5-2

「探したぜ、最上珠姫。有名人が一人でフラフラと余裕だな」

「そりゃ、女子高生だもん。一人で寄り道くらいするわよ」


 珠姫の目の前にいるのは、見上げるほどの大男。体格も屈強だ。

 レンタルVRルームの入口横は薄暗い路地になっているが、その男に塞がれるといよいよ完全に影に覆われる。


「いい加減、返事をもらおうか。良い返事をな」

「返事なら何回もしたじゃない。てめーに出す金なんざ1円もない」


「……状況がわかってないな。お前が強いのは画面の中だけだ。メディアに出せない顔にされてもいいのか? 助けが来るよりも俺の方が速いぞ」

「このくらいでビビッてたら大金回す商売なんかできないっての。そっちこそ調子乗ってんなよ、ちょっと『順位』もらえたくらいで……ッ」


 ドシ、と湿った音が響いた。男が一瞬で珠姫の胸倉を掴み、建物の壁に押し付けたのだ。珠姫の足は地面から浮いており、抵抗もできない。


「こ……のッ」

「俺に出資しろ。声が出せないようなら肯定だな。年俸はそうだな、5——」




 その時。




 路地に面した建物——レンタルVRルームの三階にて。

 鋭一はゾクリとした悪寒に襲われ、窓際に立つ葵を見た。

 彼女は背中越しでも伝わる強烈な殺気を放っている。


 ……久々に見る。

 葵はアオイとしてではなく、生身で殺気のアクセルを踏んでいた。

 一人の少女がいま、一個の暗殺者に変わる。


「——葵?」


 鋭一は慌てて窓際に駆け寄る。

 しかし葵は返事もせず窓枠を乗り越え、外に飛び出した。


 身を乗り出して下を確認する。

 葵が落ちていく。その先には珠姫と、見慣れない男の姿。

 飛び出す直前に見た葵の顔は、いつもよりさらに鋭い目をしていた。

 あれはそうだ。きっと彼女は……


 怒っている。




 そこからは、様々な事が起こった。


 遥か上から飛来した葵の靴底は、大男の脳天を正確に踏み抜いた。

 男の言葉が中断する。おそらくは舌を噛んだだろう。

 さらには首も損傷したに違いない。


 その巨大な手が緩む。解放された珠姫が尻餅をつく。

 同時、葵が着地する。男がふらつく。

 よろめいた男の手首を、葵が取る。そのまま引き寄せ、頭を下げさせる。


 男の頭部を葵の手が掴む。


 鋭一は直感した。見覚えのある形だ。

 そこからどうなるかは、容易に想像がつく。何度も見てきた。

 ただしそれは……すべて、画面の中の話だ。今は違う!


 鋭一の反射神経が目を覚ました。

 彼は今すぐに叫ばなければならなかった。


「……葵! ストップ!!」


 届くだろうか。間に合うだろうか。もちろん、普段の葵ならば自分で自分を制御する事はできる。だが、先ほどの殺気。初めて見る葵の怒り。


 葵の持つ技は実際かなり危ういものだ。あれをゲームの中から出してはいけない。現実に技を使ったその瞬間、葵の存在は許されないものになる。彼女の暗殺拳は、ゲームの中の伝説でなければならない。間に合え。届け。


 ——葵の手が止まる。


 一瞬の後、再び動く。相手の肩も、首も捻らずに背中から投げ落とす。

 コンクリートの地面に、ズシンと重い音が響いた。男はわずかに震えて、あとは動かない。最初の踏みつけのダメージも加味すれば妥当なところだろう。


「……鋭一?」


 葵は息の一つも切らさずに顔を上げ、窓から覗き込む鋭一を見た。


「ああ。それくらいにしてやれよ」

「……うん」


 葵は少し迷ったが、こくりと頷いた。するとほぼ同時、珠姫が起き上がって叫ぶ。


「鋭ちゃん! ……とりあえず警察呼んで!」

「お、おう……! わかった」


 鋭一は返事して、窓から身を戻した。

 それを見届けてすぐ、珠姫は再び座り込んでしまう。


「…………ふう」

「だ、大丈夫」


 葵が駆け寄り、すぐそばにしゃがみ込む。

 珠姫は先ほど掴まれた胸元を押さえ、乱れて浅くなった呼吸を必死に落ち着かせようとしている。まだ緊張が解けきらないようだった。葵はどうすればいいのかわからなかったが、とにかく彼女の背中をさすってみる。


