第55話 迷い

 俺は、デイジーが寝泊まりしている道場にやってきた。

 夜明け前の道場の中には、まだ誰もいなかった。


 俺は、道場の床に寝っ転がりながら今後のことを考えた。

 昨夜、ドニを見つけた時、弱いながらも心音は聞こえていたからまだ死んではいなかった。ただ、たらふく海水を飲んでいてたし、腹の傷も深かった。


 血を流し過ぎているかもしれない、顔面が蒼白だった。

 俺は、急いでカクホした。

 カクホしてから厄介な問題を抱えてしまったと後悔した。

 確かに興味深い人物ではあるし、もしかしたら彼の技術や魔法が市内の実情を探るのに役に立つかもしれない。


 だが、ドニを助けるメリットとデメリットを考えると、デメリットのほうが実は大きいのではないだろうかという予感が広がったからだ。

 その予感は、ドニをカイホしようと思った瞬間から具体化した。


 トムのときの苦い思い出が蘇った。

 ドニをこのままカイホするわけにはいかない。なぜなら、ドニは瀕死の状態なのだから。


 まず、治療魔法を使える人に治療を頼まなければならない。

 その上でドニをカイホするわけだが、俺がカイホするところを見られるのは困る。


 そうすると治療する人を別室で待機してもらって、ドニをカイホしてから、治療する人を呼び込むという手順になる。

 これなら、俺の力をさらさずに治療することが可能だ。


 だがしかし、この手順にも問題がある。

 ドニは、海で溺れていたのである。今も正確には溺れている状態だ。

 つまり、ベットに寝ている男は海で溺れているのである。それなのに、ベッドも床も廊下にも海水一滴落ちてはいない。


 俺が、もしこの患者を見る医者なら、まず、どうやって連れてきたのかと不審に思うだろう。

 では、治療する人を部屋に入れる前に、海水で濡れた体や頭を拭くのはどうだろうか。


 それも上手くない。


 そもそもカイホした時点でドニの命は危険な状態なのだ。

 一刻を争う。

 それに、表面の海水はごまかせても、胃や肺に入った海水まではごまかせない。


 つまり、俺が求めるのは、多少不自然でも詮索しない腕のいい治療魔法を使える人ということになる。


 この街にそんな都合のいい人材がいるのだろうか。

 今のところ、この街で頼れるのはロアさんだけだが、なんの説明もせず、そんな都合のいい人を紹介してくれはずはないし、頼めるはずもない。


 よって俺が決めなければならないことは、ドニを助けるために、俺がどれほどのリスクを取るべきなのかということだ。


 このまま、ドニをカクホしたままで旅を続け適当なところで適当なタイミングで治療してもらうことも可能だ。


 最悪の場合、ドニに死んでもらうしかないのかもしれない。トムはそんなことは望まないだろうけど。


 そもそも、ハーマン商会の船でドニは何をしようとしていたのか。それに、なぜ街中に呪術石がばらまかれているのか、そして何のために俺たちに接触してきたのか?


 ハーマン商会とは、すでにデイジーの件で因縁があるし、あのルフという魔族とハーマン商会という組織の関連も気になる。もしドニがハーマン商会について何か知っているのなら、こちらとしてもそれらの情報は欲しい。


 魔族のルフが船の沈没に巻き込まれこちらの都合よく死んでくれたわけはないだろう。もしかしたらこの街に居るかもしれない。


 もしそうなら、ロッカのときのように、またデイジーを拉致しようと考えているかもしれない。

 思考が拡散し、ちっとも考えがまとまらなかった。

 足音がこちらに近づいてきた。

 扉がひらき、デイジーが姿を現した。


「あら、トム。どうしたの?」

「少し、問題が起こった。うまく話せないかもしれないけど」


 俺は、回りにだれも居ないことを確かめてデイジーに昨夜の事件と、俺のまとまらなかった思考を伝えた。


「わかった。ハーマン商会には気をつける。でも、もう昔のように簡単に言いなりになったりしないわ。あたし、ものすごく腕をあげたんだから」

「それは、それだよ」


「信用してないなら、トムの体をつかって確かめてみる?」

「勘弁して。俺は体力がないんだから」


 デイジーは、手を叩いて笑った。

 何がそんなに面白いのか。


「それでドニは、どうするつもり」


 いきなり表情を変えてデイジーが言った。デイジーのドニに対する印象は良くなかったはずだが、言葉の端に助けてほしいというニュアンスを感じた。


 俺は、直接デイジーの質問には答えなかった。


「扱いが難しい。ドニが情報収集のために呪術石をばらまいているの確かだと思う。問題は、なんのためなのか不明だということ。ハーマン商会の船に忍び込もうとした理由と関連があるのか、ないのか。それとも推進派と慎重派の闘争に関与しているのか。だれかの手先なのか、どうなのか」

「その船の荷物は調べた?」


「一応、調べたが、荷物がまだほとんど積まれてなかった。あれで出港したら空気を運んでいるようなものだし、見張りがいることも不思議なぐらいだ」


 デイジーと話しているとだんだん要点がはっきりしてくる。

 一人で悩んでいるより誰かと話ながら考えるほうがいいらしい。

 夜が開けたのだろうか、道場の前がざわついてきた。数人がたむろしているようだ。


 デイジーと共に外へ出た。

 ロアの他に15人ほどのウルフマン族の男が集まっていた。

 デイジーが声を駆けた。


「ロアさん、どうしたんですか」

「なんでもない。デイジーは、いつもどおり練習していて」


 なんでもないという雰囲気ではない。

 集まっていた男たちはみな、いまから殴り込みにでも行くかのような形相だ。


「人族のお前などに力は借りん」


 集まっている男たちの中で一番若そうな男が言った。


「それは、聞き捨てならないわね、ネオ」


 どうやら、デイジーとは顔見知りらしい。


「私は、ロアさんのためにどんなことでもするつもりよ」


 そこまでロアさんに心酔していたのか。俺は少し驚いた。それならば、デイジーは、やはりこの街に残して行くべきかもしれない。


「デイジーもネオもこんなときにいつもの喧嘩はよして」


 ロアは、呆れ顔だ。

 一番年長の男がロアに尋ねた。


「この子かね、ロアさん。最近メキメキ腕をあげているっという人族は」

「そうだ。多分ネオよりも一段、上だ」


 男たちの中からどよめきが上がった。

 ネオは、不満げだが反論しなかった。ロアが判断した二人の実力は順当なものなのだろう。

 デイジーもまんざらではないという顔で男たちに胸を張った。

 先程の年長者が提案した。


「それじゃ、俺たちと一緒に連れて行こう」


 男たちからそうだ、そうだと声があがった。

 デイジーもその言葉に元気をもらったようで、やる気まんまんの笑顔だ。


「ロアさん、任せてください」


 ロアは、諦めたようにうなずくと集まったウルフマンたちに向けて説明を始めた。

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