8-4
空気を切り裂いて少女は駆ける。
先に仕掛けたのは、アカリ。
カウンタースタイルのA1に対しわざわざ積極的に攻めるのは愚策、という意見もある。
だがA1は、その精密な間合い取りによって相手の攻撃を誘うのが上手い。焦らし合いは相手の土俵だ。そうして誘われるままに気の抜けた技を出すくらいなら、初めから自らの意思で決断的な攻撃をした方が良い。
そして何よりも。「理想のアカリ」は常に自分から攻める。
待ちに徹するなんて、彼女らしくない。
左右にフェイントをかけながら近づく。そのたびに鋭い風圧を感じるのが心地よい。あらゆる感覚が研ぎ澄まされてゆく。
自分の動き。相手の目線。空気の流れ。互いの殺気。第六感的なものから感じる、ほんの少し先の未来のイメージ。
――今のアカリは、この戦いのすべてを肌で感じる事ができる。
一方のA1。
片腕で構えを取り、迎え撃つ。
右肘を壊され、残されたのは左腕のみ。前傾した構えは同じでも、今の彼にできる事はひどく限られている。
今までと同じく見切り、閃光で目を
ではどうするか。無論、その「できる事」をやるしかない。
全霊の力を左掌に乗せて、最高精度の掌底を放つ。その一撃で決める。
それしかできないが、それさえできれば良い。
相手のHPは十分に削ってある。いずれにせよ次の一発で終わるのだ。
A1は集中力を高め、世界に自分以外存在しない境地に自らを導く。
自分の呼吸。身体のあらゆる部位の動き。血の巡り。第六感的なものから感じる、精神と肉体の完全な同期。
――今のA1は、自分のすべてを意識で制御する事ができる。
互いの強さに引き上げられて高まった二人のコンディションは、最高潮に達しつつあった。
ここから先は、0.1秒ごとに変化する戦況を掴まなければ生き残れない世界。
前傾姿勢でアカリが迫る。またしても顔面のみ突出した構え。
A1は動かない。
突き進むアカリが一瞬、ピクリと止まる。
ショートワープか? ただのフェイントか?
このコンマ1秒以下の停止すら、A1にとっては二択を見極めねばならない地獄の分水嶺。
A1は――動かない。
アカリは少し強めに地を踏んで真横に跳んだ。
ショートワープでは、ない。違う角度からさらにアカリが接近する。
彼女は指をスナップする。土壇場での<サウンド>。唐突な大音量。
A1は――――動かない!
どの角度から、どのような過程を経てやってきたとしても。
最終的にA1の至近に辿り着いた時にしか、アカリの攻撃はない。
それまでは何物にも惑わされない。動じない。悟りにすら似た境地。
そしてついに、A1の間合いまで残り三歩。二歩。一歩――
その最後の一歩が踏まれる前に、A1の肩がわずかに脈動した。
アカリの予想よりもほんの一瞬、速い動き出しだった。
A1の上半身が躍動する。
肩から二の腕へ、肘へ、腕の先へ、手首へ、指の先にまで力が伝導し。
最高速で、左手が突き出される!
さらに。その手の形は、掌底ではない。A1はここで切り札を切った。
指を前方に向けピンと伸ばした、貫手。指先には暗器の刃を挟み込んでいる。
掌で叩くよりも僅か数センチ長い射程。この差が相手の見切りを狂わせる。
アオイとの訓練によって最適化されたフォーム。
そして研ぎ澄まされた精神。冴えわたる意識。コンディションは最高。
戦術という理性+精神統一による超感覚。
それらが高次元で止揚され、全てが嚙み合った、これがA1の、
一撃。
小さな刃の先端が相手の鼻先を裂いた。
アカリは回避できなかった。HPが大きく減る。
A1の腕が伸びきる。限界まで突き出された彼の貫手は、
それ以上、目の前の少女の顔面に突き込まれ、なかった。
アカリの突進が止まっていた。
直後に彼女の姿が、消えた。
<ショートワープ>。
次の瞬間、睫毛の触れそうな距離にアカリの瞳があった。
ああ、そうか。一瞬の硬直というショートワープの「制約」を、強引なブレーキ代わりに。
深淵のような黒目からは極度の集中と知性が感じられ、彼女もまた、A1と同じ境地にあったのだと……それが解った。そこまでだった。
直後。鋭一のゴーグルの視界が暗転した。
「――ありがとう」
対戦相手の首を折り、アバターの爆発跡を見下ろすアカリの口から出たのはいつもの扇情的な台詞ではなく、己を高めてくれた相手に対する感謝の言葉だった。
「でも、ごめんね……あたしだって負けるわけにはいかないし……それに」
彼女は振り返った。戦いの余韻を感じながら、アカリはどこか遠くを見ていた。
「キミのお友達にも……用があるからね」
[FINISH!!]
