A1-1

 プロゲーマー・平田ひらた鋭一えいいちの朝は早くない。


 というか遅い。休日は特に。

 理由は簡単だ。寝るのが遅いからである。ゲームの特訓、ランキング戦への挑戦、有名覚醒者アウェイクの生放送や実況動画のチェック、コミュニティでの交流……やることは多い。


 自宅用のVR設備を購入してからは、深夜までゲームするのも簡単になった。

 だから、土曜は昼に起きる。


 そしてずっとゲームしている。至福の時間だ。平日はこうはいかない。鋭一はプロゲーマーである一方で、高校生でもあるからだ。


 食事はゲームのきりの良いタイミングで取る。ゲーマーとしての収入で一人暮らしをしているので、外食が多くなりがちだ。


 自炊は一度挑戦したこともあるが、惨憺たる結果に終わった。それ以来、二度と挑戦しないと決めている。勝算の薄い勝負は避けるのが彼のプロとしての信条だ。

 結果として、食事の時間だけ外に出ることになる。もちろん帰れば即、ゲームの続きだ。


「さーて、今日は何ポイント稼げっかな……」


 満腹で帰宅し、呟きつつドアを閉める。彼の住むワンルームは視界におさまる程度の狭い部屋だ。鋭一はさっそくディスプレイのほうに向かおうとし……ふと気が付いて窓に目を留めた。


「あれ? 窓なんか開けたっけ」


 まったく覚えはないが、風が吹き込んでカーテンがわずかになびいていた。おかしいな、と思いつつ窓を閉めようと部屋の奥へ。サッシに手を伸ばす。その真横で、ベッドの布団がもこっ、と盛り上がる。


「――鋭一!」

「……ん? うおわあああ!?」


 素っ頓狂な声を出して鋭一はたじろいだ。いないはずの存在がそこにいた。

 布団の中から現れたのは、鋭一と同じ学校に通う女子生徒、一色いっしきあおいだった。


「あ……葵!? あれ?」

「よかった。鋭一、いた」


 葵は安堵したようにベッドの上にぺたんと座り込んだ。

 勝手に安心しているようだが、鋭一は彼女に聞きたいことが山のようにある。


「な……何でいるの?」

「鋭一と、遊びたかった」


「ここ、俺んちだよね……?」

「鋭一、家にいると思った。合ってた」


「そりゃいるけどさ! 家とか、そんな簡単に来ちゃうもんなの!?」

「むー?」


 鋭一の問いに、葵は首を斜めに傾けた。「疑問」のサインだ。


「おかしくないと思う。だって……」


 彼女は当たり前のように続けた。


「わたし、鋭一の、こいびとだよ……?」

「そ……うだけど!」


 そうなのだ。

 この葵は、鋭一と「付き合っている」。正真正銘の恋人。「彼女」なのである。


「漫画にかいてあった。こいびとの家、行くの、ぜんぜん変じゃない」

「えっ、これ、俺がおかしい流れなの……?」


 いやいや、と鋭一はかぶりを振った。仮に恋人が、突然現れるのが変でなかったとしても。このシチュエーションには、どうしてもおかしな点がひとつあった。


「いや、でもさあ……ちょっとこれだけ確認したいんだけど」

「む」


 鋭一は、それを指摘せずにはいられなかった。




「ここ、四階だよね……?」




 ビュウ、と、窓から吹き込む風が音を立てた。

 ドアは施錠してあった。窓が開いている。信じたくないが……葵の侵入経路は、ひとつしかない。


「そ……そっから入ったの?」

「大丈夫。このくらい、らくしょう」


 葵は安心しろ、とばかりに平然とピースサインした。鋭一は苦笑いした。


 すっかり慣れたつもりでいたが、やはり恐ろしいものだ。アパートの四階に、窓から侵入するのが、らくしょう。葵はそういう存在だ。彼女は珍しく得意げに言った。


「暗殺者は、ターゲットの家に侵入することもあるから」


 暗殺者。それが、一色葵の肩書だ。古来より受け継がれた暗殺拳「墨式ぼくしき」。彼女は幼い頃からその技を学び、異常な身体能力を身に着けた女子高生なのだ。


「鋭一、遊ぼ」

「――うおわ!?」


 が、その暗殺者は、じゃれつく子猫のように鋭一の胴体に抱き着いた。


 故あって墨式の継承は途絶え、今の葵はただの女子高生であり、駆け出しのゲーマーであり、鋭一の「彼女」。それだけだ。

 急に密着されて鋭一はたじろぐ。


 自宅の! 一人暮らしの! ベッドで!

