9-2

「姫ちゃん……妙だな」


 実況席にて、金谷はいぶかしむようなコメントをした。

 それに対して安田が答える。


「いや、別に妙ではねえだろ。流石に歳の差あるし、金持ちっていうお前の最大のアドバンテージ使えないんだしさあ。何回誘ったところで、むしろなびかない方が自然じゃ」


 安田は横目で隣の席を見てみた。

 凍り付くような雰囲気で見下ろしてくる彼のスポンサーがいた。眼鏡の奥の瞳が見えない。


「……失敬。続きをどうぞ」

「来期のギャラの査定は考えさせて貰う」

「続きをどうぞってば!!」


「……まあ冗談はさておき、妙だ。おかしい」

「冗談に聞こえなかったぞ」

「知っての通り、姫ちゃん……プリンセスは13位の覚醒者アウェイクだ。13といえばレベルB最上位。当然、今大会の参加者でトップだ」


 金谷は眼鏡の位置を直す。真面目な話が始まったので安田は安堵した。


「それが、まるで格上に対するかのような態度じゃないか? 確かに『アオイ』は強い。山本も倒してる。それでも……私の目から見て、現時点で『プリンセス』を上回ってるとは思えない。君はどう見る?」

「……そうだな」


 表情をプロゲーマーとしてのものに戻し、安田も頷いた。


「単純な格闘能力なら、あるいは。ってとこかな? でも……客観的に見て、スキル込みの総合力ならプリンセスだ」


 ランキング1位『Z』は、そう言い切った。


「スキル巧者って意味じゃプリンセスはもうトップクラスだろ。で、アオイって子はサクラダに翻弄されたりしてたじゃん。相性もお姫様有利だと思う」

「だな。事実としてそこは動かない。姫ちゃんの心中までは……わからないが」

「ホント、わかればいいのになあ」


 含みを持たせた言い方で、安田は再び横を見た。

 彼のスポンサーは絶対零度の笑みで応えてくれた。


「……スミマセン、ナンデモナイデス」


 安田はロボットのようなぎこちない動きで顔を前に戻した。

 眼下では、2人の少女の戦いがまもなく始まろうとしている。



 * * *



 ――[READY]


 合図とともに両者は構えをとった。

 アオイは力を抜いて両手を下げ、視線を前に。

 プリンセスは腰を落とし、片手を前に掲げた。


 視線を交わす。

 前日には横並びでクレープを食べていたふたりが今ここでぶつけ合うのは……よりにもよって、殺意。


 ここに立つ以上、雇い主と飼い犬の身分も、学校の友人同士の関係も、今は意味をもたない。

 彼女らは戦士と戦士。むしろ全力の殺意をもって臨むのが、ここでの礼儀といえた。


 初めて直接受けるアオイの殺気に、プリンセスは薄く微笑んだ。なるほどこれは今まで戦ってきたどの覚醒者アウェイクとも違う。

 これまで、練習でも彼女がアオイと戦わなかったのは理由がある。アオイがレベルAに挑むまでのどこかのタイミングで、こうして壁として立ちはだかるためだ。自分がそれに適したプレイヤーである事を彼女は自覚していた。


 アオイに、笑ってほしい。

 楽しんでほしい。

 その上で、この13位「プリンセス」を、越えてほしい。


 わがままな望みかもしれない。そこいらの新人には、到底期待して良い内容ではない。

 が、アオイはその程度のレベルではないだろう。これまで見せた動き。謎の奥義。何より、纏う雰囲気。彼女は「特別」だ。そうであるはずだ。

 それを見極めるため、手は抜かない。


「……見せてもらうよ。笑顔も、力もね」


 小さく、呟いた。それと同時。


 ――[FIGHT!!]


 試合が、始まった。

 歓声があがる。

 相手からの視線が強まったのをプリンセスは肌で感じた。アオイの集中力が急激に引き上げられたようだ。負けじと、思考を没入させる。


 結果、即座にプリンセスは踏み込んだ。

 方向はアオイから見て右前方。


 アオイの初手にはいくつかパターンがあるが、最も警戒せねばならないのは墨式『おもて』による開幕急襲だ。山本道則をすら驚愕させたあの技は、ただ疾いだけの突き込みではない。


 あの目突きの肝は、タイミングだ。呼吸を読む事により、アオイは黙って立っているだけの相手からも隙を見つけてきてしまう。

 だから試合開始直後は構えをとって様子を見よう……という通常の安定択が、アオイに対しては愚策になってしまうのだ。


 対処としては、攪乱。自ら動き、的を絞らせない事。右に踏み出していたプリンセスは、途中でくるりと向きを変えた。舞踏のように優雅に、裾の広いスカートがふわりと回る。


 アオイは一瞬ピクリと反応し、その場に留まった。あるいは突撃の選択肢も考えていたか。だが、その可能性はプリンセスの動きによって潰された。奇襲をしようにも狙いが定まらない。


 脚の動きが見えない。足元の位置すらわからない。加えて、足音もない。

 豪奢なドレスのアバターデザインと、<サイレンス>。

 この姫君をトッププレイヤーたらしめる幻惑のステップは、アオイにも勿論、通じている。


 接近しながらプリンセスの両腕はしなやかに動き始めていた。一見、優雅な舞のようでもある。

 この広い、赤茶けた大地のダンスフロアで、プリンセスは今のところアオイに近づきながら踊っているだけだ。


 右から左へ切り返しながら距離を詰めてくるプリンセス。アオイは警戒するが……手を出せない。

 相手の動きがわからない。ゆえに、隙があるのかもわからない。今、攻撃しても良いのか。下手に手を出して致命傷になる事はないのか。


 間もなく、互いの攻撃が当たる間合いに入る。プリンセスの右手がすう、と動き、胸の前へ。

 いっそそのまま右手を差し出し、かしずいてダンスに誘ってくるのではないか。そのほうが自然ではないか……とすら思える程の動き。

 アオイの鋭敏な知覚は、この時になってようやく察知する事ができた。


 ――これは、攻撃動作だ!


