第52話 ロア

 店を追い出された格好の軍人たちは、先に手を出そうとはしなかった。ドニが言ったようにウルフマンたちを相手にすることのあやうさを知っているのだろう。


 店の前でにらみ合いが続た。

 デイジーは、喧嘩が始まるのを今か今かと待ちわびている様子だ。

 チロもデイジーの脇で、尻尾を振っていた。

 

 いつからデイジーはこんな好戦的になったのだろう。

 もしかしたら、雷神の首輪の影響かもしれない。

 そうならば、それは悪影響だ。

 安全な場所に着いたら、とりあげることも考えねばならない。


 指笛えに呼応する形で呼ばれた援軍が到着した。8人いた。軍人ではなかった。ハーマン商会の若手、というよりチンピラに見えるが、いかにも喧嘩慣れしてそうな者たちだった。


 ドニの話が本当なら、これは、慎重派と推進派の派閥を代表した私闘ということなのだろう。


 軍人さんは、抜刀してしまっている。一度戦いが始まれば、収集のつけようがない。


 できれば、ドニのように、この場からさっさとおさらばしたいが、元町中華の店主として、代金を払わずここを離れるわけには行かない。食い逃げになってしまう。ちっぽけなこだわりだが、それは避けたい。


 かといって、ここでできることは、遠巻きに眺めることだけだ。

 そんな思いで街道の先に目を移すと、豆粒のように見えるところから、ものすごい速さで、誰かが走ってくる。馬よりも速そうだ。


 地獄耳が女性の声を捉えた。


「待て待て」


 睨み合っている両者には、まだ聞こえてないだろう。


 俺は、大げさなに「あ、だれか来る」と叫んだ

 ハーマン商会の男が舌打ちした。


「喧嘩は両成敗だぞ。わかっているのか」


 女が叫んだ。もう地獄耳を使わずとも聞こえた。

 ハーマン商会の男が、後から応援にきた男の一人に目配せをした。

 目配せされた男は、雄叫びをあげ、目の前のウルフマンの老人に殴りかかった。


 殴りかかった男は、一瞬で地面に叩きつけられた。

 それを合図に、喧嘩が始まった。


 それまで、ただの野次馬だと思っていたウルフマンたちも次々と喧嘩に加わっていった。

 あっという間に喧嘩の輪がひろがった。


 喧嘩の中止を叫んでいた女が到着したころには、大乱闘に発展していた。

 たしかに、これでは、食事の代金をはらうどころの騒ぎではない。

 駆けてきた女が乱闘の中心にするりと入り込んだ。あんなスピードで走ってきたというのに、息一つ乱れていないように見えた。


 次の瞬間、女の近くで喧嘩していた男が宙に舞った。

 男は受け身も取れず、地面に叩きつけられた。

 さらに、一人。また一人、宙を舞い、地面に叩きつけられていった。ゲームをしていた年老いたウルフマンも、若いウルフマンも人族も宙を舞った。 

 乱闘騒ぎが、彼女を避けていくようにも見えた。

 武術に関しては全くの素人なので、よくわからないが、投げ方は、柔道のようも見えるし、合気道のようにも見えた。


 手に触れたものは、例外なく宙を舞った。宙を舞っている人には悪いが、その軌跡は美しいとさえ思ってしまう。見惚れてしまうほどの技のキレだ。


 デイジーは、俺の隣で拳を握りしめて、その女性の動きを一瞬でも見逃すまいと見つめていた。魅入られていた。


 やがて一人の男が、こちらにきれいな放物線を描き飛んできた。

 デイジーは、自分に向かって飛んでくる男のことなど気にすることなく、その彼女の動きを追い続けていた。


 俺が、あっ、と思った瞬間、ほぼ無防備状態のデイジーはその男の下敷きになってしまった。


 チロが吠えた。


 デイジーの上に乗っかた男がデイジーを地面に押し付けて立ち上がろうとした。


 俺は、その男の顔を殴ろうと振りかぶった。

 その瞬間、その男が真横に吹っ飛んだ。砂浜を転がった。


「お嬢ちゃん、大丈夫」


 いつの間に来たのか、男を投げた彼女が、デイジーを抱え起こした。

 デイジーは気を失っていた。


 間近で見る彼女は、凛とした美しさをたたえていた。まだ、20代後半だろう。


「坊や申し訳ない。これから本気をだすから、ちょっとまっていて」


 そういうと、彼女は、何やら呪文を唱えた。

 今度は、投げなかった。彼女に近づくものは、すぐさまその場に倒れた。何をしたのか全く理解できなかった。

 最後に、抜刀した軍人だけが残された。


「剣をお納めください。これは、ウルフマン族内の揉め事。今後、関わりになられないほうが良いかと存じます」


 言葉遣いは、丁寧だが、彼女の目は怒りで満たされていた。

 軍人は、うなずくと、剣を収め、足早に海岸線の道を歩いて戻っていった。


 最初のほうで投げ飛ばされた老人が立ち上がった。


「ロア様、ひでえずら。喧嘩をしかけたのは、推進派の奴らずら」

「バカモン。喧嘩両成敗だと宣言したではないか。あ。それより」


 ロアと呼ばれた彼女が、こちらに近づいてきた。

 チロが唸っていた。


「少年、申し訳ない。お姉さんか」

「はい」


「少しここから遠いが、私の家で治療しよう。いいかな」

「お願いします」


 ロアが、デイジーを抱えた。


「馬を用意しろ」


 喧嘩に参加しなかった店の女性がどこからか、馬を引っ張ってきた。

 ロアは、なんと、デイジーを抱えたまま、馬に飛び乗った。

 何から何まで超人的だ。


「少年申し訳ないが、先にいく。オールドシャッドで、ロアの道場を尋ねてくれ。言えばみんな教えてくれるはずだ」


 そう言うと、ロアは海岸線の道を手綱も持たず馬にのって駆けていった。

 俺は、飯屋の壊れていないテーブルの上に、メシ代を置いて、チロとともに、オールドシャッドを目指して歩き出した。

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