N2-9

 最上珠姫もがみたまき


 親がベンチャー企業の社長であり、本人も実業家として知られる彼女は、鋭一と同じクラスに通う現役女子高生社長である。


 社長令嬢を自称しお嬢様ぶろうとするところがあるが、教室での彼女はあくまで普通の女子高生。実際の見た目や雰囲気も、同年代の少女とそう変わらない。

 確かにスポンサーとして紹介されても信じがたいかもしれない。まず令嬢を名乗るにはあまりにもスカートが短すぎるだろう……と鋭一は思う。


「いやあ平田プロ。給料を前借りとは、偉くなったもんだねえ?」

「ぐうう、返す言葉もねえ。助かったよ社長」


 とはいえその財力と手腕は本物である。彼女は到着するなり財布から数万円をポンと出し、さらには修理業者の手配まで代行して店長を納得させた。あっという間にその場を解決してしまったのだ。


「まったく、ただでさえ遅刻常習犯なのに器物損壊とか。キミが素行不良だとスポンサーまで評判落とすんだからね?」

「す、すんません……。だが『スポンサーに相談してみます』って言った時の俺はなかなかカッコよかったかもしれん」


「調子乗ってんなこの野郎。愛しの葵ちゃんにイイトコ見せられて満足かい?」

「べ、別にイイトコ見せたいわけじゃ……」


 珠姫は鋭一と同じクラス……つまり、葵と鋭一の関係についてもとっくに知っている。


「つーか女の子にかまけられてちゃ出資者としては困るんですけど。デュエルの特訓は進んでるのかな、一発屋くん?」

「なっ……。いや、だからまだ特訓中なんだって。当面はサドンデスで我慢してよ」


「賞金額が違うのよ。勿体ないじゃない。あたしは、平田プロが本気出せばあたしなんてすぐ追い抜くって信じてるんだからね。ちゃんと勝ったら給料はずむよ?」


 珠姫は蠱惑的に脚を組み替え、親指と人差し指で¥マークを作ってウインクした。さりげなく相手を褒めることも忘れない。自分の雇っている選手には気持ちよく働いてもらおうという意識があるのだ。


 だがそれでも、鋭一の答えは歯切れが悪い。


「いや、でも俺は……」

「おやおや口ごたえする? いったい誰のおかげでVRセット買えたんだっけ~?」


「ぬうう言い返せないメッチャ悔しい。これが金の力か」

「あははは。あたしの可愛い飼い犬ちゃん。靴でも舐めたらよしよししてあげよっか?」


 珠姫はペットボトルの紅茶を飲み一息つくと、鋭一の隣で「幽霊」になったままの葵に視線を移した。


「……で、鋭ちゃんの説明によれば、この子がドアぶち破ったって?」


 葵は黙ったままピクリと反応した。初対面相手で緊張していたりするのだろうか? だが、鋭一相手にはそんなことはなかったはずだ。何しろ初対面から眼球を潰されかけた。どうしたのだろうと鋭一が思っていると、葵は肘をつついて小声で話しかけてきた。


「……鋭一」

「ん? どした」

「この人は、どういう関係」


 葵は珠姫に聞こえないように呟き、口を尖らせた。……なんだか、あまり良くない印象のようだが。


「あ、ああ。えっと、そうだなあ」


 鋭一はやや口ごもる。プロゲーマーとしてのスポンサー、なんて言って葵に伝わるのだろうか? 何と説明すればいいか……と悩んでいると、


「おっ。気になるかい?」


 当の本人が気づいて口を開いた。


「鋭ちゃんとはなかなか長い付き合いだけどねえ、ま、ここ数年の関係で言えば、鋭ちゃんはあたしの飼い犬ってとこ?」

「この野郎~」

「……む?」


 珠姫の説明に対し、鋭一は不満を表明し、葵は眉をひそめて首を傾けた。


「鋭一は犬じゃない。人間」


 どうやらそもそも通じていなかった。


「……そ、そだね。まあ比喩よ比喩。要するに椅子になれと言えば、鋭ちゃんはあたしの椅子になるってコト!」

「むう」


「どうだ!」

「……それならわたしも、鋭一に座らせてもらう」


 すると。言うが早いか、葵は鋭一の膝の上にちょこんと腰を下ろした。


「えッ」


 仰天したのは鋭一のほうだ。慣れない柔らかさと温かさで、膝の上がむずむずする。目の前で髪が揺れると、信じられないような良い匂いが鼻をくすぐった。これは良くない。良すぎるので良くない!


