第98話 少年ビット

 村に入ると路上に村人たちがたむろしていた。一様に目に精気は無くうつろで、口からよだれを垂れ流している者、痛みに耐えうめき声を上げ続けている者、震える手を抑え込もうと必死になっている者などがいた。


 一人の女が、家から出てきて、鬼の形相でギミリに詰め寄った。


「あんた、ビットに何をしたんだい」


 ビットの母親が、その女を止めた。


「違うんです。川で魚とりをしていて、足を滑らせて、おぼれていたところをこの人たちに助けられたんです」


 詰め寄った婦人は、腰を落とし、尻餅をついた。


「よっかた。ネビさんがいなくなって、ビットまでいなくなったら、私達は」


 そう言うと、その女は息をのんで、そそくさと自分の家に帰っていった。


「これは、どういうことですか」


 ドニの質問に女は、何も答えず一軒の家に入った。


 ギミリは、ドアの前で立ち止まった。


「例のは、どうした」

「1人は村の外で待機しています。もうひとりはものすごい速度で街に向かっています」


「まずいな。できるだけ早く話しを聞いてしまおう」


 ギミリは、大股で家の中に入っていった。ドニもそのあとにつづいた。


 母親は、子供を助けてくれたお礼を述べ、リーラと名乗った。


 ギミリは、白湯に何やら粉を溶かして、少年に飲ませた。


 蒼白だった少年の顔に赤みが戻った。リーラも一安心したのか、大きくため息をついた。


 何を飲ませたのだろうか。ギミリが調味料の他に常備薬をもっていることをドニは初めて知った。


「何も無い村で、何もお返しすることができません」


 ドニは、家の中をチラッと見た。たしかに、何もない。家具らしき物もない。どうやって生活しているのか、不思議なほどだ。


「この辺には、村はここしかありません。もう日が暮れてしまいますから、どうぞ、この村にお泊まりください」


 そういうと、リーラは、家の外にでていった。ドニは、ギミリに耳打ちした。


「ギミリまずいです。応援がこちらに向かっています」

「何人?」


「5人です。全員武装しています」

「ここが本当に銀職人の村なのか」


「そのはずです」

「だが、まったくの寒村ではないか」


「ええ、ネビとどういう関係があるのでしょうか」

「おじさんたち、何者」


 ドキリとしてドニたちは下を見た。ビットがドニたちを見上げていた。何時から話しをきいていたんだろうか。ちょっと油断しすぎたようだ。


「元気になったか、坊主」


 ギミリがそう言うとビットの脈をとった。


「坊主じゃない、ビットだ」

「そうか、ビット。ちょっと聞きたいんだが、ここがネビの故郷か」


「ネビは、オイラの父ちゃんだ」


 入口で、いつの間に立っていたのかリーラが、汲んできた水桶を落とした。その顔には、恐怖が浮かんでいた。


「あなたたちは、いったい何者ですか」


 ギミリは、突然立ちがり、リームの手を引き、家の中に引きこみ、ドアをしめた。


 ギミリの手にはいつの間にか、ナイフが握られていた。


「ギミリ、そんなこと」

「ドニ、どうせ、もうここには長くいらにいられない。それなら、奴らがやってくる前にできるだけ情報を集めて逃げるしかない。儂らは危害を加えるつもりはない。いくつかの質問に答えてくれるだけ良い。もし必要ならカネもすこしなら用意できる」


 リームがギミリの服を掴み尋ねてきた。


「夫をご存じなのですか」

「知っている」


「亡くなったのですか」

「いや、生きているとも、死んでいるとも言える」


「どういうことでしょうか」

「それには答えられない。上手くいけば生きて出会うこともできるだろう」


「どこかに捉えられているのでしょうか」

「そうだといっておこう」


「ああ、良かった。死んでいないんですね」

「ここからはこちらの質問に答えてもらおう」


 リームはうなずいた。


「この村は、銀職人の村か」

「はいそうです」


「ここに銀職人はいるか」

「使い物になる銀職人はいません」


「使い物?」

「村に入った時に見ましたでしょう。あれらは、薬物を与えられ廃人になってしまったかつての銀職人のなれの果てです」

「薬物をどうして」


「さあ、わかりません。薬を飲んで、それでも正気を保った銀職人だけ、軍に登用されました。夫は、それらの中でもっとも昇進していました。毎月必ず仕送を送ってくれていました。そのおかげで、この村の住人は飢えずにすんでいたのです。ですが、5ヶ月ほどまえ、突然軍人がやってきて夫が死んだと告ました」


