8-3

「うおーっ! マジで? 今のは行けると思ったけどな。タイミングも悪くなかったのに! やっぱうぜーなー、A1」


 実況席の安田は、試合の様子を映すディスプレイに向けて興奮気味に身を乗り出した。一回戦あたりでは乗り気でなかった彼も、目の前の熱戦につい当てられてしまっている。


「……Z選手、君にはリアクション要員ではなく解説者としてギャラを払ってるんだが」

「ん、ああ」


 すっかりギャラリー目線になっていたのを金谷に咎められ、安田は浮かせた腰を落とす。ちょっとくらいいいじゃねえか、と悪態をつきながらだが。


「つまりだな……フラッシュだのショートワープだのはあるけど、そもそもA1の強みは見切りが上手いのと、見てからの反応の速さだ」

「君なら何とかできるのか?」

「まー、初撃取るのは難しいな」


 安田……ランク1位プレイヤー「Z」はそう即断した。A1の立ち回りはそれ程のレベルに達しているという事だ。

 事実、隣で話を聞いている7位「ゴールドラッシュ」ですら、このA1から先制を取る事はできなかったのだ。


「でも、そうだな。あんま直接的なヒント言うとアレだけど。今ここで対抗する手がないわけじゃないさ」

「というと?」

「……これはサドンデスじゃない、って事だ」


 安田はこれ以上言うことはない、という風に頷いた。

 金谷も顎に手を当て、応えるように頷く。


「ふむ……いや、十分だ。あの子ならそのくらいは気付くだろう」

「アカリちゃんか?」

「ああ。この私が雇ってるプレイヤーだぞ? そもそも収支が黒字にならないようなら、始めて一か月そこらの人間を大会になど出さないさ」


 金谷は眼鏡の位置を直しながら、ディスプレイに目を移した。


「――彼女は天才だ」



 * * *



 両肘を引き、前傾した構え。姿勢を維持したままA1がじりじりと迫る。


 サドンデス界隈におけるA1は、間合い取りの名手とされている。絶妙な距離を保ち、焦らし、ここぞという時に接近して相手に攻撃を「打たせる」。わかっていても、無防備な顔面を目の前にチラつかされると攻撃してしまう覚醒者アウェイクは多い。彼らはそれゆえに、A1のカウンターの餌食となる。


 アカリは対抗するように構えをとった。試合前に見せた扇情的なポーズではない。身を低く、両手は前に。レスリングに近い構え。彼女は思考を続け……既に次の手を決めていた。


「まったく……結局、はしたない構えを取んなきゃいけなくなっちゃったじゃん。責任取ってよね?」


 会話を仕掛けてみる。A1の返事はない。簡単には乗ってくれないだろう。

 そもそもアカリはゲームに登録してまだ一か月程度。最初の一日はアバターの見た目を決めるだけで終わってしまった。経験に差があるため、戦場における駆け引きで優位に立てると思ってはいない。


「キミ、やっかいだよマジで。だから今日はトクベツ」


 それでもアカリが言葉を止めないのは、自分のリズムを作るためだ。戦いの中で二人の間に流れる呼吸や、間というもの。互いに無言ならば、経験の長いほうがそれを掌握するだろう。アカリはそれをさせない。


