第142話 闇星《やみほし》

 俺は、トムにヘンゲし、夕闇迫る山の稜線の上に立った。ここより十数メートル離れた場所、この辺では一番高い場所のだが、そこには砦が作られていて数十名の兵士が詰めていた。


 その砦まで兵士やらが到達するためには、通常なら急峻な崖やら、身を隠すことのできない山の稜線を超えなければならず、砦からの監視をくぐり抜けるのは不可能だ。


 しかし、この位置まで来てしまえば木立と生い茂る葉が目隠しをしてくれていて、俺がいることを砦から目視することはできないはずだ。


 ここから西側を見えると、森林盆地がみえた。その奥には雪をかぶった山々が連なり、夕日がその向こうに沈みかけていた。夕焼け空の切れ目のない臙脂から群青へのグラデーションが山々の影に沈んだ森林の暗い緑へ続く。


 反対に東を向くとすでに砂漠は夜の中に沈んでいた。つまり、この山脈が森と砂漠を分ける分水嶺だ。俺は、もう一度砦の方を確認してから、東に広がる砂漠に目を移した。


 地平線まで遮るものない砂漠の上空に、ぽつりぽつりと星が輝いていた。地上に光るものと言えば、山脈の裾野に広がるわずかな森林と砂漠の境界線に立つクローチ城とその城下町の灯りだけだ。


 さて、どうやって砂時計を譲ってもらうか。相手は、紅蓮将軍の同僚で、魔族が裏で牛耳るグナール王国の将軍の一人だ。


 一筋縄ではいかないだろう。ここで考えていてもしょうがない。まずは、相手の情報収集だ。それから作戦を練ろう。


 否、その前に、そのアイテムが本物かどうかを見極める必要があるな。俺は、城に忍び込んで、目的の物を確かめることにした。


 鳥にヘンゲした俺は、崖をすーっと東側へ飛び降りた。


 クローチ城の西側には城壁は築かれてないようだ。垂直に切り立った数十メートルの崖が城壁の替わりなのだろう。西側から攻めとすれば、険しい山々と深い森を進軍しなければならず、砦からも丸見えで大軍でこちらから攻め入るのは難しそうだった。山頂近くの砦も城壁の一部とみなしているのだろう。


 崖の一番下には横穴が掘られていた。日が暮れたといのに、石を運び出したり資材を搬入したりする労働者の出入りが続いていた。運びだされているものは、石だ。鉄鉱石なのか、金銀などなのか全く見分けがつかないが、崖の下は鉱山のようだ。彼らを監視する役人たちは、容赦なく労働者たちにムチを打っていた。


 ムチ打たれ働かされている者の多くは、顔に入れ墨のある人達だった。罪人に入れ墨を施す風習があるのだろうか。


 でも、よくよくその入れ墨を見れば、一人ひとり違ったデザインだ。罪人を表す記号というよりも、呪術的な祈りのデザイン、個人を表す記号のようなものかもしれない。


 笛がなった。その音は、リレーされ、鉱山の奥の方へと伝播していった。その笛を合図に次々と坑道から労働者たちが出てきた。皆、疲れ果て、ムチ打たれた痕が痛々しい。


 洞窟からでてきた者たちが向かう、その先には貧相な建物が立ち並び、空堀があり、背の低い風化しかけた城壁がつづいていた。何のための、誰を守るための城壁なのかと思う。ゆるく弧を描き湾曲している向きから考えて、これが昔の城壁の跡なのだと気がついた。


 かつての城門跡は、今は通用門として使われており、門番が一人立っていた。どこからともなく歌が聞こえてきた。女性の声だ。俺は、その古い城壁の上に止まり耳をすませた。


 古い城門の内側、少し離れたところに立つ城の窓の一つが開け放たれており、誰かが鉱山に向って歌っていた。誰が歌っているのだろうか。よく通る声だ。


 突然、足元から声をかけられた。


(お久しぶりです。カーバンクル様)

(誰だ)


 突然、念話で話しかけられ危うく城壁から事げ落ちそうになった。


(水の大精霊オンディーヌから、カーバンクル様復活のお話はお聞きしておりました。いつか、こちらにお見えになるとは思っておりました)

(だから、誰?)


(闇の大精霊ネフサマスです)

(大精霊がこんなところで何をしているの)


(現在は、人のふりをして六星将の一人、闇星のネフとして人に使われております)

(六星将?)


(氷輝将軍の補佐する六人の将兵のことです)

(氷輝将軍に使役されているの)


(まさか。私をここに縛っているのはあの歌です。人の言葉で言えば、私は、あの歌姫の声に魅了されております)

(声を聞くためだけに、わざわざ氷輝将軍の部下になっているというの)


(そういうことです。あの声には、原初の魔力が込められております。私ども精霊には、なんとも言われぬ懐かしさを感じてしまうのです。まさに魔声)


 随分とべた褒めだ。ただ、たしかに、俺もあの声をじっくり聞きたいと思っていた。


(カーバンクル様のお目当ては、あの将軍の砂時計で間違いないでしょうか)

(どうして知っているの)


(あの砂時計をひと目見ればカーバンクル様のものだとわかります)

(では、話がはやい。あれは元々俺のものだから、返してもらいたい。対価が必要なら払うから)


(申し訳ございませんが、その件は諦めてもらうしかありません)

(どうして)


(あの砂時計は戦争の火種です。いくらカーバンクル様のものでも、はい、そうですか、とはいかないのです。戦争になって、もしも歌姫に何かあったら、あの歌を聞けなくなってしまいますから。さあ、二曲目が始まります。もうよろしいでしょうか。もし、どうしてもというなら、私がお相手いたしますが)


 馬鹿な、大精霊と戦うなんて、できるわけがない。当初の目的は、砂時計が本物かどうかを確かめることだから、闇の大精霊様が確認しているなら問題ないだろう。第一目標はクリアーということにしょう。ここは、しっぽを巻いて一時的に、戦略的撤退だ。


 でもね。闇の大精霊が守護しているからと言って、こちらもハイそうですかとは、やはり引き下がれない。すぐ目の前に、お宝があるのに手に入らないと思うと余計に、さらに、どうしても欲しくなるのは、コレクターのさがだ。


 でもこのことはネフサマスに悟られてはいけない。ガードが上がってしまうからな。


 なにか、うまい策はないものだろうか。俺は、考えながら、街の灯りに誘われて城下町の東側へとフラフラと飛んでいった。

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