11-4

 ――「あたしは『AKARI』だ」、とアイドルは言った。

 すごいなあ、と思う。


(わたし、は……?)


 葵はそんなふうに、自分を定義できない。

 暗殺者だ……とは、言い切れない。奥義の習得は半ばで止まった。

 ゲーマーとしても、まだまだ途上だ。


 でも。それでも、言えることはある。


「わたしは、強い」

「わたしは強い、だから……たのしい」


 それは間違いない本音なのだ。

 今の自分は。少し暗殺拳が使えて、戦うのが好きで、ゲームが楽しくて……とっても強い。


 そんな、ただの、女の子。

 鋭一のおかげで、今は楽しい日々を過ごしている……一人の少女。


 趣味は……「ころしあい」かな?



 * * *



 アオイのローキックがAKARIに入る。手ごたえ、あり。

 HPが大きく減る。もはや風前の灯火。

 アオイにとって、圧倒的に有利な情勢。


 だがそれでも戦意を失わないAKARIは流石だ。

 彼女は――まだ「思考」を止めていない!


 ぞく、とアオイは相手の殺気を感じた。彼女は「殺気」を明確に知覚できる。相手の殺気が足元に向けられていることも、アオイにはわかった。


 ぴょん、と一度跳ねる。AKARIの手が空を切る。ローキックの軸足を、狙われていた。掴まれたら危なかった。

 だが……避けた。そしてアオイが着地する。


 ――そこへ再度、AKARIの手が伸びた。


「…………!!」

「つかま……えたよ!!」


 アオイの反応が「鋭敏すぎる」事をAKARIは理解している。だから二本の手を一度には使わない。一本目に反応させれば、二本目が活きる。やはり「理」においては、彼女はアオイを上回っている。


 即座にアオイは相手の腕を蹴る。AKARIのHPも限界が近い。だが……離さない! AKARIはアオイの足首を掴んだまま引き寄せ、相手のバランスを崩しつつ、両手を使ってアオイの左足を挫いた。


 これでアオイは右腕と、左足が使えない。


「つよ……い!」


 また思わず、アオイから言葉が漏れる。これも本音だ。

 だが彼女の瞳は輝きを失うどころか……増していく!!




「――そうだ。それでいいんだ」


 試合を観戦する鋭一が……頷いた。横にいた珠姫は思わず彼を見た。

 よほど思い入れがあるのだろう。彼は涙ぐんでいるように見えた。


「楽しいだろ? 超楽しいだろ? 良かったなあ……葵」


 ぐっ、と、強く拳を握る。

 自分にとって最高のゲームが、葵にとっても最高になった。

 そして、自分が見込んだ通り、トップレベルの舞台で、躍動している。


 それは今まで求めてきた「自分が勝利する」快感とは別種のものだった。

 達成感や爽快感とは違うけれど……温かくて、思わず嬉しくなるような。

 そんな優しい感情が、胸の内に満ちていた。


「あとは……勝つだけだぜ」


 鋭一は目を逸らさない。学校の片隅で見つけた、最高の宝石から。




 状態としては一転、ほぼAKARIの勝勢と言っていいところまできていた。

 HPが残っているのはアオイ。だが片手片足を封じられた状態だ。

 とはいえ、気を緩めてはいけない事はAKARIも理解している。

 どうせなら四肢を全て奪ってやるくらいのつもりで攻めるべきだ。


 ちょうど目の前には、残った右足があった。

 そこへAKARIは組み付く。アオイは身をよじるが、十分な抵抗はできない。


「わたしは……」


 また、アオイが喋った。この試合ではいやに良く口を開く。

 普段は、あまりしない事だ。


 アオイは押さえられなかった。

 高まるこの気持ちを黙っているのが耐えられない。


 ――今まで、ずっと黙っていた。


 教室で、家で。一人で「幽霊」として過ごし、誰ともかかわらず、己の技を隠し、自分が何者で、どんな特徴を持っているかなんて、誰にも話せなかった。


 でも、今は言える。


 こんな大勢の前でだって、言えるのだ。

 自分は強い。自分は楽しい。自分はこのゲームが、プラネットが好き。「ころしあう」のが好き。


 周囲の観客席からは、彼女を応援する声も聞こえる。

 言っていいんだ。自分の存在を、皆に伝えてもいいんだ!


「わたしは……葵」


 それは、ただの自己紹介。ただし、数年分の想いの詰まった、自己紹介。




「一色……葵、です!!!」




 叫びながら、少女は大きく頭を打ち下ろした。

 ――ヘッドバット!!


