第29話 デイジー


 朝焼けの空には雲ひとつ浮かんでいなかった。


 日の出前だというのに貿易都市ロッカの城門へ続く道は、市場で売り買いをする商人やら家畜やらの声で騒々しい。あの地方の野菜が不作だとか、今日は天気がいいようだから品物が売れる予感がするだとか、隣村のだれそれは、誰それと近く結婚するだとか、とにかく明るくにぎやかだ。


 トムにヘンゲした俺は、城門からそれらの人々の荷物、商品を見ながら、最後尾を目指す。金を稼いでこの街でアイテムを買えば、あっという間に保管数は200、300を越えるだろう。


 やはり都会は違う。

 ミラさんに目利きスキルの光量を最低限にしてもらった。よくよく見ないとカクホできるかどうかわからない程度になった。そうしないとアイテム数が多すぎて目移りしてしまってきりがない。


 城門が開いたのだろうか、長い列が次第に前へ移動しはじめた。

 俺が最後尾にたどり着つくと、その後ろに荷車をロバに引かせて一人の少女が並んだ。


 おはよう、と少女が俺に挨拶した。俺も前に進みながら挨拶を返した。


「今日は、何を売りにきたんですか?」

「あたしが売るのは、挽きたての小麦粉と、しぼりたてのごま油だけ」


「ほんとですか」

「嘘言ってどうすんの」

「少し分けてくれませんか。僕、ちょうどそれを買いにきたんです」


「ダメダメ、うちの商品はすべて限定予約品なの。今日の商品も、直接お客様に納入してしまうから、市場では取引しないのよ」


 俺は、誇らしげに話す少女を観察した。俺より年上だと思うが、まだ少女と言っていいだろ。背はトムより頭一つ分ほど高い。肩まで伸びた赤毛を後ろで一つにまとめていた。決して上等な服装というわけではないが、洗濯されていて清潔感があった。


「だから、うちの商品は少し高額なのよ、ねえ、聞いている君?」

「あ、はい。聞いています」

「今だと三ヶ月ほど先になるけど、良かったら予約してよ」


 三ヶ月先とは随分と先だ。どうしようかと返答に迷っていると、話がどんどん進んでいった。


「前金として、商品の代金の三分の一を先にいただいているわ。残りは、納品時にね。納品場所は、ある程度、融通をきかせるけど、できれば、ロッカ市内でお願いしたい。色々とトラブルがあると困るから、やはり町中が安心なのよ。それでどれくらい必要なの」

「あ、あのう」


「あ、自己紹介が遅れたわね、あたしはデイジー。君は?」


 俺は予め考えていたトムの履歴、設定を披露した。


「トムです。宝探しをしている父を探して旅しています。一応手品師です」

「そう、そんなに小さいのに、旅をしているの? 一人で?」


「はい。手品の腕は自分で言うのも何なんですけどいいほうだと思います」

「偉い。偉いよ、トムくん。それで何か質問はある?」


「少し考えさせてくれませんか」

「ええ。もちろん。構わないわよ。でもね、あたしらの小麦粉とごま油にかなう商品なんてロッカでは売ってないわよ」


 なんとも、押しの強いお姉さんだ。


「商品を少し見せてもえませんか」

「いいわよ。でも、あんたに商品の良し悪しがわかるの」


 これでも前世では腕利きと呼ばれていたんだ。舐めてもらっては困る。久しぶりに前世の記憶がフラッシュバックしてきて、メラメラとやる気が湧き上がってきた。


 デイジーは、荷馬車の帆を開け、小麦粉の入った革袋の口を開けた。

 挽きたての小麦粉の良い香りが舞い上がってきた。肌目きめも細やかで、粒度も均一だった。最高の商品だと自慢するだけのことはあった。これなら偏屈なドルイドのババもうならせることができるだろう。是非とも手に入れたくなった。


