10-3

「……マジで何なんだあのおっさん。強すぎる」


 実況席の安田は目を見張った。

 彼は長柳斎との対戦経験はない。自分が戦うならどうする? 頭の中でシミュレートしてみるが、これといった対策は出てこない。


 すると、真っ向勝負しかないか。横綱相撲には横綱相撲でぶつかり、純粋に地力を比べ合って押し切るしかないだろう。

 だが勿論それは、彼のみに許された攻略法だ。技術で劣った状態で長柳斎とぶつかったら? 考えたくもない。


 最強の噂は伊達ではない。実際レベルAでも、下位くらいなら食われてしまってもおかしくない。そう思えた。


「どうすんだよ、お前んとこの天才ちゃん。厳しいぞこりゃ」

「ああ……そうだな」


 金谷は実況机に肘をつき、顔の前で手を組んだ。


「どんな相手からでも何らかの勝ち筋を拾ってくる。それが彼女の才能だ。が……」


 彼の眼鏡の奥の目線は、鋭く戦況を見守っている。


「それを許さないほどの実力差というものも、当然存在はする」

「なるほど」

「試合中に成長すると言っても、決着までに追いつけなければ意味がないからな。長柳斎、ここまでとは……」


 自らの出資している選手が押されているにも関わらず、金谷は冷静だった。もちろん開催者としての立場もある。ただそれを別としても、彼はこの長柳斎の強さを決してネガティブに捉えてはいなかった。


「いやあ、まったく……黒字もいいところだ。本当に、この大会を開いてよ」



 * * *



 長柳斎の腕が迫る。

 また先手を取り、反撃を許さず押し切るつもりだ。


 常に先手は長柳斎。射程による絶対有利。彼のいう「届く者」の戦い。

 それがまた、アカリには気に食わなかった。

 理由は決まっている。先手はAKARIのものだ。彼女の考えるAKARIは、自信たっぷりに自分から仕掛ける。完全な勝算のもとに!


 もっとも、長柳斎としては相手の内面など知る由もない。

 今ここにあるのは、動きと技の衝突。ただそれだけ。


 内に秘めた熱があったとしても、それはアバターの動きとして表に出さなければ意味はない。

 だから彼は己の技をもって表現する。「圧倒的な師父」を。


 腕を伸ばす。貫手で相手を突きに行く。

 いよいよ指先が届くかという、その瞬間。


 アカリの姿が消えた。


 ショートワープ……では、ない!

 地を滑る音がする。


 長柳斎は目線をわずかに下に。離れているがゆえ、それだけで相手の姿が視界におさまる。

 少女が選択したのは、長い腕をかいくぐるスライディングだった。


 アカリは仰向けに地面を滑りながら、上に手を伸ばす。肘まではまだ近づけていない。だが今、彼女の頭上には長柳斎の手首がある。両手で確保しくじいてしまえば、この右手は打撃に使えなくなる。


 これに対し、長柳斎の選択は……さらに腕を伸ばす事だった。アカリはスライディングで前進している。すれ違う形で手首が遠のく。


 そして老師父は、長い腕の肘から先を持ち上げた。このままチョップを打ち下ろし、スライディングを潰してしまえば良い。簡単なことだ。地面のアカリに照準を合わせる。そのアカリの動きが僅かに止まる。




