第51話 推進派と慎重派

 8件ほどの店が道沿いに連なっていた。

 道の反対側はすぐ砂浜で、潮風が心地よい。


 ドニが紹介してくれた店は、その中で唯一の飯屋だった。ここの料理を食べたらよその店では食べられないなどとドニはまるで自分の手柄のように自慢顔だ。


 店の中に入ると、年老いたウルフマン二人が将棋のようなゲームをしていた。


 俺が、盤を覗き込むと、そのうちの一人、考え込んでいない方が、ギロリと睨んだ。


「なんだ、坊主。おめえさん、不思議な匂いがするな」

「ええ? そうですか」


 自分の匂いは自分で気づかないものだ。


 神獣カーバンクルとしての体臭だろうか、それとも人族トムが流した汗の匂いだろうか。

 神獣の体臭だとしたら嫌なことだ。もっと丁寧にグルーミングする必要がある。そういえば、最近、満足にグルーミングをしていない。


「いらっしゃい」


 店の奥から、若いウルフマンの女性が注文をとりに出てきた。

 デイジーがおすすめはなんですかと、尋ねたが、ドニが、それを遮るような大声でヅケ3人分と言った。


 女性は、ハイよ、と答えて店の奥に引っ込んでしまった。

 また、デイジーが俺を睨んだ。


「デイジーさん。この店は、ヅケ一択です。後悔させません。任せてください。うまくなかったら、返金しますから」


 まったく、調子がいい。そもそもその代金は、母親からせしめたものだろうに。


 俺たちは、店の外にある4人がけのテーブル、格好良く言えばオープンテラスに座った。すぐそこは砂浜で、輝く海が見えた。


 デイジーは、海のほうを眺め、もうドニと目を合わせようともしなかった。


 足元ではチロが伏せの状態で、我、関せずというスタンスで、リラックスしていた。


 他の店には、船でやってきた行商人たちが、乾物ら民芸品やらの売り買いをしていた。

 気まずい雰囲気を和ませようと、俺が会話の口火を切った。


「ドニさんは行商人ですよね」

「そうです」


「どれくらい、ここに滞在する予定なんですか」

「そうですね、次の便がくるまで、20日ぐらいでしょうか。いや、もう少し長居ながいしてしまうかもしれませんね」


 素人の俺がざっと日数を見積もっても、点在している三角州内の集落を全部回って、売り買いにかかる日数は10日ほどだろう。残りの日数でこの行商人は何をしようというのだろう。バカンスだろうか。たしかにリラックスするにはいい環境だ。


 注文をとりにきた女性が料理を持ってやってきた。

 目の前に置かれたのは、海鮮漬け丼そっくりだった。

 俺は、思わず声をあげた。


「まじか」

「トムさんは、ご存知でしたか」


 俺はしどろもどろになって、返事した。


「いや、その、前に一度、話に聞いたことがあります。ですが、それが、これかは、わかりませんが」


 デイジーは胡散臭そうに、どんぶりの中を眺めている。

 ロッカでは、新鮮な魚は売っていたが、刺し身やヅケは見なかったから、魚を生食する文化はなかったのだろう。


「さあ、デイジーさん。初めてかもしれませんが、一度食べたら病みつきですよ。ここでしか食べられません」


 ドニに説明されて、さらに嫌になったと言わんばかりに、デイジーは俺を見た。その時、俺は、この料理の問題は醤油だ、などと考えていた。


 その思考を邪魔するように馬が駆けてくる足音がした。どんぶりから音の方向に視線を移した。海岸沿いの道を、4頭の馬がやってきた。


 やがてそれらは、俺たちの目の前でとまった。

 土煙が舞った。俺は、どんぶりに誇りが入らないように、手で蓋をした。


 デイジーが何か言いたげに席を立とうとしたので、念話で座っているように命令した。


 4人のうち、1人は、他国の兵士で武装していた。残り二人は、ウルフマン族の衣装を着ていて、地元出身だとわかった。残りの一人は、ドニと同じような身なりをしていた。商人のようだ。


