9-3

「――さあ、まだまだ楽しもうか? アオイちゃん」


 その一言が相手に届いてすぐ、姫君の舞踏が再び回り始めた。


 足音は一切なく、スカートが舞う時にだけ、高貴な布地の揺れる音が混じる。

 左右に切り返しながら徐々に近づく、静かなる侵略。


 アオイを相手に、真正面から攻めるべきではない。

 ならば簡単だ。真正面以外から攻めれば良い。

 それを迷いなく選択するのも、強さというものだ。


 プリンセスは舞う。こうして惑わしていればアオイがこちらを攻めにくいのを彼女は知っていたし、仮に攻めてきたとしても主導権を取る自信があった。

 だから次の瞬間、彼女は驚いた。


「……お?」


 キュッ


 という音とともに、アオイが距離を取った。アオイが自ら後退する、それ自体もなかなか珍しい事だ。しかし問題はその後だった。


 キュッ


 着地点からさらに、ノータイムで真横へ。視界の外へ逃げたアオイを慌てて目で追う。


 キュッ


 追いついたと思った瞬間には、さらに斜め前へ動いている。

 ――速い。硬直がないかわりに移動距離の短い、超ショートワープといったところか。驚くべきはその隙のなさ。着地の瞬間がほとんどない。


 キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ


 アオイは間髪入れずに移動を繰り返し、プリンセスの視界を揺さぶった。もはや分身しているようにすら見える。目で追うのがやっとだ。


 右へ。さらに右へ。と思えば左へ。左前へ。右前へ。間合いが近づいたか? と思えばすぐに真後ろへ。

 まさに縦横無尽。プリンセス自身も舞い続けているため、もはや相手との位置関係も、間合いも解らなくなり始めていた。


「あはは……おいおいアオイちゃん。ニンジャガールは分身もするのかな?」


 そう、この状況は。


「――やるじゃん」


 立ち回りで相手を幻惑するのが持ち味のプリンセスが、翻弄されている!

 これぞ墨式『ながれ』の真骨頂。連続使用による無限移動だ。


 着地の後すぐに、360度どちらへも跳ぶことができる。

 一色葵が、生身では習得できなかった奥義。そんな高難度の技も、ここでは存分に使うことができる。


 今や彼女の強さは、一色葵の強さだけではない。スキルの力をも取り込んだ「アオイ」の強さがここにあった。


「よーし、わかった。そっちがその気なら、受けて立とうじゃないの」


 プリンセスは足を止めずに舌をなめずった。互いが互いを翻弄する、立ち回りの戦い。ここまでくれば意地の張り合いだ。

 どちらが最終的に相手の虚を突き……一撃を入れるか!


 キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ

 右。左。左。右。左。右。


 アオイの移動はどんどん横幅を広げていく。

 人間の視界には限度がある。左右に視線を振られ続ければ、いずれ対応できなくなる。プロのテニスプレイヤーでも拾えない球があるように。


 キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ

 右。右。左。左。右。前。


 そして時折、唐突に前後移動を混ぜる。間合いが変わる。互いの攻撃範囲に踏み込めば、激突は必至だ。

 その人間離れ……いや、アバター離れすらしている凄まじい動きには、客席も動揺していた。アオイが動くにつれ、どよめきが広がっていく。


「「「オ……オオオオオ!?」」」


 また、選手控室も同様である。


「……まだそんなモン、隠してやがったか」

 山本道則が、モニタを見る目つきを鋭くする。


「…………。」

 黙して試合に注目するのは、アバター「長柳斎」を操るプレイヤー、柳川やながわげん


「何よこのチートスキル!? ……いや、スキルじゃ、ない?」

 天野あかりは立ち上がりかけ、しかしすぐに冷静になった。


 全ての覚醒者アウェイクにとって、驚愕に値する動きだった。

 ワープ中完全に消失する<ショートワープ>ほど無敵の移動というわけではない。だが移動前の硬直がなく、いくらでも連続使用できる。


 そのようなスキルは存在しない。いや、作ろうとしてもゲームバランス上認可が降りないだろう。

 だがこのアオイという少女は、実際にその動きをしている――!


 キュッ  キュッ  キュッ  キュッ キュキュッ!

 左。左。右。前! 前! 前!


