N5-2

 鋭一が最初にやってきたのは大型のコミック専門店だった。

 他の街の本屋とは、規模や品揃えが段違いだ。


「…………すごい」


 これは、葵にもなかなか当たりだった。彼女は珍しく口を開けて驚き、店内を見渡した。


「鋭一、あっち見に行きたい」

「おお、行こう行こう」


 二人は遊園地のアトラクションを巡るように、本棚を巡った。


(……あれ)


 自然とテンションが上がった鋭一は思った。


(これ、わりと……楽しいかもしれない)


 色とりどりの背表紙が、いつもと違う色に見える。これはおそらく錯覚だろう。だが、いい錯覚だった。

 自分の好きなもので、女の子が楽しんでくれる。こんなに嬉しいことはない。


「鋭一、これは」

「ああ、読んだ読んだ。いいよね!」


「こっちは?」

「それは――」


 が。早々に、鋭一は固まることになった。


 葵は棚から、一冊の漫画本を手にしていた。厚みのほとんどない、薄い本だった。表紙には肌色が多く使われており、描かれた女の子は切なげな表情で目を潤ませている。その唇はどこからどう見てもキスをせがんでいた。あと全身が何らかの液体にまみれていた。


 嬉々として棚から棚へ移動していた二人がいつのまに踏み込んでいたのは、同人誌のコーナーだったのだ。


 制服を着た、十八歳未満丸出しの葵が、いかがわしい表紙の本を持っている絵面は……あまりにも、背徳的で刺激的なものになってしまっていて。


「え…………えっと」


 鋭一が一歩、たじろいだ。そのリアクションを見て葵は、自らが手に取った本をあらためて確認し……気が付く。それが自分の知っているタイプの恋愛漫画とは随分違うことに。


 彼女はもちろん、同人誌というものを知らない。だが目の前の本が、こう……要するにエッチな感じであることは瞬時に理解した。


「…………えっ!?」


 葵は思わず両手で自分の目を隠し、同人誌を取り落とす。鋭一はプロゲーマーの反射神経で、咄嗟にそれをキャッチした。


「そッ、その……! そういうのは俺たちまだ買っちゃダメだから、ね!?」


 鋭一はなるべく表紙を見ないように本を棚に戻し、葵の手を強く引いた。葵は鋭一に引っ張られるままに同人誌コーナーを離れる。葵は目をぱちくりと瞬き、鋭一を見た。


 男の子に手を引かれて危険から逃れるというのは、少女漫画でよく見たシーンだった。ただ残念ながら今回、その「危険」というのは、エッチな同人誌なのであった。


「い、いやービックリした! わ、忘れよう! な!」

「…………うん」


 見た目だけはなんとなくロマンチックな逃避行で、二人は書店を後にした。


 葵の頬は赤くなっており、それを鏡に映したように鋭一まで赤かった。それがロマンあるシチュエーションのせいなのか、単に本がエッチなせいなのかは……彼ら自身にもよくわからなかった。


***


「いやー、ちょっと慌てたけど、今んとこ何とかなってる……のかな?」


 鋭一は喫茶店のトイレで一人ごちた。


 コミック専門店の後、ゲームショップやCDショップ等も巡ったが、そこでは問題らしい問題は起こらなかった。人前で目潰しが出るとか、暗殺拳が暴発するような場面もない。


 デートというやつが上手くできているのかは、正直よくわからない。ただ、ゲームに精通し、葵の目つぶしを避けることもできる鋭一だからこそ葵の傍にいられるのだ……とは、言えるんじゃないだろうか。そう思うとなかなか悪くない気分だった。


 とにかく、まず無事に。そしてできるだけ葵を楽しませて終われるようにしよう。


 さて、あまり待たせても良くない。鋭一はトイレを出て葵の待つ座席へと戻った。

 が。

 そこで鋭一が見たのは、凄惨な事件現場だった。


 床に倒れたメイド服のウェイトレス。ひっくり返った皿。そして立ち尽くし、腕から赤い液体を滴らせている……葵。


 鋭一は一気に青ざめた。ここは閉鎖された孤島の洋館でもなんでもないのだ。ちょっと席を外している間にメイド殺人事件が起きてしまうなど、予想できる筈もない!


