8-2

 天野あまのあかりは他人ひとに憧れない。

 彼女が憧れるのは――「理想のアカリ」に対してだけだ。


 理想のアカリは何しろ凄い。全身が輝かんばかりのまばゆいルックス。一挙手一投足が愛嬌に溢れ、が手を振ったり、ウインクしたり、投げキッスするたびに周囲の人々は魅了され、癒され、元気になる。


 彼女は歌もダンスも、アクションさえこなす。ルックスやキャラクターで愛されるだけでなく、クオリティでも見る者を唸らせる存在だ。

 キャラクターが愛されるからこそクオリティを見てもらえ、クオリティで魅せるからこそキャラクターが愛される。

 美と質を両輪として君臨する存在。


 ……と。単にアイドルとして天下を取るならば、ここまででも十分すぎるところだろう。だが、あかりとしては「理想のアカリ」にもう一つ、求めたいものがあった。


 それは、強さ。


 最高に可愛くてカッコいい女の子に、強くあってほしい。何も不思議な願望ではない。これまでも数々のフィクションで描かれてきたヒロイン像だ。

 守られているだけではカッコがつかない。自らの力で、立ちはだかる者を打ち伏せる。その時、少女は「完璧」に辿り着く。


 まさに理想。

 この完璧な偶像アイドルこそが、あかりの目指すべきものであり、そのビジョンは明確に見えている。だから、彼女が他のものに憧れる必要はない。


 憧れは、人を自らの上に置く行為だ。そんな事をしていては、あかりは「アカリ」に辿り着けない。どれほど素晴らしい存在が目の前に出てきたとしても、一番上は「アカリ」だ。

 だから、彼女も認める尊敬すべき他人が現れた場合は……全て「ライバル」ということになる。


 そんなあかりが、引き寄せられるようにプラネットに参戦したのは必然と言えるだろう。


 最も綺麗で、歌もダンスも上手いアイドルになら、なれる可能性はある。

 だが可愛くてカッコよく、かつ「最強」というのは現実の肉体では厳しいものがある。そのくらいは夢見がちなあかりにも分かる。


 だが、VRでなら、なれる!


 最高で最強の美少女。そんな規格外の存在も、ここでは許される。

 すべてを備えた完璧な「理想のアカリ」が、手の届くところにいるかもしれない。しかも、ただ彼女を「見る」のではない。「なれる」かもしれない。


 そうなればあとは、やる事はひとつだ。



 * * *



 ツインテールに束ねた栗色の綺麗な髪。

 フリフリの、ラメ入りミニスカート衣装。

 短いスカートからスラリと伸びる素足はもちろん、ノースリーブの上半身から伸びる白い腕すらも艶めかしい。


 身体のパーツひとつひとつを吟味し、修正に修正を重ね、プロポーションは完璧。自由にアバターの見た目を決められるプラネットにおいても最高傑作と呼ばれるデザインのひとつ。言うなれば生きたフィギュア。もはや芸術品。


 それが「Twinkle★AKARI」だ。


 が、その美しさは人気には結びついても勝敗には一切関係が無い。

 見た目に騙される覚醒者アウェイクが戦える領域はとうに超えた。


 [READY]


 ジャージ姿の少年アバター、A1はいつもの構えを取る。

 両肘を強く引き、上半身を前傾。


 対するアカリは片足を持ち上げ、右手を前に出して掌を相手に向ける。

 ただでさえ短いスカートがますます際どい。

 扇情的なポーズのまま、ウインクをひとつ。それとほぼ同時。


 ――[FIGHT!!]


 開戦の合図があった。


 A1が構えを維持したままフットワークを開始する。

 アカリも上げた脚を下ろし、小刻みに間合いを計る。

 両者は互いの隙を探し、あるいは隙を作るべく無言のやりとりをする。


 ――「キミの初撃はじめて、頂いちゃうぞ?」


 試合前にアカリはそう宣言した。

 未だ誰にも破られた事のないA1の初撃。あのアオイですら初見では攻略できなかった「サドンデス王者」から、彼女はいかにして先制を取ろうというのだろうか? 果たしてそのプランとは?