 足音をたてず体の向きを変えようとしていたプリンセスに対し、アオイが急速接近する! プリンセスが惑わすよりも速く攻撃を仕掛けるつもりか。


(スキル超えた動きをしてくるとかさあ……冗談じゃないよね、スキル屋としては)


 集中を増したプリンセスはその急襲にギリギリで反応できた。両腕を持ち上げて攻撃動作に入る。その瞬間。

 アオイが視界から消えた。


 キュキュッ

 左、右。


 目の前まで来ていたアオイはジグザグに一往復し、一瞬にしてプリンセスの背後に回り込んでいた。

 ゾクリとした悪寒がプリンセスの背を駆ける。アオイの放つ殺気が強まった。来る。アオイが首筋に手刀を振り下ろす。


「――っ、ああッ!」


 思わず声が出た。プリンセスは首をすぼめ、頭蓋の後頭部で手刀を受けた。視界が揺れる。ダメージが大きい。だが、首筋よりはマシだ。

 さらにそこから……反撃に転ずる。一方的にやられて終わるつもりはない。背後を取られたこの状態からでも、彼女には出せる技がある。


 スカートの中で足を持ち上げる。両肘を引いて力を溜める。胴体をわずかに捻じる。

 そして、無音の震脚。同時、両手を前に。<空跳>で前方を叩き、全身の重さを後方へ。相手に背中を、叩きつける!


 スキルを交えた変形の鉄山靠。彼女の持つ、最高威力の技。


「――!!」


 背後を取った相手が、そので攻撃して来ると思っていなかったアオイは目を見開いた。確かにこれならば振り向いて反撃するよりも遥かに速い。

 アオイはまたしても後方へ『ながれ』。だが僅かに遅い。鉄山靠の衝撃を一部受けてから逃れる形となってしまった。


 アオイが着地する。足元の地面から、赤茶けた土煙が上がった。

 プリンセスは反転し、アオイに向き直る。再び二人の目が合った。


「…………珠姫」

「ん、何だい?」


 アオイは興奮気味に、そわそわと二、三度その場で跳ねる。


「珠姫、とっても強い……!」

「へへっ。でしょ?」

「……もっと」


 その時。アオイの周囲の空気が歪んだかのように、プリンセスは錯覚した。


「もっと、遊ぶ!」


 アオイが飛び出した。前方に駆け出し……すぐに、真横へ。


 キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ  キュッ


 再び連続の『ながれ』。

 呼応するようにプリンセスも「舞い」を再開した。

 無音のステップ。注意深くアオイと間合いを取りながら――今度はそこに、さらなるオマケを付け足す。


 ――タ、タン。


 アオイは移動しながらピク、と反応せざるを得なかった。

 それは彼女以外の足音だった。


 <ノイズ>による……フェイクの足音!

 プリンセスはスカートの中で脚を浮かせ、タン、と足音を空中に鳴らし、そこから一拍遅れて足を着地させ前進する。


 見る者をさらに困惑させる、おそるべき立ち回り。しかしこれは、使い手にもかなりの技術が要求される。

 スキルの使い方を工夫し、時には自ら作り、ありえない戦法を練り上げる。

 今や「スキルマスター」とすら称されるプリンセスの本気が、いよいよ見え始めた。



 * * *



「……わあっ! きれーい!!」


 幼少の頃。最上珠姫は父に連れられて、高原の観光地を訪れていた。

 そこは一面に広がる花畑。鮮やかな黄色が視界いっぱいに広がり、非現実的なまでに、ただひたすらに綺麗な景色だった。


「どうだ珠姫、癒されるだろ?」

「うん! すごい!」


 天国とか楽園とか、そんなものが本当に存在するならば、きっとこんな光景だろう。その美しさに、珠姫は心から感動した。

 そして、こんな事を言った。


「ねえ、パパ」

「ん? 何だい」


「……ここへのツアー組んだら、どれくらい儲かるかなあ!」


「え」

「パパがあたしを連れてきたいと思ったくらいだもん、きっと世の中のお父さんも皆そう思うわよね?」


「……多分」

「そうだ、小学生までの娘さんと一緒に、ってコンセプトにしよう! イメージ写真に、花冠でも持った女の子つければ……いけるいける。どうかな!」


 一気に言い切った愛娘に、父は少したじろいだ。

 だが一代で富を築いた彼は、娘の言う事が正解であろう事も、同時に感じ取っていた。


「おそらくは売れる……な」

「ほんと!?」

「しかし、ここはあんまり有名にしないで、内緒にしておこうと思ってたんだがなあ」


 一方で父は、少し渋るような素振りも見せた。が。


「え、何で? いいじゃん。花を見るより花を売るほうが、あたしっぽいし。……それに」


 それに対して珠姫は顎に手を当て、自分の気持ちを口にするのだった。


「もったいないじゃん。こんなに綺麗なのに」


 彼女は常にそうだった。今でも変わらない。開発したスキルも独り占めしたりせず、広く安価で販売している。

 だからモストカンパニーは人気がある。自分の商才を発揮するのは珠姫も楽しい。


 あるいは父には、珠姫には商売などさせず、いわゆるお嬢様のように育てたいという思いがあったのかもしれない。が、そのように育つかどうかは珠姫次第だ。


 ピアノも、茶道も、バレエも小学生の頃に辞めてしまった。それよりも商売の世界で渡り合ったり……このように、目の前の対戦相手と相対するほうが、彼女の性に合っている。


 いま。最上珠姫は、やりたい事をやっている。



 * * *



 ――高速移動するアオイに目を配る。


 真横に動いていると見せかけて、相手が僅かずつ前進している事にプリンセスは気が付いた。

 気が付けばアオイは、プリンセスとほぼ横並びの位置にいた。


 タ、タン。

 プリンセス側から足音が鳴った。その時。


 キュッ  キュッ  キュッ  ……キュッ キュキュッ!

