A2-5

「んー。…………ナイショ」


 アカリの仕草に思わずドキッとしかけて鋭一は首を振った。何しろ目の前に彼女がいるのだ。

 気を取り直して鋭一は口を開いた。


「ま、まあとにかく飯にしよう! 何か買いにでも……」


 鋭一は部屋から出ようとソファを立つ。しかしその服の袖を、葵が掴んだ。


「鋭一、まって」

「ん? どした?」

「これ」


 見ると、葵は何やら大事そうに、包みを小脇に抱えていた。


「今日は……おべんとう」

「おお!? つ……作ってくれたの?」


 初めてのことだった。鋭一が聞き返すと、葵は恥ずかしげに、こくりと頷いた。


「うん。がんばった」

「へ……へえ」


 鋭一は思わず頬が緩む。なんというか、とてもカップルっぽいと思う。葵は目の前で、いそいそと弁当の包みをほどいている。


「なっ……くそ、トボけた子だと思ってたけど、意外にポイント稼いでくるわね」


 何やら悪態をつくアカリを横目に、鋭一はわくわくして、葵が弁当箱のフタを取るのを見守った。

 フタの下に現れたのは……



 ――白い。



「「……ん?」」


 鋭一は目をこらした。アカリも顔を近づけてのぞき込む。なぜかわからないが、弁当箱の中が全面的に白かった。

 最初は米か? と思ったが、どうやらそうではない。おかずの一つ一つが、白いのだ。もはやちょっとした雪景色だった。気になった鋭一は聞いてみた。


「これは?」「ささみ」

「これは?」「さかな」

「これは?」「たまごやき!」


 葵は得意げに答えた。なんと、卵焼きまで白かった。


「き……黄身はないの?」

「白身のほうが強くなるって、お父さんが言ってた」

「そ……そっか」


 確かにどれも、筋肉とかには良さそうな気がした。なんというか、流石は一色家だ。


「じゃ、じゃあありがたく。いただきます」

「いただきます」


 さっそく、鋭一は真っ白な卵焼きを口に運んでみる。味まで真っ白なんじゃないか……という懸念もあったが、味はちゃんとついていた。


「……おお。おいしい」

「! よかった」


 ぱあ、と葵の顔が明るくなる。


「ほ、ホントにぃ……? 気になるな。私も一個、いい?」

「うん」


 半信半疑といった様子でアカリもひとつ食べてみる。確かに味は悪くない。


「むむ。意外とおいし……い、いや! でも、まだまだ、努力が足りてないわ。私だったらもっと上手く作るわね!」


 思わず褒めかけたアカリだが、すぐさま挑発する。キッと葵のほうを睨んでみせると、葵はその瞳から殺気を……出すことはなく、きらきらとした純真な目で見返した。


「あかりちゃんの料理? 食べてみたい……! ねえ、こ、今度……」

「は、はあ? 何で私が……」


 調子を狂わされるアカリ。どうにもツンツン気味な彼女に、鋭一はため息をひとつ。


「何だよ、そんな言い方ないのになあ。実際、おいしいのに」

「ほめられた。嬉しい……じゃあ、こっちも」


 喜んだ葵は続けて、今度は水筒のほうに手を伸ばした。飲み物まで用意してくれたのか。

 お茶か何かかな? と鋭一が見ていると……傾けた水筒からは、固形と流体の中間のような中身がでろり、と注がれた。


「……え?」


 何、今の粘液? と鋭一は聞けなかった。液体の色は、びっくりするくらい緑色だった。せめてここも白かったらよかったのに!


「はい。鋭一」


 葵からコップがわりの水筒のフタを手渡され、鋭一はごくりと唾を呑んだ。流石のアカリも今は黙っている。下手に挑発すれば、自分に回ってくるかもしれないのだ。


「こ……これも、お父さんが……?」

「うん。『ひでん』だって。飲むと、強くなる。鋭一も……強くなる?」

「秘伝……! よ、よし」


 鋭一は覚悟を決めた。案外不味まずくない可能性もある。

 何にせよ、ここで葵を前にして、拒否する選択はない!

