第83話 地底湖



 斜坑の表面は、湿り気を帯び、滑りやすかった。ただ古ドワーフの掘削の技なのだろう、尖った掘削跡はほとんどなく、ころんでも打ち身程度の怪我で済みそうだった。


 途中いくつもの分かれ道を通り過ぎた。どれくらい下ったのだろう。坂道が緩やかになり、突然目の前が真っ暗闇になった。


「ここは、真っ暗ですね」


 それまで下ってきた斜坑の壁にはところどろこ光苔が生えていて歩くのにはまったく困らなかったが、ここは、暗闇が支配していた。


 ムーギーが呪文を唱えると2つの光の玉があられ、当たりを照らした。


 目の前に空間が開けており、地底湖が広がっていた。


「あまりにここに流れ込む水が冷たいため、ここの天井には光苔がうまく育たないのです」


 水の透明度が高いためだろう、光の玉から発せられる光によって、地底湖の底に手を伸ばせば届きそうに思えた。


 地底湖の水に手を浸した。確かにこの水で溺れたら体の芯まで凍ってしまいそうだ。


「この地底湖の水は、古龍の森の北側にそびえるサキオン山脈の雪解け水から来ていると考えられています。足元が滑りますからあまり湖に近づかないでください。溺れたら私一人では引き上げられない可能性がありますから」


 俺たちが出てきた斜坑とは反対側の天井には複数の割れ目から絶えず水が滴り落ちていた。


 それらの水滴は直接地底湖に落ちるのではなく、段々畑状に広がった蓮の葉状の鍾乳石の中に落ちていた。


 俺たちの頭上にも穴は開いているが、幸い水は落ちてきていなかった。


 地底湖の河畔を反時計回りに見て回ると、2時方向にもうひとりの横穴があった。


 ムーギーがその横穴の前まで俺を案内すると地面を指差した。


「ここで足跡がぷっつりととぎれていたのです」

「洞窟師のルルグさんの足跡で間違いないですね」


「そうです」

「ところで今更ながらなんですが、洞窟師とは、どういう職業なんですか」

「新たな洞窟を掘ることを仕事としているものたちです」


「仕事で訪れ、落盤事故にあったということはないですか」

「そういう仕事は、ありませんでしたし、一人でする仕事でもないんです」

「そうですか」


 俺は、予め借りていたルルグさんの衣類を取り出し、匂いを嗅いだ。


 ムーギーさんは、不思議そうに俺を見ていた。


 たしかに、人族のトムが他人の服の匂いをこんなふうに嗅いでいたら、匂いフェチか、変態だと思うだろう。


 でも今は、そんなムーギーさんの目は無視だ。聞き香スキル発動だ。


 現在90歩の範囲に匂いの痕跡があれば嗅ぎ取れるはずだ。


 結果、残り香は確かに、この場所で感じられた。だが横穴に入り匂いを辿ろうとすると、とたんにルルグさんの匂いが消えてしまった。


 何度か繰り返してみたが、ルルグさんの匂いは横穴の手前までで消えていた。どこへ消えたのか?


