N3-5
「勝……てた……!」
鋭一はゆっくりとゴーグルを外し、勝敗の表示されたディスプレイを確かめる。
狙っていたわけではなかった。作戦通りに勝ったわけでもない。A1の戦法は破られ、形勢有利だったのはアオイだ。
だが……それでも、あの瞬間。少なくとも最後の交錯では、A1が上回った。
鋭一は知っている。完全な偶然でそんなことは起きない。最後の最後に一撃入れられたのは、それに足るだけの実力を自分が持っていたということなのだ。
「……そうか。俺も、やれるんだな……」
感慨深げに、鋭一は呟いた。……と。
「……鋭一!」
声がした。振り向くと、息のかかるような間近にゴーグルを脱いだ葵がいた。こんな時ですら全く気配がなかった。鋭一は避けられず、背中から彼女に抱き着かれる。
「あ……葵!?」
「楽しかった……わたし、楽しかった!」
「そっか……良かった」
葵の目尻には涙の跡が見えた。試合中の興奮がまだ収まっていないようだった。
背中に
きっと、この試合は、自分にとっても――。鋭一はひそかに拳を握った。
「いや、凄い試合だったね……あたしちょっと、感動しちゃったよ」
そこへ、珠姫が近づいてきた。彼女もまた驚き、嘆息している。
「何だよ鋭ちゃん。渋ってたわりに、やるじゃん」
彼女は得意げにウインクし、親指を立てた。
「この大反響を見なよ。平田プロはもうちょっと――自分の力を、信じてもいいんじゃないのかな?」
珠姫が示したのは観戦席のコメント欄だ。凄い勢いで、感想が流れていく。
『おっ……惜しかったなー!』『ゴースト・キャット、動きヤバくね? 何のスキル?』『でもA1、あそこで決められるんだな』『A1は元々見切りがヤバい』
「ああ……そうかもな」
鋭一は感慨深げに頷いた。そしてふと、気づく。
「もしかして社長、初めから――?」
「さあねー。ま、どっちに転がってもメリットのある試合だったってことよ」
彼女は計画通りとばかりに、立派な胸を張った。
「ともあれ! ここまで注目されれば、十分噂になるっしょ――というわけで、葵ちゃん」
「?」
珠姫は鋭一にくっついている葵に、宣言した。
「合格です。今日からあたしは、葵ちゃんのスポンサーだ」
「スポンサー?」
最初、葵は意味がわからないというように首を傾けたが、
「つまり……これからもゲームがんばってね、ってこと。鋭ちゃんと一緒にね」
と珠姫が言うと、
「――うん!」
どこに反応したのか嬉しそうに、こくりと頷いた。
***
帰り道。
ほとんど陽の落ちた街中を、鋭一と葵は並んで歩いた。
珠姫は別の商談があると言って、一足先に街へ消えていた。あるいは、彼女なりに空気を読んだのかもしれない。
特に会話はなかったが、葵の足取りは来るときよりも軽やかに見えた。普段「幽霊」な彼女がこれだけ浮き足立っているというのは、相当に機嫌が良いのだろう。
駅が近づく。駅前まで行ったらお別れだ。鋭一は徒歩で、葵は電車で帰ることになる。
今日の出来事を思い出す。思えば長い一日だった。朝の待ち伏せ。学食で立ち尽くす葵。殺人的リズムゲーム。苗字を呼ぶたびに襲い来る目潰し。そして……VRの中で見た、あの笑顔。
相当にエキセントリックな女の子だ。それは間違いない。だが鋭一にとって、葵はもはや全く他人という気がしなかった。
そう。一緒にゲームをするのは、仲良くなる最高の手段なのだ。
「鋭一」
改札の前で、葵はくるりと振り返った。そして、どこか寂しそうに言った。
「わたし、今日、とっても楽しかった。もっと……もっと、遊びたい」
「うん。ホント、良かったよ」
「だから――」
地平線にわずかに残る夕日が、涙の跡が残る顔を照らす。わずかな風が葵の髪をなびかせる。葵が、言葉を続ける。
「明日もまた、遊んでくれる?」
鋭一はどきりとした。彼女の表情は、ただ遊びに誘っているとは思えないほど、何か切実なものをたたえていた。
「……もちろん」
「ほんと?」
葵の顔がぱっと明るくなる。そんな顔をされると、鋭一としても嬉しくなってしまう。もちろん、明日も遊ぶ。鋭一だって、そうしたい。
「ああ。じゃあ……また明日な」
「うん。また、明日」
葵は名残惜しそうにばいばい、と手を振った。鋭一も手を振り返す。そしてゆっくり歩いて、その場を立ち去っていった。
「…………」
残された葵は胸に両手を当てて立ち尽くす。そのまま、指をもぞもぞと動かした。胸の中心あたりに、何かあたたかくて、くすぐったいモノを感じる。初めて知る感覚だった。これは、何だろう。
「遊ぶ。明日も……鋭一と遊べる」
葵は口の中で繰り返しながら、しばらくそうしていた。
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