「――あたしの新技はじめて、キミにあげちゃう」


 誘惑するような口調でアカリは宣言した。妖艶な語尾と裏腹に、彼女の目の奥に油断ならぬ光が宿っているのをA1は見逃さなかった。

 アカリはわざと、A1に見せつけるように右手を前に。親指と人差し指、中指を何かを摘まむような形で集合させる。


 そして指を――スナップ。

 <サウンド>が、消えた。


 A1はつい一瞬、身をこわばらせた。大音量で流れていたBGMが突然途切れれば、コンマ1秒くらいは反応せざるを得ない。

 そのタイミングで、アカリは動き出していた。斜め前へ踏み込んでいる。


「…………っ!!」


 慌ててA1はアカリへ向き直った。まだ多少の距離がある。アカリは右へ左へ軌道を変えながら、稲妻のように迫る。

 懐に入られるのが一番まずい。掌底の間合いで迎え撃つ必要がある。アカリが近づく。A1の間合いまで残り三歩。二歩。一……


 ここでA1は<フラッシュ>を発動しようとした。すぐに掌底も出せるよう、二の腕に力もめていた。

 が、A1はそこで踏みとどまる。


 アカリの前進が突然、止まった。

 その瞬間にA1はフェイントの類か、と判断した。<フラッシュ>は連射が効かない。無駄打ちはできない。だから使わなかった。のだが。


 止まったアカリはピクリと身体を硬直させ、つまずいたかのように慣性で前方にぐらつく。

 そこまで見て、A1は即座に己の誤りを悟った。使用前に身体の硬直するスキルを彼は知っていた。


 ――<ショートワープ>!!


 アカリの姿が消えた。一瞬後に彼女が現れたのはA1の眼前1センチ、頬が触れ合いそうなほどの距離。彼女の、愛嬌と知性と殺気が混在する瞳と目が合った。ドキリと心臓が跳ね上がった。


「……いただきます♥」


 彼女はそのままの勢いで、A1の右腕に抱き着いた。


「この――ッ」


 A1は持ち前の反射神経で、左の掌底をアカリの背中に叩き込む。だが、遅い。彼女は止まらない。

 手首を掴まれる。肩を抑え込まれる。肘関節が――あらぬ方向に曲げられる。右腕が、壊された。

 そう。相討ち覚悟ならば、A1に致命傷を与える事は可能なのだ。この試合は、サドンデスではないのだから。


 相手が近くにいるうちに、A1は背中に二発目を叩き込もうとした。アカリはそれを悟ってか、そのまま彼とすれ違うように前進しその場を離脱する。


 ショートワープ・タックル。いかな見切りの達人といえど、見えない移動は見切れない。

 アカリの新技は、間合いというものを無視する恐るべきものだった。



 * * *



「は? スポンサー?」


 最初に「ゴールドラッシュ」から打診を受けた時、アカリは乗り気ではなかった。


「いや……ちょっと恐いんですけど。誰よこの縦縞スーツ。ゲーム始めて一週間で、突然現れた謎のメガネマンがお金くれるから仲間になれって? メチャクチャ怪しくない?」

「よ、よくもまあスラスラと……」


 返された長台詞に、ゴールドラッシュはアバターの眼鏡を直しつつたじろいだ。


「そりゃー、あたしのような美少女とお近づきになりたいのは分かるけど。何が目当て? デート?」

「君はそこまでタイプじゃないから安心してくれていい」

「はぁ? 何よ失礼ね。じゃあ何? 目的がわかんなきゃ信用できないわよ」

「……華のある選手が欲しい」


 彼はわざとらしく手を広げ、


「ウチには一人バカ強いのも居るが……あれは覇気がない。もっと見栄えする、広報活動にも使えるような覚醒者アウェイクが欲しいんだ。もちろん相応の実力はある前提で、だが」

