N2-7
「お疲れ。どうだった?」
「やっぱり、たのしい……」
一度ログアウトしゴーグルを脱いだ葵に、鋭一は聞いてみた。
葵は自らの拳を握ったり開いたりしながら、きらきらと瞳を輝かせている。楽しめていそうなのは、何よりだ。
そして、しばらくそうしてから葵は鋭一のほうを向いた。
「鋭一」
「ん?」
独特な、透き通るような無垢な瞳を向けながら、ねだるように葵は言った。
「頭、撫でて」
「……ええ!?」
鋭一は驚きうろたえた。彼女は時折、急激に距離を詰めてくることがある。戦闘でも……人間関係でも。なるほど得意技といったところだろうか。
「鋭一はわたしを褒めるべき」
葵は
「わたしが技を覚えたり、強くなったりしたら、お父さんは頭を撫でてくれた」
言いながら、彼女は自らの頭を差し出すように下げた。
「わたしは撫でられる権利があると思う」
「わ……わかったって!」
葵の何とも言えない気迫に、鋭一は観念した。右手を出し、葵の小さな頭にのせる。髪の毛の感触が手のひらをくすぐった。
「凄いよ、実際。今の相手、結構強かったんだぜ?」
「わたし、偉い?」
「うん、偉い」
手を動かして撫でてやると、葵は気持ちよさそうに目を閉じた。耳の生えている戦闘中より、今の方がよほど猫っぽいと鋭一は思った。
しかしそれにしても……可愛い。
手のひらを動かすたびに、すべすべした質感を感じる。ほんのりと良い匂いまでする。本当に、この子は……恐ろしい!
だんだんと手つきがぎこちなくなるのを感じながら、鋭一は葵が満足するまで撫で続けることとなった。
「褒められるの、久しぶり。うれしい」
葵はほくほくと微笑んでいる。学校ではまず見られない顔だ。
「うん、まあ……喜んでくれるなら、よかったよ。葵、やっぱこのゲーム向いてるって」
「そう。……あ、でも」
そういえば、と葵は何か思い出したように顔を上げた。
「さっきの、鋭一がやってたやつと違う?」
どうやらそこが気になったらしかった。同じゲームをしていない、とでも思われたのだろうか。葵の首が横に倒れる。「疑問」のサイン。
「ん? ああ。門番のとこでルール決めたろ? 今のはデュエル、一撃で決まらないやつだから……」
「鋭一はやらないの」
葵は首を傾けたまま続けた。
「デュエルをか? まあ……今はな」
「なんで? 遊ばないの……?」
そう聞かれた鋭一は少し、宙に目線を彷徨わせた。
若干間を空けてから、何もない空間に呟くように答える。
「俺は——勝つのが好きなんだ」
脳裏にいくつか、過去の景色がよぎる。決まらない二撃目。長引く試合。
「だから遊んでる暇はないっつーか……まあ、気にすんなって」
どこか寂しそうな目で見てくる葵を宥めるように、鋭一は言った。
「それより、今は葵が遊ぶ時間だろ? どんどんいこうぜ」
***
[FINISH!!][WINNER AOI]
[FINISH!!][WINNER AOI]
[FINISH!!][WINNER AOI]
それから立て続けに三戦ほどしたが、葵は何の問題もなく連勝した。
そもそもこの「Cランク」で戦ううちは、あの踊り子くらいの相手も、そういるものではない。他の低レベルな相手はあわれ、葵の奥義の格好の餌食となっていった。
鋭一は個室のドアを見る。外が少しばかり、騒がしくなってきた。
このゲーム施設は、プレイルームは個室だがロビーは開けた空間になっており、設置された大型ディスプレイでは中で行われている試合を観戦することができる。
そこに0ポイントからあっという間に四連勝した新規プレイヤーがいれば、当然目につく。しかも、どの試合もノーダメージ……つまり、登録から未だ一度もダメージを受けていないというのだ。
このドアの中に、一体どんな人物がいるのか? 観客たちも気になっていることだろう。
だが当の葵は、静かなものだった。三人目を
「あんまり、強くない」
「うーん、そうだな」
鋭一は考える。こう言ってはなんだが、楽勝すぎる。最初は技を出すたびに目を輝かせていた葵も、なんだか淡々としてきた。
彼女は楽しめているだろうか? 飽きたりしないだろうか? 鋭一にとってはそれが一番困る。なんとかして、もう少し強い相手と当たれると良いのだが。
葵はとりあえず、次の対戦にアクセスする。検索が始まり……しばらくして対戦相手が決定する。マッチングが表示された時、ドアの外がまた少し、ざわついた。
——『アオイ VS ユキオ』。
「……ん?」
組み合わせを見た鋭一が反応した。
ユキオ。所持ポイントは1960。Cランクの上限値に近い成績だ。これは間違いなく強い。本物だ。
プラネットに登録した人間が「ランキング戦」を戦う場合、一律「Cランク」という階層からのスタートとなる。
ランキング戦は勝利すれば、相手とのポイント差や勝利時の残り体力に応じてポイントが得られる。一戦で得られるのは最大で100P程度。Cランク同士の対戦で2000Pを貯めれば、Bランクに昇格だ。
たったひとつ階層を上がるだけに見えて、これがなかなか難しい。勝てばポイントは増えるが、負ければ相手に与えた分のポイントは減る。勝ったり負けたりを繰り返していては、同じポイント帯に留まるだけ。ランクを上げるには、連勝できるだけの明確に抜きんでた実力が必要なのだ。「脱初心者」程度では、そこには届かない。
デュエル・ルールで戦う全覚醒者の実に六割近くが、Cランクでポイントを比べあっているくらいなのだ。そこを突破間近となると、当然注目選手ということになる。
ロビーからは「おっ、期待のルーキー対決」「このアオイって子、まだ負けてないんでしょ?」「ユキオもここまで無敗らしいぜ」「マジで? 1960まで無敗とか!」「ユキオは初見殺しキツイしなあ、女の子不利じゃない?」などの声が漏れ聞こえてくる。鋭一も、ほぼ同意見だ。
両者は戦場で向かい合う。「ユキオ」はコートのフードを目深に被った、怪しげな青年のアバターだ。
「ん? 340P……ラッキー、初心者か。楽なところを引いたね。これは無敗でBまで上がれるかな」
ユキオがにやりと口の端を持ち上げる。だが鋭一もこの時、同じように笑っていた。
「いやいや。舐めてもらっちゃ……困るぜ」
ここ最近で一気にCランクを駆け上がった
そして試合が、始まった。
ユキオは見せびらかすように人差し指を掲げる。
アオイは警戒して構える。
「この人は……さっきまでとちがう」
アオイは呟いた。面妖な雰囲気。まとう殺気の質も違っている。
ユキオが、動く。掲げた人差し指を、前に向ける!