 ドニは、じれったくなって会話に割り込んだ。


「つまり、ここに銀職人はいないと考えていいのでしょうか」

「今は一人もいません」


「他の場所に銀職人がいる可能性はどうじゃ」

「わかりません。ですが、銀職人になるためには、血が必要だと夫は教えてくれました」


 リーラは、そういうと息子を見た。そして突然、土下座した。


「どうか、息子ビットを夫の元に連れて行ってください。いえ、夫のもとでなくても構いません。この国から息子を連れ出してください」

「俺たちが何者からもわからないのに、そんな事をたのんでいいのか」


「構いません」


 リーラは、そういうと、ビットの服を脱がせた。


「銀職人になるためには、血が必要といいました。その証が、この痣です。先月、役人がやってきてビットの体に痣があることを確認していきました。遅かれ早かれ、軍の人間がやってくるでしょう。そうなれば、怪しげな薬を飲まされることになります。もしかしたら、あの廃人のようになってしまうと考えると、夜も眠れません。かといって、私は、この村のごく近くのことしか知りません。実際は、この村がどこにあるのか、近くの村がどこにあるのかも本当は知らないのです。無知で無理なお願いだとは、重々承知でお願いいたします。対価は、私の体、命でお支払いします」


「お母さん。僕、お母さんを置いて行けないよ。それに、薬なんて怖くない。必ず薬に打ち勝って、立派な軍人になって、お母さんたちを裕福にしてあげる」

「ビット、聞きなさい。この国は悪魔の国になってしまったの。普通じゃないのよ。あなたは、この国にとどまってはだめ。お母さんのことは良いから、広い世界で生き抜きなさい。あなたには、それだけの才能がある」


 そういうと、リーラは、床板を一枚外し、布に包んだ固まりを取り出した。


 それは、銀の延べ棒だった。


「さあ、これからは、これをお母さんとお父さんだと思って」


 銀の延べ棒をビットにわたすと、銀の延べ棒は、まるで生きた蛇のように細長く伸び、ビットの左腕に巻き付いた。

ビット本人も驚き、おののいていた。銀を振り落そうと左腕を思いっきり振っている。


 ギミリは興味深そうにビットの左腕を見つめた。

「なんだ。これは、特殊な銀なのか? そんな鉱物を見たことがない」

「いいえ。ビットは生まれながらにして銀に愛された銀職人なのです」


「そんなことがあるのか」

「このことは、ビットがまだ赤ん坊のときに私達がきづきました。夫もびっくりしてました。そのあと他言するなと強く止められたのです。ですから、ビットも初めての経験だと思います」


「生まれながらにしての銀職人か。どうするドニ」

「銀職人について調べてこいと言われましたが、まさかこんな難問にぶち当たるとは」


「正直に話そうリーラさん。儂らは、あんたの旦那さんと戦った者だ。つまり、あなた方の敵だったというわけだ」


 リーラは、生唾を飲み込んだ。


「はい」

「もう一度聞く。それでも息子を俺たちに預けるというのか」


「ビットの未来をつなぐためには、それが一番だと信じます。今日ビットが川で溺れたのも、たまたま通りかかったあなた方様に助けれたのも、銀の神様のお引き合わせでございます。どんな未来が待っていようとも後悔いたしません。お願いします」


 深々と頭を下げた。


 ドニがビットを見ると、涙をこらえてじっと母親の姿をみていた。ドニは昔の自分とビットの姿を重ね合わせた。強い子だ。昔の俺など比べ物にならぬほど、強い。


「ギミリさん、ビットを連れて逃げましょう」


 リーラは、ビットの目を見つめ両手を握りしめた。


「ビット。もしお母さん心配で決断できないなら今すぐにでもここで私は死にましょう」

「ちょっとちょっと待った。ビット、君はどうしたい」


 ビットは、だまってうなずいた。涙が一粒頬をこぼれ落ちた。


「うん、いぐ」

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