 4人は、馬を降りると、店に入り、横暴な態度で酒とヅケを注文した。

 地元出身者の口ぶりから、どうやら軍のお偉いさんを接待しにやってきたようだ。


 普段、供物以外に食欲はそそられないが、目の前に出されたヅケ丼は、目が欲しがった。


 俺は、一口食べた。

 うまい。

 新鮮な魚の身が醤油ではなく、たぶん魚醤のようなものにつけられていた。


 その身を噛むとねっとりとしていて、旨味とコクが口の中に広がった。

 ご飯は、ほっかほっかの炊きたてではなく、酢飯に近い。

 これがまた、ヅケダレとの相性が良い。

 この魚醤のような調味料は、是非買っておきたいなどと思ってしまう。

 夢中で食べる俺をみて、デイジーも一口魚の身を食べた。


「美味しい」


 嬉しそうなデイジーをドニは微笑みながら見ている。


「そうでしょう」


 ドニも自慢顔で食べ始めた。

 これで、やっとデイジーの機嫌がよくなるだろうと思った矢先、店の中から、怒号の聞こえてきた。


「出ていけ。お前たちに食わせる飯はない」


 さっき、馬で駆けてきウルフマンの男の一人が、店の中から転がり出てきた。


 他の三人も後ずさりしながら店を出てきた。

 軍人は抜刀していた。


「おおい、トムさん、デイジーさん」


 振り返ると、背中に荷物を背負い、食べかけのどんぶりを片手に30歩ほど離れた場所から、ドニが手を振っていた。


 いつの間にあんな遠くに。


 俺は、デイジーの袖を引いてドニの元まで避難した。

 店のなから、4人の男につづいて、2人のウルフマンの老人が出てきた。

 店の中でゲームをしていた二人だ。


 指を鳴らし、肩を回している。

 老人だというのに、これから軍人相手に喧嘩する気まんまんだ。

 ドニが、俺の隣でつぶやいた。


「慎重派と推進派の喧嘩ですね」

「何の推進?」


「貿易の推進派と慎重派です。軍人をつれてきたウルフマンは、きっと推進派。店の中でゲームをしていたご老人たちが慎重派だったようです。今、ウルフマン族は、貿易を拡大して、もっと豊かになろうとする派閥と、もうこれ以上の貿易は望まないとする派閥に分裂しているようなのです」


「あの商人風の男は?」

「あの男は、私と同じドナール王国出身で、ハーマン商会の者です。もちろん推進派です」


 ここでも、ハーマン商会か、という思いと同時に、ドニの言葉にけんがあるのを感じた。

 同じ商売人としてライバル意識があるのだろう。

 他の店舗からも、次々とウルフマンやらその店の客やらが出てきた。


「さっきの男の子とその母親もすごい運動神経でしたでしょう。とてもじゃないが、ウルフマン族と人族が一対一で戦って人族が勝てるわけがありません。それなのに、あの軍人さん、抜刀してしまって、どうこの場を収めるつもりなんでしょう」


 ドニの言葉は、とても冷静で冷たかった。

 ハーマン商会の男が指笛を吹いた。


「仲間を呼んだようです。あいつらのやりそうなことで」

「何のこと?」


 俺がそう尋ねてもドニは返事を返さなかった。

 ドニは、もうハーマン商会の男に対する嫌悪感を隠そうともせず言った。


「これは、慎重派がはめられましたね」


 俺の地獄耳にも、数頭の馬が蹄の音が聞こえてきた。


「私は、ここいらで失礼させてもらいます。困ったことがあったら、先程お渡ししたお守り袋に声を出して願ってくださいね。それじゃ」


 立ち去ろうとするドニの背中に声をかける。


「ドニさん、代金は」

「まあ、この騒ぎじゃ、払えないですよ。それじゃ、また。違う飯屋を案内させてください」


 そういって、来た道をどおぶりを持って走り去っていった。


 その後ろ姿を眺めていたら、自然と笑いがこみ上げてきた。この場にふさわしくないので、手で口を覆った。


 なんだか、俺は、ドニを憎めないでいるようだ。もしかしら、こういうタイプが、将来大きな店をもつのかもしれないなどと夢想した。

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