 再び、少女の姿が消失した。




 長柳斎は目を見張った。アカリはすぐに姿を現した。長柳斎からもよく見える位置だった。地面から上を向き、視線の先へのワープ。長い腕を挟んで反対の位置。


 即ち、空中。


 アカリはすぐに身体を反転させ下を向いた。長腕がさらに伸びた事で、彼女の目の前には長柳斎の肘関節があった。しかも肘は下を向いている。


 長柳斎はこれに即座に対処しようとする。

 肘打ちは? 出せない。相手が肘の逆にいる。

 伸ばした腕は? 使えない。肘の真上に対して手先が届くはずもない。

 反対の腕を伸ばすか? 間に合わない。


 奪われている。全ての選択肢が。


 ――届かぬ者は、届く者には勝てぬがことわりである。

 己の言葉が長柳斎に牙を剥く。


 今やアカリの目の前には、伸びきった腕の無防備な関節があった。

 サブミッション使いからすれば、ごちそうを目の前に出されているようなものだった。今すぐにでもむしゃぶりつきたくなるがそこにあった。


 ……今度は、食べ逃さない。


 目を細め、恍惚とした表情をようやく取り戻したアイドルは妖艶に舌をなめずり、呟く。










 両手を伸ばし、腕に抱き着く。そして思い切り力を籠める。

 会場がどよめいた。


 人々は初めて目撃した。

 あの長柳斎の無敵の長腕が、逆方向に曲げられるのを。



 * * *



 鋭一は思わず、音を立てて控室の椅子を立った。気が付けば、握った拳に力が入っていた。

 葵は食い入るように画面の中の試合を観ている。代わりに反応したのは珠姫だった。


「……鋭ちゃん。随分アツくなってるね?」

「あ、ああ」

「やっぱ自分を負かした相手ってのは気になるもんかい?」


 鋭一は珠姫を振り返った。社長はいつも通りの意地悪な笑みを浮かべている。


「まあ、そりゃ……な」

「実際どうなの? あのアカリちゃん。昔……あたしが知った頃には、一般的なレベルBくらいの強さしかなかったハズだよ」

「そうだな。絶対に勝てないと思うようなオーラはない……けど」


 それは直接相対した上での、率直な鋭一の感想だった。例えば鋭一はゴールドラッシュと戦った事があるが、その時に感じたような圧倒的な格の差は感じなかった。


「威圧はされないけど、なんか吸われるっていうか……底が知れない。俺が有利でも、全然安心できない。そんな感じだった」

「なるほど」


 鋭一は視線をディスプレイに戻す。珠姫が脚を組み替える。彼女はもう一つ、質問を加えた。


「――勝って欲しい? アカリちゃんに」

「まさか。そんな事より俺が両方倒したいよ……ただ」

「ん」


 鋭一は戦いから目を逸らさずに言った。


「あいつなら、長柳斎にも勝っちまうんじゃないか。なんとなく、そんな気がする」



 * * *



 突くにしても掴むにしても、まずは真っ直ぐ。最短距離で長柳斎は腕を伸ばしてくる。フットワークでかわすのは難しい。追いつかれる。もっと大掛かりな移動が必要だ。<ショートワープ>は必須。使えるのは一度。どこで使う。直接関節を狙うのは対処される。却下。まともな角度から攻めても効果が薄い。相手を驚かせるには。上はどうだ。駄目だ。伸びた腕に掴まれる。ならば、下。地面の相手に長柳斎ができるのは、チョップを振り下ろすか肘を落とすかしかない。なるほど。閃いた。その腕の逆側に移動すれば


 この正解に、彼女はおよそ2秒で到達した。

 そしてその瞬間に確信した。


 ああ。

 今。

 あたしは、AKARIになった。


「…………! 見事」


 長柳斎は短く、それだけリアクションした。戦いの場でそれ以上は不要である。命とも言える肘関節を砕かれても大崩れしない。流石は達人である。彼にはもう片方の腕もまだ残されている。


 AKARIは相手の次の手を考える。


 長柳斎の腕に抱き着いている状態の今は逆にこちらが無防備。そこを逆の手で数発叩かれるだけでもHPは底を突く。敵は右腕を縮めて、左腕を伸ばしてくるはず。ならばそれに乗じる。まず、すぐに身を起こす。そして縮む右腕を足場にして、跳ぶ。敵の攻撃の狙いをずらす。同時に接近する。懐に入れば長柳斎に出来る事はない。着地と同時に左の二の腕を狙う。肩を外してしまえば両腕を殺せる。よし。いける。右腕が縮み始めた。タイミング。1、2、今


 ここまで1秒。AKARIは跳んだ。

 長柳斎がピクリと反応する。AKARIは狙い通りの着地。そのまま手を伸ばす。直後に、右足に衝撃。


 それは予想にない攻撃だった。なんと、ローキック。

 必要とあらば蹴り技さえ使う。それも、重さを乗せた本物の蹴りを。これが強者。これが本物。


 だがそれでも、今のAKARIを止めるには足りない!


