A7-2

 赤茶けた大地に向かい合う、黒猫と格闘家。


 山本のアバターは、当然本職での試合時の「山本道則」そのもの。上下とも道着を身につけ、黒帯を締めたスキンヘッドのおおがらな男。


 [READY]


 両者が構える。アオイは両手を下げたまま視線を相手に。山本は両のこぶしを顔の前に出すディフェンス気味の構えをとった。

 それまでも二人の間に流れていたさつばつとした空気が、よりいものとなった。


 風がき、向き合う二人の間を通り過ぎるが、こののうみつな雰囲気を洗い流す事はできない。


 そのまま、いくらかの時が流れた。観客の中には、数分が過ぎたのではないかと時計をかくにんする者までいた。しかし彼の時計の文字ばんの上では、秒針が三十度ほど進んだに過ぎなかった。


 何人かがつばむ音が、客席のそこかしこから聞こえる。

 一人。二人。三人。その時。


 [FIGHT!!]


 ちんもくを破り、開戦の合図が告げられた。

 しゆんかん、戦場に流れる空気がさらに変化する。


 山本の周囲をただよい、彼にり添うだけだった戦意がベクトルをあたえられ、全てアオイに向けられた。

 しかし、どちらもまだ動かない。アオイは完全な不動。山本は小刻みに左右に動き、様子をうかがっている。


 じつきよう席はこの状況について、次のように語った。


「いきなりこうちやくしましたか……この試合はどことなく、これまでと雰囲気が違うね。いかがですか『Z』選手」

「山本か……あのおっさんはマジで恐いのでかんべんしてほしい」

「頼むから解説をしてくれ」


「つまりだな。恐さも武器、って事だよ。経験値も違うし、どうしたって相手はしゆくする。俺でもだ」

「それは安田君だからじゃないの……?」


「相手のコンディションをくずすのも強さのうちって話だ。nozomiさんあたりも使う手だな。俺も、ちょっと恐い顔の練習とかした事あるし」

「それ、成果はどうだったのさ」

「……ばくしようされた。もう二度とやんねえ」


 安田の経験はともかくとして、彼の言う事は実際、山本もある程度意識してやっている。ナメられたら終わり、というやつである。

 しかし、この相手はどうだろう。目の前のアオイという少女はまるで心乱れる様子もなく、自然な構えのまま動かない。


「こいつは……油断ならんな」


 ならば、山本としても不用意には動けない。彼の経験してきたかくとうの試合において、初手は非常に重要な意味を持つ。


 一度主導権をわたせば、れん的に敗北までのレールがかれてしまう。そういう世界だ。だから可能な限り、自分からけたくはなかった。それは相手にとってもそうだろう。まん比べだ。


 だが。選手ひかえしつのディスプレイで観戦していたえいいちはこの時、気が付いた。

 アオイの口元が、少し、ほんの少しだけ、むようにゆるんでいることに。


「……そうか。あんな恐ぇーやつを前にしても、楽しいんだな」


 自分の試合を前にきんちようしつつあった鋭一はそれを見て、どこか安心した。


「いいよ、やっちまえ。──っ込みたいんだろ? あの殺気の中にさ」


 瞬間。アオイが加速した。



 ──ぼくしきおもて』!!



 静から動へ。自らの殺気を解放して彼女は真正面から山本をきゆうしゆうした。鋭く、ただ鋭く。アオイの指は二本のけんとなって山本のガードの中へもぐり込んだ。


「な…………ッ」


 山本にすきというものは存在しない。常に連続する意識が相手をとらえている。

 が……しかし。まばたきをしない人間というものがいないように、どれほど集中し張り詰めた意識でも、数秒に一度「ぎ目」とでも言うべきものが存在する。


 そこを、アオイは狙って突く事ができる。


 山本はそくに頭を下げ、かがみ込むというせんたくをとった。

 しかし……そこにはアオイのひざせまっていた。二段構え! これはけられない。


 なので山本は、身を引きながらアオイの膝を額で受け止めた。可能な限りしようげきを殺す。


 そして──つかまえた。りよううででアオイのかたつかむ。

 そのまま力をめ、相手をあおけにたおすような投げを打つ。


 しかしアオイは背中から倒れ込みながら……ひざりのために曲げていたみぎあしを、思い切りばして山本のかたぐちを蹴り飛ばす。アオイの肩を摑んでいた左手が、はなれる!


 片手落ちとなった山本の投げから、アオイは身をひねってのがれた。横向きに落ちながら受け身を取り、即座に離れる。


 両者、再びスタンディングポジション。


 山本はきようがくに息をいた。

 彼が最もおどろいたのは、最初の『おもて』。ガードすら無視する、真正面からのしゆう。あんな技は、現実でもゲームでも、見た事がない。


「……おい、何だ今のは。お前は……お前みたいなのは、にも居なかったぞ……!」

「あなたは」


 アオイはこたえるように、静かにつぶやいた。


「とっても強い」

「ああ、お前もな」


 山本は歯をき出して笑った。現実の試合中ならば、ありえない事だ。

 いつぶりだろうか? 戦いの最中に笑うなど。


「まったく……なあ、本当に。居るもんだな」


 戦闘中に語り合うゆうがあるのも、ゲームの良いところだ。に息が上がったり、舌をむ心配もない。思いのたけを、存分に言葉にしながら戦う事ができる。


「まだ、見た事もない技を使う奴が!」


 山本が、動いた。


 自ら前に出ながら、右のジャブ。アオイは最小限の動きで体をずらしかいする。

 山本の右拳は、彼女のわきばらの真横を通り過ぎた。その手首をアオイが摑み取る。間合いがきんきよに固定される。


 アオイは摑んだ手を引いて相手の頭を下げ、そこへ逆の手で、つぶし。山本は首を倒して回避。さらに頭の位置が下がる。


「うん。これで……届く」


 アオイは目を突きにいった手で、山本の頭部を摑んだ。必殺の形だ。


「……やってみろ」


 山本がどうもうみを向けた。

 アオイは動じず、言葉を返す事もなかった。返事は、技で返した。


 神速の膝蹴りが山本の鳩尾みぞおちに突き込まれる。大きなダメージ。

 そのままアオイは残った足で地を蹴り、山本を仰向けに倒そうとする。首と腕をじりながら。


 首、肩、膝、投げの四つのわざが同時におそい来る。受ける者からすれば、まるで理解不能なしろもの。だが、山本はその技の一つ一つを知覚できる。


 すさまじい力で仰向けに倒されそうになっているが、山本の足はまだ地に着いている。これをん張り、空中にヘッドバットを出すような動きで、摑まれた頭部を解放する!


「ぬ…………おおッ!!」


 首にダメージはある。だが折られては、いない!


 右肩は、もう助かるまい。関節をこわされるに任せる。

 そして膝と、投げ。これは難しい動きではない。山本は背中から落ちないよう体を横向きにかたむけた。その流れで、鳩尾に当てられた膝をずらす。


 二人の体が、地に落ちる。


 アオイは地面に膝を突き立てる形。山本は余った左手で受け身。

 山本のHPは八割近くがけずれ、右手も失ったに等しい。

 だが、生き残った。


 必殺が、必殺でなくなった。ぼくしきが……『とどめ』が、破られたのだ。

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