A4-2

 その、静かになった5号室の中。


「…………」


 アカリはまだ葵のほうを見ていた。煎餅を食べ終えた葵は、ゆっくりと味わうようにお茶を飲んでいる。ちんまりと座って落ち着いている様子は可愛らしく、かつ静かだ。日なたに座り込んでいる野良猫のようなのどかさがある。


 この子が……あのストイックで知られたA1の「彼女」。


「……ね、ねえ、葵ちゃん!」


 アカリは口を開いた。気になっていたことがある。聞くなら今だと思った。


「葵ちゃんって、その、A1……さんと、付き合ってる、んだよね?」

「え? ……うん」


 葵は顔をほころばせつつ俯いた。少し恥ずかしそうに……しかし同時に、嬉しそうに。

 そこへアカリは質問を投げる。聞きたいこと・その一。


「付き合うって……ど、どこまで進んでるの?」

「えっ。進むって……?」


「ま、まさかもう互いの家に行っちゃってたりとか……!」

「鋭一の家? ……行った!」


 葵は楽しかった記憶を思い出し、ぴょこんと顔を上げた。


「え……えぇぇェ!?」


 驚いたのはアカリである。冗談で言ってみたのが、まさか本当とは思わなかった。


「鋭一、一人暮らし、たいへんそうだった……。でもベッドは、やわらかくて」

「一人暮らしの!? ベッドで!?」


 アカリがのけぞる! みるみる顔が赤くなる!


「むう。そういえば鋭一、あの日は調子良さそうだった。すごい激しくて、どんどん強くなって……」

「激しく!? そ、それってどんなことするの……? どうだった!?」


 アカリが身を乗り出す! なんということだ、やはり鋭一も男の子だというのか?


「わたしも頑張って、何回か目は潰したけど……」

「目を!?」


「夜になったら『もうダメ』って、ゴーグル取られちゃった」

「…………ん?」


「夜は帰りなさい、って。もっと遊びたかったなあ」

「…………ええと、葵ちゃん」


 事情をおおよそ察したアカリはおそるおそる、目に当てた手を下ろす。


「む?」

「ゲーム以外は、何もしなかったの……?」


「むー? ゲーム以外……って、何?」

「そ……そっか~~~~~! 健全~~~~~!」


 アカリは疲れと安堵を同時に感じてへたり込んだ。


「え、じゃあ実際のとこ、今まで他に何かしてないの? キス、とかさあ……」

「き、キス」


 すると今度は、葵が顔を赤くした。


「…………したことない」

「じゃあホントにゲームしてるだけじゃん……」


 アカリは息を吐いた。なるほど、この二人の「お付き合い」は大体わかった。質問その一・終了。


「だって、わたし、デートってどうしたらいいか、わからないから……。漫画みたいにいかないし。あかりちゃんは、出来るの……?」

「へ?」


 すると今度は、葵からの質問があった。不意打ちに動揺し、アカリは咄嗟に答える。


「そ、そりゃあ、私くらいの人気者ならスキャンダルの一つや二つ、つきものだし? もはや何でもできると言っても過言ではないというか」


「すごい……! いいなあ。わたしにも、『付き合い方』教えて……ほしい……」

「は、はい!?」


 アカリはうろたえて頭を掻いた。言うまでもないが、ウソである。A1を見習って、ひたすらストイックに「一人で」己を磨いてきた歌姫に、恋愛経験などあろうはずもないのだ。


「ねえ、お願い。わたし、もっと鋭一と仲良くなりたいの。教えて教えて」


 アカリは直感した。このやりとりを続けると、マズイ!


「あー、わかったわかった教えてあげるから。今度、今度ね!? それより葵ちゃん、私もう一個聞きたいことあるなあ!?」

「むー?」


 彼女は何とか話題の緊急回避に成功した。胸を撫でおろす。

 そして……もう一つ聞きたいことがあるというのも、本当なのだ。


 アカリは立ち上がった。この個室は決して広くないが、テーブルを挟んで向かい合うくらいのスペースはある。アカリはテーブルの上の飲み物が空になっているのを確認し、コップを部屋の隅に片付けた。


 そして背後のソファから、クッションをひとつ掴む。


「ねえ、葵ちゃん」


 彼女の目つきはコイバナする少女のそれから、鋭い戦士の目に変わっていた。


「――これ、避けられる!?」


 直後。アカリはクッションを、葵に投げつけた!


「…………!」


 葵もまた、瞬時に目つきを変えた。最小限の動きで上半身を傾け、クッションを回避する。不意打ちにもまったく動じていない。


「……っ、簡単に! まだまだ!」


 アカリは歯を食いしばり、次々にクッションを拾っては投げる。葵の身体能力は、以前飲み物を運んできた時に見ている。一般人離れした驚異的な身のこなしだった。

 アカリはそれをもう一度、確かめたかった。


「む!」

「……この」


 葵は機敏に反応し、すべて回避する。それがあまりに鮮やかで、アカリは少々ムキになった。


 前にも感じたことだ。こんなに可愛い女の子が、こんなに強くて。

 そんな存在がいるのか。いていいのか。


 アカリが、リアルで「そうなる」のは諦めた、理想のアイドルのような少女が……存在してしまうのか!


 アカリは投げたクッションを目くらましに、葵のほうへ一歩踏み込んだ。そして相手を捕まえようと手を伸ばす。

 しかしそれも、あっさりと葵は見切ってしまった。


「……たのしい!」


 葵はわくわくと瞳を輝かせ、するりと逃げる。アカリはますます加速する。


***


 ――ドタバタとした音が聞こえ始めたので、鋭一はいよいよマズイと思った。


「な、何やってんだ……?」

「おうおう、いい感じかもね」

「いい感じなもんか。またドア壊れたら俺の責任になるんだからな! おい、葵?」


 部屋の外で待機していた鋭一は、中を確かめようとドアに手をかけ、慌てて開けた。


 そこで鋭一が見たものとは。


 ソファの上で、汗だくで絡み合う少女二人。


 アカリは葵の身体に覆いかぶさり、二人とも息は乱れ、服もはだけ、ああ、よく見ると、あろうことか!


 仰向けに倒れている葵のスカートと、そこに乗るアカリのスカート、その両方がめくれており中の布地があらわになっていた。水色とピンクだった。


「…………げっ!? あっ、ごめ――」

「……えッ!?」


 鋭一が謝ろうとするのと、アカリが見られたことに気づくのは同時だった。


「あっ、ちょ、これは……! わ、忘れて!」


 アカリは大慌てで立ち上がり、部屋から飛び出そうとした。

 しかし、飛び出せないのである。混乱したアカリは考えていなかった。扉の前には鋭一がいるのだ。


「「――あ」」


 二人は正面からぶつかった。衝撃で鋭一がよろけ、仰向けに倒れる。アカリはそこにうつぶせで倒れこむ。


「い、痛てて……?」


 背中から着地した鋭一は目を開けた。だが前が見えなかった。目の前は、温かくて柔らかい二つの何かに塞がれており、そこからはとてつもなく良い匂いがした。鋭一はギョッとした。


「「うわっ!?」」


 またしても揃って、鋭一とアカリは声をあげた。


「も……もう! 何なのよ……!」


 そしてアカリは、再び起き上がると今度こそ走り去った。どういうわけか、激しく脈打つ胸を押さえながら。


「これは……どっちに転んだのか、わかんないなァ……」


 その様子を見送りつつ、珠姫は半笑いで頬を掻くのだった。

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