4-3

『相 撲 じ ゃ な い』

『そりゃ見た事ない相撲だよ! 見た事はないけどもww』

『相手の女の子かわいそう』


 100ch.の視聴者コメント欄はツッコミで溢れかえっていた。笑いは十分に取れていると言って良さそうだ。盛況である。


「今回のテーマは……これ! 相手の意表を突こう! という事でね、カードやスキルを工夫する以外にも勝つためにできる事はあるんですよ、と! そういう事を見せたい! アバターは力士でいきます。見たこともない相撲を見せますよ!」


 試合前の百道の宣言は、こういうものだった。


 画面の中の力士は再び立ち合い、飛びかかる。

 今度こそ正面からぶつかる……と見せかけて、前につんのめり逆立ちすると、ブレイクダンスのように回転しながら連続蹴りを繰り出した。肌色の独楽コマが回る。腹の肉が遠心力で震える!


 普通の相撲が頭に刷り込まれている人間は、コンマ単位とはいえどうしても対応が遅れてしまう。アオイは両腕を交差し、防御に専念せざるをえない。

 かわすか、さばくかできれば良かったが、思ったよりも肉体の反応が鈍い。昨日までスピードに1枚セットしていたカードのありがたみが分かる。


『いやー、モストカンパニー絡みっていうから来たけど、これは百道ズルいなあw』

『初見殺し乙』


 試合開始の直前に打たれた広告によって、生放送の視聴者は倍程度にまで増えていた。モストカンパニーといえば、運営に認可されたオリジナルアバターや独自開発スキルを販売している会社だ。プラネットにのめり込むような人間ならば一度は世話になった事があるだろう。


 さらに近年は選手育成にも手を出しており、主宰はあの「プリンセス」。サドンデス王者「A1」などの一癖ある覚醒者アウェイクも擁しており、ここしばらくの動画コンテンツを賑わせている。

 それが新人を連れてきたというなら注目に値するのは間違いなかった。


 が。それはそれとして甘くないのが百道だ。この覚醒者アウェイクはエンタメ性を大事にするが、コンセプトこそ失敗する事はあるものの戦いで手を抜く事はない。


 ブレイクダンスから着地した力士は直後に側転し、アオイから離れた。アオイは流麗な足運びでそれを追う。

 至近に迫られた百道は側転から立ち上がり——そこで止まらなかった。さらに後方へバク転。逆立ちの形で両手が再び地面に着きそうになる。そこを狙い、アオイは再び近づいてローキックを出す!


