第137話 サヨ
俺はすっかりサヨの存在を忘れていた。きっとあまりにサコンの態度や考えに衝撃を受けていたからだろう。
俺はもう一度、席についた。
「サコン様は、迷われているのです。すこしお時間をいただけないでしょうか」
「何を迷っているのですか」
「この地を留守にするべきかどうかです」
「どうして」
「ここは辺鄙なところですが、いつモンスターたちに、襲われるかわかりません。実際、この城に通じる街道の多くはモンスターたちによって封鎖されているそうでございます。もしものとき自分がいなければ、みんなを守りきれないとお考えだと思うのです」
「なるほど。つまり、戦況はある程度知っていたということですか」
「はい、私達は確かに見えざる手の使い手ではありませんが、色々と変わった、といいますか、独特の能力を持った者が多くいます」
「どういうことですか」
「私の場合、その食べ物に毒があるかどうかがわかります」
「食べる前に」
「はい。それに毒を無効化することもできます」
「どうやって」
「私の唾液を使います」
サヨは、そういうと恥ずかしそうに顔を赤らめ、うつむいた。
「たわいのない能力で、戦争にはまったく役にたちません。サコン様は、そういう能力を大変評価してくれているのです」
確かに、面白そうな能力だ。
「他にどんな能力の人がいるのですか」
「風の匂いを嗅ぐ、水の場所を嗅ぎ当てる、
嘘がわかる、鳥の目を借りれる、足跡を見失わない
などいろいろです」
「面白いと言っては失礼かもしれませんが、それは興味深いです」
「サコン様は、お優しいかたです。今回の戦争が起こったことにひどく心を痛めておいでです。自分がもし、開戦時、風魔の指揮をとっていたら、と後悔しているようです」
では、サヨさんから、サコンさんを説得していただけないでしょうか。
「できるとはお約束できませんが、少し考えてみます」
俺も少し話を早急に進めすぎたのかもしれない。サコンの話をゆっくり考え直してみよう。
「わかりました。今夜、ここに宿泊させてもらって構いませんか」
「はい、大丈夫です。何もおもてなしはできませんが」
*******
バホラの夜明けは遅い。周りを高い山々に囲まれているから、朝日が城に届くのは、ある程度日が高く登って経ってからであった。
昨晩考えていたのは、サコンが味方につかないというなら、これ以上シビアの戦いに関与する必要があるだろうかということだ。
シビアがモンスターの支配地域になったとしても、オークやコボルドたちがいきなり海を渡ってエルフ領に攻め込むことはないはずだ。問題なのは、その背後に魔族がいるということだ。
つまり、魔族を取り除いてしまえば、シビアの勝ち目とはいわないまでも勝負できる環境になるのではないか。すくなくとも小康状態に持ち込めるのではないだろうか。ということは、あの金の指輪をどうするかという問題にもつながっているわけだ。後は、シビアの問題とも言える。
俺は、もう一度サコンと話してみようと、昨日案内された館に向った。
山の尾根からやっと陽の光が差し込んできた。あの金の指輪の魔族は、まだトロール戦線にいるだろうか。
ここからなら、4日ほどでつくだろう。あの指輪だけはなんとしてもカクホしなければならない。サコンを動かす糸口が見当たらないようなら、トロール戦線に戻ってみよう。じっくりとチャンスをうかがってみよう。
館の方から、悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。俺は、走り出した。周りの建物からも、次々と人が駆け寄ってきた。館の中に入ると、人々が遠巻きにして誰かを必死になだめていた。
サコンの声がした。
「落ち着け、サヨ」
「こんな子がいるから、あなたは腑抜けたことを言うようになったのです」
俺は、人をかき分け、前に出た。サヨさんが、包丁を片手に髪を振り乱していた。サコンがゆっくりとサヨに向かって半歩前に進んだ。
「ちょっと待て。一体、どうしたっていうんだ」
「近づかないで、近づいたら、死にます」
サヨさんは、自分のお腹をグーパンチで叩いた。
「やめろ。流産してしまう」
俺も思わず、一歩前に出た。
「近づかないで」
サコンが言った。
「それ以上、叩くな。子供が、子供が」
「子供がなんですか。この子一人のために、何百人もの仲間の命が失われるとするならば、この子は生まれてこないほうが幸せです。私も母として責任をとる覚悟はできています」
「やめてくれ」
サコンは頭を抱えてしゃがみこんだ。俺は、咳払いをしてから大きな声でサヨさんに話しかけた。