 ……結論から言えば、そんなものはない。


 勢いで言ってみただけだ。何かそれっぽい台詞を思いついたから口にしてみただけだ。対戦相手にも火がついたようだったし、観客も盛り上がった。アイドルとしては、それで正解だったのだ!

 とはいえ、それを実行できるかは別の問題である。


(あはは……ヤバーイ)


 アカリは思った。


(何コイツ、全然隙なくない? すげー困るんですけど。ちらっとでいいから何とかなんないの? 隙チラしてよ隙チラ)


 とも思った。

 ……だが。


(はあーあ。結局いつものパターンかあ。しょーがない。頑張るしかないよね)


 彼女は呼吸を整え、前を見る。


(コイツを……どうすればいいか)

(今から)

(考える)


 それができるのが、アカリの強みだ。

 A1の初撃を攻略するという「理想」は描いた。口にも出した。あとはそこに自分を追いつかせる。今までもずっと、そうやって前に進んできた。


 理想を現実にする。そのためにはどうすれば良いか。

 相手をよく観察する事。そして頭を回転させて、考える事。


 牽制を織り交ぜて小刻みに動きながら時間を稼ぐ。

 その時間で彼女はA1の構えを上半身から下半身まで舐めるように見る。

 時間にして数秒。アカリはそれだけの猶予で考えて考えて、考え――


「……オッケー★」


 ひとつの答えに辿り着いた。

 ちろりと舌を出して唇を舐め、右手を短く振りながら指をスナップする。


 ――<サウンド>。


「よしっ! みんなーーー! 本日三度目のライブ、始めるよっ」


 流れ出す『虹色Sub-Mission』。観客を煽り、相手を挑発するように手を振って見せる。ここまで隙を見せても、カウンタースタイルのA1はまだ踏み込んでこない。だが、多少は焦れてくれただろうか。


「さて、なかなか来てくれないオクテな君には……」

「…………。」

「こっちからアプローチかけてあげないとね」


 そもそもBGMというものの与える影響は大きい。飲食店がムード作りに用いるのはもちろん、電器屋などでは購買意欲を煽るように、あからさまに明るい曲調のテーマソングが流れている。


 では戦いの場で、対戦相手の持ち歌が流れているこの状況はA1にとってどうだ? おそらく、ストレスになる(本当は魅了されて欲しいが)。

 同時に、自分自身は気分が高揚する。このスキルにはそのような戦略的意図がある。

 そして、何よりも……


「いっくよー! いち! にー!」


「さ」


 戦いのリズムをコントロールできるようになる。これは大きな利点だ。

 曲のテンポとズレたタイミングで、アカリは大きく前へ踏み込んだ。

 その姿勢は……前傾。


 両腕は後ろにピンと伸ばし、顔面だけを相手の前に晒している。A1と同じように。これが短時間で彼女の出した「答え」だ。


「…………!?」


 A1がほんの一瞬だけピクリと止まる。流石に驚いたようだ。アカリはサブミッションを武器としている。タックルならば両手は前に出るはずだ。

 だが、止まったのは一瞬。

 彼のする事は変わらない。突撃するアカリの視界は、すぐに閃光の白に塗りつぶされた。<フラッシュ>。


 ――読み通りだ。

 A1のヒットアンドアウェイ戦法は完成されているが、極端にパターン化されている。つまり、次に何をするかが予想しやすいのだ。閃光による目潰しが決まれば、その後は? 考えるまでもない。


 アカリは顔面に風圧を感じた。A1の掌が迫っている。<フラッシュ>の後は掌底だ。これは決まっている。

 そして今の体勢のアカリを狙おうと思うなら、顔面しかない。これも決まっている。

 では、アカリはどうすれば良いか? 決まっている!