[WINNER TWINKLE★AKARI]
* * *
試合後の選手控室で、鋭一は放心したように座っていた。
喉の渇きを感じ、手元のペットボトルを掴む。妙に軽い。そういえば試合前に飲み切ってしまっていたのだった。仕方なく床に戻すと、薄っぺらなプラスチックは自らの重心を支えられずに間抜けな音を立てて倒れた。
それと、ほぼ同時だった。鋭一の頬によく冷えたスポーツドリンクの缶が押し当てられたのは。何事かと思い振り向く。明るい髪色が目に入った。
「……よっ。元気?」
「社長」
控室に現れた最上珠姫は、特に断りもせず鋭一の隣に腰を下ろした。
「それは奢りだ、飲みたまえよ」
芝居がかったふうに、彼女は言ってみせる。ちょうど喉が渇いていた鋭一に断る理由はない。小気味よい音を立てて缶を開ける。
そのまま一気に、半分ほど飲んだ。その間、珠姫は横の鋭一に一度視線を向けた程度で、特に何も言うことはなかった。
「……なあ、社長」
「お。何だね?」
次に話かけたのは、鋭一からだった。缶から口を離した鋭一は珠姫のほうを見るでもなく前を向いたまま、こう言葉を続けた。
「――<伸縮腕>とか、どう思う?」
「へ?」
唐突に具体的なスキル名が飛び出したので、珠姫は間抜けな返事をしてしまった。正直言って意外だった。敗戦の弁でも出るのかと思っていた。
「いや……もっと射程が長ければ、なんてのはただの結果論か。一発ネタにしかならないだろうし……じゃあ<軟体>ってのはどうだ?」
「そう……だね。意外性はあるけど、やっぱ、一発芸止まりかな?」
何とか今度は、珠姫も応対してみせた。しかし鋭一は止まらない。
「そもそも一撃離脱にこだわり過ぎると良くないのか? いけそうだったら二発狙うか?」
「勿論そうだけど、応酬になると不利なんでしょ?」
「それもそうか……そもそも相打ち狙いの相手はどうすりゃいいんだ? <ショートワープ>より先に攻められる。最近は<フラッシュ>も読まれるしなあ。あっ……<空歩>使えば強引に離れられるか?」
鋭一の検討はどんどん長くなっていく。
――不思議な気分だった。感傷よりも先にアイデアがとめどなく溢れ、今すぐにでも試したくて仕方ない。この謎のモチベーションの高まりを、鋭一は自分自身で処理できないでいた。
「……あ。なんか悪いな、ベラベラと」
「いやいや」
しばらく喋り続けて、ようやく鋭一は我に返った。横の珠姫を見る。
彼女は構わない、というように首を振り……
「安心したよ。やっぱ最近の鋭ちゃんは活きがいいね」
そして、満足げにウインクした。
「……おう」
なんだか急に恥ずかしくなり、鋭一は目を逸らして前に向き直った。
その直後だった。彼の目の前に影が落ちた。
「……ん?」
足音のひとつも立てずに唐突に表れたその小柄な人影は、短く彼の名を呼んだ。
「鋭一」
いつのまに、葵がそこにいた。
気配すらほとんど感じさせず、ちょこんと直立して鋭一を見下ろす。いつも通りに表情は乏しいが、その瞳はどこか所在なげに揺れているようにも見えた。言葉を探している……のだろうか。
「よし……じゃあ、あたしは空気を読んでこのへんにしておこうか」
すると珠姫は、葵と入れ違うように立ち上がって尻を払った。たった今まで自分が座っていた場所を示し、葵に目配せする。定位置は空けてやったぞ、というメッセージだった。
彼女はそのまま部屋の入口へ歩き出した。鋭一はその背中を見送る。珠姫は最後に少し振り返り、一言残した。
「止まるなよ? 天才。相談だったらいつでも乗ってやるからさ」
返事を待たず彼女は部屋を出た。ドアの音が残る。
「……ああ。感謝してるよ社長。もう少し、待っててくれよな」
鋭一はドアに向かって呟いた。今回は期待に報いる事ができなかった。だが、彼女は鋭一に愛想を尽かしていない。まだ期待し続けてくれている。この上なく、ありがたい事だった。
そしてこの場には、一名ずつの少年少女が残った。
葵はドアの音が消えるのを待ってから、鋭一の横に静かに腰を下ろした。
「……鋭一」
もう一度、名前を呼ぶ。
そこで一旦、彼女の言葉は途切れた。不器用な少女である。しかし葵の横顔は、何か言いたそうにむずついているように見えた。だから鋭一は待つ事にした。三十秒ほどが過ぎただろうか。葵は再び口を開いた。
「鋭一。……わたしは、約束を守る」
葵が横を向き、鋭一を見る。首の角度はまっすぐ。彼女に迷いは無いようだ。
少女はそこでさらに一拍置き、息を吸い、そして、このように言葉を継いだ。
「そしたら……そこで、わたしと遊んでくれる?」
――これは、また大胆な。
鋭一は息を呑んだ。
葵との約束。元はと言えば鋭一から言い出した約束。
葵は「一番」を目指す。
鋭一は、葵と「毎日」遊ぶ。
では、「一番」になった葵と遊ぶには?