 彼女に! 抱き着かれる! 


 ここに住み始めた頃は想像すらできなかったとんでもないシチュエーション。


 脇腹に感じるやわらかい温かさ。腕の下あたりの位置にある小さな頭。さらりとした黒髪から、ふわりと甘い匂い。上目遣いのあどけない表情。あらゆる要素が理性をザクザク刺してくる。このままでは何らかの間違いが起こりかねない!


「わ……かったよ! わかったからいったん離れて……あと今度から来る時は、先に連絡くれると嬉しいな!?」


 鋭一は大慌てで葵を引きはがした。葵は少し不満そうに「むう」と唸ったが、ベッドに落ちているVRゴーグルに気が付くと、嬉々としてそれを手に取った。


「うん。わかったから、はやく遊ぶ」


 わくわくと息を弾ませてそう言われると、鋭一も弱い。


「ああ……いいよ。遊ぼうぜ」

「今日こそ鋭一の首、折る」

「なっ……よーし、言ったな。絶対折らせねえ」


 葵の物騒な申し出に、鋭一は強気で答えた。


***


 付き合っている恋人として、一方でゲームでは、ライバルとして。

 二人は日常をいつも一緒に過ごしている。


 休日の襲撃には驚いたが、平日ならば鋭一と葵は学校生活を共にしている。。

 クラスは別だが、休み時間ともなれば葵は鋭一のもとへやってくる。


 そして、何より大事なのは――放課後。

 学校が終わってからの過ごし方は決まっている。鋭一と葵は、すっかり常連となった駅前のレンタルVRルームにやって来ていた。


「あら、鋭一くん。今日も同伴出勤お疲れ様ね」

「同伴ではないし出勤でもないです! 頼むから普通に受付お願いします」


 鋭一をからかうように、店長のカオリが出迎えてくれた。鋭一もようやく、このやりとりに慣れてきたところだ。


 黙っていれば静かで涼やかな文系美女であるカオリだが、本人はまったく繕おうとしない。これでも常連の鋭一に対しては好意的で、いつも応援してくれてはいるのだが。


「ごめんね。当店の個室はソファはあるのにベッドはないの」

「いらないですよ!? 寝ないですからね!」


「本当? 必要になったら言ってね。はい、5号室」

「大丈夫です。5号室ですね」


 鋭一は会話をそこそこに打ち切って個室に入ろうとした。すると、葵がふと何かに気づいたように、上目遣いで鋭一に聞いてきた。


「ベッド、いらない、かな……?」

「えッ!? ゲ、ゲームにはいらないんじゃない……?」


 葵の問いに、鋭一はドキリとした。

 潤んだ瞳、小さな唇、そわそわと揺れる身体。ま、まさか? 葵に限って、いかがわしいことを考えていたりはしないと思うが……。


「むう」


 葵は考え込むように腕組みした。そして、素直に気持ちを吐露した。


「鋭一とお泊りするの、たのしそう」

「な、るほど……。いや、でも、ちょっと刺激的すぎるんじゃないかな……!」


 鋭一はなぜかいたたまれなくなり、葵から目をそらした。お泊りでゲームといえば、ゲーム仲間と是非やってみたいことの一つだ。だが、その相手が彼女となると……? さすがに、健全なままでいられるか自信はないのだった。


***


「……さて」


 個室に入った鋭一はカバンを下ろし、VR設備の電源を入れた。ゴーグルは、装着しない。葵にだけ手渡す。


「今日は、戦う前に……見てもらいたいものがあるんだ」

「うん」


 真剣な、プロゲーマーの目で語る鋭一に、葵はこくりと頷く。


 二人は、約束をした。VR格闘ゲーム「プラネット」の頂点、Aランクでの頂上決戦を、いつかこの二人で戦おうと。そのためには、二人ともがトップを目指さなければならない。


「俺たちは頂点を目指すんだ。だったら――その頂点にどんな奴がいるのか、知っておかないとな」

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