3-2

 誰にだって一度くらいはあるだろう。野球でもサッカーでも何でもいい。

 その時勝っているチームや選手にだけ注目してしまう……ということ。

 彼らはしばらくの間は持てはやされ、しかし結果を出せなくなってくると、いつしか忘れ去られてしまう。


 言ってしまえば当たり前の事。

 勝者を肯定し、敗者を否定するのが勝負というものだ。そうでなければ勝ち負けを決める意味がない。


 価値ある敗北、などという言葉もあるがウソだと思う。

 敗北自体に価値があるはずがない。敗北は、それを糧に勝利を得て初めて価値となるのだ。


 真なる価値は勝利にこそある。

 だからこそ人は本気で勝とうとするし……そして、だからこそ勝者はカッコイイのだ。


 プラネットを始めた頃は、連勝できて楽しかった。

 とはいえ流石に全勝とはいかなかった。初めて負けた時は、こんなゲームやめてやると思った。実際3日くらいはやめた。

 だがそれでも結局続けたのは、当時のサドンデス王者の勝ち方が格好良くて、思わず真似したくなったから。


 相手の攻撃の最も重要なタイミングを見抜き、

 それを潰し、

 鮮やかなカウンターを決める。

 一試合に、彼の攻撃は一度だけ。


 そして勝つ。かならず勝つ。やはり勝っている人間は輝いて見える。

 あんな風になりたい。

 だから動画を見て、練習モードのCPU相手に必死に練習して、彼の技をコピーした。


 技が身に着くまで対人戦はしなかった。練習は孤独で単調だったが、勝つためならば苦ではない。例えばRPGなどでも、次のボスを余裕で倒せるまでレベル上げしてから進む性分なのだ。

 幸い努力は実を結び、やがてサドンデスのトップにまで上り詰めることができた。戦って勝つのは楽しい。サドンデスの対戦に潜るのは最高の楽しみになった。


 そして王者として名も知れた頃。デュエル・ルールのトップランカーと、お試しでサドンデスの試合をしてみようという企画に招待された。

 そこで「上」を知った。


 試合には勝った。だがまるで勝った気がしなかった。

 初撃は決めた。では自分は、この相手に二撃目を決める事ができただろうか? おそらく……不可能だ。ゲーマーとして——というより、格闘者としての、純然たる格の違い。


 戦ったのは現7位の「ゴールドラッシュ」。さらにこのジャンルには、2位の「nozomi」、そして1位「Z」のような雲の上の化物がまだ控えている。


 彼らと肩を並べる想像はまだできない。勝者の世界だ。

 そこに入れればどんなに良いだろうと思う。だが、自分の「レベル上げ」はまだ終わっていない。だからデュエルへの挑戦は今はできない。見上げるだけの場所だ。


 そんな時に出会った少女が、一色葵だった。


 彼女からは「勝者」たちと同等の凄みを感じた。まだスキルも理解しておらず、ゲーマーとしては完全な初心者だが……そんな事がどうでも良くなるくらいの、格闘者としての「格」。それが彼女にはあった。


 そこで直感した。ああ、彼女は「勝者」になれる。


 壁の向こうにいるはずのトッププレイヤーをなぜか道端で見つけてしまったような、そんな気持ちだった。自然と、自分とは別の存在と考えていた。

 だから意外なことに、そういえば自分では想像もした事がなかったのだ。


 彼女とプラネットで戦うなんて。



 * * *



「いやいやいやいや社長。待とう。話せばわかる! ちゃんと考えればお互いにとってより良い未来が」

「葵ちゃんにとってより良い未来を考えた結果だっつの。何、そんなに葵ちゃんと戦うの嫌なの」


 次は葵と鋭一を戦わせよう……という提案を鋭一はかたくなに拒否していた。

 蔑むような目で見てくる珠姫から目を逸らしながら、


「出来る限り……お断りしたい」

「何でさ」

「デュエルはまだ特訓中なんだよ。不完全な状態で、あの葵の相手になれるとは思わないし」

「要約すると?」

「負けるのが恐い!」


 鋭一は言い切った。勝てるまで鍛えてから戦う。負ける可能性があるなら、戦わない。それが彼の基本スタンスだ。


「……相変わらずこじらせてんなァ鋭ちゃん」

「臆病者と笑うがいいさ……勝算が七割切るような勝負はやりたくないんだ。プロだからな!」


 珠姫はため息を吐き、どうしたものかと腕組みし思案する。勝ちにこだわる姿勢は評価できるが、戦ってくれないのは困る。鋭一は本当に「レベル上げ」が終わるまでデュエルの対戦を一切しないつもりなのだ。


