一色葵の好きなもの(3)

「……むーーーー」


 珍しく不機嫌をあらわにし、葵は教室の前で待ちぼうけしていた。

 もう放課後なのに、鋭一が来ないのだ。

 鋭一と葵は同学年だが、隣のクラスである。クラスが違えば教室の中の事情はわからない。


「あら、どしたの葵ちゃん」


 それに気づいた最上珠姫は、彼女に近づいて話かける。

 鋭一と葵に出資している女子高生社長である彼女は、鋭一と同じクラスだ。


「鋭一、こない。今日も遊ぶのに」

「あちゃーーー……伝わってないなコレは」


 珠姫は額に手を当てて残念がった。

 そして悲し気に目を伏せ……彼女らしからぬシリアスな口調で、告げる。


「葵ちゃん……少し、残念なお知らせがあります」

「……?」


 葵が不安げに首を傾ける。


「それが、その……鋭ちゃんに、良くないことがあって」

「……鋭一……!」


 珠姫の声にはいつもの明るさがない。葵は不安を露骨に顔に出した。


「鋭一、どうしたの? ねえ……!」

「落ち着いて聞いて、葵ちゃん。鋭ちゃんは。鋭ちゃんはね……」

「う、うん」


 葵がこくりと、小さなノドに唾を通す。

 そして珠姫が、言葉をつづけた。



「補習に、なっちゃったんだ……」



 しばらく、そこで会話は止まった。

 放課後のざわめきも遠く聞こえ、それ以外の音はない。


「居残りに、なっちゃったんだよ……だから……」

「…………!」

「今日はゲームこれるか、わかんないんだってさ。ヒドイ話だよねもう」


「……そっか」


 しばらくリアクションのなかった葵が、何かに気づいたようにピコンと頭を上げた。彼女は手を打って理解した。


「鋭一は、記憶力が心配だから……」

「あ、そういうことになってるのね……」


 葵は理解したとばかりに、こくこくと頷いた。

 珠姫はそんな扱いを受けている鋭一に、苦笑するのであった。


「むー……でも……そう、今日、遊べない……」


 しかし理解はできても、葵は少し落ち込むそぶりを見せた。彼女は今日も、この時間を楽しみにしていたのだ。耳のしおれた子猫のようにしょげる。

 そんな彼女をなだめるように珠姫は言った。


「まあまあ。体動かして忘れなって。VR個室には連れてったげるからさ」



 * * *



 [FINISH!!]

 [WINNER AOI]


 今日も変わらずアオイは絶好調だった。

 暗殺少女のアバターは躍動し、相手の目を潰し、首を折る。


「たのしい」


 仮想空間のアオイはある程度機嫌を直したように、ぴょんと飛び跳ねた。


「ねえ、勝った。鋭一、ほめて――」


 そして思わずゴーグルを脱ぎ、後ろを向く。

 だが、そこにお目当ての高校生プロゲーマーはいなかった。


「……むう。そうだった」

「まあまあ。あたしで良ければ頭くらい撫でてあげるからさ~」


 そんな葵の頭を、珠姫はわしわしと撫でてやる。

 葵は珠姫に甘えるように少しすり寄って、その場はおさまった。


「さ、特訓を続けなきゃ。約束のバトルの日も近いんだからね?」

「うん」


 そして珠姫は次の戦場へ葵を送り出すのだった。


 そう、特訓を途切れさせるワケにはいかない。

 有名配信者にして格上の実力者である「百道ももち」と、ビームをはじめとした奇策使いである「ユキオ」のタッグを相手に、A1とアオイが生配信で戦う試合はもうすぐなのだ。