「サコンさんの弟、ジンベエさんは、今は傭兵をしています。結構有名な傭兵団です。新しい国の王になると豪語していました」
サヨが何を言い出すのかと、キョトンとした表情で俺を見た。
「この国に来てわかりましたが、彼は、あなた達みないたなハグレモノたちにも等しく幸福に暮らせる国を作りたいのかもしれません。どうですか、みなさん。いっそうのこと、ジンベエさんの力になってみては。みなさんご承知かもしれませんが、サコンさんは、ついに国外追放になりました。もうここにはいられません。サヨさんともお別れです。ですから、力をあわせて皆さん里抜けをしてみてはどうですか。私も力になります。できれば、私の部下になってほしいです」
周りが一斉にざわめいた。
「皆さん、知っているんでしょう。今、里抜けをしたところで追っ手はかからないと。それどこではないことを」
一同一斉にうつむいた。
俺は、その一瞬の空白を逃さず、ノミにヘンゲして、サヨさんに近づきカクホした。
サコンが、あっと声を上げた。
俺は、その場でグレンにヘンゲしてみんなの前に再び現れた。
「サヨをどうした」
サコンが俺に詰め寄った。
「落ち着いて、あんなに強くなんどもお腹を叩いたら、流産してしまうかもれまん。ちょっと、乱暴でしたが、私が保護させてもらいました」
「お前には、関係ない。サヨを返せ」
サコンは、握りこぶしを振り上げた。
「私に手を出したら、サヨさんは一生帰ってきませんよ。落ち着いて、ね」
サコンは、握りこぶしを固めたまま、その場に立ち尽くした。
周りの人々も、冷静さを少し取り戻したようだ。
「サコンさん、サヨさんの気持ちはわかりましたよね」
「だから、なんだ。お前の言う通り、全員で里抜けしろとでもいうのか。バカバカしい」
「どうしてバカバカしいのですか」
「できるわけないからだ」
「どうして」
「どうしてもだ」
「感情的に無理なのですか」
「理論的に無理だ」
「お聞きしましょう。なぜ?」
「まず、南や東西には逃げられない。南は、戦地だし、風魔の支配地域だ。東西はモンスターたちの住処で死に行くようなものだ。残る北側だが、見たのかあの山々を。この地で汗を流す季節になっても、あの山々の雪は解けない。あの山を越えなければならないのだぞ」
「でも、昨日は、北に泉が湧くところがどうこうと言っていましたよね」
「山を越えないところの話だ」
「それだけじゃない。山の向こうは、鳥人の国、ハルスカート。人族の誰もが通り抜けたことのない未開の地だ。国土のほとんど全部が山岳地帯だと言われている。果たして人が通り抜けられる道があるのかさえわからん。生きて通り抜けられるわけがない」
「あなたが、シビアのためにもう一度立ち上がるというのなら、私が、皆さんをどうどうと国外へ逃して差し上げます。誰一人欠けること無く」
「抜けられたとして、その後はどうする」
「ジンベエさんを頼ればいいではないですか。昨日サヨさんから聞きました。みなさんは見えざる手の使い手ではないが、独特な力を授かっているそうです。このシビアでは役に立たないとおもわれているようですが、ジンベエさんなら皆さんの活躍の場を提供してくれるでしょう」
話しを聞いていた者たちの間でかすかなざわめきが起こった。
「話しにならんな。里抜けは重罪だ。ここのみんなが里抜けなどしたら、兄者は、何の罪もない者をそそのかしたとして俺を一生信用しないし、山越えの危険を犯すぐらいなら、まだここで防御を固めていたほうがマシだ」
緊張の糸が緩んだように、みんなが愛想笑いを浮かべ小声でささやきあった。
「確かにそうですね。でも、こんな辺鄙な山奥でくすぶっているよりは、ジンベエさんの夢に駆けたいと思う方もいらっしゃるのではないですか」
一人の青年が、手を上げた。
「俺は、ジンベエ様の手伝いをしたい」
「サヨがいくなら、あたしも行きます」
5人の男性と4人の女性が次々と手を上げた。
「それでは、サコンさんと、サヨさん。そして今手を上げた9名の方は、これから私の部下ということで」
「ちょっと待て、俺はお前の部下になるとは言ってないし、サヨの意見など聞いたこともないぞ」
「でも、もうサコンさんは追放なんですよ。サヨさんをここに置いていきますか。サヨさんの気持ち、お腹の中の子をどうするおつもりでしょうか」
「サヨと話しをさせてくれ。二人きりでだ」
「わかりました。まずは、私が持っている薬を飲んでもらってから、でいいでしょうか」
サコンは黙ってうなずいた。
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