 左。右。右。左! 左! 左!


 真横から急速に、アオイが迫った。

 プリンセスの足音は<ノイズ>によるフェイクだ。つまり、足音が鳴ったという事は、スカートの中の足は宙に浮いているはず。


 逆にそこを突き、真横から急襲する。そういう作戦だったのだろう。初心者とは思えない見事な答えだ。

 が、プリンセスはそのさらに上。


 彼女は、真後ろへステップした。足音がしたから必ずフェイクだ、などとは言っていない。

 虚実は織り交ぜる事により意味を増す……嘘ばかりついていてもダメなのだ。商売経験から学んだことである。


 本来プリンセスがいたはずの位置にアオイが到達する。二人は至近距離で目を合わせるような形になる。意表を突かれたアオイは、慌てて正面の相手に意識を移す。その、瞬間。


 プリンセスが視界から消えた。


 気配を感じてアオイは上を向いた。頭上!

 スカートの中で、プリンセスは<空歩>を踏んでいた。


 さらに姫君は上に手を伸ばし、まるで空に天井があるかのように、そこに手をつく。<空跳>。反動でアオイの背後に着地する。意表を突く三次元機動!


 互いに背を向けた形。プリンセスは再び鉄山靠の体勢に入る。

 が、その瞬間にアオイは右に跳んで避けている。

 アオイの反応もまた凄まじい。プリンセスは右へ向き直る。


 そこへ二本指が突き出された。墨式『おもて』。

 読んでいなければ目を潰されていた。プリンセスはこの時<空歩>を踏んでいた。空中に逃れる。


 空中で横に手をついて<空跳>。宙に浮いたまま軌道変更。

 完全に現実離れした動き。アオイには想像できる筈がないもの。

 しかし。


 アオイが、正確に、首をプリンセスに向けた。その視線はしっかりと相手を捉えていた。

 意表を突かれ続ける激戦により、アオイの感覚はさらに鋭敏になっていたのだ。プリンセスは見た。興奮するアオイの表情、その両目が、恍惚と細まっているのを――!


「珠姫……」


 アオイが口を開いた。この局面で会話を? しかしそれでもプリンセスは耳を傾けてしまう。そしてアオイが、言葉を続けた。




「珠姫……たのしそう」




「えっ?」


 思わず、反応を返した。それで気が付いた。

 プリンセスはこの時、口元を緩め……笑っていたのだ。


 ――ああ。なんて事だろうか。

 アオイを楽しませようと、笑わせようと全力を出して。自分がそれを言われるのか!

 でも、当然だ。いま。最上珠姫は、やりたい事をやっているのだ。


 楽しいに決まってるじゃないか!


「わたしも、楽しい。うれしい……!」


 アオイもまた、顔をほころばせた。友達と、ゲームを最高に楽しんでいる、この感じ。今までの一色葵の人生になかったもの。


 アオイは地を蹴って空中へ跳び出した。宙返りの形で、空中への蹴りを繰り出す。プリンセスはそれに対し、全力で応えた。

 空中から<空跳>で得た反動と、重力の力を借りて、全ての勢いを乗せたヒジを落とす。


 両者の技が、地上1メートルでぶつかった。


 アオイの蹴りは……プリンセスの肘を、横から捉えていた。相手の勢いをずらす。

 そして回転の勢いで、アオイはプリンセスを蹴り落とす体勢に入っていた。


 まずい。

 プリンセスは直感した。このままでは頭から落とされる。彼女は密着する相手の蹴り足を押しのけようとした。のだが。

 それは出来なかった。


 ――<ストロングガム>。


 それは足の裏に限定されたスキルではない。効果はほんの一瞬だが、どこへでも貼り付ける事のできる接着剤のスキル。


「……は、ははっ」


 プリンセスは再び、笑った。

 全くめでたい事だと、彼女は思った。

 スキルでアオイが、自分の上を行く。


 ――最高だ。


 姫君のアバターは、そのまま地面に激突した。

 直後。

 プラネット13位「プリンセス」は、爆発し戦場から姿を消した。

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