 * * *



「…………!!」

「おっと、こりゃア儲けたかな……あの『ゴースト・キャット』と引き分けに持ち込めるかもしれないぞ」


 その次の試合で、珍しくアオイは苦戦していた。

 Cランクのランキング戦だ。そこまで強い相手がいるわけではない。

 相手の攻撃はアオイには通用しない。


 だが、攻めきれない。相手は<軟体>のスキルを多用し、アオイの攻撃をいなし、かわすのに専念していた。

 アオイが苦手とする「現実にありえない戦い方をする」ファイターだ。


「だいじょうぶ。わたしは――強い」

「ホホウ! 来てみたまえ」


 アオイは急加速。相手の腕を掴もうとするが、その狙いが外れる。

 狙った位置から、くねるように腕を移動させた相手はヌルリと逃げた。


 <軟体>は四肢限定で身体をくねらせるスキルだが、彼のゆらゆらとした動きと合わさることにより、全身がタコか何かになったかのようだった。


「わたしは――」


 思わぬようぬいかない戦い。葵の中には、今までにない感情が芽生えようとしていた。

 今度戦う相手である「ユキオ」とは、かつて一度戦った。目の前の相手のように、「ありえない」事をするファイターだった。


 いつまでも逃げていられない。ありえないものにも勝たないといけない。

 今度の試合は大事な試合なのだ。

 大事な人との、試合なのに――



 ――ガチャ。



 その時。ドアの開く気配がした。

 試合中のアオイに、リアルでの部屋の様子は見えない。だが気配でわかる。足音でわかる。声は聞こえないが、雰囲気で、わかる。


「鋭……一」


 彼女はつぶやいた。


「鋭一。見て」


 その声を、平田鋭一は聞いた。彼は画面に目を向けた。

 <軟体>使い。なるほど、やっかいだ。だが打開策はある。


 試合中にアドバイスはできない。ここで声を出しても届かない。

 だが、それが必要ないことを鋭一はわかっていた。


「わたし……勝つよ!」

「ああ、勝て!!」


 アオイは、鋭一の言葉を思い出した。以前に貰った、アドバイスだ。

 そうだ。こうすればいいんだった。


『ありえない相手にはな……こっちも、ありえない事をしてやりゃあいいんだよ』


 アオイは。そこで唐突に。

 スライディングで相手に迫った!


「……何!?」


 相手が驚愕する。普通に考えれば意味はない。格闘技として考えれば悪手でもある。蹴られたり、踏みつけられるかもしれない。

 だが、これは当たった。この敵は軟体。今、敵の足はやわらかいのだ。


「――やぁっ!」


 そして相手に近づいてから、爆発的な勢いで跳びあがる。

 その素早い動きに相手の目は追いつけない。ジャンプした体勢から見下ろしながら、アオイは決め手を打った。


 右手を振り下ろし、相手の頭を掴む。


「…………バカな」


 敵が驚愕した。<軟体>は、を軟体化するスキルだ。五体ではない。そこに首は含まれない。


墨式ぼくしき、『とどめ』――あなたを、塗り潰す」


 アオイが宣告した。もはや逃れる術はなかった。

 少女は頭を掴んだまま、相手の胴体に蹴りを叩き込み、仰向けに倒しながら首を捻じり折った。凄まじい、暗殺のための奥義だった。


 敵アバターが爆発する。少女は勝利の余韻に目を細めた。


 [FINISH!!]

 [WINNER AOI]



 * * *



「葵! やったじゃ――」

「……鋭一!」


 試合を終え、ゴーグルを外した葵に鋭一が近づく。

 だがそれを迎え撃ったのは、少女の無慈悲な二本の指だった。


「――どわアァア!!?」


 ギリギリでかわす。鋭一でなければ視力を失っていた。


「鋭一、今日、遅れた……。約束を守らないのは駄目」

「いや悪かった、悪かったよ!」


 その様子を珠姫は離れてニヤニヤと見守っている。

 助けてはくれなさそうだ。


「わかった、わかったから! お詫びする! 煎餅でも何でも、好きなモンあげるからさ! 奢るし! 許してよ!」


 鋭一は両手を合わせ、懇願する。

 だがその言葉に、葵は、動きを止めてしまった。



「好きな……もの……?」



 それを考えた瞬間、ここ最近の思い出が頭をよぎり、迷いを生じた。


 好きな食べ物は、お煎餅だ。

 ゲームをするのも、楽しい。

 暗殺拳を使うのは、ものすごく楽しい。


 でも一番って、何だろう?

 最近は、楽しいことが、とっても増えた。一人で「幽霊」をしていた頃とは、何もかもが違う。


 脳裏に浮かぶ記憶を整理する。

 鋭一と音ゲーをして、難しいのをクリアした。楽しかった。

 鋭一と煎餅を買いに行って、はしゃぎすぎたのを助けてもらった。嬉しかった。

 今日はプラネットの試合で、鋭一のアドバイスで勝てた。


 お煎餅は、好き。ゲームは、好き。あと、あとは――?



「鋭一」


 葵は、VRゴーグルを手に持って、鋭一に渡した。


「……ん? これは?」

「遊ぼ」


 葵は無垢で透明な瞳に、わずかな光をきらめかせ、まっすぐに鋭一を見て、言った。


「わたしは、鋭一と遊びたい」


 彼女の、一番の希望を。


「それが、わたしの好きなもの」

「……そ、うか」


「もちろん、いいぜ」


 鋭一は笑って、ゴーグルを受け取った。

 彼女がそれを望むなら、断る理由はない。


 しかし……。

 彼女の、好きなもの。鋭一と、ゲームで遊ぶ。

 一番好きなもの。


 鋭一?

 ゲーム?


「じゃあ、さっそくやろうか」

「うん」


 だが、鋭一は聞き返さなかった。

 どちらにしたって、鋭一にとっても好きなものだからだ。


 二人は今日もゴーグルを被り、VR空間にダイブする。

 アバターの姿で向かい合う。これから始まるのは、容赦ない「殺し合い」。

 鋭一が、葵が、最も輝く時間。 


 そして、その時間の始まりが、システムからコールされた。



 ――[READY]

 ――[FIGHT!!]

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