第94話 師匠ヴォルガ

 ドニとギミリは、王都から5日ほど離れた山道を登っていた。


 山の冷気が汗を掻いた皮膚を冷やしていく。遠くで聞こえていた水音が気がつけばいつのまにか大きくなり、道を曲がると突然、目の前に落差のある滝が現れた。


 粗末なあばら家が滝口の近くに立っていた。一日中、滝から湧き上がる水しぶきを浴びているせいだろう土台は腐食が進んでいてドニが寄りかかれば今にもくずれおちそうに見えた。


「ここで、滝に打たれていれば、そのお前さんの師匠に出会えるというわけか」

「確実とは言えませんが、私はこの方法でしか、師匠とあったことがないのです」


 ドニは、裸になると、その滝に打たれはじめた。ギミリは、あばら家の中に置いてあった椅子にすわり、ドニを見守っていたが、やおら立ち上がり枯れ枝をあつめ始めた。


 ドニの様子を見守りながら水しぶきのかからない場所を見つけると、そこで火を起こしはじめた。


 何も起こらず、3日が過ぎた。


 ギミリは、焚き火の火に太めの枯れ木をくめた。日が暮れると山の気温は一気に下がる。ギミリがおこした火を求めて、歯の根があわなずガチガチと上の歯と下の歯を鳴らしているドニがやってきた。


「御主、こんなことをやっていたら、死ぬぞ」

「そうです。僕は、あのとき死ぬつもりだったのです。ですけど、簡単に死ぬ方法がわからなくて、いや、実を言えば死ぬ勇気もなくて」


「よりによってこんな方法を採用するとはのう。まあ、自由だが、そうして会える人物とは誰なんだ」

「すべてをなくした私に、すべてを与えてくれた方です」


 遠くで鈴の音がなった。ギミリは、懐に手を入れ、その手に護符を握った。


「こういう森の中では、悪しき精霊も良き精霊もいる。油断はするな」

「警戒を説いてください、ギミリさん。あの鈴の音は、師匠のものです」


 その顔は、ホントか、とドニに問うていた。


 鈴の音が聞こえる方向に目を向けると鬼火のような淡い青い光が、フラフラと揺れながら、こちらに近づいてきた。


 ドニはすっかり警戒を緩めているようだが、ギミリは、警戒を緩めず見つめた。


 足音が聞こえてきてやっとギミリも、それが精霊や幽鬼のたぐいでないことを認め、護符から手を放した。


 その替わりに、今度は、腰の短剣に手を添えた。


 青い光と焚き火の光が、やってきた者の顔を照らし出したとき、ドニはひざまずき頭をたれた。


 ギミリは、なおもその者を見据えて立っていた。やってきたのは小柄な少年ほど背の高さの人物だった。


 ホビットか、とギミリは思わずつぶやいた。


 頭には、帽子の代りに獣の頭蓋骨を載せていた。毛皮のコートを羽織り、左手には、青い炎の灯ったランタンを、右手には、身長ほどの長さの杖を持っていた。


 青い炎を持った者が言った。


「久しぶりだな、ドニ」

「おひさしぶりです、ヴォルガ様」


「お前がここに帰ってきたということは、借金を返しにきたということでいいのかな」

「はい。もちろんでございます」


 ドニは、自分の荷物から古ドワーフの里やエルフの国で仕入れてきた品をすべて、ヴォルガの前に置いた。ギミリは慌てて、ドニの手を押さえた。


「おいおい、ドニ。それは全部売り物じゃぞ」


 ドニは、ギミリの口を手で軽く押さえ、発言を遮った。


「これは、また珍しいものを持ってきたものだ」

「はい」


 ヴォルガは、一点一点慎重にアイテムを吟味していった。


 最後の品を見聞し終わったヴォルガは、ドニの前に腰をおろした。


「足りぬぞ」


 その言葉は、ギミリの背筋が凍るほど冷たかった。


「申し訳ございません」


 謝るドニの声は震えていた。


「人の身で、これらの品を集めてくるのは、さぞ大変だったとは思う。だが、それは、それ。これは、これじゃ」

「はい」


「これらの品を得るために、お前は、そこにいる古ドワーフの他にも多くの仲間を得たに違いない。そうでなければ、エルフの髪飾りなど手に入らぬからな」

「ご明察でございます」


「それならば、足りない分はお前の友、仲間を俺に売れ」


 ギミリは、思わず、短剣に添えた手に力をこめた。


「私の仲間を売ったとして、ヴォルガ様はそれをどうされるおつもりでしょうか」

「商売の基本は、安く仕入れて高く売るだ。わかるだろう」


「誰か、その情報を欲しい人に売るということでしょうか」

「もちろん、そうなる。仲間を売れないというならば、お前の片腕を質にいれてもらおうか。ちょうど実験で、生身の人間の腕がほしいと思っていたところだ」


 ギミリは、ドニの手を払い除けて叫んだ。


「おい、ドニ、帰るぞ。こんな胸くそ悪い話しはない」

「黙っていろ、古ドワーフ。これは、ドニと私の話だ」


「そうかもしれんが、言って良いことと悪いことがある。おまえさんの今の話は、悪いことだ」

「ドニ、お前は契約を忘れたわけではあるまい」


「忘れておりません。次に合うときは、すべての負債を精算するという約束でした」

「そうだ」


「なあ、ドニ。行こう。今回は合わなかったことにすれば良い。それが大人の知恵というものだ」


 ドニの顔は、焚き火の熱で温まったはずなのに、真っ青になっていた。


「さあ、返答をしろ、ドニ。約束を守るのか守らないのか」

「ドニ。もし、仲間を売ることがあれば、俺はお前を切る」


「私は、仲間を」

「よせ、ドニ」


「売りません。この腕を」

「ドニは、左腕をヴォルガに差し出した」


 ギミリは、短剣を引き抜き、ヴォルガを威嚇した。ヴォルガが杖で地面を打った。


 甲高い金属同士がぶつかる音がし、ギミリの体が一瞬硬直した。


「冗談だ。ドニ」


 ヴォルガが大笑いをはじめた。ギミリの硬直がとけた。


「いやいや、愉快」


 ギミリは、短剣を構えたまま慎重な姿勢をくずさなかった。


「いい仲間をみつけたようだな、ドニ」


 ドニは、腰を抜かしていた。


「古ドワーフよ、俺はヴォルガ。よくホビットに間違えられるが、ノーム族と人族のハーフじゃ。ドニに危害を加えたりせぬから、その物騒なものをしまわれよ」


「ギミリさん、大丈夫です。もう、この腕は、師匠にささげたので、もし今更切り離されても構いませんから」

「ほんとに大丈夫か」


「大丈夫です」

「これらの商品もしまえ。こんなもので俺が喜ぶと思ったか」


「すみません、師匠。今の所これぐらいしか無いのです」

「俺がくれてやった玉はどうした」

「はあ、その玉が、いろいろな事情で、これに化けました。その、言いにくいのですが、もう一度、師匠のお力」


 ドニの言葉は、最後は聞き取れないほど小さくなった。


「なるほど。ここでは、話にくい。俺の家で話を聞こう」


 そういうと、ヴォルガはさっさと歩き始めた。


「本当にいいんですか」

「なんだ、ドニ、そんなに驚いて、そんなに大変なことなのか」


「知っているなら、こんな滝行なんかしませんよ」

「それもそうか。そうだな」


 ギミリはやっと警戒を説いて鼻から大きく息を吐いた。

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