」
「うーん、夜は他のことしてるし、あんま見ない……かな?」
「鋭一は、好きな科目とか、あるの」
「えっ。何だろう……。どうしよう、ない気がするぞ」
しかし葵は熱心に色々聞いてくるのだが……話が、続かない!
つくづく自分はゲームしかない人間なのだ、と実感する。世間話すら続かないとは我ながら大したものだ。
そしてパンを食べ終えたことにより、ついに手持ち無沙汰になってしまった。昼休みはまだ半分も残っている。葵は特に退屈そうにしているわけではないが、これでは鋭一のほうがいたたまれない。
「鋭一は、いつも昼休み、何してる?」
「そ、そうだな……ええと」
鋭一は藁にもすがる思いで答えを探した。そこで一つ、ピンときた。これは良い質問だ。鋭一にも答えられるものがある。
「ゲーム……かな?」
そうだ。それが、毎日ここで一人パンを
平田鋭一はゲームの息抜きにゲームをするような男である。プラネットはVR機器のある場所でしかできないが、学校でもできるスマホゲーは、空き時間にも何かと重宝する。昼休みは、そうしたゲームで鬱憤を晴らすに限るのだ。
「ゲーム?」
「これとか、初心者でも触りやすいと思うけど」
葵が復唱する。鋭一はスマホを取り出した。まず起動したのはパズルゲーム。様々な色のついたボールを動かして消していく単純なものだ。
「ほら、こんな感じで……やってみるか?」
軽くお手本を示した後、鋭一は葵にスマホを渡してみた。すると葵はせわしなく、指を上下左右に動かし始める。
「! ……すごい、すごい」
葵は存分に楽しんでいた。……ボールを動かすのを。鋭一は横から見ていたが、ついに一度も、色が揃って消えることはなかった。画面にはタイムアップの表示。スコアは驚異の0。
「たのしかった」
「……別のにしようか」
ふんふんと鼻息荒く言う葵を見つつ、鋭一はゲームを変えることにしたのだった。
……しかし、葵にちゃんと「ゲーム」を楽しんでもらうのはなかなか難しい。
例えば、RPGはシステムが理解できない。
「なんで攻撃、一回でやめちゃう?」
「いや、今は敵のターンだから……」
こちらのターンの間、律儀に待ってくれている敵を相手に一発しか攻撃しないのは、彼女にとってはありえないことのようだった。葵は首を横に倒して不満そうにしている。
「わたしなら今の隙で倒せるのに」
昨日見た『奥義』を思い出す。彼女なら本当に、やるかもしれない……。
「うーん。ホントにゲームのことはサッパリなんだなあ。いつも、何して遊んでるの? 友達とかとさ」
鋭一は率直な疑問をぶつける。が、その質問に、葵は少し……顔を曇らせた。
「お友達、その、あんまりいない…………」
「あっ、ご、ごめん! ホラ次、次のゲームいこう!」
不穏な雰囲気を察した鋭一はすぐに別のゲームに移った。
続けていくつかのジャンルを紹介する。中でも唯一、葵がクリアできたのは……リズムゲームだった。
落ちてくる玉が、女の子の顔が描かれたアイコンに重なった瞬間にタップするゲームだ。直感的なので操作も難しくない。
葵はスマホを床に置き、大仰に両手を構えて深呼吸した。
「……いつでも大丈夫」
力の入った声でつぶやく。そして曲が始まると、シュバシュバと両手を動かして譜面をこなしていった。まるでスマホに貫手の連打を打ち込んでいるようだ。画面の中の「100コンボ」の文字が、鋭一には違う意味に見えてきた。
『CLEAR!!』
「……やった」
葵は満足げに息を吐いた。そして、こう言った。
「全員殺した」
「殺してないよ!?」
アイドルの夢いっぱいなステージが血みどろの殺人現場に変貌した瞬間だった。
鋭一は説明せねばならなかった。女の子の顔をタップするのは、別に目潰しをしているワケではないのだ……。
「まあ……なんだ」
鋭一はため息をついた。楽しそうに体を動かす葵を見て、思ったのだ。やはり葵に一番向いているゲームは『アレ』しかないと。
それは鋭一としても、望むところだった。
「殺せるゲームは、放課後にやろうか」
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