 にもかかわらず、アオイの蹴り足が空を切る。


 地面に着く直前、空中に百道の両手がした。これは<空跳くうとう>……モストカンパニーが販売している改良スキル。反発力が低いかわりに、手でも使える<空歩くうほ>だ。


 百道は空中で逆立ちした状態から、右足を振り下ろした。浴びせるような蹴りが意表を突かれたアオイの肩口にヒットする。

 あのアオイを相手にしていながら、明らかに主導権は百道にあった。そのくらいの強者だということだ。


「あっ……クソッ。ウチの商品で! お買い上げありがとうございますけども! 鋭ちゃん、これ大丈夫なの? やっぱスピード型のが良かったんじゃない?」


 珠姫はわずかに舌打ちし、鋭一を見た。だが鋭一はディスプレイから目を離さないまま言う。


「——いや。目潰し……あの目潰しさえ一度出せれば、奴は仕掛けた罠にまる筈なんだ」


 力士はそのまま腕に力をこめ、空中を中継点にバク転を成功させた。アオイからは攻撃の届かない距離まで離れる。

 動きで攪乱し、反撃の隙を与えないスピード型の戦いだ。

 腰を落とす。再び立ち合いの構え。前かがみになり、目線を上げる。


 すると目の前に、殺気をみなぎらせたアオイがいた。


「……何!?」


 敵が空中にいる間に、彼女はアクセルを踏んでいた。速度の緩急においてアオイの右に出る者はいない。まるで瞬間移動でもしたように見えただろう。

 百道が瞠目する。当然、その眼球の目の前にはスラリと伸びた二本の指があった。


「ぬ……おおおおおッ」


 よく反応できた、と言うべきだろう。百道はギリギリで顔を真横に向けた。右に90度回転した関係で、アオイの指に左目を切り裂かれる。が……片目で済んだ。


 墨式ぼくしきおもて』。

 唐突な加速による「真正面からの奇襲」は、年間かなりの対戦数をこなす百道にとっても未体験のものだった。もちろんそれは、試合を観戦する視聴者たちにとっても。


『何だ今の? ショートワープかなんか使った?』

『いや、硬直がなかったぞ。どうやって加速したんだ? あんなスキルあった!?』

『モストがなんか変なスキル作ったんじゃねえの? ホラ、宣伝でも何か言ってたじゃん。確か——』




『ゴーストニンジャガール』




「成程……! 見事な動きッス。感動した!」


 思わず左目を片手で覆い、いささか昂ぶりながら百道は叫んだ。

 右手を前に、構える。アオイもまた警戒し構えた。


「が……その速度なら、自分は——」


 片目を潰されては視野が狭くなり、遠近感覚も狂う。もはや間合いをとっての戦いはできなくなっていた。だが勝機が消えたわけではない。接近戦をすれば良いのだ。


 百道は、スピードには2枚のカードしか使っていなかった。残りの1つは、パワーだ。見た目以上の身のこなしを見せていれば、相手はスピードに3枚使っていると読み誤るかもしれない。だが、そうではないのだ。


 相手の裏をかくのが今日のテーマである。力士の意外なスピードに翻弄された者は、ここで隠されたパワーに騙されるだろう。さんざん惑わせておいて、最後に力士らしい投げで決める。実にエンターテイメントだ。

 このとき百道の脳内には、ひとつの仮定があった。生放送の視聴者たちも同じ事を考えていた。


『ゴーストでニンジャなんだろ? 一瞬姿を消すスキルを使ったんじゃねえの』

『<ブリンク>とか? でも消えたか?』

『探せば何かそういう構築があるんだよ。とりあえず、……』


 この相手ならば、組み合えば、押し切れる!


「自分は——自分の、相撲を、取るだけッス!」


 百道は巨体でにじり寄り、アオイの両肩を掴んで組み合った。特に抵抗もされず、意外にすんなりと組む事ができた。

 力技でねじ伏せるべく、力を籠める。次の瞬間。


 百道の天地は逆転していた。

 赤茶けた大地が上、澄み渡る空が下。


「…………あれ?」


 素の声が漏れた。戦闘中に百道の演技が途切れるのは、きわめて珍しい。


 力比べで、単純に敗北した。パワーに1振っておきながら対抗すらできない。

 ——と、言う事は。


 アオイは、スピードにはカードを1枚たりとも使っていなかった。3つ使ったのは、パワーだ。見た目以上の身のこなしを見せていれば、相手はスピードに3枚使っていると読み誤るかもしれない。だが、そうではないのだ。


 速度の緩急においてアオイの右に出る者はいない。

 まるで瞬間移動でもしたように見えただろう。

 アバター性能に頼らぬ、素の技術で……彼女にはそれができる。


 アオイは百道の右腕を強くひねって天地を逆にし、肩や肘の関節にダメージを与えながら、相手の脳天を地面に叩きつけた。同時にトーキックで鳩尾を容赦なく蹴りつけてもいる。アオイ必殺の同時破壊。これは変形の『とどめ』だ。


 そもそも墨式における奥義『とどめ』とは、相手の身体のあらゆる箇所に致命傷を与えるべく、複数の技を同時に出す事……ひいてはそのための瞬間並列思考法の事をいう。

 本質は、その時に出せる技を出し、壊せる箇所を全て壊すという事。ただし……行き着く先は同じだ。


 これは——人を殺すための技なのだから。


 この技ひとつで百道のHPはゼロになった。断末魔すら上げる余裕は与えられなかった。

 力士の巨体はひときわ大きな光を放ち、爆発。

 アオイは爆風に髪をなびかせ、口元をわずかに緩めた。


「……さすが鋭一。パワー、便利」



 * * *



 直後、視聴者コメント欄は嵐のように沸いた。


『い……一撃!!? すげえええええええええ』

『サドンデスじゃねえんだぞ。……サドンデスじゃないよね?』


『え? 結局パワーが3だったって事? スピードは? ……3?』

『何だそれ、チートかよw』

『おいおい、プラネットでチートなんて聞いた事ないだろ。チートだったのはさあ…………中の人の性能じゃねえの』


 鋭一はソファに背を預けてほくそ笑んだ。珠姫と目を見交わす。最後のコメントは、彼のものだ。

 まったく葵は本当にとんでもない。多少の心配など、すぐ杞憂に変えてしまう。序盤に押されていた時こっそり手に汗を握っていた事は、彼女には黙っておこう。


 そうしてざわつく視聴者たちの耳に百道の声が割り込んだのは、そのすぐ後の事だった。演技はやめ、素の声に戻っている。


「うおおおお負けた! 何だ今の。とんでもない相手だったわ。是非インタビューしたいんだけど……あ、いたいた!」


 覚悟の門の外、広場ロビーに佇む和装束の少女に百道は近づいた。体は力士だが、なぜか裸の上にスーツの上着を羽織っており、顔にはメガネ。手にはマイクを持っていた。戦闘後の一瞬でアバターをカスタムしたのだ。芸の細かい事である。