 不意のタイミングで、プリンセスは追加で一歩踏み込んだ。

 足音がなく、外からは彼女が足も踏まずに急加速したようにしか見えなかっただろう。足が三本あるのではないか、と評されるほどの複雑なステップワークを彼女は使いこなす。


 気が付けば二人は、ほぼ密着距離にいた。プリンセスの右手が前へ。同時、左手は後方へ。両の掌が身体の外を向く。

 ほとんど奇跡的な反応だった。アオイは自分と相手との間に、両腕をクロスして割り込ませた。直後。


 強烈な一打が放たれた。


 プリンセスの右掌がアオイの腕を、左掌は対角線の空中を、同時に叩いた。<空跳>。これにより打撃の瞬間、プリンセスの全体重がアオイ側に押し込まれる。さらに、足は無音の震脚を踏んでいる。


 アオイが目を見開く。ガード越しに胴体にまで衝撃を与えらえた彼女は、受けた力を逃がすべく後方へ跳んだ。


 キュッ


 と短い音がし、何の予備動作もなく、くの一のアバターは緊急回避する。

 墨式『ながれ』。あまりの高速退避に、流石に追い打ちは来なかった。


「……そっか。今のアオイちゃんにはがあったね」


 掌打を撃った姿勢のままプリンセスは、退避するアオイを見送り、不敵に笑った。


 プラネットのアバターは、重量に差はないとされている。

 ”重さ”という格闘戦において極めて重要な要素を、身長や体型などの見た目によって決めてしまう事は、アバターのデザイン自由度を狭めてしまう事に繋がるからだ。

 よって全てのアバターは体重が同値として扱われる。


 が……その与えられた重量を、いかに自らの打撃に乗せるか。それは個人の技量次第だ。例えば今の掌打のように。

 パラメータをパワーに振るだけが攻撃力ではない。それを、プリンセスは実証している。急所に当てればHPの大半を持っていく一打だ。

 さらには、その攻撃をまともに当てる立ち回りが、彼女には出来る。


 そう。あのアオイから、一方的に先制点を取ったのだ。

 果たして何人に、このような芸当が出来るだろうか。


 アオイが姿勢を整えながら再び前を見る。

 その口元がわずかにムズついたのを、プリンセスは見逃さなかった。

 珍しく序盤から劣勢になり、少しは悔しがってくれているだろうか? その悔しさもまた、ゲームを楽しんでくれているという事だ。


「――さあ、まだまだ楽しもうか? アオイちゃん」



 * * *



 ――試合前。


 次の相手が「プリンセス」と決まった葵と、鋭一は控室で話していた。

 珠姫はその様子を見て、あえて部屋を去ってくれた。対策できるならして来い、という事なのだろう。


「社長――プリンセスは、現実離れした動きをする相手だ。さっきの山本さんとはだいぶ違う」

「うん」


「足音がなかったり、突然空中を叩いて動いたり……正直、戦った事のある俺とかでも動きが読めないんだよなー。というか、読める奴なんてほぼいない。何しろ13位だし」

「うん」


「まあ、そういう事してくる相手だってのは念頭に置いとくと良いと思う。あとは、見てから反応してくれ……」

「がんばる」


 葵はおとなしく頷いた。

 鋭一は椅子に背をあずけ、天井を仰いだ。「二人で約束を守ろう」。そう意気込んだはいいが、いきなり強者と当たったせいでロクなアドバイスができない。不甲斐なさを感じる。


 あと、伝えておくべき事は――ひとつ思い当たる。言うべきか少し迷うが。鋭一は再び口を開いた。


「なあ、葵」

「?」

「スキル、使ってみてどうだった? さっきの試合」


 葵は先の山本戦で初めてスキル<ストロングガム>を使用した。つまり実戦で、自分の「格闘技の実力」以外で戦ったということだ。

 こだわる人はこだわる部分である。現にその山本道則は一切スキルを使用しない。鋭一としては少し気になった所だが……葵の答えはこうだった。


「? たのしい」

「……そっか。良かった」

ながれ、使えた。通じた。勝った」


 葵は無垢な瞳で鋭一を見た。現実で出来ない動きができる。使えない技が使える。彼女なりに仮想現実を楽しんでいる、と言えそうだった。勝利自体に喜びを感じていそうなのも好ましい。


 鋭一は安堵した。これなら、の話をしても良いかもしれない。


「よし。じゃあ葵……今から言う事は、イヤだったら聞かなくていいけど」

「?」


 呼吸を整えてから、鋭一は話を続けた。


「――ちょっとした作戦があるんだ」

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