「ぎ……っ!?」


 AKARIが思わず悲鳴を漏らす。右足を狙いにいった腕が逸れる。

 これは彼女も予想外。「思考」の外だった。

 ゆえに、この瞬間、致命的な隙が生まれた。


 アオイは残った片足で地を蹴り。くるりと体を反転させる。

 そしてAKARIの、背後へと回る。

 左腕一本で、彼女の、首を取る。


「――――あ」


 その、瞬間。


 AKARIには見えてしまった。絶対に見たくないものが見えてしまった。

 彼女の「先読み」に長けた驚異的な思考力は、この展開の未来を読んでしまっていた。

 背後の相手。既に首を取られた状態。そこからアオイが攻撃するまでの時間にできる事があるか? それが意味するものとは?


 ――「詰み」。


 AKARIが理解したのはそれだ。残念ながら、間違いない事だった。


「くっ……そお…………」


 思わず涙が出た。抑えられなかった。

 ここまできて。ここまで到達してなお、勝てないものがあった。

 だが、未来は覆らない。彼女は目を閉じた。


「強い、ね……」

「うん」


 AKARIがつぶやく。アオイが答える。


「一色葵ちゃん、ね。覚えたよ。絶対、覚えたからね……!」


 その言葉が、最後だった。

 アオイの左腕に力が籠められる。AKARIの首に大きなダメージ。

 そして、圧倒的存在へとたどり着いたアイドルアバターは……爆発、した。


 勝者が、決した。


 ――[FINISH!!]

 ――[WINNER AOI]



 * * *



「おおっ……!?」


 ガタッ、と、音を立てて最初に反応したのは安田だった。

 およそ、解説者として呼ばれている者の態度ではない。


 だがこればかりは金谷も、責める気にはならなかった。

 冷静な経営者・ゴールドラッシュですらも、今、試合場に向けて送る目線に、抑えきれない熱を含んでしまっている事を、否定できなかった。


 激戦だった。


 最後まで結果の読めない、ギリギリまで骨肉を争う名勝負。

 自らの戦う試合でなくとも、ここまでの試合を見られるという事、それ自体が……プラネットにハマッている一人のゲーム好きとして、なんと幸せな事だろう。


「お……」「オオ……!」「「「オオオオオオオオ……!!!」」」


 静まっていた観客席に、さざ波のように広がり始めた歓声は、やがて大波となり、会場全体を包み込んだ。

 二人の少女を称える歓声は、いつまでも止むことがなかった。


「チクショウ……面白え……面白えなあ……! 」


 安田は興奮して言った。


「早くやりてえなあ、こいつらと。開会式の宣言、ウソじゃねえからな。早く……早く来いよ……!!」



 * * *



 このゲームに命はかかっていない。古来の暗殺拳のように本当に死ぬわけではない。それでも……彼女は、天野あかりは、ゲームに「命をかけて」いた。


 いや。そういう意味では、上位の覚醒者アウェイクの大半はそうである、と言えるかもしれない。

 本気で勝とうとする時、人はゲームに「命をかける」のだ。


 そんな試合に負けると、どうなるか?


 悔しい。

 ただただ、メッチャクチャに悔しい。

 だってそれが、ゲームというものだから。


「ぐっ……ぐぞぉ……こんな顔、アイドルは見せちゃ、いけないんだけど、なぁ……!」


 試合後。ゴーグルを外した天野あかりは、その目を涙に濡らしていた。


「…………あ、の」


 一方の、葵。言葉こそ少ないが、明らかにその頬は紅潮しており、瞳は潤んでいる。

 大型ディスプレイの表示をもう一度確認する。

 そこには彼女の勝利が、大きく表示されている。間違いなく。


 一度目を閉じて、開く。これは葵が味わう、初めての大きな「達成感」と言えるものかもしれなかった。


「えっと」


 葵は興奮冷めやらぬまま、自らのポシェットをあさる。だが、もうカラだった。煎餅がない。どうしよう?

 少し左右を見て、その後、意を決した彼女は、一歩前に出て。


 右手を、差し出した。


 あの葵が、自ら。人とコミュニケーションを取ろうとしている。

 たった一度サインを貰い、たった一度、戦った。

 それだけの関係だが、葵にとって、もうアカリは特別な存在だった。

 一緒にゲームをするというのは、最良の、仲良くなる手段なのだから。


「ありがとう……わたし、本当に……ありがとう……!」


 葵の絞り出すような言葉に……あかりは、涙を拭った。

 目の前の葵の表情は、たまらない必死さと愛嬌があった。


 ああ、やっぱり、この子は……

 どうしようもなく可愛くて、めちゃくちゃに強い!!

 そんな女の子を、あかりは目指しており……

 そんな女の子が好きだから、「そう」なりたいのだ。


「うん。あたしも……キミと戦えて、ホント、よかったよ」


 あかりは、葵の手を握り返した。



 ――こうして、トーナメントの全試合が終了した。


 優勝、一色葵。

 アバター名――アオイ。

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