「どうも! 対戦ありがとうございました! いやー強いっすね! 今の試合はどうでしたか!?」


 先ほどまでと違う口調でハイテンションに尋ねるリポーター力士に、アオイは戸惑っているようだった。首がいつもの角度に傾いている。


「……変わったおすもうだった」

「はっはっは! 面白いだろう。このゲームさあ、こんなに拡張要素あるんだよ? 一種類しかアバター作らないなんて皆、勿体なさすぎるよ」


「うん。すごく変だけど、楽しかった」

「ハハハ、変なのは楽しいぞ。キミも今度どう?」


 百道は大げさなリアクションで両手を広げた。まるで芸人だ。何かが通じたようで、アオイは満足げにうなずく。

 すると、その様子をかぎつけた視聴者たちのアバターが、彼らの周りに集まってきた。人が人を呼び、すっかり人だかりになっている。


「あれが『アオイ』か?」

「レベルCを1日で終わらせたってマジ?」

「さっきの技どうやったの!?」


 するとアオイは、今度は首を大きく傾けた。これは疑問が大きくなったというより……困っているのだ。人との会話すらあまりしてこなかった一色葵。もちろんこんな大勢の前でインタビューなどされた事はない。


「…………ううん」


 結局、彼女はこうした時の常套手段に出ることにした。「幽霊」になるのだ。


 タイミングをはかる。ピュウ、と一陣の風が吹いた。プラネット内ではよくある。

 その風が通り過ぎた時。スゥ、と少女の気配は消え、足音もなく人ごみを抜けたアオイはそのままログアウトしていた。このくらいわけはない。


 一色葵は、放課後の教室の喧騒の中からでも、誰にも気づかれる事なく下校できるのだ。

 ゴーグルを脱いだ葵は振り返り、鋭一の服の裾を掴んだ。


「うおっ。良かったのか? あの人たち置いてきちゃって」

「そうよ葵ちゃん、名前を売るチャンスだったのに——」


 鋭一と珠姫が声をかける。対して葵は俯くように頭を下げ、


「でも鋭一」

「?」

「あの人数相手だと……勝てない」


「——へ?」

「囲まれてた。こうするしかなかった」


 葵は肩をこわばらせ、上目遣いに鋭一を見る。


「少し、こわかった」

「え」


 生放送で数百の視聴者を震撼させたゴーストニンジャガールは、らしくもない弱音を吐いた。視界の端に、珠姫が噴き出しかけているのが映る。


『いない……あれ、どこにもいないぞ!?』『え、だってたった今までここに』『俺たちは何を見ていたんだ? さっきの試合は?』『彼女はいったい何だ? もしかして』


幽霊ゴースト…………!』


 ディスプレイの中では、煙のように消えた少女を探して混乱が起きていた。あの百道ですらアオイが去るのに気付けなかった。これはこれで伝説になるだろう。


 有名になるのも、難儀なものだ。

 鋭一は戸惑いながら、縮こまる葵の頭に手を置いた。




「鋭一」


 数秒ほどそうした後、葵の声がした。いくらか落ち着いただろうか。


「ん?」

「ありがとう。パワーにしないと……大変だった。勝つの、すごく苦労したと思う」


 いずれにしても勝てるつもりではいたらしい。彼女なりの勝算もあったのかもしれない。だが、この先——それこそ動画で見たようなnozomiやZと戦うにあたっては、彼女はもっと強く……というより、プラネットの事を知る必要がある。


「おお、そうだった。でもお礼はいいよ。負けないでさえくれれば」

「これからも……教えてくれる?」

「当たり前だろ」 


 鋭一は葵の頭から手を下ろし、ソファに背を預けた。


「約束したんだ、一番になってもらわないとな。『約束を破るのは良くない』だろ? ……もう葵の負けは、俺の負けなんだから」


 空中に視線を投げながら、鋭一は言った。

 以前より幾分か満足げな表情で。以前と同じことを。


「俺は——勝つのが好きなんだ」

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