A1-2
鋭一がこれから葵に見せようとしているのは、現時点の頂上決戦の動画だ。
昨シーズン公式戦の最終盤、前年の王者を決定づけた試合である。
対戦カードは、「Z」対「nozomi」。
現在のデュエル・ルール、Aランクにおいて不動の一位と二位の対戦だ。
「いちばん……強いひと」
葵は珍しく緊張ぎみにゴーグルを被る。
動画再生においても、このゴーグルが生きる。実際に戦った選手の視点で、試合をまさに「体感」できるのだ。
葵は今、現チャンピオンである「Z」の視界をゴーグルに映していた。本人に成り替わる事が、最も彼の凄さを理解できるのだと鋭一は言う。
準備は整った。鋭一がディスプレイ上の再生ボタンをタップする。
するとすぐに、画面の中の闘技場に――二人の戦士が降り立った。
[DUEL RULE 1on1]
[RANK‐A OFFICIAL MATCH]
プレイヤーランク2位、「nozomi」。
黒いレース地のひらひらしたドレスを纏った女性アバター。漆黒の長い髪に、深い闇を映す黒々とした瞳。対照的に肌は白く、リアルな色彩感を誇るプラネットの世界において、彼女の姿は完全なモノクロで表されている。
そして、現王者――「Z」。
かなりシンプルな、男性武闘家のアバターだ。上半身は裸で、下半身のみ道着を身に着けて黒帯を巻いている。筋肉質な上半身は、両拳にサラシを巻いてあるだけ。顔立ちは凛々しいが、同時に個性に乏しいとも言えた。
両者は向かい合う。
Aランクは、自ら「ランキング戦」にアクセスせずとも運営によってリーグ戦が組まれるようになっている。1シーズンの成績を固定メンバーで争うのだ。つまり、この二人は既に飽き果てるほど顔を合わせている。
試合開始を前に、nozomiが何やら口を開いた。両者の希望により、この動画は会話音声が非公開となっている。何を話しているのかはわからない。Zも短く応えたようだった。
二言、三言。その後も多少の言葉が往復したようだったが、
[READY]
その文字が浮かぶとともに、二人は会話をやめ構えをとった。
nozomiが両手を前方へ掲げる。
Zは左右の拳を握って胸の前に構えた。
呼吸を整える。静寂の糸が張り詰め、短い時間に無限の緊張が満ちる。
――そして
[FIGHT!!]
開始を示す合図。
同時、
ズ オ ッ
nozomiが、全身に闇色の霧をまとった。
「…………!!」
それに反応した葵が、わずかに体をこわばらせる。
やはり葵でも驚くかと思いつつ、横を見る鋭一も少しの汗をかいた。
nozomiからは黒いオーラのようなものと一緒に、画面越しにも伝わるほどの尋常でない殺気が噴き出している。葵は殺気を0から100へコントロールできるが、nozomiのそれは言うなれば200に近い。
人の生理的恐怖に訴えるレベルの、「目の前の相手を殺してやる」という圧倒的な意思。
仕組みからいえば、彼女のまとう霧と殺意は無関係である。霧のほうはそのまま〈ミスト〉というスキルだ。単一色の霧を出すことができる、ただそれだけのスキル。だがnozomiの凄まじい殺気が、ただの霧を威嚇のオーラに変えるのだ。
殺気などというのは形のないものだ。だがプラネットのリアル極まりないVRテクノロジーは、プレイヤーの呼吸の速度、視線の動きや目つきなど「雰囲気」に近いような微細なニュアンスをも再現する。
レベルの低い
無論……ここで相対するZは不動であるが。
両者は数秒だけ、じりじりと動いて間合いとタイミングを見た。
だが膠着は続かなかった。
nozomiのスタイルは先手。常に自分から動くのが彼女の戦い方だ。
Z……すなわち葵の眼前で、漆黒のシルエットがゆらめいた。
次の瞬間、黒いモヤが尾を引いて視界から消える。地を蹴る予備動作すらない唐突な移動。物理的質量をも感じさせる膨大な殺気が消失する。
……と見せかけて、すぐに再び現れる。Zの左斜め後ろ。
強烈な存在感を突然に背負うことになり、葵はその凄みを肌で感じた。悪寒が走り、背中に汗をかく。だが試合の展開は驚く暇すら与えてはくれない。
黒いモヤをまとったnozomiの左手がムチのようにしなり、Zの左腕を取りにいった。霧は彼女の体の輪郭をぼやかし、指先がどこにあるか悟らせない。ミリ単位での精緻な攻防においては極めて有効だ。
このまま腕を絡めとってしまえば、「毒蛇」と形容されるnozomiの腕は瞬時に相手の肘関節を壊すことができる。悪夢の手が伸びる。