「ふうん」

「何試合か見せて貰ったよ。君はこれから伸びる。申し分ない」


 このように言い切った。だがアカリは訝しげな目を向ける。


「わかんの? そんな事。あたし、歌って踊れて超絶美少女な他はドシロートなんだけど」

「……君は口が回るな。頭の回転が速いのは、見ていてわかる」


 ゴールドラッシュは顎に手を当ててアカリを観察した。己の見立てが間違っていなかった事を確認するかのように。


「戦った相手の戦法に、ほぼ一回で対応できていたね? 思考型のファイターだな。戦えば戦うほど強くなる」

「……そりゃどうも」

「私は経営者だ。君に出資して赤字だと思うならこんな話はしない」


 初見ではチャラく見えたスーツの男は、話せば話すほど真剣だった。慣れない賞賛にアカリは徐々に押され始めていた。

 最高で最強のアイドルを目指す! と豪語するアカリは、周囲からは「夢見がちで現実を見ていない」「頭は良いのに勿体無い」と評されてきた。

 ここまで人に認められるのは、初めての事だった。


「自分で気づいていないようだから、私から言おう。その思考力と学習能力。君は……一種の天才だ」



 * * *



「なあ社長、なんで俺をエントリーしたんだ?」


 いつのまにか大会出場者に登録されていた事を知った鋭一は、すぐに珠姫に問いただした。


 昼休みの学食である。二人は同じクラスであり、さらに最近は隣のクラスから葵も連れて三人で食事を取る事も多かった。

 葵はスプーンを掴み、目の前のオムライスを黙々と減らしている。

 珠姫は菓子パンの封を破きながら鋭一に言った。


「そりゃ、活きがイイからだよ」

「なんだよ活きって。海産物じゃねーぞ俺は」

「陸のものだって新鮮さは重要よ? まあ、要するに勢いがある成長株って事。売るなら今だよね」


 鋭一は唐揚げを飲み込みつつ彼女を見た。いつも通り、自信に溢れた経営者の目だった。


「言っただろ、俺まだ練習中なんだよ。こないだみたくクローズドならともかく、いきなり大会ってのは……」

「鋭ちゃん」


 渋る鋭一を珠姫は遮った。挑発的に片目をつむり、脚を組み替える。人を口説き落とす時のポーズだ。


「あたし、商売人だよ? 損得勘定はしてるつもり。可能性のない奴にやれとは言わない」

「その可能性ってのは、高いんだろうな」

「前々から言ってるでしょ? 鋭ちゃんは本来、あたしより強いと思ってる」


 これだ。彼女はさらりと、こういう事を言う。


「サドンデスで勝てる地力がある。デュエルで戦う戦法もある。それをちゃんと自分の頭で考えて、向上してる。それってさあ……」


 女子高生社長はペットボトルの紅茶を一口飲み、


「才能でしょ。向上の才能。サドンデスの王者に安住しないで、しっかり上を目指してくれる。だから、あたしは君に出資する気になるんだよ」

「…………。」


 鋭一は反応に困り、むず痒そうにコップの水を口に含んだ。

 珠姫は言いたい事は言った、というふうに言葉を終え、隣に座る葵の制服の袖がオムライスに接触しそうになっていたのを掴んで止めた。


「おっと。葵ちゃん、またオムライスに襲われちゃうよ?」

「……危なかった」


 葵は感謝するようにこくりと頷き、手を引っ込めた。

 そんな葵に珠姫は、


「ねえ葵ちゃん。葵ちゃんも、鋭ちゃんがもっと強くなったら嬉しいよねー?」


 と聞く。葵は当然だとでも言うように再び頷き、


「うん」

「ねー。そうだよね」

「そのほうが楽しい」


 二人は頷き合った。もはやこうなっては、鋭一も腹を決めるしかない。元より拒否権などあったか怪しいところではあったが。

 鋭一は珠姫の態度、言葉、葵に話を振るところ、あらゆる全てに対して、一言だけコメントした。


「……ちくしょう、卑怯者め」



 * * *



 A1とアカリはみたび向かい合う。


 アカリは片腕と背中を負傷。クリーンヒットをあと一度貰えば終わりだろう。一方のA1は右肘を壊され、自慢の構えも文字通りの片手落ち。


 わかる。相手が紛れもない強者である事が、わかる。


 自分は果たして強いのか? 本当に可能性のある人間なのか?

 その実感は、一人では得られない。

 まして、こうして追い詰められてみると、心は容易く不安に覆われる。


 だが、誰かの言葉があれば。自分を認め、あまつさえ才能があるなどと言ってくれる人がいれば……少しは自分を信じられる。強者を目の前にしても、勝ちへ続くイメージを、まだ思い描く事ができる。


 集中力は残っている。力を込めた目線を相手に向ける。

 同じような瞳と、目が合った。

 両者の考えは同じだった。


「……そろそろ決着、つけちゃう?」

「俺もそう思ってたとこだ」


 二人の間を、吹き抜ける風が隔てた。

 その風が通り過ぎると同時に、両者は動き出した。

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