「いい粉ですね」

「当たり前よ。ごま油、見る?」


「いいえ、結構です。見なくても大丈夫です」

「それで、どれくらい必要なの。旅をしているなら、そんなに量はいらないわよね」


 威勢のいいおじさんが俺とデイジーの脇を通り走り去っていった。


「お嬢ちゃんたち、じゃまだよ。そんなとこに突っ立てるな」


 二人はいつの間にか城門をくぐり、城内に入場していたようで、通りに店を広げる人々、朝早く良いものを買い求もとめる客たちでごった返していた。


「僕、ロッカは初めてなんで、少し見て回ってから考えたいんです。もしデイジーさんの商品が欲しかったら、どうすればいいですか」

「そうね」


 その時、俺とデイジーの会話に男が割り込んできた。


「おい、娘」


 高価そうな光沢のある生地で仕立てられた服に身をまとい、腰には宝飾が施された短剣を下げていた。

 男の眼光は鋭く、俺を無視してデイジーを睨んでいた。


「その商品をすべてを言い値で買ってやるから、俺の店に運べ」


 デイジーは急に会話に入ってきた男の言うことが理解できないという素振りで、俺を見た。

 俺も肩をすくめた。デイジーは、フンと鼻から盛大に息を吐いてから答えた。


「旦那さま、こちらの商品はもう売り手が決まっておりまして」


 男はいきなり、デイジーの手を握り、いいから来い、と言い連れ去ろうとした。

 デイジーが悲鳴を上げた。


 周りの大人たちも何事かと足を止めた。

 ハーマン商会の男じゃないかね、と誰かがささやいた。

 トムは、知らぬ間にデイジーをつかんでいる男の腕をつかんだ。


「手を離せ。助けて下さい」


 できる限りの大声をあげた。


「うるさい小僧」


 男はデイジーを握っていない方の手で俺の頬を殴った。

 俺は、あっけなく地面に転がり倒れた。


(カーバンクル様、HP5です。これ以上のダメージは危険です)


 俺は、白昼堂々と人さらいしようとする男を見上げた。

 ひと目がなければカクホしてやるのに。


 そして、ふと、気づいた。光ってない。どういうことだ。


 デイジーも、騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬たちも、みんなカクホできることを光が示していた。この男だけ光っていなかった。


 つまり、今の俺がカクホできないレベルのアイテムを身に着けているか、もしくは、人ではない?


「おいおい、どけどけ、てめえか、うちの発注したしなものを横取りしようとしているっていうのは」


 4人の男たちが延し棒を持って野次馬をかき分けてやってきた。

 男は、ちっ、と舌打ちして、デイジーの手を離し野次馬の輪の外に逃げていった。


 デイジーは半泣きで、助けてくれた男たちに頭を下げていた。

 助けに入ってくれた男の一人が、俺を助け起こしてくれた。


「坊主もがんばったな。デイジーちゃんに彼氏がいるなんて初めて知ったよ」

「ち、違いますよ。僕は通りすがりです」


 まわりに笑いの輪が広がった。


「あの男は誰なんですか」


 笑いが一瞬で止み、みんな嫌そうな顔をした。助け起こしてくれた男が小声の早口で答えてくれた。


「多分、ハーマン商会の男だろう。商いは手広くやっているけど、いい噂は聞かない。デイジーちゃんも今後は少し気をつけるんだよ」


 自分の用事を突然思い出したというように野次馬たちは散り散りに去っていった。


 ありがとうございます、とデイジーは、助けに入ってくれた人々にしばらく頭を下げ続けた。


 トムは、その場から離れていいのか、躊躇した。また、ひと目がなくなったところで襲われるのではないかと思ったからだ。


「トムくん、ありがとう。お礼に商品をお分けしたいところだけど」

「いやいや、そういうわけじゃないから、気にしないでください」


「でも何かは、お礼をしないと。そうだ、夕方、またここで待っていて。もしかしたら、少しお分けできるかも」

「いやいや、大丈夫です」


「宿は近く?」

「いいえ。まだどこに泊まるか決まっていません」


「それなら、今夜はあたしの家に泊まって。夕方、またここで会いましょう」

「そんなの申し訳無いです」


「気にしないで。それじゃ、夕方ここで」

「あのう。一緒に付いていきましょうか」


「大丈夫、さっきは突然だったから。今度は、大丈夫。大声で助けを呼ぶから」

「いや、やっぱり一緒に行きます。ついでとは言ってはなんですけど、この街のこと教えてください」


「トムくんが、そういうなら。教えて上げる」

「トム、って呼んでください」


「それじゃ、トム、いきましょう」


 そうして、俺はデイジーと一日、街の案内をしてもらうことになった。

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