 千里眼と反響定位で地底湖の周りを探った。隠し扉や通路のようなものは見当たらなかった。


 もし、ルルグさんをここから連れ去るとするなら、天井の穴か、地底湖の中か、それとも、一旦引き返して他の分岐へと進んだか。


 他の分岐を調べる前に、ここから行ける場所、そう、天井の穴を抜けてみよう。ちょうど人が通り抜けられそうな穴が真上に開いていた。


 俺に背を向けて地底湖眺めているムーギーさんを予告なくカクホしてしまう。ごめんなさい、ムーギーさん。


 それから、ハエにヘンゲして天井の穴を調べた。その穴は斜め上に向かって伸びていた。かすかにルルグさんの匂いは続いていた。


 俺は、聞き香スキルと夜目スキルを駆使して穴を進んでいった。奥に進むと、傾斜は徐々に緩やかになってきた。


 途中、いくつかの支流が合流していたが、古ドワーフが通れるほどの大きさではどれも無かった。


 いくつかの滝を登り、縦穴を通過した。ルルグさんの匂いは次第に強くなり、確信が強くなった。


 地底湖に降りてきた時間とほぼ同じぐらいの時間をかけてやっと広い場所に出てきた。


 そこは、天然の鍾乳洞のようであった。天井からは無数の鍾乳石がぶら下がり、地面から石筍が伸びていた。


 俺の目の前を、ガーゴイルが石を詰めた袋を持って飛んでいった。


 どうして、ガーゴイルがいるのか?


 ガーゴイルが飛び去った逆の方向からは、石をノミやツルハシで砕く音がはっきり聞こえていた。この先で、掘削作業が行われているのは間違いなかった。


 俺は、慎重に音のする方へ近寄った。鍾乳洞から、斜め下に向けて穴を掘っているようだ。


 穴をほっていたのは多くの人族だった。だだし強制的につれてこられた奴隷というわけではなさそうだ。足枷や手枷などはしてないし、暴力を行使して働かせる看守などもいなかった。


 穴掘りしている人の着ている服はボロボロで、靴さえ履いていない者もいた。彼らの足元には、身も凍るほどの冷たい水がチョロチョロとながれているが、気にする素振りもみせなかった。


 過酷な労働条件だし、目の下にくまをつくり、顔色も悪い。それにも関わらず、誰一人不平不満を言うどころか、ちょっとでも休もうとはしなかった。


 まるで、ロボットだ。その人族を指揮するように、一人の古ドワーフが高みから掘る場所について細かく指示を飛ばしていた。


 聞香スキルが、ルルグさんだと教えてくれていた。連れ去られたはずなのに、まるで喜んで仕事をしているようにさえ見えた。


 一匹のコーモリが洞窟内を飛んできて、ルルグさんの手前で、人に姿を変えた。


 ルルグさんは、その人に対面するため俺のいる方向に身体を向けた。その目は赤く、牙が口からのぞいていた。今まで見てきたどの古ドワーフとも面相が違っていた。


 コウモリから変化した人は、ルルグさんに近寄ると、首筋を噛み、血をすすった。


 ルルグさんは恍惚の表情を浮かべ、血を吸われていた。


 ヴァンパイア?


 血を吸い終わったヴァンパイアはルルグさんに進捗具合を尋ねた。


「あと40日程度で目標に到達すると思われます」

「さすが、古ドワーフ。やはりはじめらから、古ドワーフの専門家に任せるべきでした。これからも頼みますよ。奴隷たちの血はスキなだけ飲んでかまいませんからね。替えはいくらでもいますから」


「はい、ありがとうございます。ロメロ様」

「さて、この空間に我が眷属以外の波動を感じます」


 バレた?


「出てきなさい、何者ですか」


 ロメロと呼ばれたヴァンパイアがこちらを向いた。その目はルルグさんと同じように赤く、牙が生えていた。


 ロメロの手にはいつの間にか、鞭が握られていた。それを俺に向かって振った。


 ハエにヘンゲしていて正解だった。どんなに早い鞭でも、ハエの目を通せば、ストップモーションだ。


 ギリギリで避けた。


 鞭が手元に帰る瞬間にロメロの死角になる石柱の後ろ側に移動した。さらに、石柱に沿って無数のつららが垂れ下がる天井に向かって上昇した。


 一匹のガーゴイルがスピードを上げ、つららを壊しながら接近してきた。さっきはなんにも反応しなかったのに、こんどは的確に追ってきた。


 ヴァンパイアから俺の姿が見えないことを確認しレイスにヘンゲした。


 一旦太い石柱のなかに身を潜め、不意を付き、ガーゴイルにしがみついた。


 断末魔をあげて、ガーゴイルが落下し地面にぶつかり粉々に砕けた。


 このスキに逃げるべし。俺は、天井を通り抜け地上を目指した。

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