第31話 粉挽小屋
昼食が終わるとデイジーは、商店街を回って食料品やら日用品やらを購入した。どの店でも買うものをどれにしようか、とは悩まなかった。
「即断即決なんですね」
「もう、何年もこんな生活しているし、ジジイは、衣食住にあまり興味がないから、的当でいいのよ」と言って笑った。
買い物を済ませると寄り道もせず、さっさと城門から街の外に出た。
「どうして、街に住まないんですか」
「ジジイが、いま住んでいるところが気に入っているからかな。まあ、あたしも今の生活が気に入っているし」
次第に、日は傾き、夕暮れが近づいてきた。
街道を外れ、森に続く道に入った。
小川にぶつかると、そこにかかっている橋は渡らず、上流へと向かった。
狼か野犬かの遠吠えが聞こえた。
「こんな寂しい場所で暮らしていて安全?」
「心配ないよ」
「だって、森の中じゃないですか」
「ジジイは、不思議な術を使うのよ。このロバの金具にも、荷車にも、ほらみて、紙が貼ってあるでしょう。ジジイは御札とか呼んでいるけど、魔除けの札らしいの。これを貼っておくと危ないことがやってこないんだって。今まではジジイの言う通りだった」
デイジーは寂しそうに笑った。
「今日まではね」
今日、市場で男に絡まれたことで、その効果に初めて疑問が生じたわけだ。
「この森のあちこちにも同じ御札が貼ってあるらしい」
デイジーは、突然何かひらめいたのか、胸の辺りや腰の辺りを手のひらで探りはじめた。財布でも落としたのだろうか。真剣に何かを探していた。
「忘れてた。ああ、そうか。あたし。今日御札を身につけるの忘れていたんだ。やっぱり、ジジイの御札は効果があるのかもしれない」
もし、本当なら霊験あらたかな御札だ。
しばらく小川に沿って進むと、木が軋む音と水の跳ねる音が重なっり聞こえてきた。
二棟の水車小屋だ。
水車小屋から少し離れて、もう一棟、水車小屋より一回り大きい小屋が立っていた。
デイジーは、水車小屋の中に、ロバと荷馬車をしまうと、食料品だけを荷馬車から下ろして、小屋の方に俺を案内した。
扉を開けると、デイジーは大声をあげた。
「ジジイ、ただいま」
その部屋に人はいなかったが、返事が帰ってきた。
「おう、おかえり。うまそうな肉は手に入ったか」
入口と反対の壁には2つの扉があるのだが、その左側から声がしていた。
肉、肉、ってうるさいな、とつぶやいてからまた大声をあげた。
「今日は、鶏肉が手に入ったよ。塩、胡椒も良いのが手にはいった」
部屋の中央には4人掛けのテーブルと椅子があった。そのテーブルの上には、本が積み上がり、紙が層をなし散乱していた。食事をもしこのテーブルでするとしたら、書類の上に食器を置くしかない。
部屋の奥には台所と暖炉があり、暖炉の中に吊るされた鍋の中では、液体が沸騰している音がした。
扉の前以外の壁には、書類や本がテーブルと同じように積み上げれていた。床にもカーペットのように紙が散乱していた。
「火のそばに、紙があるのって危なくないの?」
「全然。今まで燃え移ったことなんかないから」
デイジーは、台所の上に買ってきた食材を置いた。
「それよりも、ジジイ、お客さん連れてきたよ」
扉がゆっくりと開き、一人の男が現れた。
ジジイと呼ぶには若すぎるが、若者と呼ぶには年をくっている。
中肉中背、頭は、ボサボサで、メガネを掛けていて、手には紙の束を持っていた。
目、鼻、唇にデイジーの面影を探そうとしたが、似たところを見つけることができなかった。
男が尋ねた。
「どちら様?」
「トムと言います。お宝探しを職業としている父を探して旅をしています。一応手品師です」
俺は、挨拶代わりに何も持っていない手のひらを見せ、買ったばかりのナイフを右手に、熊よけの鈴を左手に出して見せた。
デイジーが声をあげて喜んだ。男の右の眉毛だけが上がったのと同時に、ミラさんがレベルアップしましたと告げた。
この瞬間、きっと手品を見せた俺が、この中で一番驚いていたにちがいない。
間違えてレベルアップしてしまった。
(カクホと唱える回数が4回になりました)
「こんなところにお宝などない」
不機嫌な声で男は言った。
(カイホの距離が4歩に伸びました)
「聞いて、ジジイ。あたし、街で連れ去られそうになったの」
(聞香できる範囲が4歩の範囲に拡張しました)
今度は、男が心底おどろいたという表情を作った。
「な、なんで」
(新しいスキル、反響定位を取得しました)
「そんなの知らないわよ。それで、トムくんが助けてくれたわけ」
(20歩の範囲で能力を発揮できます)
なんだ、「その能力は」という言葉をのみこんで、代わりに「いや、自分は大声で叫んだだけで」と言った。
「それで、旅の途中のようだから、お礼をこめて夕食と一晩屋根をかそうというわけよ」
「そんなことをお前が一人で決めるな」
「それじゃ、そのまま命の恩人に何も礼をしなくてもいいっていうの」
男は頭を掻いた。
「俺は、そういうことを言っているんじゃない」
「あのう、僕、大丈夫ですから、ここいらで帰らせてもらいます」
「だめよ、いくら御札で守られているからって、この森の夜はそれなりに危険よ。それに、宿には泊まれない。もう街へ入る門は閉じてしまったから」
「御札のことも言ったのか」
「だめだった?」
「いや、もういい」
「いい? それじゃ、今日は三人で夕食ね」
男は、俺の前までやってきて、娘を助けてくれてありがとう、と言って手を差し出した。
俺は、左手で持っていた熊よけの鈴を右手に持ち直し、握手した。
「そんな緊張しないでくれ。ちょっとムキになって済まなかった。私は、アズー。娘を助けてくれてありがとう」
「そうよ、ジジイは、大人げないのよ」
俺は、精一杯の作り笑いを浮かべて、曖昧にうなずいた。
この時、俺の心には余裕がまったくなかった。
なぜなら、手のひらから出したナイフと熊よけの鈴がカクホできなくなっていたからだ。
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