「雇い主が……飼い犬に弱みを見せるワケにはいかないからね」


 若干ぼやけた瞳のまま、珠姫は強がりを吐き捨てた。鋭一が見ている間だけは、何とか保った。十分だろう。

 珠姫はいくらか表情をやわらげ、葵に語りかける。


「……葵ちゃん、ありがとね。助けてくれて」

「う、うん」


 心からの礼のつもりだった。だが葵の声はどこか浮かない。


「あれ、元気ない? もっと威張ってもいいんだよ、人助けしたんだからさ」

「…………あの。わたし、また、ガラス」

「ああ、そっか。あそこね」


 珠姫は顔を上げて、大穴の開いたガラスを見た。


「あのくらいなら、また何とかしたげるよ。恩人だし」

「でも、わたし」

「ねえ葵ちゃん」


 自信なさげに俯く葵に対し、珠姫は何か思いついたように笑いかけた。


「あたしの、ボディーガードにならない?」

「……?」

「そしたら今日みたいな事があっても安心じゃん。お給料も出るよ?」


「守る……わたしが」

「そう! こんな頼りになる護衛もいないっしょ。持つべきものは強い友達だねえ」


 珠姫は葵を引き寄せ、抱き着くように背中へ手を回した。


「ホント良かったよ、葵ちゃんがいてくれてさ。引き受けて……くれるよね?」

「…………!」


 葵の目に光が灯る。そしていつもより少しだけ速く、こくこくと頷いた。

 初めての事だった。友達ができるのも、頼りにされるのも。


 学んできた技のせいで友達を困らせてしまったが、学んできた技のおかげで……友達を助ける事ができた。


 彼女はこの日、新しく二つのことを学んだ。

 ひとつは、自分の行動で迷惑をかけると、とても悲しいということ。


 もうひとつは……自分の力で友達の役に立つと、とても嬉しいということだ。



 * * *



 その日の晩。


 そろそろ寝ようかとベットに向かいかけていた珠姫の携帯が、けたたましく鳴り始めた。何事かとスマホを手に取り発信元を見る。直後、彼女は露骨に顔をしかめた。


 金谷健吾。通称、ゴールドラッシュ。それが電話の主だ。

 出ないわけにもいかず、珠姫は苦虫を噛み潰す気分で電話を取った。珠姫に執心している彼は、たまに割のいい商談を持ってくる事もあるのだ。


「……何の用? 未成年の睡眠時間を削らないでくれる?」

「こんばんわ姫ちゃん。キミが早く18になってくれれば、この時間に誘える場所も増えるのになあ」


「今の発言を録音しといたら、いくらくらいブン取れるかな」

「うおッ、それは勘弁して欲しいな。いや、それよりちょっと相談があるんだよ。真面目な話だ」

「手短にね」

「——『悪童』のヤツが、逮捕されやがった!」


 その名を聞いて思うところがあり、珠姫は少し黙った。


「…………。」

「あれ、反応がない。驚いた?」

「別に。どっかで聞いた話だっただけ」

「何だ、もうご存知だった? いやー、ダーティファイターで売るのはいいけど実際に手ェ汚してどうするんだよ」


 ここで金谷は一息おき、本題に入る。


「で、困ったのが……トーナメントの出場者だったんだよね、彼。一応『順位持ち』だからさ」

「なるほど。すると出場枠が……」

「その通り。一個余った」

「ああ、だったら丁度いいわ」


 珠姫はすんなりと返事した。


「イキの良いのが一人いるんだけど、どう? 『順位』は持ってないけど、この際カタい事いわないでよね。トーナメント連中相手でも良い勝負すると思うし、知名度も申し分ない筈だから」