「ま、まさか葵……っ……?」


 思わず鋭一が声に出した直後。


「す、すすすみませんご主人様、お嬢様!」


 メイドが生き返った。死んでなかった。こんな時まで呼び方が職務に忠実である。

 そこに葵が慌てたようにわたわたと駆け寄ってきて、説明する。


「わたし、やってないよ? わたしは一度も殺したことない」

「え、じゃあ袖の赤いのは……?」

「この人、転んだ。わたし、オムライス助けようとした。でも、助からなかった……」


 葵は悲しそうに言った。それでようやく状況が理解できた。


 メイドが何かにつまずいて転んだところ、葵は持ち前の反射神経で受け止めようとしたのだ。彼女はメニューを選ぶ時も、目を輝かせていた。楽しみにしていたオムライスを何としても助けたかったんだろう。


 ……どうやら、間に合わなかったようだが。


「本当に申し訳ありません! すぐに作り直しますので」


 転んだばかりのメイドはその場を片付けると、ばたばたと裏方へ戻っていった。いくら鋭一でも、ドジをするメイドを生で見たのは初めてである。本当にそんなのいるんだなあ……となんとなく見ていると、


「……鋭一は、ああいうのが好き……?」


 葵がぼそっ、とつぶやいた。ビクリとしつつ、鋭一は想像してみる。メイド姿の葵。それは大変よろしい。

 で、それがドジをする。


 ――きゃー、ご主人様! 思わずご主人様の眼球抉っちゃいましたあ!!


 どう考えても自分に視力が残らない。


「…………いや。ああいうのは、ちょっといいや」

「むう」


 遠い目で答える鋭一に、葵はアテが外れたとばかりに首を傾けた。


***


 そうして、オムライスを食べ終えて店を出た二人だが。


「ちょっと、きもちわるい……」


 新たな問題が発生していた。葵の服の袖がケチャップで汚れたままなのだ。

 その後、執事風のマスターがクリーニング代も出すなどと申し出てくれたが、何しろ制服のブラウスなので、その場で脱ぐわけにもいかない。


「うーん。さすがにこのままってワケにも、いかないよなあ……」


 何か、服を替えたほうがいいだろう。と、なると。


「葵……服とか、買いに行ってみる?」

「! お洋服」


 鋭一が提案すると葵は、「服」の単語に反応して顔を上げた。もしこれがゲームの中だったなら、猫の耳がぴんと立っていたことだろう。


「漫画でも、見たことある。デートだと、お洋服を買いに行く」

「お、漫画知識のコーナー。そうか、確かに定番、か……」


 鋭一は複雑な表情で合点した。もちろん彼もそういったシチュエーションが存在するのは知っている。単に着替えが買えれば……というつもりだったが、デート的にはそういうのもアリだろう。


 自分がオシャレだとかそういうのに全く自信がないので、少し狼狽えてはいるが。


「ちなみに葵は洋服とかって、けっこう買うほう……では……ないよね」


 恐る恐る、鋭一は聞いた。買うほうではない、と断定しているのは、葵が制服を着て来ていたからだ。しかし葵は鋭一の心配を察したのか、


「だいじょうぶ。なんとか、する」


 と、目を光らせて言った。慣れない者にとっての服屋は、未知の世界だ。その瞳には、戦いに赴く暗殺者の覚悟が見て取れた。


「よ、よし。行ってみるか……!」

「うん」


 二人は目を見合わせ、頷きあった。どう見ても洋服を見に行くカップルのテンションではなかったが、奇妙な連帯感があった。まるで……同じ戦場で戦う友のような。



「――わあ」



 ところが。


 いざ手近なブティックに入ってみると、意外と葵は楽しそうにしていた。


 そういえばアバターのデザインを決める時も、自分から進んでコスチュームを選んでいた。元々かわいいものが好きというのはあるのだろう。当事者の葵が落ち着いているのなら、鋭一も不審な挙動をせず付き添っていればいい。それでもちょっとは緊張するのだが。