「……ビーム!」
するとユキオの人差し指から、光の筋がまっすぐに放たれた。アオイは機敏にかわす。アオイの背後、光線の着弾点からは「ジュウッ」という熱のこもった音とともに白煙が上がった。まるで兵器だ。
「…………!?」
「おお。初見でこいつをかわすとは……やるねぇ」
ユキオはアオイの理想的なリアクションに、満足そうに笑った。
アオイは目を見張っている。頭の上では猫耳が、せわしなくピコピコと動いていた。
「こ、この野郎……ずりぃなあ」
鋭一は観戦しながら歯噛みした。プラネットは、あくまで格闘戦が主体だ。スキルには厳しい射程制限がある。つまりこの技は、おそらく当たってもダメージを受けるわけではない筈だ。目くらましの類だろう。
ゲームに慣れている人間ならば、それをわかった上で対策を考えられる。だが初心者の葵には、いくらなんでも無理な話だ。
ユキオはその後も「ビーム」を連発した。アオイは全てかわすが、攻撃に移れない。右。左。最短の動きでかわし続ける。
まるで予知でもしているかのような最適解の回避だ。それができるのが、葵の凄さでもある。
観戦する鋭一が感心していると……肩に温かいものがぶつかった感覚があった。時間をおいて二度、三度。
横を見る。VRで攻撃をかわしながらリアルの身体を左右に揺らす少女の姿がそこにあった。並んで座っていたため、肩がぶつかったのだ。
操作の上で体を動かす必要はないとはいえ、ヒートアップすれば勝手に動くものだ。珍しい話ではない。鋭一は邪魔にならないように席を立ってやった。葵の揺れはだんだんと大きくなり、やがて彼女はついに立ち上がった。
ゴーグルに隠れた彼女の顔が、どんな表情をしているのか今はわからない。だが画面の中のアオイは瞳を収縮し、より鋭い目つきとなっていた。
「…………たおす!」
「やってみなよ」
アオイの刺すような視線を向けられても、ユキオは平然と返事する。ルーキー離れした肝の据わり方だ。
再び、ユキオが右手を掲げる。指先から光線が逬る、その前に。アオイが……左斜め前に飛んだ! 遅れて、ビームが着弾。だがその光は、アオイの視界に入りすらしない。
アオイは相手の「殺気」を直接感知できる。彼女はビームのタイミングに、既に適合していた。
フードに隠れたユキオの表情が変わる。初めてアオイの接近を許した。
ユキオはここで初めて、左手を掲げた。今まで光線を出していたのとは逆の手。
一方のアオイは飛び上がったまま右手を引く。攻撃の予備動作とともに……どす黒い殺気が膨れ上がる!
「——!?」
ぞくり。
衝撃のようなものを感じ、ユキオは思わず目を閉じた。まだ相手は攻撃動作の最中。何をされたわけでもない。それなのに彼は……一瞬、動きを止めてしまっていた。
ユキオはすぐに意識を復帰する。またビーム、と見せかけて……彼はアオイとの間に霧を
そして、静寂。
中で何が起きたのかはわからない。緊張の展開に、鋭一はごくりとツバを吞んだ。
「……な、何だ? どうなった?」
視線を滑らせ、画面上のHP表示を確認する。アオイはまだ700ほど残っている。
ではユキオは?
「え?」
信じられない、というふうに鋭一は呟いた。
「…………ゼロ……?」
ユキオのHPは空になっていた。先ほどまでは、満タンだったはずだ。アオイが霧の中で何をしたのかはわからない。……だが、この一瞬で彼女がユキオを倒したのならば。
一撃、必殺。
アオイはそれを成した、ということになる。
バカな、と鋭一は思う。そんな技はプラネットには存在しない。噂で聞いたことはあるが、都市伝説やオカルトのようなもので、信憑性も再現性もない。
鋭一がそう訝しむのと、ほぼ同時。
——ガシャン。
鋭一の耳に入ってきたのは、硬質な破砕音だった。
ゲーム内の格闘戦でするような音ではない気がする。鋭一は部屋を見渡した。物理的なほうの葵の姿がない。
代わりに目に入ったのは、蝶番が吹き飛んで倒れていくドアだった。個室の外の景色が見える。
「……何だって?」
思わず声が出た。画面の中では、対戦の切断を示すアラートが表示され、勝敗はノーゲームとなっていた。
「……何だって?」
色々なことが信じられなくて、鋭一はとりあえず同じセリフを繰り返した。
「………………どうしよう」
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