 鋭一は思い切って緑色の粘液を口に流し込んだ。


「…………~~~~!!」


 直後、硬直!


 ――正直に言えば、不味い。何かの草の味が猛烈に舌と喉を攻撃してくる。もう体が飲み込むことを拒否するレベルだ。


 だが。それをリアクションに出してはいけないのだ! 目の前では葵が心配そうにこちらをのぞき込んでいる。不味いなどと言えるわけがない。彼氏として、プロゲーマーとして。根性の見せどころだ。何としても……飲み込んでみせる。


 三、二、一……今!


「――っ、ぶはァ!」


 やった。やってみせた。鋭一は今、試練を乗り越えたのだ。あとは笑顔を崩さず……


「は、はは。美味しい……よ」


 言ってやった。葵は喜んでくれるだろうか?


 鋭一の言葉を聞いた葵は……しかし。こてんと、首を横に倒した。


「鋭一……変わってる」

「……へ?」


 葵はちびりと、自分用の液体を口にした。そして目をぎゅっとして、耐える表情になる。


「うう。……やっぱり、おいしくない」


 それでも頑張って、彼女はちびちびと飲んでいた。


「そ……そういうパターンか~~~~!」


 鋭一はドッと疲れを感じ、床に倒れた。後で聞いたところによると、墨式ぼくしきの継承者たちも、代々死ぬほど我慢して飲んでいたそうである。伝統とはまったく恐ろしいものなのであった。


「ちょ……ちょっとA1さん!?」


 さっきまで反発的だったアカリもつい鋭一の介抱に回り、この日の特訓はここまでになったのだった。


***


 ――そうして、彼らの日々は続いていった。

 いつのまにやら一週間以上が過ぎていた。

 毎日の特訓は、徐々に実を結び始めていた。


 キュキュッ


 アオイの連続移動が決まる。視界を揺さぶられ、対戦相手はついてこれない。

 まだまだ不安定ではある。だが、昨日よりは幾分マシな動きだ。そしてこの相手には、それで十分だった。


 敵の死角から、黒猫は頭部を狙ったハイキックを繰り出す。完璧な狙いで爪先が側頭部に命中し、相手側のHPはゼロになった。


 [FINISH!!]

 [WINNER AOI]

 [CONGRATULATIONS! NEXT RANK‐B]


「やったあ」

「ま、当然だけどな」


 勝利のメッセージが出ると同時に、葵はゴーグルをはずして鋭一に飛びついた。連戦連勝でBランクに到達した葵は、これで大会の参加資格を満たしたことになる。


「鋭一。ほめて」

「え? ……ああ。こんな短期間で良くやったよ、マジで」


 鋭一が頭を撫でてやると、葵は気持ちよさそうに目を細めた。


「あかりちゃんも、ありがと」

「か、感謝とかしてんじゃないわよ! 敵! 敵だからね!?」


 そういうアカリの顔も微妙に得意げではあるのだが、鋭一はそこには触れないでおくことにした。


「実際に当たったら、覚悟しなさいよ。容赦なく叩き潰してやるんだから」

「――ああ。俺たちだって、負けないさ」


 アカリが息巻く。鋭一が拳を握る。葵はぴょん、と楽しげに小さく飛び跳ねた。


(……ふん。Bランクになれたくらいで喜ぶようなオメデタイ子に、負けてられるかっつーの。楽しそうでいいわね)


 三人で互いに視線を交わす。アカリは戦意に満ちた目で二人を見る。二人の瞳はどこか輝いて見えた。この日々を楽しんでいる輝きに。


 自分は、どうだろうか。


(まあ、A1さんとも絡めたし、悪くはなかった……けど)


 彼女自身の瞳にもその輝きが伝播している事に、アカリはまだ気づいてはいなかった。



 ――とにかく、彼らの大会に向けた準備は、整ったのだ。

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