「むう」


 葵は二種類の洋服を手に取って見比べた。どちらもワンピースだった。左右に何度も視線を往復させる。決めきれずに悩んでいるのだろうか。

 葵はしばらくそうした末に、両手に一着ずつ悩んだ服を持つと、掲げてみせた。


「鋭一は、どっちがいいと思う」

「えっ」


 鋭一は息を詰まらせた。女の子の、服を、選ぶのか。自分が。

 葵の持ったワンピースは片方が装飾のついたシックな色合いのもの。もう片方は、パステルカラーでひらひらしたものだった。


 単純な好みでいえば後者……だろうか?


でもちょっとこう、薄着すぎる気もする。肩のとこなんか、細いヒモが結んであるだけだ。あんなのほどいたら、すぐ脱げてしまう。そんなのをこっちから指定するのって、何かイヤらしくないか!?


 何しろ鋭一にファッション知識はない。いや、葵にもないかもしれないが。とにかく正解がわからない。とはいえ時間をかけて悩むほど答えづらくなる!


「こ、こっち…………かな?」


 鋭一は観念した。観念して、好みに任せることにした。果たして葵のリアクションは。


「……さすが、鋭一」


 葵は素直に鋭一の選択に従い、はにかんだ。


「よくわかってる」

「そ、そっか?」


 鋭一は胸を撫でおろす。葵が良いなら、それで良いだろう。

 とにかく彼女はお気に召したようで、選んだ服を持って試着室に歩いていった。そういえば着替えるのが目的だったのだ。着て、そのまま買ってしまうのが良いだろう。


「――鋭一」

「お?」


 少しして、試着室のカーテンの中から声がした。鋭一は声のしたほうに向かい……そこで、ふと気が付いて身構えた。このパターンは、アニメなどで覚えがある。中の女の子が着替え終わっていないパターンだ。不用意に近づくべきではない。


「き……着替え終わった? ちゃんと着てる?」

「うん」

「お、じゃあもういいかな――」


 返事はしっかりしている。杞憂だったということか? 鋭一が近寄ると、カーテンが内側から押し上げられるように盛り上がった。


 ――試着室って、あんな開き方をするものだったか?


 鋭一はプロゲーマーの反応速度で察知した。カーテンの盛り上がりの先端が、急速に彼の顔面に迫っていた。この速度。鋭さ。これは、


「……ッどあぁ!?」


 回避! 鋭一は上半身をのけぞらせて危険な先端を避けた。


「……さすが、鋭一。よくわかってる」


 先ほどと同じセリフが聞こえた。カーテンが開いた。


 ひらひらのワンピースを着た葵が、二本指を突き出していた。その姿はまぶしいくらいに可愛らしく、おぞましいくらい危険だった。どんなに可愛い服を着ていたところで、危うく、二度とその姿を拝めなくなるところだった!


「こっちの服のほうが……技、出しやすい」

「そういう基準で選んだの?」

「えへへ」


 何やら随分、葵は嬉しそうだった。しかしカーテンで身を隠しての目つぶしは、あまりに実戦的すぎる。


「いくらなんでも、それはダメだって!!」


 このままでは身が持たない。流石に鋭一も注意しようとした……のだが。


 ――はらり。


 それより先に、葵の身に変化が起きた。首元からほどけたヒモが、床に落ちる。

 と、いうことは。

 はだけた上半身からは。胸の下着が。見え


「――……っ!」

「うおおおおお!」


 再度、明確に視力を奪われそうになった鋭一はなんとか己の眼球を守った。

 この子と付き合う以上……自分の目は、自分で守らなければならないのだ。

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