 すると、鋭一の隣に座っていた葵が動いた。彼女は真横にいる鋭一の服の裾を掴み、上目遣いに鋭一を見る。そして


「鋭一は、わたしと戦うのが嫌」


 と、こぼした。


「ん、まあ……葵、本当に凄いからな。多分、普通に俺より強いんじゃないか? 羨ましいよ。そんで、ちょっと恐い。どうせなら俺より強い相手を見つけた方が」

「遊んでくれないの」


 少し、ほんの少しだけ、彼女の目線がうつむくように下がった。裾は掴んだまま離さない。この仕草はプラネット内で一度された事がある。鋭一の解釈が正しければ、これは……「構ってほしい」だったか。


 葵はそのまま、少し考えるように黙った。それから意を決したように裾から手を放し、スカートのポケットに手を差し入れた。

 取り出されたのはもちろん……煎餅せんべいである。だし塩味と書かれている。それを葵は鋭一に差し出した。見ていた珠姫は思わず噴き出しそうになる。


「あげる」

「えっ」

「お金持ちじゃないけど、特別」


 葵は真っ直ぐに鋭一の顔を見た。そして言った。


「わたしは鋭一とも遊びたい」


 煎餅一枚。思わぬところから交渉され、鋭一は思わず苦笑した。そして思い出した。葵にとってこのゲームは何よりも「楽しい遊び」なのだ。


「遊びたい…………か」


 鋭一にとっても、もちろんそうである。

 睡眠を削って夜中まで遊んでしまうくらいには。


「あーもう! まったくズルいよなあ!」

「?」


 鋭一は頭の後ろで手を組み、ソファにもたれた。葵が不思議そうに見る。

 鋭一は煎餅の封を破ると、丸ごと口の中に放り込み、バリバリと嚙み砕いた。


「あー、美味い」

「うん。わたしもそれ好き」


 鋭一が笑い、葵が頷いた。両者の合意が成った瞬間だった。


「報酬をもらっちまったからには、戦うしかねえな。仕方ない……俺も特別を出すよ。俺なりの、デュエルの戦い方ってやつをな」



 * * *



 プラネットの大地は今日も変わらない赤茶色だった。

 鍵のかけられた闘技場。ここにはホストによって許可された覚醒者アウェイクしか立ち入る事ができず、観戦もできない。


 今日、ここに入れるのは二人。


 初撃という一点を極めたサドンデスの王者、A1。

 レベルCを無敗、それもたった一日で突破した新星、アオイ。


 闘技場に降り立った二人の戦士の間を、風が通り抜けて隔てた。

 特にどちらも口を開いたりはしなかった。両者は互いの目を見る。それだけでも、今すべき事が会話でない事はわかる。今考えるべきは、そう。


 いかにして目の前の相手をブチのめすか。それだけだ。


 [DUEL RULE 1on1]


 [READY]


 アナウンスが始まる。

 アオイは両手を下げたままの自然体。A1は両肘をぐっと後方へ引き、不自然なほど前傾した奇妙な構えをとった。

 

 試合開始のタイミングはランダム。それまで両者の間を行き来するのは呼吸音のみ。たまらない緊張感だ。ゴーグルの下の、鋭一の口元がわずかに緩む。


 そう——この感じは、嫌いではない。


 そして。




 [FIGHT!!]