が、その手が空を切る。
Zがわずかに振り返り、肘を支点に背後への裏拳を繰り出していた。手の甲がnozomiの二の腕を捉えている。
バランスを崩され、nozomiがわずかに後ずさった。
その時。葵がぎゅっ、と拳を握るのを鋭一は見た。葵はこの一度の交錯で、全て理解できたのだろう。
Zがどれだけ恐るべき事をしたのか。
nozomiが背後に現れても、一切動きを乱さずに。
視界の端に映った黒い霧の一部だけを頼りに相手の攻撃を読み。
振り返りながら、襲い来る敵の手ではなく、二の腕を狙って撃退する。
この恐るべき相手の奇襲を前に、ひとつも間違えない的確な回答をしたのだ。
手を伸ばしてきた敵に咄嗟に反応すれば、手の先を狙ってしまいそうなものだ。だがそうすれば逆に拳を掴まれ、手首を破壊されてしまうだろう。nozomiはそのくらいの事は容易く行う。
Zを王者たらしめるものの一つは、間違いなくこの完成された対応力だ。
その後、二人は幾度となく交錯した。
黒い奔流が尾を引いて迫り、そのたびに撃退された。様々な角度、手段で襲いかかるnozomiの攻撃を、Zは冷静かつ的確に全て捌ききる。
変化があったのは六度目の激突だった。
黒い霧とともにゆらりと消えたnozomiは、直後、Zの真正面に現れた。意表をついた移動。顔面に殺意の直撃を受け、現実の葵の身体が僅わずかにのけぞる。
正面からの相手に対応するには正面から戦うしかない。Zは直線的な右ストレート。速度、重さ――単純ながら芸術的なまでの正拳だ。合わせるようにnozomiが腕を伸ばす。
両者の腕はすれ違い――nozomiの腕は、Zの腕を絡め取った。
蛇のように相手の腕に巻き付き、肘を極めて、折る。それを一瞬のうちに行う。彼女の必殺の動き。Zの腕がメキリと嫌な音を立てる、と同時。
男の膝が突き上げられ、己の腕もろともnozomiの腕を叩き砕いた。
「…………ッ!!」
nozomiが目を血走らせ、歯を食いしばる。
圧倒的に安定した受けを見せるかと思えば、容赦なく自分の腕を犠牲にする。尋常ならざる判断力。その間も一貫して、Zの眼は遠くを見るような冷たさを保っている。
「――鋭一」
頬に汗を一筋流しつつ、葵が口を開いた。
「この人は……”裏“の人……?」
僅かに、唇が震えている。
「もしかして、人を、殺したことがある……?」
よほど、何か感じるところがあったのかもしれない。
鋭一は苦み走った笑みを浮かべ、答えた。
「いや、流石にそれは無いだろうけど……この人は。ただ単にそのくらい、強いんだ」
互いに腕を一本失い、しかし崩れたのはnozomiの方だけだった。ここで優勢に立ったZは蹴り技中心の打撃戦にシフトし、そのままKO勝ちする。
桁外れの技術、反射神経、そして精神力。果たしてどうすれば、この男を崩せるのか? 答えの遠い疑問に思えた。
再生を終え、鋭一は「ふう」と一つ深い息を吐いた。この試合は凄いが、それだけに一度見るだけでも疲れる。試合をVR体験した葵などは、さらに疲労したのではないだろうか?
そう思い鋭一は横を見る。葵は、まだゴーグルを外していなかった。
「鋭一」
「どした?」
「もう一回、いい」
「えっ」
流石に驚いた。葵だって観戦中は、汗すら流していただろうに。
「今の、また見たい」
「……わかった」
葵は一度腰を浮かし、ソファに座りなおした。背筋をぴんと伸ばして視界に集中する。
そうだった。葵は元々、とてつもなく根が素直で真面目な性格なのだ。
目の前にハードルを置かれれば、愚直に向き合って越えようとする。
親に課題を出され、ひとつひとつ技を身に着ける。一色葵はそういう人生を送ってきた。
結局葵は都合五回、この動画をループした。
「どうかな。何か……掴めたか?」
鋭一は葵に尋ねてみる。葵は目を閉じ、じっと何かを考えた後……顔を上げた。
「わたしが、どのくらい疾くならなきゃいけないのかは……なんとなく、わかった」
「よし。今はそれで、十分さ。後は……特訓するだけだからな!」
「うん」
鋭一は自らもゴーグルを取った。これからはAランクを見据えた、より厳しい練習が必要になるだろう。葵も真剣な表情で首を縦に振る。
二人は決意とともにプラネットにログインした。
そしてそこで……いきなり、ちょっとした予想外に出くわした。
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