エピローグ「今日から二人は」

 帰路。鋭一と葵は並んで歩く。


 VRルームからの帰りをこうして二人で歩くのは、すっかり習慣になっていた。最近ではたまに、書店の漫画コーナーに寄ることもある。


「鋭一」

「ん?」


 葵は歩きながら、横の鋭一を見上げて呼んだ。


「わたし、忘れてないよ」

「あ……ああ」


「鋭一は記憶力が大丈夫? 覚えてる?」

「い、いや忘れてたワケじゃないんだけど、ね」


 鋭一は慌てて葵から目をそらした。そう。もちろん鋭一だってしっかり、覚えている。


 ――『もし勝てたらさ、葵に伝えたいことがあるんだ』


 あの日、高台の公園での約束。

 ただ、いざ言うとなると恥ずかしいし緊張する。それだけのことなのだ。


「鋭一は、わたしに言いたいことがある……んだよね」

「う、うん」


「……あのね、鋭一」

「うん?」


 鋭一が決意を決めきれずもごついていると、葵から話し始めた。


「わたしも……あるの。鋭一に言いたいこと」

「俺、に?」


「先に、言ってもいい?」

「い……いいけど」


 なんだかちょっと情けなくなり、鋭一は頭を掻いた。だが葵がそうしたいなら、先は譲ることにしよう。


「わたしね」


 葵は目を伏せて息を吐き、思いを、口にした。


「鋭一と……もう一度、ちゃんと戦いたい」

「……俺、と?」


 それは鋭一にとって意外な内容だった。


「二人で試合なら、毎日やってるじゃないか。あれじゃダメってこと?」

「わたし……知ってるよ。鋭一が本気だったのは、わたしに勝ったあの時だけ」

「…………」


 鋭一は口ごもった。あながち、否定できない。あれ以来、葵とは勝ったり負けたりだが、毎日葵と特訓しながらの勝負は練習試合としての意味合いが強く、あの時のような、魂を燃やしての真剣勝負としては戦っていない……気がする。


「――わかった。戦おう。真剣勝負だ」


 鋭一は答えた。彼女と、ちゃんと戦うなら……彼にも、考えていたことがあった。


「ただし、それは今日じゃない。明日でもない」

「?」


「俺は、葵と戦うなら……プラネットの頂点で、がいい」


 鋭一は立ち止まった。つられて葵も止まる。

 横は小さな公園になっており、人はいない。風が吹くと、空き缶の転がる音がした。


「Aランクの一番上で。最強決定戦がやりたいんだ……この二人で」

「!」


 鋭一は真剣な表情で葵を見る。葵もまた、純粋な瞳で見返した。


「だから……目指さないか? 最強。その……一緒に」


 どうせなら……最高の舞台でやりたい。そして、そこに辿り着くために二人で競い合う……ライバルになりたい。それが、鋭一の決意だった。葵の反応はどうだろうか。


 彼女は鋭一のほうを見たまま、瞳を徐々に、うるうると滲ませた。


「……鋭一」

「どうかな」

「いいの? ……ずっと一緒に、遊んでくれるの?」


 それは彼女にとって、最も嬉しい提案だった。

 ずっと遊び相手がいなかった葵。そんな葵が、自分の技を存分に使える、最高の遊び場を見つけた。


 そして。それを教えてくれた鋭一が、最強になるまでずっと一緒にゲームをしてくれるというのだ。毎日。ずっとずっと。


「そ、そりゃ当たり前だよ」


 葵の声はだんだんと上ずり、涙が混じり始めた。


「……うん」


 そして葵は、笑った。何度もこくこくと頷きながら。


「良かった。……よろしくな」

「うん、うん」


 葵は鋭一の手をぎゅっと掴んだ。その力は強く、切実なものが宿っていた。


「……さて」


 鋭一はここでようやく、一息ついた。何しろもうひと山、残っている。


「じゃあ……俺の番だな」


 葵は顔を上げた。期待と不安が顔に出ている。わずかに紅潮した顔は、やっぱりどうしようもなく可愛いと、鋭一は今更ながらに思った。


「葵……その」


 鋭一は素早くあたりに視線を配った。周囲に人はいない。こんなところでまで、ゲームでつちかった力が生きる。


「今までなんだかんだ、成り行きで付き合ってきちゃったけど……もう一度、ちゃんと言わせてほしい」


 呼吸を整える。これも格闘には大事なことだ。

 鋭一は自分が落ち着いたことを確認し。


 想いを、声にした。


「俺と……付き合ってください」


 風が鋭一の背後を通る。それ以外の音は何もない。


 いや、鋭一が感じないだけかもしれない。まるで時が止まったかのようだった。

 さっきまで何度も頷いていた葵の動きも、ピタリと止まっている。


「その、『この後』とか『今日だけ』とかじゃなく。その……! 『こいびと』として」


 鋭一は乾いた口で精いっぱいに言葉を続けた。


 これが、鋭一の「伝えたかったこと」。改めて、ちゃんと、葵と付き合いたかった。今や鋭一は……葵と、本気で、そういう関係になりたいと思っていた。


 そして……どれくらいだろうか。少しの時間が過ぎ。


 呆然と止まっていた葵は、ぱちくりと瞬きし――

 首を横に倒した。


 疑問のサインだった。


「鋭一……やっぱり、記憶力が……」

「えッ」


 渾身の告白をかわされたようで、鋭一は思わず体の力が抜ける。まるで必殺の掌底をかわされたかのようだ。そして葵はその流れのまま……カウンターを放つ。


「わたし、鋭一の、こいびとだよ?」


 どこか不満そうな葵は、そんなことは当たり前じゃないか、とでも言いたげだった。


「あ、いや、確かにそうなんだけど、そうじゃなくてね……?」

「むー。へんなの」


 葵は呆然とする鋭一に近づき、手を取って腕を絡めた。このは効果的だった。密着すると体温を感じられ、鋭一はたじろぐ。


「行こう、鋭一。明日も遊ぶ」


 葵は弾んだ声で言った。

 ――まあ、いいか。彼女のうきうきした様子に、鋭一もまた笑った。時間は少しかかってしまったけれど……二人の関係が、ようやく目に見えた気がした。



 今日から二人は――最愛の恋人で、最大のライバルだ。

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