「へえ、助かる。そんな奴いたんだ。……ちなみに、誰?」

「よーくご存じの奴よ。何しろテメーの顔に一発入れた事もあるくらいだからね」


 彼女は得意げに前置きし、彼の名を口にした。


「——A1っていうんだけど」



 * * *



 それから約一週間後の日曜日。

 ゴールドラッシュ杯「チャレンジトーナメント」当日。


 鋭一が待ち合わせ場所の駅前にたどり着くと、そこには余りにも可憐な美少女が待っていた。


 水色のワンピースに白のカーディガンという限りなく清楚な服装。斜めがけの小さなポシェットもよく似合っている。

 まるでマネキンのように、僅かたりとも動かず待っていた黒髪の少女……一色葵は、鋭一の姿を認めるとピクリと反応し、顔を上げた。


「鋭一」


 特に笑顔というわけでもない、いつもの表情。だがそれはつまり十分に可愛いという事でもある。そこに普段と違う服装が加わると、妖精かと見紛う愛らしさだ。

 彼女は人混みを縫い、魔法のようにするすると接近してきた。なるほど妖精は魔法を使うという。


「……鋭一?」

「あ、ああ。おはよう、葵」


 スカートの裾がふわりと揺れるのに目を奪われ、思わず返事が遅れた。

 アバターのデザインセンスも良かったが、私服も可愛いものを選んでいるのだろうか? 靴も女の子らしいパンプスを履いているし、正直こういった格好をしてくるとは思っていなかった。


「鋭一。今日は大会だから、たくさん遊べる……?」

「……えっと、そうだな。勝てば勝つほど、たくさん戦える。楽しみか?」


 彼女がいつもと同じ声で喋っているだけでも、何か違うように感じてしまう。


「うん」


 こくりと、葵は頷いた。物凄い威力だ。思わずたじろぐ。

 普段通り会話すれば良いだけの筈なのに、どうしていいかわからず鋭一は葵から目を逸らした。すると


「オイオイ鋭ちゃんよォー、別にオメーのために着飾ってるワケじゃねーんだぞ葵ちゃんは」


 色々とぶち壊しにしながら、女子高生社長が現れた。

 相変わらず極端に短いスカート。今日の服装は胸元もざっくり開いており、ネックレスが見えている。実に彼女らしい格好と言えた。こちらはこちらで目を逸らしたくなる。


「葵ちゃん、おはよ。ちゃんと買った服、全部着てきたね! かわいいかわいい」

「うん」


 珠姫に頭を撫でられながら、葵はポシェットからいそいそと煎餅せんべいを取り出した。格好は変わっても、持っているものは変わっていない。強いて言うなら、ポケットに入れている時より包装が綺麗だった。今日は七味のかかっているものだ。


「というわけで、あたし達は昨日、お買い物デートをしていたのだ」

「ああ、それで『一人で練習してろ』って言われたのか……何だよ二人だけで」

「そりゃー女の子の買い物に鋭ちゃん連れてってもしょうがないからねえ」


 珠姫は得意げに胸を反らす。


「今日は、他の覚醒者アウェイクどもの前に顔を晒すワケだからね。せっかくこれだけ良い素材を連れてくんだから、話題かっさらわなきゃ勿体ないってもんよ」

「メディア戦略ってやつか? まったく周到だな」


 そう。今日の大会は、プラネット全体でもそこそこ珍しい「リアルイベント」だ。つまり、ネットワーク上での開催ではなく、物理的な会場に人を集めて行うという事である。当然、出場する覚醒者アウェイクたちはその素顔を晒す事になる。


 ネット対戦を基本とするプラネットにおいては特殊な形式といえるが、例えばバーチャルアイドルのコンサートでも、ホールに人を集める事はある。盛り上がりの面から言っても、リアルで人間を集めて開催する意味はある……というのが主催者であるゴールドラッシュの考えのようだ。派手好きの彼らしくもある。


 一応、試合はネットワーク観戦も可能なようにはなっている。だがやはりこの大会の醍醐味は生観戦で、戦っている最中のプレイヤー本人の様子、動きなどを、同じ空気を共有して味わうことだ。


「もちろん、見た目だけ良ければいいってモンでもないけどね。ちゃんと練習してきたかい? 平田プロ」

「……ったくよお。急に出場しろなんて、無茶振りにも程があるぜ」


「あたしは、期待してない人間にやれとは言わないさ」

「都合の良い事を……。まあ、やれるだけの準備はしてきたよ」

「なら良し。じゃあ、行こうか」


 珠姫は葵の手を引いて歩き出し、葵は鋭一の服の裾を握った。つられて鋭一も歩く。会場となるアリーナは、ここからそれほど遠くない。

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