 そこからは、様々な事が起こった。




 アオイの無感情な瞳が鋭一を捉えた。

 同時、地を滑るように細い脚が動き、つま先がA1のほうを向く。

 そうしながら彼女の右腕はしなるように動き始めており、

 白鳥の首のような白い腕がA1の顔面めがけて伸びる。

 迫る彼女の手からは二本の指がスラリと突き出され、

 二つの先端はA1の眼球を


 ここで鋭一の反射神経が目を覚ました。


 この目突きは今までに何度も見切っている。いつも通りここで<フラッシュ>を放ち、相手のタイミングと狙いを狂わせてカウンター。……できる。

 <フラッシュ>発動のトリガーは両目での瞬きだ。A1は反射に任せてその動きに入ろうとし……ギリギリで踏みとどまった。


 目潰しにきていた指が、跳ね返るように戻る。

 ――フェイント。


 葵は一度、A1の戦いを見ている。

 相手の攻撃のタイミングを読んで<フラッシュ>を放つ戦法。それをアオイは重々に警戒していた。だから、出会いの時に放った目突きを囮にした。


 騙されたA1が早まって閃光を使ってしまえば、この先の攻撃に対しては何もできなくなる。よく考えている。

 葵は自らの技を暴力的に振るうだけのファイターではなかった。相手を分析し、対応する事もできるのだ。まったく恐ろしい。


 だが……初撃。この最初の交錯だけは譲るわけにはいかない。

 鋭一にとってこれは唯一の誇りだ。

 レベルAを相手にした時だって、これだけは譲った事がない。


 A1は一歩引き、相手の間合いの外に出た。しかしアオイは目潰しと逆の手でフックを繰り出しながら一歩踏み出している。精密な間合いのやりとり。

 A1は前傾姿勢。アオイから狙える的は顔面だけだ。左手で横合いから頬を狙うフック……それが、A1の眼前を素通りした。これもまた、囮!


 フックによる体の回転を活かしたまま、アオイの上半身はA1に背を向けた形になる。その時すでに彼女の片足が浮いているのを、鋭一はどうにか視界の端に捉えた。後ろ回し蹴りが来る。


 ——これが本命か!


 鋭一は直感した。目くらましを使う相手に、背を向けながら攻撃する。合理的だ。だが有効であるがゆえに、それが本命だと読めた。

 まだ十分に間合いはある。アオイがこの位置から狙えるのはやはり顔面のみだ。ならば、対応できる。

 凄まじい風圧を乗せて蹴り足が迫る。首でも刎ねるかのごとき勢いだ。アオイの体が回転し、徐々にこちらを向く。もう少し。もう少し。……今!


 A1は両目で瞬きをした。


 瞬間、閃光。


 背を向けた状態からの攻撃であっても、こちらを見ない事はありえない。蹴りを命中させるその瞬間、必ず視界にA1を入れる。

 それは正面から相対しているのに比べればほんの一瞬だが……そのタイミングさえ分かれば良い。

 そしてそのタイミングを見切るための修練を、平田鋭一は積んできた。


 アオイの蹴りは止まらない。だが既に精度を失っている。閃光はピンポイントでアオイの両目を貫いていた。どれほどの威力があったとしても、目をつむったまま放ったような蹴りなら……躱すことができる。


 A1はわずかに身を沈めた。頭上を重い蹴りが通過する。

 大技の後。アオイの体勢に隙ができた。そう、これを待っていた。

 A1は腕を折りたたんだ状態から肩と肘の力を爆発させ、掌打を繰り出した。身をかがめていたため、今回はそれに膝のばねも加わる。


 腕を伸ばす。掌が、アオイの肩口を貫いた。クリーンヒットの手応えを感じる。

 心臓は外された。そこは流石と言うべきだろう。だが。


「…………っ!!」


 アオイは呻き声をかみ殺す。驚愕が隠せていない。彼女は覚醒者アウェイクとして目覚めてから初めて……相手の攻撃を受けたのだ。

 彼女はそれでも攻撃の手を止めず、掌打のために伸びきったA1の腕を掴もうとした。掴みさえすれば、奥義ひとつで終わりだ——しかしその手もまた、空を切った。A1の姿が消える。


 一瞬の後、アオイの間合いの外。2メートルほど離れた位置にA1は手を着いて出現した。<ショートワープ>のスキル。


 やれた。化物じみた動きを誇るアオイからでも、初撃は取れる。

 A1は得意げに掌を向けて見せる。ここは格好をつけても良いところだ。


「たまには目潰しされてみるのも、悪くないだろ?」

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