 アカリは前進をやめず、首から上を横に倒した。迫る掌が顔面にぶつかる事はなく、風圧が頬の真横を通り過ぎる。

 この攻撃をかわすのに、視力は必要なかった。


「やっと、近づけた♥」


 アカリはついに、A1の懐に入った。視力が回復するにはもう少しかかるが、この至近距離ならば問題はない。

 ここで彼女は腕を前に出す。胴体に抱き着いてタックルを決め――


 しかし、その両腕は空を薙いだ。


「――あれ?」

「危なかったよ」


 少年は思ったよりも離れた位置にいた。

 答えを知ってみれば、何も難しい事はなかった。A1は<フラッシュ>でアカリの視界を奪いながら、見えないうちに一歩退いていたのだ。彼はスピードに3振っている。緊急回避も機敏にこなす事が可能だ。


 アカリがかわした掌底はフェイントだった。A1は突き出した左腕を戻しながら身を捻り、今度は右手で、相手を横から打つような掌底を繰り出した。するとどうなるか。これもまた……決まっていた。


 アカリの左肩に衝撃が走る。鮮血のエフェクトが飛ぶ。三分の一ほども削られたHPに驚きながら、彼女はそれでもさらに踏み込もうとする。

 だが、遅い。


 A1の<ショートワープ>が発動した。今度こそ少年は、手の届かない位置へと離れてしまった。彼は構えを取り直しながら、不敵に笑う。


「悪いな。初撃これだけは、簡単にやれないよ」


 少年の掌で、鈍く光る何かをアカリは視認した。それは彼の新たなヒットアンドアウェイ・スタイルの要と呼べるものであった。


 初撃においてA1は無敵である。そして一撃決めるごとに仕切り直し、常にサドンデスのような戦いに持ち込む。この戦法は確かに彼の強みを活かせているが、問題もあった。

 それは試合が長引き、何度も同じやり取りをしていれば、アオイのように対応できてしまう相手もいるという事だ。


 それを解決するために必要なのが、一撃の重さだった。勝利までに必要な攻撃回数を減らせば、よりこのスタイルを活かす事ができる。

 だが、掌底の威力を上げるのは簡単ではない。慣れているスピード3振りを捨ててパワーに振るのは、かえって危険だ。

 アオイに教わるなどして一撃の疾さと重さは鍛えてあるが、それでも足りない。最終的には、スキルに頼る事になった。


 ――<武具:暗器>。


 掌底の形を取るA1の指の間に挟み込まれているもの。それは極小の刃物である。<武具>は射程の長いものほど威力を制限されるが、この暗器はせいぜい刃渡り5センチ。これなら十分な硬度を確保できる。


 既に<フラッシュ><ショートワープ>を使用していたA1のスキル装備枠は、これでもう一杯だ。だがこれでアバター構築が完成した実感があった。今のA1は、三度の交錯で確実に相手を仕留める事ができる!


(ホント、スキルの使い方に関しては……かなわないよな)


 これには珠姫のアドバイスもあった。彼は心中で、雇い主兼、トレーナー兼……そして、優れたゲーム仲間でもあるクラスメイトに感謝した。


「あはは……マジで」


 アカリは自らが置かれた状況を理解した。思っていた以上に厄介な、目の前の相手。HPを見れば明らかだ。同じことをあと二度繰り返せば……自分はここで終わる。


「おいおいおいおいおい」


 それは絶対に嫌なことだった。


 彼女は打たれた左肩を押さえ、わずかに震えた。深く呼吸し、息を整える。A1が構えを取ったまま、徐々に近づいて来る。次の交錯を、始めようとしている。


 考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。

 美少女アバターの顔は徐々に笑顔を失い、その眼差しは真剣な戦闘者のそれへと変化していった。


「……冗談じゃないわよ」

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