葵の言う「そこ」とは?
そうか。
彼女もまた望んでいるのだ。鋭一がトップレベルに辿り着く事を。
自分が頂点に立つだけでなく、そこで鋭一と競えるようになる事を。
「……なあ葵」
「?」
「ありがとう、ってさ。言われたんだ」
鋭一は紡ぎ始めた。葵の想いに応える言葉を。
「戦った相手にそんな事を言う奴は二人目だったよ」
「うん」
「そんで俺は……そのどっちにも、勝ってない」
横目で葵を見てみる。彼女は鋭一に向き直り、真剣に耳を傾けている。
「次は感謝なんてさせねえ」
鋭一は拳を固めた。
「全力で悔しがらせてやる。泣いてもしらねー」
横を見る。葵のまっすぐな瞳と目が合った。
「そうなってもいいか?」
鋭一は薄く笑ってみせた。葵は素直に、こくりと頷いた。
「……望むところ」
「流石に強気だな」
鋭一は缶に残っていたドリンクを飲み干した。葵はそれを待たず、立ち上がった。そのまま一歩踏み出す。鋭一はまたしても少女の背中を見る形になった。
「だからまず、わたしが約束を守る」
彼女はドアに向けて歩き出そうとした。そろそろ、ベスト4進出者に声がかかる時間だ。
「オッケーだ。でも……まあ待てよ」
鋭一は追うように立ち上がり、葵の肩に後ろから手を置いた。
「一人で戦う事はないさ。俺だってまだ役に立つはずだろ。教え足りない事もあるし……教えて欲しい事もあるけどさ。ふたりで守ろうぜ? どっちの約束もさ」
葵は少し振り返った。彼女の口元はほんの僅か、はにかむように緩んでいた。
「うん」
二人は頷き合った。目指す景色が、より鮮明に見えた気がした。
そして連れ立って、控室を出て行った。
* * *
アオイ。
長柳斎。
プリンセス。
Twinkle★AKARI。
会場中央のステージ上に投影されたアバターの立体映像。まるで本物の格闘技大会さながらに、紛れもなき強者の姿そのものが現れている。
横並びに並んだ四者の目の前には、再びくじ引きボタンが置かれている。
今度はこれを全員同時に押し、ランダムに対戦相手を決めるのだという。
抽選に臨む四人の態度は様々だった。
アオイはじっと、目の前のボタンを不思議そうに眺めている。
長柳斎は精神統一でもするように目を閉じ、直立にして不動。
プリンセスは他の対戦者を値踏みするように軽く見回す。
アカリは客席のファンに手を振りつつ――チラリと鋭い視線を横に投げた。
視線の先には、アオイ。
具体的な接点でいえば、一度アカリのライブを見に来た(サインまであげた)程度の関係である彼女ら。果たしてアカリの中では、アオイに対していかなる感情があるのか?
彼女と直接戦った鋭一にも、それは解らなかった。
「ーーさあ、それではいよいよ、セミファイナルの組み合わせを決定しましょう。安心して欲しい、このクジはハズレなしだ! 何しろここには強者しかいない!」
舞台上にアバター姿で現れた「ゴールドラッシュ」が、マイクを持ちアナウンスする。どうやら長かった話の前置きが終わったようだ。
「果たして誰がぶつかる? 決勝に残るのは誰だ? 私も楽しみだ。では、ドラムロール……スタート!」
右手を振り下ろして、主催者が合図する。ドラムロールが流れ出す。行き交うスポットライト。舞台上部のディスプレイでは「第一試合」「第二試合」の文字がスロットのように回る。
鋭一は考える。アオイ以外の三人。実力でいえば社長……プリンセスと、長柳斎が圧倒的だ。だがアカリの成長性は未知数。ある意味で最も得体の知れない恐ろしさは、ある。戦いの中で越えられた鋭一だからこそ、それは強く感じるところだ。
つまるところ結局、楽な相手などいない。なるほどハズレクジなしだ。ひどい運勢もあったものである。
「準備はいいか? 運命のボタンを……押してください!」
ゴールドラッシュの宣言。それと同時に、舞台上の四人は一斉にボタンを、押した。
準決勝の組み合わせが……決まる!
抽選結果は、ディスプレイに大きく表示された。
客席から歓声が上がる。
舞台上のアカリが小さく舌打ちする。
鋭一は思わず、苦笑いをした。
そして笑顔になったのは、プリンセス。
「よぉ~~し。よしよし。ついに来たねえ、この時が!」
彼女は意気揚々と、両の掌を打ち鳴らした。
話題のゴーストニンジャガールを送り込んだモストカンパニーの社長としてではなく。レベルB最上位。プラネット13位の
さらに何より、一色葵の一人の友人として。
彼女は、この瞬間を待ち望んでいた。
――準決勝組み合わせ。
第一試合。アオイVSプリンセス。
第二試合。長柳斎VSTwinkle★AKARI。
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