「わお、大胆」


 珠姫は他人事のように笑ってみている。鋭一は大慌てで解説した。


「ちょっ、どこで対抗意識を……! 冗談だから。ゲーマーとしての契約に椅子とか含まれてないからね!? えーと……この人は、単に俺に給料をくれる上司……みたいなもん。それだけだから——」


「! ……お給料」


 鋭一の必死の説明でようやく得心はしたのか、葵は腰を浮かせた。


「鋭一をいじめる、わるものじゃない?」

「そ……うだな。ちょっと悪そうに見えるけど、まあ上司ってのはウソじゃない」


 すると彼女は椅子からスッと立ち上がり、戦闘時の流麗な体捌きからは信じられないほど固い動きで、ギクシャクと珠姫に近づくと、スカートのポケットに手を突っ込んで掌大の物体を取り出し、おずおずと珠姫に渡した。


「あげ、ます」


 若干割れた、袋入りの煎餅だった。


「……えっ?」


 それを見て珠姫は小さく噴き出し、それから派手に笑い出した。


「あははははは! えっ。ちょ? 何? どういうことこれ鋭ちゃん解説して!」

「え? いや、これは俺にもわからん……葵、どうした?」


 珠姫は何かがツボにハマったらしく笑いが止まらなくなっている。

 鋭一は葵の顔を見た。心なしか表情が硬い。やはり明らかに緊張しているようだ。葵は両手でスカートの裾を握り、珠姫のほうを向いたまま答えた。


「鋭一、がいつも、お世話なってる」


 至極真面目な顔で、ぽつぽつと。

 その言葉に、珠姫は二度噴き出した。葵の顔に紅茶の水滴が飛んだが、彼女は身動きひとつしなかった。


「あはははは、何この子、正妻ヅラってやつ!? カワイイなあ」


 珠姫はそんな葵に手招きし、自分の隣に座らせる。


「わかったわかった、この社長令嬢の高貴さが理解できるとは話のわかる子だ。コレはお近づきのしるしに貰っておくね。あたしは最上珠姫。隣のクラスだよ」


 珠姫はペットでもあやすように葵の頭を撫で始めた。どうやら葵もすっかり緊張を解いたようだ。


「マジかよ……一瞬で懐柔しやがった。俺なんて会うたびに目ェ突かれんのに」

「はは、葵ちゃん取られて悔しいかい? 最近この子にプラネット教えてたんでしょ」


「そうだよ。つっても今日からだけどさ」

「うーん、そうねえ」


 珠姫は椅子にもたれ、再び脚を組んだ。笑うのをやめ、目つきが経営者のそれに変わっている。


「なんかちょっと意外だよね。ストイックで努力家な平田鋭一プロが女の子と『遊ぶ』なんて。君にはもっと、自分が勝つために時間を使ってほしいんだけど」

「別に遊んでるわけじゃ……」


「ま、たまには良いけど上も目指してね? いつまでも一つのスタイルにこだわってないで、もっと稼いでもらわないと」


 急に肩身が狭くなり、鋭一は居心地悪そうに顔をしかめた。


 鋭一は確かな技量と実績を持っているが、デュエル・ルールへの挑戦には消極的だ。一応彼なりの理由もあるが……それを別にしても、ひとつの要素を突き詰めたサドンデスに比べると、デュエルの上位はとても難解な戦場だ。


 そこで戦えそうな人材を見つけたからこそ、テンションが上がっていたところだったのに——


「ん? まてよ」


 そこまで考えて、鋭一は思いついた。


「そうだ社長、葵のスポンサーについてやってくれよ。丁度、デュエルに挑戦してもらってたとこなんだ。滑り出しも好調だぜ?」

「へ? この子の?」


 珠姫は頭を撫でる手を止め、横の葵に目をやった。


「鋭ちゃん、冗談で話そらそうとしても無駄だぜ。昨日今日始めたばっかの人間にスポンサーつけようなんてさ」

「いやいや、マジですごいんだって。将来、絶対稼げるからさ」


 鋭一は思わず拳を握った。葵と初めて会った時の高揚感がフラッシュバックする。あの時感じた可能性は、今なお鋭一の中に根を張っている。


 鋭一の眼に宿る本気を珠姫は汲み取った。どうやら冗談ではないらしい。だが、それをそのまま信じるかは別の問題だ。

 珠姫は一応、本人にも話を振ってみた。


「ねえ葵ちゃん。あなた、強いの?」


 すると、先ほどまで小動物のようにじっとしていた葵は、いつもの涼しげな表情に戻り、


「うん」


 と短く返事した。そこにははっきりとした自信と自負が感じられた。

 あなたは強いのか? と聞かれて真顔でこんな返事のできる人間は、確かにそういない。


「うーん、なるほどねえ」


 珠姫は脚を組み替え、顎に手を当てた。


「いやマジな話、平田プロの目から見て見込みアリなら信じてもいいかとは思うんだよ。でもね、流石にCランクのプレイヤーに出せるお金はないわ」

「……そうか」

「とはいえ、この子が金の卵だとしたら逃がすのはイヤ。だから……葵ちゃん」


 腕を伸ばし、葵の頭にポンと手を置く。そして挑発的にウインクしながら告げた。


「とりあえず、あたしにその強さとやら、見せてもらえるかな?」

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