 キックを受けた右脚が一時的に死んだ。だが止まってはならない。逆の脚で踏ん張れば良い。敵はどうする。右腕は殺した。左は伸びかけだ。今から縮めてもまだ届かない。もう一度、蹴り。この可能性が最も高い。敵はまだ軸足を残している。来るなら右から。ローもしくはミドル。わかった。腕狙いはやめだ。せっかく脚を差し出してくれるのならば


 ――ここまで、0コンマ3秒!


 AKARIは長柳斎の蹴り足を抱え込んでいた。

 この瞬間には、観客席の歓声すら止んだ。


「えっ……」「今の」「何が起きた」「先に動いてた?」

「まるで、自分から蹴り足を迎えにいったような」


 小さなざわめきだけが残る中、長柳斎の膝が砕かれた。

 外からは、まるで予知でもしているかのように見えただろう。

 実際似たようなものだ。


 極まった熟考は、天性の閃きにすら似る。


 勘で閃いた答えでも。熟考の末に辿り着いた答えでも。同じ時間で同じ答えに行き着いたのならば、何の違いがあるだろうか。


 AKARIは、天野あかりは、その境地に至っていた。

 少なくとも、今この時は。


「非礼を詫びよう。君は今や


 長柳斎が体勢復帰した。片足立ちで残る左腕を振るう。


「だが」


 彼は伸びかけていた左腕を……さらに伸ばした。


「儂もまだ、届く」

「…………!!」


 そしてその腕が、肘を支点に折り返す。遠くと見せかけて近くを狙う事のできる秘技。ブーメランのように帰ってきた達人の手刀が、視界の外からAKARIを襲う。


 少女の反応が遅れた。知らぬ技まで読めるわけではない。覚醒したAKARIを相手に、なお上をいく達人の底の深さ。

 彼女はこの状態から、今一度、考えた。


 長柳斎の最後の一撃が速いか。AKARIが考えるのが速いか。

 1秒にすら満たぬ時の後。


 AKARIは、真後ろを振り向いた。

 長柳斎が目を閉じた。


 彼女からは一切見えないところで動いていた技だというのに、AKARIはその正体に辿り着いたのだ。

 彼女の首を狙った手刀が、空振った。AKARIは前方へ駆けた。途中で一瞬、停止。直後に<ショートワープ>発動。


 長腕の折り返し地点である左肘を、彼女は確保した。

 長柳斎が言った。


「誇るが良い。この長柳斎を倒した事」


 その言葉に、Twinkle★AKARIは輝かんばかりのウインクで応えた。


「うん! いっぱい自慢しちゃう」


 思わず老師父もつられて、この戦いで初めての笑みを見せた。


「ははは――良い、戦いだった」


 AKARIが長柳斎の左肘を破壊した。

 同時。最強とすら謳われた老師父のアバターが爆発。

 準決勝の勝者が決定した。




 [FINISH!!]


 [WINNER TWINKLE★AKARI]



 * * *



 試合を観終えた葵が立ち上がった。


「……つよい」


 彼女は一言、それだけ言った。

 横で立っていた鋭一もまた、同じ気持ちだった。


 戦慄すらしていた。A1の構えに、そしてあの長柳斎の技にすら対応してみせた、覚醒した分析力。

 それが次は、葵に。「墨式」に向けられるという事なのだ。


「勝てると思う? 葵ちゃん」


 あえてぶしつけに、珠姫が聞く。

 葵の率直な感想としてはどうだろうか。確かに鋭一も気になった。


 葵は少し目線を宙に泳がせて考えた後、


「……わからない」


 そう呟いた。

 これには鋭一も驚いた。


 これまでの言動から、葵は自分の実力にはかなりの自信を持っている事がわかっている。山本道則やプリンセスといった上位クラスを相手にしても、わずかたりとも萎縮したり怖気ずくような事はない。


 その葵が。わからないと言った。

 負ける可能性が、ゼロではないと認めている。


「あと……」

「?」


 葵はさらに言葉を付け足した。

 その一言は、隣の二人を困惑させるに十分なものだった。


「やっぱり、かわいい」


 彼女の瞳は、戦闘後の勝ちポーズを決めるAKARIに注がれていた。

 鋭一と珠姫は顔を見合わせて苦笑した。

 大丈夫だ。少なくとも、葵は気負いや緊張とは縁がない。


 実力と実力のぶつかり合いで、優勝者は決まるだろう。

 大会は、いよいよ終わりが近い。

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